市長会 蘭仏視察記

2014年11月27日 (木)

市長会・蘭仏視察記 7.歴史とアートの町、サン・テティエンヌ

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 サン・テティエンヌ市は、フランス革命の頃には「武器の町」または「武器コミューン」と呼ばれ、ナポレオン時代には国立武器鋳造所があった都市である。リヨンの南西60kmにあり、人口はロワール県の県庁所在地でもある周辺部も含めて約40万人、岡崎市と同じくらいの規模を持つ。

 私達はまず、市役所で説明を受けることとなった。ここはもともと先進的な土地柄で、1825年にイギリスで世界初の鉄道が開業した2年後には、早くも鉱山で採掘された鉱石や石炭の輸送用鉄道が開通するほどであった。
 生産されていたのは武器ばかりでなく、コーヒー・ミルや窓の蝶番などの生活用品も造られており、ヨーロッパ全土に向けて輸出され、産業の町としての基盤が形成されていった。19世紀にはすでにフランスにおけるパイオニア的産業都市となっていたそうである。
 その後、製鉄業、織物業、自動車の製造と発達していったが、この町の産業都市としてのピークは1965年頃であったという。以後、公害問題と景気の後退による停滞期に入り、併せて人口減やさらなる産業の衰退に悩まされることになる。

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 転機となったのは、2000年頃から様々な試行錯誤の末に「デザインネットワーク」という考え方を取り入れたことであり、2010年からは世界デザイン都市ネットワークにも参加したそうである。これまでの重化学工業志向からソフト産業への転換は、当時は一つのカケであったという。産業基盤の転換だけでなく、新たなまちづくりの方針としてデザイン性のある変革を行うことを考えたのである。
 そうした政策の一環として、「サン・テティエンヌ・デザイン・ビエンナーレ」というモダン・アート芸術祭を2年に一度開いており、今ではヨーロッパで有名な芸術祭の一つになっている。第8回の2013年には、わずか2週間の会期中に14万人の入場者を迎えている。こうした積み重ねの中でユネスコから「歴史とアートの町」に認定されることになったのである。

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 ビエンナーレの会場として使用され、新たなまちづくりの実証実験の場となったのが、“シテ・デュ・デザイン”である。ここはかつてナポレオン時代の国立武器鋳造所であった。以前は施設の老朽化のため閉鎖されていたが、貴重な歴史的建造物の一つである。現在、こうした歴史遺産をそのまま整備再現するだけでなく、それを材料として、新たな時代の価値や機能を付加してゆく考え方の元に整備がすすめられている。
 このシテ・デュ・デザイン内の施設は、現在大きく3つの用途に分けて活用されている。一つは高等デザイン学校である。沿革を遡ると起源は200年前に至る。芸術と工業デザインの教育を行っており、フランスでは3本の指に入るレベルであるという。他に展覧会場が2つあり、一年中、大小様々な展覧会が行われている。しかし、常設の博物館や美術館とは異なり、デザインの歴史を見せるのではなく、現在の最新デザイン、あるいは未来のデザインのあり方を模索するという志向での展示会が開催されている。
 入口に近い展示館には、温室とカフェレストランをコラボさせた感じの施設が併設されており、大変オシャレな感じがしたものである。

 展覧会場の運営方法は、大きく2つの見学パターンで考えられており、一つ目は子供、家族を対象としたもの。二つ目は、企業やデザインの専門家を対象としたものである。毎年こうした形で、それぞれの対象向けに4回ほどの展示会が定期開催されている。
 さらにこの施設では、企業向けに商品デザインを研究開発して、商品化のお手伝いをする仕事もしている。それ以外には、例えばこれからの人々の生活上の移動手段はどの様に変化してゆくかとか、また次世代の人達はどういうものをいかなる食べ方で食するのか、そういった生活様式の日常における変化まで考える、いわば未来学の研究施設ともなっている。主に企業からの依頼による研究が主体となっているが、国レベルの研究にも参画しているという。

 もう一つ、サン・テティエンヌ市の特徴として言えることは、都市全体がデザインを基軸として、新しい町に生まれ変わろうとしていることである。例えば、町中にある広告看板も、単に一つの広告ではなく、機能性と変化、面白さという点も意識して造られていた。

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 これは、もうすでにここだけでなく、他の町でも採り入れられていたが、たとえばバス停の待合の隣などに高さ1.5~2.0m、幅50cmくらいの広告施設が設置してある。これは中の広告が1分単位ほどでタテに巻き取り回転するシステムがとられているようであり、内容が次々と移り変わるため、人目を引く。街の景観を阻害することは無いし、一箇所でいくつもの広告宣伝ができ効率も良い。なんでも外国のモノを採り入れる我が国が、このシステムを使っていないことを不思議に思ったくらいである。また、プラッグという、歩道の端に定間隔で定型の穴をあけ、イベント時は様々な広告に使ったり、街頭のゴミ箱を設置したりできるシステムも面白いと思った。使わない時はフタをしておけば、じゃまにもならない。
 またサン・テティエンヌ市ではデザイン憲章というルールをつくり、それまで不統一であった各ロゴ・マークの統一をはかったりもしている。市内の公共交通機関の案内板や、バス停のマーク、切符売り場、トイレや売店など、あらゆる標示を誰にでも分かり易く、使い易いものに一新したという。

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 学校教育にもデザイン都市の考え方は活かされている。20~30年ごとに行われる学校の改修工事において、子供達や生徒、親や先生からもアイデアを募集し、それを代表者会議でプランにまとめ、それに対して市が予算内で費用を出し実現化するというやり方をとっている。子供達のアイデアといってバカにすることはできず、洋服掛けのデザインなど、商品化され販売されているものもある。
 また現在三つの高校において、ロボットを使った面白い実証実験が行われている。病気やケガで入院中の生徒や不登校の子供の替わりに、ロボットが学校で授業を受けるのである。その生徒はロボットからの映像と音声を病室や自宅でコンピューターの画面を通じて受け、授業に参加することができる。そこまでなら岡崎でもミクスのTV電話や、中学で始まるタブレット端末を使って似たことができるが、このロボットはさらに遠隔操作によって学校内を移動でき、友人との交流もロボットを通してはかれるという。残念ながら階段での移動はできないため、その時は友人に運んでもらうことになるそうである。

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 私達は、これまでデザインというと、車や家、家具や装飾品、電化製品といった限定的なものにとらわれていた傾向があるが、ほかに身近で一般的に使用されているものの中にも、デザインを一工夫するだけで格段に利便性が高まるものがある。そうしたアイデアを活かして生活を豊かにもできるし、また製品化することにより企業利益につなげてゆくこともできるようだ。
 会場には、車のドアの開閉システムを家の窓の開閉に応用させたシステムもあった。もちろんロック付きである。
 またジボーという会社では、ギブスを改良したおしゃれな作業用プロテクターを開発していた。ケガをしてからのギブスではなく、ヒザ、ヒジ、腰等を痛める力仕事をする人達の安全プロテクターとして使える。

