岡崎ゆかりの英傑たち

2021年3月 9日 (火)

NHK大河ドラマ『どうする家康』決定を祝す!

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 今年の1月19日、松本潤氏を主演とする『どうする家康』の制作発表が行われた。NHKの大河ドラマで徳川家康がメインとなるのは、40年ほど前に滝田栄氏が演じたとき以来である。『徳川家康』(1983年)の原作は山岡荘八氏であった。
 先年(2015年)、「家康公四百年祭」が開催された際、静岡市、浜松市の両市長、岡崎を含めた各市商工会議所と市民代表の皆さん方と共に、NHKの本社まで要望・陳情に出かけたことを思い出した。

 もちろん名古屋支社の方へは、これまで訪問する度に『ブラタモリ』と共に大河ドラマの件も話題にしてお願いしてきたものだ。とは言え、毎年NHKには、全国から何十という地域からの地元の偉人・英傑を主題にした大河ドラマ制作の要望が引きも切らない上に、NHKとしても視聴率が重要であるため、陳情活動をしたら実現するというものでもない。
 やはり視聴率を稼げるのは戦国モノであるが、徳川家康はそれぞれのドラマの定番のキャストであり(しかも悪役風が多い)、イメージが地味なせいもあってなかなか主役の役回りとはなりにくかった傾向がある。
 しかし昨今、古文書や死蔵されていた手紙の発見にあわせ、新進気鋭の学者の登場によって従来の歴史の定説がいくつもくつがえされている。そうした例の一つして『麒麟がくる』がある。昨年の大河ドラマの明智光秀は主君に対する裏切者というより、理想主義の平和を愛する人物として、独裁者信長を倒した悲劇の英雄として描かれていた。

 戦国時代について今一つ注目すべきポイントは、あの時代が単なる日本国内の大名同士の領地争いにとどまらず、ヨーロッパにおけるスペイン、ポルトガル、イギリス、オランダの世界覇権をかけた争いの一部でもあった点である。
 そのための重要な要素として、日本の軍事力と、当時世界の3分の1を産していたと言われる日本の銀の力、そして一向宗やキリスト教の影響力というものも新たな切り口で描いてほしいものである。当時、イエズス会の神父たちが本国に宛てて送った手紙の資料的価値も注目されている。

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 今回の『どうする家康』の決定は一岡崎市民として喜ばしい限りであるが、単なる若手スターの起用による〝面白ドラマ〟に終わらないことを願っている。できれば、元市長としては、安部龍太郎氏の長編小説『家康』を参考に、骨太の歴史検証ドラマとなることを期待している。
 もしそうなれば、これまで岡崎市が市民と共に長年積み上げてきた観光産業都市・岡崎としての様々な歴史文化遺産の活用事業が生きてくる。また、そうした番組に出演することによって嵐の松本潤氏も、まむしの道三を熱演した本木雅弘氏のように、ジャニーズから一皮ムケた大人の俳優に成長するのではないかと思っている。いずれにしても本市にとってはありがたいことである。

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2019年11月19日 (火)

岡崎をスポーツで元気で楽しく魅力的に!

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 10月5日(土)、岡崎市福祉会館6階ホールで開かれたパネルディスカッション「岡崎をスポーツで元気で楽しく魅力的に!」(主催:NPO法人21世紀を創る会・みかわ)に出席し、基調講演を行いました。講演内容を以下に掲載します。


 皆様、こんにちは。市長の内田康宏であります。
 本日は、「NPO法人・21世紀を創る会・みかわ」の主催のもと、「岡崎をスポーツで、元気で楽しく魅力的に!」と題し、スポーツで岡崎市のことを語り、考えていただく会を開催していただきました。
 このように多くの方々にお集まりいただき、盛大に開催されますことを心からお喜び申し上げるとともに、スポーツを通じた岡崎市の魅力向上に関心のある方が、これほどお見えになることを、改めて認識いたしました。
 本日は基調講演ということでありますが、私からは、岡崎市が進めているスポーツ関連の施策や、岡崎市を取り巻くスポーツ環境について、お話させていただきたいと思います。

 まずはじめに、スポーツには、競技としての競争性のほかに、自治体などの関わり方として、市民が日常的にスポーツに親しみ、健康的な生活を送ることができる、まちづくりの推進が挙げられます。
 さらには、本市では現在、観光産業都市を目指したまちづくりを進めており、スポーツを一つの誘客機能として、市内外からスポーツを目的とした観光客を呼び込む「スポーツ・ツーリズム」という発想により、経済効果を生み出す仕組みに取り組むなど、様々な観点があり、関わり方も人それぞれであります。
 私も、かつては水泳やヨットなどのマリンスポーツに親しんできましたが、最近では自ら体を動かす機会はめっきり減ってしまい、犬の散歩で歩いたり、テレビで観戦するといった関わり方に変わってきました。

