岡崎北高19回生「緑寿を祝う会」
この秋は9月の同窓会総会(ただし台風のため中止)ののち、11月9日に創立110周年記念式典、11月11日に昭和46年卒業の19回生の同窓会、北高卒の県教委並びに高校管理職の親睦会である「白亜会」が行われ、岡北がらみの行事が続いている。
岡崎ニューグランドホテルで開かれた19回生の会に、一員である私も出席したが、65歳を緑寿(ろくじゅ)と呼ぶことを改めて認識した次第である。久しぶりの同年会でもあり120名余りの参加があった。中には50年ぶりの再会となった同級生もいて、懐かしい時を過ごすことができた。
半世紀の月日の経過の中で、それぞれの人生を生き、今日があり、風貌もモノの考え方にも変化があるはずであるが、再会と共に気分は昔に戻ってしまうことがまことに不思議である。しかし中にはすでに亡くなっている友人もあり、現在20人ほどは所在不明で、連絡もとれないとのことであり、時の移ろいの無情さを感じさせられるものであった。
当日、挨拶の機会を得たが、時間を気にして思っていたことを適確に話せなかったため、以下に補足した文章を記すこととします。
御紹介頂きました3年8組の内田康宏です。今回御案内を頂いて、改めて65歳が「緑寿」と呼ばれることを思い出しました。
高校生の頃は65歳と聞けば、棺桶に下半身が入った存在のように思っておりましたが、自分がその年になってみると「こんなものか」とあっけなく感じております。これまで諸先輩からも同様の感想を聞いておりましたが、今はそれを実感しております。
いずれにせよ、このところ同年代の親しい友人が相次いで急逝しておりまして、我々もそうした年でありますので、元気なつもりであってもどうぞ御自愛下さい。
(昭和34年3月竣工の岡崎北高本館)
本年は母校、岡崎北高校の創立110周年にあたり、先日記念式典に来賓として出席してきました。その折久しぶりに体育館に入ることができましたが、通路を通り体育館に向かう途中、記憶の彼方に沈んでいた様々な出来事が思い出され、不思議な思いがしたものです。
今改めて高校時代を振り返ってみて、自分の人生の中で一番元気の無かった時代であったような気がします。私の場合、自分が何をしたら良いのか分からず、迷ってばかりいた日々のように思い出されます。しかし当時の友人から受けた様々な刺激や先生方の示唆に富んだ言葉がその後の人生の歩みの糧となり、今日の思考の形成、生き方の選択につながったような気がします。
言い換えるならば高校時代は将来へのサナギの時代であったにようにも思われ、そうした時間と空間を与えてくれた母校と学友の皆さんに感謝しております。
それから本日は久しぶりに岡崎にみえた方もあると思いますが、岡崎はこれからまだまだ変化してゆきますので楽しみに見守って頂きたいと思います。これまで他の三河の諸都市と同じく「モノづくり」を中心に栄えてきた岡崎市ですが、これからはもう一つの経済の柱として岡崎のもつ美しい自然景観と歴史的文化遺産を活かした「観光産業都市」として発展致します。これから数年の内に私が公約として掲げた事業が一つ一つ実現して参りますのでぜひ御期待下さい。
65歳で緑寿、70歳で古希、77歳で喜寿となります。また元気で再会できますことを楽しみにしております。ありがとうございました。
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