 デザインと機能を、常識にとらわれず様々に組み合わせて活用することによって、生活も便利となり、見た目も美しくなる。大は都市計画から小は身の回りの小物まで、アイデアを提供したり、商品化したりすることによって、新たなビジネス・チャンスが生み出されるということを教えられた訪問であった。

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2014年11月24日 (月)

市長会・蘭仏視察記 6.ローヌ・アルプ農業会議所とコンテ・チーズ

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フランスの農業会議所
 EUの中央に位置し、広大な面積を持つフランスにおいて、農業は雇用面において重要な産業の柱の一つである。国内政治におけるフランス農業団体の発言力は強く、時折テレビのニュースで見る、町中でトマトをぶちまけたり、牛乳を流したりするストライキのスタイルはけっこう過激である。
 フランス農業会議所は、農業協同組合が主体となって1924年に設立された組織である。農業会議所は全国に代表部署を設けており、今回我々が訪れたローヌ・アルプ地域の農業会議所では、中部フランスのアン県、アンデシュ県、イーゼル県、オートサヴォア県、サヴォア県、ドローム県、ローヌ県、ロワール県の8つの県を対象に活動している。地域全体としての面積、人口も大きく、経済規模も全仏第2位である。

 ここローヌ・アルプ地域農業会議所では、地域農業の発展計画や作物の選定、栽培方法の指導を行っている。ことに地域の各農家をサポートして育成指導することによって地域農業のブランド化による経営の安定と農業の活性化を目的としている。さらに他地域の会議所との連携を高め、幅広い活動も行っている。
 また、農業会議所は、農業振興のために、EUや国、各地方自治体に対して、政策的要請や専門的見地からの政策指導を行っている。そのためローヌ・アルプ地域では、農家の代表者によって構成される議員400人が、各地域や団体から選出されている。さらに農業経営の個別アドバイザーとしての専門家が700人程働いている。それらの人々が、個々の農家の相談に乗ったり、地方自治体に専門的アドバイスをしているという。
 全体の15%くらいが事務職であり、残りは50ほどある支店で農業指導に当たっている。また他に研究・実験を行う部門もあるそうだ。
 フランスでは、国が直接農家に対してアドバイスをするようなことはやっておらず、別の独立したプロ集団として農業会議所が指導的役割を担っている。
 国は直接的に関わっていないが、運営経費の半分を負担している。他はEUとの協定による資金や、各地方自治体との契約による指導管理業務に対する収入、それから個別の農家に対しアドバイスを行うごとに受け取る報酬などが運営費となっている。
 財源の50%を国の税金で充当しているため、大きく二つの任務を担っている。第一は様々な決定機関に対して、農業関係者の代表としての意見を伝える。第二は、よその国ならば政府機関が行うような農業の管理指導の代行と関連するデータや管理記録なども併せて管理保管することである。
 フランスでは、こうしたプロの農業機関のような組織が伝統的に重要な役割を果たしており、長い間、このような機関が国と一体化してこの国の農業を推進してきたという歴史がある。FNSA(日本でいう農協)や若手農家組合といった団体もあり、組合が伝統的に強固な力を持っている。そうした組織の代表が評議員として、国や地方自治体に対して政策的意見を述べてきている。

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生産物の高付加価値化
 また、現在における重要な仕事の一つに、各農産物の品質を向上させるということがある。ヨーロッパはEC、EUとなり関税障壁がなくなったために、各国の生産物が自由化により相互流入するようになった。そのため品質の良いものでなければ生き残れなくなっている。よって商品の高付加価値化が必要となってきている。
 特にローヌ・アルプ地方では、AOCという品質並びに呼称の保障制度があり、個々の製品が作られるべき地域、またその製品の原材料の仕様等が細かく規定されており、それを守って生産されたもの、あるいは製造されたものにしか、EUが認定したAOCマーク(日本で言うJISマークのようなもの)の使用が許されないシステムとなっている。
 ローヌ・アルプ地方は60%が山岳地帯にあり、平地の農業環境の整った地域と同じ生産物で競った場合不利となるため、近隣の市場にターゲットをしぼって、新鮮さと希少さで勝負する戦略で農業を行っているという。
 幸い、リヨンを中心としたこの地方の人口はフランスでは第2位となるため、そうした商品の高付加価値化に成功している。さらにインターネットを使った通信販売や車で産地まで来るお客を対象にした、ドライブイン的な店も用意している。
 また風光明媚なこの地方の景観に惹かれて足を運ぶ夏のハイキング客や、冬のスキー客などの観光客向けの農産物販売も考えられている。いわば、農産物の工業製品化のような工夫がなされているのである。
 こうした数々の努力によって、価値の高い商品を競争力のある価格で消費者に提供することに成功しているのである。

 また、ローヌ・アルプ地方においては、新しく農業を始める人々の半分が農業従事者の子弟ではなく、初めて農業に関わる人達であるという特徴がある。そうしたチャレンジ精神のある若者を養成して、その後も指導を続け、一人前の農家に育てるためのシステムを持っているという。さらに十分な資金を用意できない者には、土地については会議所が購入して、低金利の長期返済で貸し与えるため、若い人もチャレンジのチャンスが与えられることになる。もちろん返済すれば土地は個人の持ち物となる。このようなことも、会議所の仕事として行われている。

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コンテ・チーズ
 フランスを代表するチーズの一つである「コンテ・チーズ」の生産地は、ローヌ・アルプ地方のアン県にまたがるジュラ山脈一帯と定められている。この地方で千年以上前から作り続けられてきた熟成ハード・チーズがコンテ・チーズである。
 添加物を一切使わず、地元の原材料によって職人が長年の経験と技により丹精込めて作るこのチーズは、独特の個性と風味があり、多くの人々に愛好されているという。フランス産チーズとして現在No.1の生産量を誇っている。
 コンテ・チーズを名乗るためには、様々な規約と制限を守らなくてはならない。まず、ミルクを生産する牛はモンベリアール種(95%)か、フレンチメンタール種(5%)のどちらかでなくてはならない。牛のエサも、夏は自然の草花を食べさせ、他の季節は干し草を与えると決められている。

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 また製造過程で使われる直径3メートル、高さ1.5メートル程の容器についても、外側は現在ステンレス製となっているが、ミルクに触れる内側は必ず銅製でなくてはならない。さらに形成されたチーズを熟成させる時に下敷きとして使う木の板も、エピセアという名の松の一種の針葉樹から作られたモノという決まりになっている。
 そうした条件の下に、毎日25キロ圏内の牧場から集められた牛乳を夜のうちに12度の保管庫に収納する。そして毎朝4時頃から容器に移された牛乳に発酵を促す粒状のチーズを加え、機械でかき回してゆく。中心部にカイエというチーズの元となるものが形成されてくるので、それを管で吸い取り、型に移してゆく。一つの型で40kgのチーズができ、一つの容器から1回につき6個(240kg)できる。その時使用される牛乳の量は2700リットルであるという。