 このようにスポーツには一流のプレーを見て興奮し、感動するという楽しみ方もあり、現在・開催中のラグビーワールドカップにおいては、本市の出身の田村優選手が日本代表の中心選手として活躍し、国民の注目を集めております。
 田村選手の他にも、近年、本市出身のスポーツ選手が、日本を牽引するトップアスリートとして多数・活躍しており、バレーボール・日本代表の石川祐希選手、真佑選手の兄妹をはじめ、先月、中央総合公園で開催されました、アーチェリーの全国大会において、20歳未満のジュニア日本記録を更新した、戸松大輔選手、2018年のアジア競技大会で金メダルを獲得した、陸上・棒高跳びの山本聖途選手、さらには、ル・マン24時間・耐久レースで2連覇の快挙を成した中嶋一貴選手など、今後ますますの活躍が期待されます。
 また、本日お越しの森山選手が所属されているFCマルヤスや、都市対抗野球の常連であります、三菱自動車岡崎・硬式野球部など、地域に密着したクラブチームもあり、その活躍により、岡崎の認知度の向上にご貢献いただいております。

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 このように、本市のスポーツのレベルが高いのも、幼少期から市民の皆さんがスポーツに触れ、楽しみ、真剣に取り組んでみえたことに加え、そうした環境づくりに取り組まれた、地域組織やスポーツ団体のご尽力のおかげであると感じています。
 実際、毎年夏休みの前後には、多くの小中学生の皆さんが、全国大会・出場の報告に来られます。中には有言実行で全国大会・制覇を成し遂げたチームもあり、こうした力強い姿というものは、生まれ持った才能だけではなく、日ごろの練習の賜物であることを実感します。選手の皆さんの技量の向上のためには、トップレベルのプレーを生で見る機会や、プレーしやすい環境づくりというものも、重要であると認識しています。
 こうしたことから、現在・建設中の龍北総合運動場では、第3種・公認・陸上競技場と、FCマルヤスが所属するJFLの公式戦が行えるグラウンドを兼ね備えたスタジアムを中心に整備を進めており、オリンピックイヤーである、来年7月のオープンを目指しているところであります。龍北運動公園は、公民連携の事業手法であるPFI手法を用い、民間のアイデアを活用して、整備・維持運営を行っていきます。その中でも、運営に関しましては、日本のトップ・スポーツメーカーであります、アシックス・ジャパンさんにも参画していただいております。

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 オープン後には、FCマルヤスの公式戦の開催はもちろんのこと、民間のアイデアによって、市民が気軽に参加できるスポーツのイベントが、多数開催されるものと期待しております。

 さて、来年は、いよいよ東京2020オリンピック・パラリンピックが開催される年です。オリンピックで忘れてはならないのが、聖火リレーです。
 前回の東京オリンピックに引き続き、今回のオリンピックにおきましても、岡崎市が聖火リレーのルートに組み入れらました。前回の聖火リレーの際には、国道一号を通過する姿を、私も目の当たりにし、今でも大変強い印象として残っております。
 今回は、岡崎城・付近から、現在整備を進めております人道橋の桜城橋の間で走行する予定となっております。昭和の時代から市民に親しまれてきた岡崎城と、令和のまちづくりの第一歩である桜城橋をつなぐリレーということで、新たな時代の幕開けを象徴する、記念すべきイベントとなるものと確信しております。
 また、この桜城橋をはじめとした、乙川の河川空間を活用したまちづくりとして、現在、本市で進めているのが、公共空間を活用して、エリアの活性化を目指す「QURUWA戦略」であります。
 この「QURUWA」という名前は、名鉄東岡崎駅から、桜城橋、籠田公園、りぶら、岡崎城、乙川河川敷までをめぐる動線が、ちょうどアルファベットのQの字になること、そして、この動線が岡崎城の外周、すなわち総曲輪に重なることに因んで、名付けられました。「QURUWA戦略」における重要なキーワードの一つが、まちの回遊性の向上であります。
 これは、観光客がまちを周遊し、楽しむことだけを意味しているのではなく、この地域に暮らす人々の日常生活の質の向上を目指した施策であります。現に、これまでの乙川周辺の夜は、非常に暗く、あまり人が訪れたいと思う場所ではありませんでした。
 しかし、リバーフロント地区の整備により、堤防道路を石畳風のプロムナードにするとともに、河川敷へ降りるスロープや階段をバリアフリー化し、加えて、河川敷の水はけを改善いたしましました。さらに、プロムナードや遊歩道には、夜間でも安心して歩けるよう、街灯や足元を照らす灯りを整備しました。
 現在では、夜でも美しく安心な空間となり、若いカップルだけでなく、高齢者のご夫婦の皆さんの散歩コースとしても、活用して頂いております。このまちづくりにより、「健康に関心のある人だけが健康づくりに参加する」といったこれまでのスタイルから脱却し、健康に無関心な方でも、まちが楽しい空間になることで、無意識のうちに長い距離を歩くことができるようになります。その結果、生活習慣病の改善や寝たきりの予防にも繋がるものと、大いに期待しております。

