藤岡弘、さん、今春本多忠勝役に!
昨年、NHKの大河ドラマ『真田丸』で本多平八郎忠勝役を演じ存在感を示していた藤岡弘、さんが、今春の岡崎桜まつりの「家康行列」において本多忠勝役で再び登場することとなった。
出演交渉は、昨年の夏頃から東宝の事務所を通して行ってきた。そして昨秋行った仮契約により正式に出演して頂けることと相成った。
昨春の〝里見浩太朗・家康公〟による盛況ぶりを見ても明らかな通り、大物スターの登場は家康行列の魅力と集客力アップにもつながり、沿道の商店街からも「朝から来客が増えた」と好評だったことから、この度の藤岡さんへの出演交渉を行うことになったのである。ただ、今回は10月に選挙があったため、私が直接御挨拶にうかがうのが12月となってしまった。
国交省への来年度予算要望に出かけた12月12日(月)の午後、電車を乗り継いで世田谷区に到着。駅から東宝の担当者の車で藤岡さんの事務所へと向かった。
さすがにスターの個人事務所らしく、鉄筋コンクリートのがっしりとした建物であった。事務所の前には撮影機材を満載したと思われる大型車両が停められていた。なんとこの細い道路を通ってここに駐車させるのは、藤岡さん御本人だそうである。ちなみに藤岡さんは大型、大型特殊はじめ、ほとんどの車両の免許を持ってみえるそうだ。
2階にあるガラス張りの応接室に向かった。階段をのぼる途中、テラスに本物かと見まがうような陶器製のトラの置物が我々の方を向いて座っており、ドキリとさせられた。
応接間のテーブル上には、本多忠勝に関する資料や藤岡さんの雑誌インタヴューに答えたコピーなどがていねいに並べて置かれており、藤岡さんのこの役に対する思い入れと、来客に対する細やかな心配りが感じられるようであった。窓際には初代仮面ライダーの当時のポスターや貴重なフィギュアなどが並べられており、きっとマニアにはたまらないお宝であろう。
そう言えば今回の話を本多家の御当主・本多大將(ひろゆき)さんに伝えたところ、初代仮面ライダー世代でもある大將さんは「ともかく理屈を超えてうれしい」とコメントされていた。
ほどなくして入室してみえた藤岡弘、さんは肩書きに武道家とある通り、1メートル80センチを超える体軀(たいく)に筋肉のヨロイをまとっているような方であった。そうした見かけに反して、声はソフトでラジオの朗読番組に合いそうな、やさしい語り口であった。
今回の本多忠勝役については一番敬愛する戦国武将であり、NHKの大河ドラマに忠勝役の出演依頼があった時は運命的なものを感じたそうである。私達にはこれまでも主役を歴任されてきたイメージが強いのであるが、御本人は「役者人生で初めて本当にやりたい役が回ってきた」と熱く語られた。
藤岡さんの武士道と日本文化・伝統に対する思い入れは深く、俳優業の傍ら、武士道と日本文化の伝道師として世界中を回って活躍されていることはつとに有名である。私もこれまで70数ヶ国を訪れているが、藤岡さんの100ヶ国近くにはとても及ばない。
職業軍人であると同時に武道家でもあり、戦後は警察官として指導的立場にあった父君喜一氏から「文武両道に通じる規律ある生活と古武術に始まり、柔道、剣術など各種武道を厳しく指導を受けたこと」が今日のベースになっているということであった。
父君は戦時中に受けた弾の跡やキズ跡があり、そのせいか長生きはされなかったとのことである。そのため戦友でもあった小野田寛郎少尉が戦後29年経って(昭和49年)フィリピンのルパング島で発見され、帰国した折には、息子である藤岡弘、さんと出会う機会があり、小野田さんとはその後も親交が続き、父君の語られなかった戦時秘話を聞くことができたという。その後小野田さんがブラジルへ移住し、牧場を始められ、ブラジル軍に関わりを持たれていた頃にも藤岡さんは南米まで出かけられたそうである。小野田さんが亡くなられる前にもう一度会うという約束が果たせなかったことが心残りであると語られた。
藤岡さんは東宝映画『大空のサムライ』(昭和51年)にも主演されている。原作者であり物語の主人公でもある零戦の撃墜王・坂井三郎氏とも面識があり、多くのお話を直接聞かれているそうである。藤岡さんはこの映画の後に小型飛行機操縦の免許もとっている。小型船舶の免許もあるそうであるから、陸・海・空すべての映画に対応できる。無線の資格もあるそうで、これで爆発物取扱の資格があればアメリカ海軍のネイビー・シールズの隊員も務まりそうである。
それから時代劇の話でも盛り上がった。友人から「映画オタク」と呼ばれる私であるが、『椿三十郎』における三船敏郎と仲代達矢の終盤の決闘シーンについてつい熱く語ってしまった。
瞬時に決まる三船さんの居合い抜きの場面をスローモーションで観てもよく分からず、後に何かの本で読んで「右手で抜いた刀の背を左手のヒジで押し切りするように高速回転させる」ということを知ったとお話したところ、さすが刀道教士七段、抜刀四段に加え、居合道も極めてみえる藤岡さんは、すでに御自身も試みておられ、「あれって本当に出来るんですよ。私もやってみました」と軽く答えられ、またもや驚かされた。
よく手入れされている日本刀の刀身は台所の包丁とは違い、うっかり刀の部分を握りでもすれば手の平が切れるほど鋭利である。私達がマネでもしようとすれば、自分の手足を切るのが関の山である。武芸百般に通じた現代のサムライ・藤岡弘、さんにおいてこそ成し得る技であることを明記しておく。
話がはずみ、1階の奥にあるお茶室にも案内して頂いた。室内には藤岡さん自らデザインされた鎧兜をはじめとし、何領もの甲冑(かっちゅう)が並んでいた。囲炉裏の周りに腰を下ろした我々は、藤岡さん手ずから入れられたお茶を頂き、足元に置いてあった仕込みヅエ(レプリカ)も見せてもらうことができた。
これらの凝り具合に私は同じ傾向の趣味の臭いを感じ、個人的にも藤岡弘、さんを好きになりそうである。
別れ際に「また、ぜひ遊びに来て下さい」と言われたことを女房に話すと、「バカじゃない、社交辞令に決まってるじゃない!」と一笑に付されてしまった。
しかし帰りに外まで出て、私達の車が角を曲がるまで見送って下さった藤岡さんの誠実な姿からは真実しか感じられないと、私は勝手に思っている。
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