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 チーズとなる部分を取り除いた液体から、バターと脱脂した牛乳が出来る。また残った液体からホワイトチーズが造られ、年間10万個売れるという。最後に残った液は昔は捨てていたが、今は中国の業者が買って化粧品や薬、または幼児用の粉ミルク造りの材料として使用するということであった。道理で、日本に来る中国人が日本製の化粧品や薬、粉ミルクを買って帰る訳が分かる。
 形成されたチーズは最低5週間ここで熟成される。その後、場所を移され、1ヶ月、12ヶ月、14ヶ月の三段階の熟成で販売される。(仏人は12ヶ月のモノを好むそうだ。)
 各チーズには産地登録番号と日付、国名等が刻印され、30ヶ月は製造年月日が消えない。現在も、このようにして18の業者によって年間600万リットルの牛乳から480トンのコンテ・チーズが製造されている。 (つづく

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2014年11月17日 (月)

市長会・蘭仏視察記 5.フランス・リヨン「スマートコミュニティ」

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 フランスに来たというのに、パリを飛び越えていきなり中南部のリヨンに到着した。フランス語が聞こえなければ、一体ヨーロッパのどこに来たのか分からないようなのどかな田園風景の続く場所への来訪となった。
 もっとも「ニューヨークはアメリカではない」というアメリカ人がいるように、「パリは本当のフランスではない」というフランス人もいるのであるから今回リヨンに来たことはそれなりに意味があることでもあろう。

 リヨンはすでに紀元前一世紀には、ローマ帝国のガリア植民地の中心都市として栄えていた。私は学生時代、リヨンと言えば毛織物と教えられたと記憶しているのだが、19世紀頃には絹織物の産地として有名であり、現在でもオミヤゲ物のレースのししゅうにその名残があるようだ。
 この地は、ナポレオン時代に武器の生産地として名を成したこともあるが、このところは重化学工場を中心とした工業地帯として発展してきた。その後経済のグローバル化の流れの中で、不況も重なり、しばらく停滞の時代が続いた。
 そうした状況を打開しようと、現在、製薬、バイオテクノロジー、コンピューターゲームなど新しい産業の育成と共に、新たなまちづくりプロジェクトが実験的に行われている。それが今回のリヨン訪問目的の一つでもある「スマートコミュニティ」事業である。

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 今回のテーマである「スマートコミュニティ」(アメリカでは「スマートグリッド」という)とは、これまでのように一方的に供給された電気エネルギーに頼るだけではなく、自らも太陽光発電などでエネルギーを生み出し、それを活用すると共にITを用いて他者と情報を共有しながら余剰エネルギーを双方向で融通し合って、ムダ無く、賢くエネルギーを使う地域社会のことである。
 何やらSF映画の設定のようにも思えるが、将来の地球規模の人口増大とそれに伴うエネルギー・環境問題を解決するための重要な解決手段として現在世界の先進各国で戦略的取り組みがなされている。

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 到着してすぐ向かったのは、「新エネルギー・産業技術総合開発機構」(NEDO、ネドー)と東芝の共同グループのオフィスのあるHIKARI(ヒカリ)ビルであった。NEDOはかつて日本の通産省(現・経産省)の下部組織であり、現在は独立行政法人して当地で「リヨン・プロジェクト」と呼ばれるスマートコミュニティ事業に関わっている。
 この近代的な建物は、日本の建築家、隈研吾(くまけんご)氏の設計による8階建てのビルであり、自然光をうまく取り入れて日中は電力の使用を減らす仕組みとなっているそうである。建物の外周はガラス面が多く、納得のゆく説明である。
 このビルは「ポジティブ・エナジー・ビル」とも呼ばれ、屋上・壁面を活用した太陽光発電により、ビルの中で作り出したエネルギーでビルの中で使う照明・空調・電気機器の使用電気のすべてをまかない、さらに余ったエネルギーを他の用途に活用するシステムとなっている(ZEB、ゼロ・エネルギー・ビルディング)。

 スマートコミュニティのインフラ市場は、2030年までには、100兆円を超える大きな世界市場(定置用蓄電池が82兆円、送電設備が55兆円、EVが37兆円)になると目されている。これにサービス業務が加わるからさらに拡大することは確実である。
 こうした未来社会を迎えるにあたり、日本が世界をリードする「省エネ技術」や「蓄電池」、「エネルギー・マネージメントシステム」などのノウハウの活用が期待されているが、日本は国際市場において出遅れているという現実がある。その理由は、まず第一に、製品一つ一つの技術には秀でているが、それをシステム化したりパッケージ化して売り出したりする能力に欠けていることが挙げられる。第二として、顧客となるべき外国の政府や各地自体に対するマーケティング能力の不足、そして第三として、何よりも海外での「実績」の不足が一番大きな弱点となっている。
 今回そうした現状を踏まえて、新たに踏み出したのがこのフランス・リヨンにおける事業であると言える。この事業の意義は大きく二つある。まず技術的に社会的実証を成すということである。
 これまであったスマートコミュニティに向けての技術的・社会的課題を解決し、一つのビジネスモデルを構築すること。そしてその事業成果をもとに海外でのサービス展開に必要なパートナー企業との連携を深め、次なるビジネスモデルの場の創出をはかることである。
 そうしたプロジェクト推進のための手助けをするのがNEDOの役割である。海外で協力できる企業との仲立ちや政府、自治体との交渉、手続きの援助などを行っている。こうした試みによって今後期待される効果として以下のことが挙げられる。

1.海外における戦略的提携の実現

2.海外における活動実績の構築

3.海外での日本企業の信頼性の向上とイメージアップ

4.現地ビジネスの掘り起こしと横への展開

5.海外の有力企業や公的機関、研究所と人的ネットワークの構築

6.国内における類似事業の展開と受注増

7.企業内での新ビジネス創出

 このような大きな期待を背に、現在リヨンで進められている事業が大別して四つある。

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その1 ポジティブ・エネルギー・ビルディング(PEB)の地域的拡大
 前述のHIKARIビルがそのPEBの代表である。

その2 三菱自動車の協力で行われている「EVシェアシステム」

 これは市内の30ヶ所に普通充電、3ヶ所に急速充電可能なスタンドを設け、会員が車を共同利用するというスマート交通システムのことである。これは車を個人資産と考える日本人の意識に馴染むものかどうか分からないが、現在リヨンでは、三菱のEV(電気自動車)15台、プジョー・シトロエン車16台によりカーシェア(車の共同利用)の試みが行われている。そのエネルギー電力としてPEBによる余剰電力が使われている。このシステムは天気予報をもとにした充電情報まで管理しており、コンピューター制御のもとに各地に配置してある車の使用許可がなされる仕組みとなっている。会員カードを車の駐車場にある機器に当てて、照合が済むと各車両の使用が許可される。もちろん無人のシステムである。使用後、車は市内の決められた所定の場所へ返還されることとなっている。使用料も車を個人で所有するより安上がりである。

その3 既存の公営住宅における各インフラ(電気、ガス、水道)の供給量をグラフ表示板によって表す〝見える化〟
 使用状況の情報提供にとどまらず、省エネ意識の薄い一般市民に対しては、注意喚起とエネルギーの合理的使用に対する啓発も同時に行い、生活習慣の改善を促す。(フランス人は外国人移民も多いため。)

その4 地域全体のエネルギー運用状況の〝見える化〟

 PV発電(太陽光発電)データ、気象データなどと、人口統計情報や地図情報などを総合的に管理して、自治体を対象にした地域全体のエネルギー運用状況を可視化し、効果的で効率的な都市計画を行い、エネルギー消費のムダをなくした集中管理を行っていこうとするものである。

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 以上の事柄に加えて、大規模太陽光発電事業(メガソーラー)や原子力エネルギーの活用なども考えられている。風力発電については地形的・気候的理由で効率が悪く、この地域ではあまり考えられていないようであった。またこうした計画が現実化できるのも、フランスにおいては電力の自由化が日本よりも進んでおり、発電と送電と配電が自由に行えるということが関係している。
 質疑応答の後に市街地にある充電スタンドとシェアカーの現状を視察して、フランスでの初日を終えたのであった。
 今回は理屈っぽい話に終始してしまったが、現在の行政視察とは概(おおむ)ねこうしたものなのである。 (つづく

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2014年11月 5日 (水)

市長会・蘭仏視察記 4.再生可能資源アプリケーションセンター

Applied Centre for Renewable Resources

 私達が次に訪れたのは、アムステルダムの北東にあるレディスタット市の国立アクレス研究所(Applied Centre for Renewable RESources。略称ACRRES)であった。ここは、本来、動物と植物科学を研究するワーヘニンゲン大学の別個の研究施設であったのだが、その二つを合併させて、新たにアクレス研究所として設立したのである。
 このあたりも、かつては水面下4~5メートルであった所であり、「ここは、私達が海の中に人工的につくり出した土地です」と紹介された。
 当初、私は、オランダの干拓もセントレア(中部国際空港)の建設と同じく、周囲を壁で囲むように埋め立てた後、その中の海水を外へ排出しながら中を埋め立てていくものと思い込んでいた。ところがこちらの方式は、ぐるりを埋めて囲ってから中の海水をポンプで汲み出し、塩分に強い葦(あし)などを植えて土壌改良をするものの、そのまま海底だった所を耕して農地にしてきたのだそうである。「そんなことで農地になるものか」と驚くばかりであるが、オランダは土地が少ないだけでなく、山も少なく運んで来る土も無いのであった。その点がはっきりしてようやく、子供の頃絵本で見た「少年が堤防にできた穴を手でふさいで、友達が大人を連れて来るのを待った」という物語の本当の情景が理解できたような気がした。

 現在のアクレス研究所の役割は、大学の研究内容を応用、実用化するための橋渡しと、民間企業の新規計画の実用化実験を代行するパイロット事業である。具体的には、太陽光・風力発電などの新エネルギーの研究や再生資源を実用化するための各種実験やテストを行っている。
 オランダ政府は、2020年までに持続可能エネルギー(自然エネルギー)を全体の20%に拡大する目標を掲げており、そうした新エネルギー源の開発、再生利用、資源の活用研究に力を注いでいる。2014年現在において達成率は2%弱であり、目標値は高く、実現への道のりは険しそうである。
 オランダ政府は同時に2020年までに温室効果ガスの排出も、対1990年比で30%削減するという目標も持っている。

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 現在アクレス研究所の保有する風力発電機(新型風車)は26基であり、その電力を電力会社に販売した利益が研究所の基礎収入となっている。併せて風力発電機のメーカーからは、発電機の騒音問題や、高さ200メートルに及ぶ新型風車の機械的な負荷などの改善対策についても依頼されているそうである。
 「日本では低周波や騒音に対する苦情や反対運動のために設置場所に苦慮しているが、こちらではそうした問題はないのか?」という私の質問に対しては、「設置場所が人家からある程度離れた畑の中であることを説明し、苦情を言って来た方に風車の投資家になって頂き、利益の配当を出すシステムをとったところ、苦情はなくなりました」との答えであった。(やはり「最後は金目」とは言えないだろうが・・・)

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 またオランダと言えば酪農の国でもあるが、大量に発生する牛のふん尿や農産物の副産物である残余物などの廃棄物を使って、そこから発生するバイオガスすなわちメタンガスと二酸化炭素そして熱を有効活用しようという研究も進められている。
 現地にあるダイジェスターという直径10メートル、高さ5メートルほどの消化棟では、こうした廃棄物を発酵させ、メタンガスを造り出している。商品化するにはまだ小規模な段階であるが、普通のパイロット事業よりも大がかりなものであるという。
 この中には畜舎から集められた牛ふんを毎日6トン、さらにメタンガスの量を増やすために同じく6トンの農業廃棄物が投入されているそうだ。そしてこれらが中で混合され、40~60日の間でバイオガスに変化していくのである。
 計算上では5頭分の牛の1年間のふん尿で、乗用車一台分のメタンガス燃料をつくることができるという。これで小さい車なら年間4万キロは走ることができるそうである。
 研究所内にはメタンガス・ステーションも設備されていた。

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 最後に見学してきたのが、水藻の一種であるアルゲの研究施設である。先程の施設から輩出される熱と二酸化炭素を使って、アルゲの増殖ラインが作られていた。
 アルゲを育てるための養分として、リン酸と窒素成分が必要とされる。その二つの成分も牛のふん尿の中から取り出して使用しているという。
 そしてこのアルゲを使って燃料を作ったり、動物の栄養剤、人間の栄養剤、さらに各種添加剤を作ったりするそうである。

 少し前、世界中で穀物(主にトウモロコシ)を原材料としたバイオディーゼル燃料の開発と実用化がブームだったことがある。ブラジルなどでは専用スタンドができ実用化され、アメリカにおいて実用化の動きがあった。そのため一時、世界的に穀物相場にも影響が出て、パンが値上がりしたり、開発途上国の食料需給が心配されたりしたこともあった。その後あまりニュースにならなくなっていたが、製造単価が原油に比べ割高となり、一時のような熱狂は冷めたようである。
 そのブームだった頃、アメリカの「ナショナル・ジオグラフィック」誌でも取り上げられていたのが、水藻を原材料としてバイオディーゼル燃料とする方式であった。こちらの方が効率が良いという研究発表が当時アメリカでなされていたことを記憶している。この件については県議会の委員会で質問したため覚えている。
 しかしながら、今回現地で説明されたアルゲによるバイオディーゼルオイルの評判は思ったほどではないようであった。燃料としてのカロリーが高くなく、苦労して製造しても安い値段にしかならないそうだ。逆にそのオイルの中の成分に薬用に適した成分が含まれていることが分かり、現在はそれを取り出して商業化する試みに主眼が置かれているそうである。
 現在当地で行っている人造の池やリアクターを使ってのアルゲ栽培の方式に対し、多くの企業が関心を持ち、共同出資をして研究を進めているという。屋内栽培がいいのか、屋外がいいのか、またアルゲを食用とする生物が繁殖してきた場合どう対応するかなど、フィルターによる対策も含め、研究中とのことであった。
 私が「日本の鯉の養殖池に似てますね」と言ったところ、「鯉の養殖の方が儲かると思います」という答えが返ってきた。

 終わりに施設の外側に設置してあるソーラーパネルの説明があった。ここでは三つのパターンで実験が行われていた。
 第一は固定設置された普通タイプ、第二は東から西に向けて一日かけてゆっくり向きを変えるタイプ、第三は太陽の位置を性格にとらえて常に直角に光を受けることができるタイプである。結果は当然ながら、第三のタイプが一番良い成績であるが、設置費用がかさみ、商業ベースに乗るものとはなりそうもないようである。

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 何ごとにも先進的な取り組みをしているオランダではあるが、町の風格や伝統を重んじるアムステルダムの市内において太陽光発電や風力発電の風景にはお目にかからなかった。やはり場所によってその機能を使い分けるということも、これからのまちづくりやエネルギー対策には必要な智恵であるということだろうか。
 今日もなおアムステルダムの運河の近くには、かつて国土を守るための水揚げ動力として、あるいは産業動力として働いた古い風車がモニュメントとして、点在している風景が見られるのである。
(なぜオランダでは運河や川の水流を利用した水力発電を実施しないのかということを聞き忘れてしまった。たぶん利用効率の問題だと思う。) (つづく

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2014年11月 4日 (火)

市長会・蘭仏視察記 3.新農業システム・トマトワールド

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 ヨーロッパに到着以来、なぜかいわれなく街中(まちなか)のせわしさのようなものを感じていた我々であったが、フランクフルトの空港ロビーで見たテレビニュースと新聞の一面によってその原因が分かった。到着した7月13日は、ドイツとアルゼンチンのワールドカップ決勝の日であった。
 すでにオランダは決勝リーグから敗退していたが、隣国でもあり、欧州と南米の代表者による決勝戦への関心は高いようであった。近年は日本でもかなりのサッカー熱の高まりがあるが、それでも歴史と伝統、国民生活への浸透度という点で欧州や南米とはまだ段違いのような気がする。彼らにとってはスポーツというよりも、国の威信と名誉をかけた戦いなのである。

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 サッカーのことはともあれ、我々が次に目指したのは、農業王国であるオランダの中でも特に農業が集積し発展していると言われるウエストランド市であった。
 バスの車窓から郊外に向かう間に見えてくる風景は、徐々に都会の市街地からのどかな田園風景へと移り変わっていった。この風景は長年にわたるこの国と農民達の努力の成果であると言える。
 オランダはその多くが干拓地であるため、海水を抜いて干上がった海底をそのまま耕して農地化した所が多く、土壌に恵まれず、日照時間も日本より短い。そのような悪条件の中、限られた農地面積しかないオランダが〝農業王国〟と呼ばれることになったのは、2つの秘訣があったと言われている。
 一つは、作物を都市近郊における売れ筋のものにしぼったことである。日本のように田畑を使った露地栽培ではなく、ハウスを使った施設園芸によって花卉(かき)や野菜の栽培に徹し、いわゆる植物工場として生産としている。
 もう一つは、産学官が共同して、農業というものを国家戦略の手段として位置づけていることである。
 現在、地球の人口は発展途上国を中心に際限なく増え続けており、いずれ食料不足の心配が世界的なものとなることが予想される。そのような状況の中、より少ない土地で、より少ない水とエネルギーによって高い生産性をあげる農業を実現していくことは、人類の生存と発展に不可欠なこととなるだろう。
 いずれにせよ、日本の九州ほどの大きさのオランダが、農業貿易輸出額においてアメリカに次いで世界第2位なのである。日本の農業もやり方次第なのだろう。

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 私達の訪れた「トマト・ワールド」は、一面大型のハウス(日本の倍近い高さ)が立ち並ぶ一角にあった。ちょうど農業インフォメーションセンターのような感じであり、建物の中は万博のパビリオンのようなパネル展示と巨大なトマト、ピーマンの模型等が飾られていた。
 来訪者に対しては、ここで行われている独特な施設園芸の説明を行っている。さらに「トマト・ワールド」では、様々な実験的栽培と研究が行われている。現在は約80種のトマトが栽培されているが、それはあくまで研究のためである。通常の農家は一品種のトマトだけを集中して栽培し、その種類のトマトのエキスパートとして育っていくそうである。
 また、この施設は、生産者同士のノウハウの交換やセミナーにも使われている。さらに商取引のための大量買い付けに来る業者から、小売業者、一般消費者に対する販売に至るまで、すべての機能を併せ持っているという。
 ことに中高生などの見学に対しては、農業というもののイメージを再認識してもらうため、新しい園芸農業の仕組みをていねいに説明しているという。

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 今日において、農業というものは、単に田畑を耕して収穫をするというだけのものではない。ICT(情報通信技術)、コンピューター関係の技能も必要であるし、商業、営業に対する知識も必要で、さらに宣伝広告も重要である。そうして組織が大きくなれば人事や金融関係のノウハウも必要となる。つまり、これからの農業は、農業ビジネスとして拡大してゆくということを伝えているという。
 そもそもこの組織は、2008年に6人のトマト生産者が同じ品種のトマトを「トミー」というブランド名で出したことから始まっている(ミニトマトを最初に生産したのもこの人達である)。その後、大きな販売組織や銀行など様々な企業が支援するようになり、現在約40社の協賛企業がある。また政府も支援するようになっている。
 まるで研究室か精密機械工場に入るかのように、白衣と白帽、靴カバーをつけてハウスに案内された我々であるが、改めてハウスの巨大さに驚かされる。日本の物の倍はありそうである。ここでは、ITを駆使して、日照から気温や湿度、植物に与える栄養素入りの水の量、二酸化炭素の濃度までコンピューター管理の栽培が実現されている。

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 そうした徹底した高度機械化、合理化された環境の中で、トマトの収穫率はとても高い数字を上げている。1キロのトマトを生産するためにオランダでは4リットルの水を使用するが、スペインでは20リットル、イスラエルでは36リットル使わなければならないという。
 暖房のために要する燃料は、この国の豊富な天然ガスを使っている。発生したCO2は、養分としてプラスチックホースを通して植物の根の部分に回すようにしている。植物に与える水は、養液を含ませ、点滴のように投与される。与える量は必要とされる水分よりも少し多めに与え、残った水分は集めて消毒してから再利用するというムダの無さである。
 トマトの栽培システムとして個人の生産者は自分で苗を作ることはしない。種苗専門に育てる苗屋がおり、そこで種から30センチほどの苗を育てる。生産者はそれを買ってきて育て上げることに集中することになっている。
 トマトのプラントは下から上まで6~7メートルの高さがあり、収穫するごとにプラントを移動させていくのだという。そして空きになったプラントに再び新しい苗を植えてゆく。
 化学肥料は一切使っておらず、生物学的有機農法を行っている。害虫の発生に対しては、薬ではなく、天敵となる虫を導入し駆除にあたらせるという。クマバチが天敵として害虫駆除には活躍しているということであった。また受粉のために、マルハナバチを使うことで人件費の大幅な節約となったそうである。こうした益虫も、卵やさなぎの形でボトルに入ったものを購入してきて育てて使うという。ITとコンピューターを駆使した管理を始め、非常に工業化されたシステムのあり様とムダの無さ、さらに安全管理にまで目配りのゆき届いたあり方に、農業に対する考え方を再認識する大変良い機会になったと思っている。
 生産物は、その国の消費者の味覚にあった品種を選別して生産され、イギリス、ドイツ、北欧、東ヨーロッパの国々へ輸出されている。
「アメリカは農産物の輸入規制がすごく厳しく、日本は新鮮な産物を安く届けるにはちょっと遠すぎますネ」というのが最後のコメントであった。 (つづく

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2014年11月 1日 (土)

市長会・蘭仏視察記 2.アムステルダムの都市政策

愛知県市長会・蘭仏視察記

 我々が最初に訪れたのは、アムステルダムの都市計画と安全計画管理を担当している事務所であった。古いビルをそのまま利活用しているせいか、古いエレベーターのカーゴに保護扉が無く、うっかりもたれたら壁とのスキマに引きずりこまれそうだ。「身の安全は個人で考えることで、ムダなことに税金は使わない」ということだろうか。壁をこするように上昇していく様子と共に、考え方の違いにまず大変驚かされた。
 アムステルダムは北のベニス(伊)と呼ばれるほど水の豊かな、いや水に囲まれた町である。総延長100km以上の運河と約90ほどの島々を1500余りの橋によってつなげて成り立っている都市である。地元では「池にお盆をいくつも浮かべたような町」という表現を耳にした。油断すれば水没してしまうということであろう。
 そうした、海に面して位置する都市であるアムステルダムは、用地の有効な活用と干拓による土地の拡張、水路の水質管理(塩分と衛生)、そして海からの自然浸食や高潮対策に常時対応してゆかなくてはならないという宿命がある。また開発行為において自然が失われる場合、替わりに同程度の自然を別に整備することにもなっている。

愛知県市長会・蘭仏視察記

国際化政策とウォーターフロント計画
 アムステルダムはオランダで一番発展している都市であり、歴史的にも憲法上においても首都なのであるが、水害対策のためか、王宮、国会議事堂、官公庁や各国の大使館などはハーグ(デン・ハーグ)にあり、事実上の首都はハーグとなっている。
 これまでアムステルダムの発展の基礎は、交通と住宅と経済をうまくコーディネートして活用してきたからだと言われる。さらに官・学・民の三つがうまく連携協力しており、議会、市の職員、各市民団体が協力しながら良い都市づくりを進めているそうだ。
 中でも重要なものは「国際化政策」であり、現在、スキポール空港(アムステルダム国際空港)がある市の南街区の再開発に力点が置かれている。
 現在でも都市圏の雇用の17%は外国系企業が担っており、多くのヨーロッパ企業の本社機能がここに集まっている。それは労働市場としての条件が整備されており、各種社会的インフラが優れているためであるという。新しく造成した土地が多いため都市計画も合理的に推進できるのである。ここには日本企業も多く進出している。

愛知県市長会・蘭仏視察記

 都市づくりのもう一つの課題が「ウォーターフロント計画」、つまり運河沿いの地域の開発整備計画である。これは1975年から始まったものであり、長期計画のもとに戦略的に開発が進められている。現在、一日25万人が利用している中央駅あたりはかつて古い港湾地帯であったそうだ。その周囲は人工的な埋め立て地であり、150年前には海であった所が今やアムステルダムの中心地となっている。
 南部の空港周辺の大型開発地域は「サウスアクシス」と呼ばれ、物流の拠点としての整備が進められている。また同時に第二次大戦以後に建設された古い住宅を修復するプロジェクトも行われているという。
 2020年頃には雇用の11分の1はウォーターフロントエリアに集中すると予想されており、市民の8分の1は、このウォーターフロント周辺に住むことになるだろうと言われている。都市計画局では、さらに次世代のウォーターフロント計画を考えており、順次、西に進んでいく方針であるという。
 重要な交通路であり、生活の場ともなっている水路や運河の開発、沿岸整備も同時に考えられており、シナリオも複数用意され、港湾局と連携をとりながら実施されてゆくことになっている。港湾地区では、業務用の建物と住宅を混在させる基本方針だという。
 日本と違って、毎年の台風や水害の心配がないせいか、水上を利用した住宅(浮き家)や施設の存在が目についた。そのせいか市民生活にボートやヨット、カヌーといった水上スポーツが根付いていることがうかがえる風景を、何度も目にすることができた。
 さらに郊外においては、「ゾーン計画」として様々な開発計画が用意されており、それぞれのゾーンには、その地域にあったテーマのもとに整備が進められてゆく。計画では各ゾーンは地下鉄によってリング状に結ばれることになっている。

愛知県市長会・蘭仏視察記

クォリティーの高いまちづくり
 世界遺産に認定された町並みを持つアムステルダム市のまちづくりにおける基本方針は、「クォリティー(質)の高いまちづくり」というものである。それが都市計画と経済発展において不可欠の要素であると考えられている。古い伝統的建造物、新しい建物、公共のスペースという3つの要素の調和を考え、まちづくりは進められているそうである。
 「古い建物の遺構と新しい都市計画がぶつかった場合、どちらを優先するのか? 何か基準となる法律はあるのか?」という私の質問に対しては、
 「アムステルダムには、伝統的に古い建物をどのように扱うかについて一貫したビジョンがあり、古いものを活かしながら、そこに新しい機能をつけ加えて活性化することに成功している」という答えが返ってきた。
 現在、市内には9,000件の歴史的遺産(モニュメントと呼ばれる)に指定された建造物が存在し、古代に建てられたものも、50年前のものも、その歴史的、文化的意義が考慮されて保護の対象として指定がなされているという。
 さらに地域全体が保護区とされる「景観保護地域」などもあり、そうした地区では市の認可を受けずに勝手に建物を作ることも改修することもできない。
 古い町並みのイメージを大切に、統一感のある景観を残している所もあるが、中には新旧の建物が混在し、かえってそれが美しいコントラストを醸し出している所もあった。
 たとえば港湾地域にある古い倉庫は、建物の外観を残したまま、ゴージャスな内装が施された高級マンションに改築されている。また頑丈な大型クレーンのあった土台を壊すことなくそのまま活かし、その上にモダンなアパートを建てているケースもあった。
 まちづくりには高いクォリティー(質)が望まれるが、その程度はケース・バイ・ケースであり、地域によっても求められるレベルやその質も異なっているようだった。

 話をしていて面白く感じたことは、「建物を修復する場合に、必ずしも同じ形、様式を再現するばかりでなく、そこに新たな美的感覚を加えた機能的な改修を行うことは可能である」という点と、「結果として、その建築や改修によって地域全体の価値が上がるような計画であれば、その計画の実施は認可される」というところである。そうした考え方に、日本的型どおりのお役所判断とは異なった新鮮さを感じたものだ。
 このような施策を現実に進めるにあたって必要とされるのは、専門の知見に健全な美意識そして芸術的センスに裏付けられた判断能力である。これは一朝一夕に養われるものでなく、長い歴史と伝統の中でつちかわれてきたものと言えるが、我々もこれから優れたまちづくりを目標とする以上、こうした姿勢と能力を持つ努力をしなくてはならないと思っている。

愛知県市長会・蘭仏視察記

モニュメント審議会
 アムステルダム市には「モニュメント審議会」(建造物審議会)というものがあり、これは都市計画や歴史的建造物の専門家、学者、建築家、デザイナーなど各分野の専門家達で構成されており、こうした方々が市議会で議決された都市計画の基本方針(ケースによっては非常に細部にわたる基準がある)に沿って、審議会としてケースごとに判定をすることになっている。
 モニュメント審議会は行政にアドバイスをする立場であるが、そこでの判定が覆(くつがえ)ることはあまりないそうであり、いわば顧問審議会とも言えるようだ。また実施にあたって、大きな計画については地域における周知のための説明会や公聴会が開かれている。

 呼び名が違うので新しいように感じるが、考えてみれば、私が市長になってから行ってきた、各種施策と精神も実体も同じであることに気づき、少々力づけられた気がしている。官民連携組織である「岡崎活性化本部」を昨年立ち上げたことや、専門家と市の「乙川リバーフロント推進会議」(計11回)、「乙川リバーフロント部会」(計6回)、「乙川リバーフロント懇談会」(計3回)、「乙川リバーフロント推進部会」(平成26年7月9日より開始)、そして市民対話集会や各地での講演会、アンケート調査などである。
 日本でもよくあることであるが、いくらよく練られた都市計画であっても、個々の土地や建物の所有者の考えと、審議会や行政の判断に違いが出る場合がある。このようなケースでは改めて話し合いがもたれることになるが、仮に裁判になっても公共の利益が個人の利益に優先する判決が下されることがほとんどだそうである。
 また、「日本では2011年の大震災以来建物に対するルールが大幅に厳しくなっており、古い建物を残すことに困難性があるが、個人の建物を改修する場合、公の補償はあるのか?」という質問に対しては、「オランダでは、建物のオーナーに安全基準に適した投資をする義務が課せられており、特別な補助は一切無い」ということであった。いずれにせよ、冒頭のエレベーターの一件からして、地震の無いこの国において、安全基準は日本より格段にユルイことが推測される。現に町なかで、地盤沈下によって傾いたままの建物が、当たり前のようにそのままに立ち並んでいた。

愛知県市長会・蘭仏視察記

橋について
 もう一つ橋について言及したい。オランダでは、16世紀まで全ての橋は木造であった。水路があるため、その多くが船の通過できるゴッホの絵にあるような跳ね橋であった。17世紀となり、レンガ造りの橋が造られるようになり、有名な丸橋やめがね橋はこの頃の名残(なごり)である。それが19世紀を迎え、産業革命による交通量の増大、自動車の走行や鉄道の敷設によって古い橋は取り壊され、新しく丈夫な、鋼鉄製の平たく広い橋となっていった。その後、歴史と伝統を重視する回帰運動の高まりの中で、跳ね橋やレンガ橋が再建されることもあったが、それは主流とはならず今日に至っているそうである。しかし昔ながらのイメージを保持するために残っている部材を利用して、橋の欄干を昔風に再現してみたり、古びた手すりを再整備(リストアー)してペンキを塗り直して再利用しているそうである。こうしたことは、時間と費用もかかるため、実施には市民の理解が必要とのことであった。

愛知県市長会・蘭仏視察記

 ところでヨーロッパ(特に北欧)でトイレに行く度に思うのだが、男子トイレの小便器の位置が日本のものよりずいぶん高い所にある。飛散防止のための処置と思うが、小柄なアジア人は子供用を使うか、背伸びをする必要があることもある。
 街なかでは、身の丈2メートルくらいの男が、180cmはあろうかという女性と腕を組んで歩いている姿を見かけることも決して珍しくはない。オランダでは男子の平均身長が180cm、女子が167cmだそうである。これがかつて古代ローマ人が南下を恐れていたゲルマン民族の子孫達であるのかと改めて思い直したものである。 (つづく

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2014年10月25日 (土)

市長会・蘭仏視察記 1.オランダの概要

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 東海愛知新聞で6回にわたって連載した「オランダ・フランス視察記」は元の原稿の短縮版でしたので、これから完全版をブログに載せて行きます。 

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 愛知県市長会主催の海外視察が本年より再開されることとなった。このところの景気後退の流れの中で、県議会を除く各地方自治体では自粛傾向にあったが、昨年の夏頃にアンケート調査があり、視察先とテーマを厳選の上、県議会のように報告書提出の義務の上で今年から再開することとなった。
 当初は7月中旬に7泊9日の日程で、独、オランダ、仏の三ヶ国において、①都市政策、②歴史遺産を活かした町づくり、③動物園経営、④農業政策(トマト、チーズ)、⑤環境政策、⑥新エネルギー政策等の主題の元に行われる予定であった。ところが、出発直前となって台風8号の接近を迎え、大型台風到来時に市長不在となるわけにもいかず、ドイツ訪問を割愛し、短縮して実施されることとなった(4泊6日)。

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 7月13日早朝、セントレアからルフトハンザ・独航空に搭乗した我々は、12時間半を要してフランクフルトに到着。さらに1時間20分乗り継いで、オランダのアムステルダムに到着した。
 途中フランクフルトでは雷雲発生のため飛行時間より長い2時間待ちとなったが、海外旅行ではよくあることである。それよりも海外のハブ空港(拠点空港)の大きさに改めて目を見張ると共に、空港係員でも電気自動車や自転車を使って移動しているのに、徒歩で荷物を持っての空港内の長距離移動には閉口させられた。(そんなことが気になる歳になったのである。)
 また、飛行機内の自席のテレビにおいて観ることのできる映画について、中国語や韓国語は吹き替えや字幕の設定があるのに、日本語のものが無い映画がいくつも目についた。こんなことからも、本格的な国際ハブ空港(2000m級の滑走路が4本以上ある)を造ることのできない日本の限界、存在感の低下のようなものがうかがえるような気がした。

 翌朝7月14日朝から、今回の最初の課題となった、アムステルダム市の「文化芸術・歴史的建造物等を活かしたまちづくり政策」の調査に出かけた。
 本題に入る前に、オランダとアムステルダムの概要について解説してみようと思う。

 オランダの本来の名はネーデルランド(Nederland)であり、こちらの方が正式名称で、「低地の国」という俗称がその名の由来となっている。人種的にはドイツと同じゲルマン系であり、「ドイツ語はオランダ語の方言である」と言う気概もある。
 古くはローマ帝国の領域の一部として発展し、その後、毛織物貿易や海上交易で栄えてきた。15世紀後半から、一時スペインのハブスブルグ家の支配下に入るも、1568年には独立し、17世紀には東インド地域に進出し、ポルトガルから香料貿易の権限を奪い、一大海洋帝国として黄金時代を築いた。18世紀には英仏との戦いに敗れ、1810年、ナポレオンによりフランスの直轄領とされ、同時に海上の覇権もイギリスの手へと移っていった。
 オランダは大航海時代よりスペイン、ポルトガルと並び世界進出を果たし、インドばかりでなくアジア各国とも関係が深い。日本の長崎にあった出島は鎖国期の江戸時代、貴重な西欧への窓であった。
 第二次大戦中は、東南アジアへ侵攻した日本と戦火を交えたこともあるが、1971年の昭和天皇のヨーロッパ歴訪以降、両国の関係は良好なものとなっている。
 オランダ本土は、12の州の連合体であり、日本の九州とほぼ同じ面積である。国土の多くは13世紀から続く、ポルダーと呼ばれる干拓地が占めている。実に国土の4分の1は海面下に位置し、現在も干拓により面積は広げられているが、各干拓地の間を流れる河川が干拓地より高い所に位置するケースも多く、そのために長大な防潮堤防や数多くの水門や可動堰などが設けられている。1997年に450億円ほどかけて作られた、コンピュータにより自動制御された開閉式で長大なマエスラント可動堰は日本からも注目されている。

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 一般に、日本人のオランダのイメージは風車とチューリップ、酪農と運河といったものであるが、実際は様々な産業が発達している。ことに20世紀に入って金属工業の発展がめざましく、近年では石油化学工業が重要な産業となっている。有名なロイヤル・ダッチ・シェルはオランダの石油会社である(かつてセブン・シスターズと呼ばれた七つの世界的石油会社のひとつ)。
 日本と同じく、鉱物資源の多くは海外に頼っているが、天然ガスだけは世界第9位の産出国であり輸出国でもある。
 アムステルダムはそんなオランダの首都であり、最大の都市でもある。国の人口は1,600万人程で、そのうちの220万人がアムステルダム周辺に居住し、さらにそのうちの89万人がアムステルダム市民であるという。

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 市街地を見て、すぐ気がつくことはトラムと呼ばれる2~3両連結の市電が幹線道路を中心に縦横に走っていることと、その両側にある車道の外側には自転車専用道路と歩道がそれぞれ設定されていることである。レンガのひかれた自転車道を人が歩いていて事故が発生しても、過失があるのは歩行者であり、補償の対象とはされないそうであるので注意が必要である。
 今私がおこなっている市民対話集会において、時にヨーロッパ滞在経験者と思われる方から、自転車専用道路設置の要望を頂くことがあるが、果たして岡崎のように起伏の大きい土地でどれだけの有効性があるのだろうか? オランダの自転車専用道路は干拓によってできた平たんな地形を前提に成り立っており、そうした長い伝統的生活の中から生み出されたものが自転車を活用とした生活習慣であることを忘れてはならないと思う。
 残念ながら日本にはそうした条件も習慣もないし、社会はこれから自転車に不向きな高齢化に向かっている。第一、道の形状が根本的に異なっており、まず道路を拡幅してスペースをつくる段階で大きな壁に当たってしまう。用地買収の手続き、補償費、道路改良費などを考えただけで気が遠くなってしまう。まず用地買収において、沿道の対象者すべてが協力するという前提が必要となってくるが、それだけ考えても非現実的であることが分かると思う。

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 その替わりという訳ではないが、現在岡崎市においては、乙川の河川敷や堤防を利用して中央総合公園へつなぐサイクリングロードと矢作川の河川敷を活用した自転車専用道路の整備を検討している。これは河川改修の進展のよって、さらに延伸も考えている(乙川は将来、額田まで伸ばしたい)。
 トラムという市電形式の公共交通の存在は高齢者にとって有用と思われるが、トラム専用路の設置のため、自動車道がきわめて狭隘(きょうあい)となっているところが目につく。市街地で左右各一車線しか車道がないところも多いようだった。
 果たして岡崎のように家族で複数の車を持つ車社会においてこうしたことが妥当かどうか疑問である。第一、岡崎においてはかつて市電との共存よりも、バスの利便性を選択したという歴史的事実がある。もしどうしてもトラムやトロリーバスを使ったまちづくりを行うとするならば、区域を限定した特区をつくり、その中で様々な実証実験を行いながら拡大してゆく方式が現実的ではないかと思う。しかしそれも土地建物の個人所有の進んでいる昨今、「言うは易し、行うは難し」であると考えられる。
 いずれにしても、アムステルダムの歴史的な町並みと川や橋を活かした町づくりは、これからの岡崎の町づくりの参考になるものと思われる。 (つづく

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(マエスラント可動堰の写真は「Wikimedia Commons」から借用しました。)

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2014年10月 1日 (水)

オランダ・フランス視察記「フランス編」のお知らせ

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 『オランダ・フランス視察記』後半の「フランス編」を、今日(10月1日)から3日間、東海愛知新聞に連載します。お読み頂けたら幸いに存じます。

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2014年9月26日 (金)

オランダ・フランス視察記「オランダ編」のお知らせ

東海愛知新聞 「オランダ・フランス視察記」

 愛知県市長会の視察団の一員として今年7月、オランダとフランスを訪れました。この度、『オランダ・フランス視察記』と題したものを東海愛知新聞に寄稿しました。前半の「オランダ編」を昨日(9月25日)、今日、明日の3回に分けて掲載します。
 「フランス編」はただ今書いている最中です。乞う御期待であります。

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