 さて、本市出身のアーチェリー競技選手としては、皆さんもご承知のとおり、ロンドンオリンピック・銅メダリストの蟹江選手や、先ほどご紹介した戸松選手を始め、優秀な選手が多数お見えになります。
 これは、アーチェリーに力を入れている愛知産業大学や三河高校の存在が大きいと思いますが、中でも全日本アーチェリー連盟の強化部長を務める新海先生が在籍されていることからも、
全国的に注目されております。
 このような中、モンゴル・アーチェリー・ナショナルチームが東京2020オリンピック・パラリンピックの出場を目指し、本市でキャンプを行うことになりました。
 今年2月に最初の強化キャンプを実施し、先月には、中央総合公園で実施されたISPSハンダカップの開催に合わせて、二度目のキャンプを行いました。

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 このような関係から、本市はモンゴル国のホストタウンとなりました。また私も、今年の7月には、実際にモンゴルを訪問し、バトトルガ大統領をはじめ、アーチェリー協会会長のツァガン氏と会談し、親交を深めてまいりました。
 今後は、アーチェリーを軸とした青少年交流を進める予定をしております。オリンピック後も、引き続き、2026年開催のアジア競技大会に向けて、互いにアーチェリーの技術の向上を目指すとともに、交流を深めてまいります。

 このほかにも、2020年から開催される、WRC・世界ラリー選手権について、先日、愛知県での開催が決定いたしました。
 本市においても、中央総合公園や、額田地方の中山間を活用したコースを提案しており、引き続き、大会運営に協力してまいります。
 また、2026年には、アジア競技大会の愛知県開催が決まっており、岡崎市でも中央総合公園において、いくつかの競技を開催できるよう、様々な提案や準備を行っております。
 これらの大規模なスポーツイベントの誘致は、ただスポーツを観る、支えるだけに留まらず、まちづくりや経済的な視点からも、岡崎市にとって大きなメリットとなる、またとない機会であると考えています。このように、スポーツを岡崎市における魅力の一つとしてとらえ、スポーツイベントで訪れた人を「おもてなし」できる体制を整え、その後は観光客として滞在できるような環境づくりを、官民一体となって推進していきたいと考えております。
 以上、現在の岡崎市における、スポーツや健康に関する取り組みや、スポーツを取り巻く環境についてご紹介させていただきました
 そして、こうした政策の究極の目的は、いつも口癖のように申しておりますが、岡崎の市民、殊に子ども達が自らのふるさとに対し、これまで以上に大きな愛情と誇りを持てる、そんな「夢ある新しい岡崎」を築くためであります。引き続き、次の100年を見据え、福祉や医療、防災や教育といった基本施策の充実はもちろんのこと、さらなる魅力あるまちづくりに邁進してまいる覚悟です。
 今後とも、皆様方のお力添えをお願い申し上げまして、私の話を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

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2019年7月 7日 (日)

中学生国際交流から誕生した外交官

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 6月3日(月)朝、6月議会開会までのわずかな時間であったが、現在、ノルウェーの日本大使館に勤務されている岡崎生まれの山森健成(たけなり)外交官が来訪された。
 山森さんは平成元年(1989年)生まれの30歳で、岩津中学校、岡崎西高校の出身である。中学時代に本市の行っている国際交流事業のスウェーデン・ウッデバラ市訪問団の一員として参加されたことが切っ掛けとなり(平成16年、2004年)、外国、とりわけスウェーデンに大きな関心を抱くことになったそうである。
 ウッデバラ訪問の後、ストックホルムのスウェーデン外務省を訪れた折に外交官から懇切丁寧な説明を受け、さらに北欧諸国への関心とあこがれを深めると共に、外交官という仕事に強い興味を覚えるようになったとのことである。そこまではよくある話であるが、山森さんは北欧への興味をその後も強く持ち続け、大阪大学外国語学部に進学し、スウェーデン語を専攻し、今日に至っているのである。

 岡崎市では毎年、ウッデバラ市、ニューポートビーチ市(米国)、メルボルン郊外のウィトルシー市(オーストラリア)等へ中学生訪問団の派遣事業を行っている。

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(岡崎市中学生派遣団合同結団式、2017年5月16日)

 派遣団の結成壮行会の折には「皆さんの先輩の中には、この訪問が切っ掛けとなり、外交官として活躍している人がいる」とつねづね伝えており、この度山森さんに「あなたは派遣中学生の希望の星ですよ」とお話した次第である。
 若い感受性の豊かな時期に異なった文化、社会、生の外国語に触れることによって、個人の才能の芽が開花することもあり、本市が長年継続しているこうした事業は岡崎の人材育成に大きな力となっていると思うものである。

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2019年4月17日 (水)

2019・平成最後の桜まつり

内田康宏、太田俊昭議長

 本市の春のメインイベント、「岡崎の桜まつり」と第60回の節目となる「家康行列」を晴天のもと立派に開催することができ、ただ今ホッとしているところです。今年は久しぶりに桜の満開の時期と家康行列がドンピシャに重なり、しかも2週間にわたり週末に桜の開花風景を楽しんで頂くことができ、喜んでおります。

 4月7日(日)は総勢700人が家康行列に参加されました。名君、徳川家康公の遺徳を心に刻みながら一致団結し、伊賀八幡宮から市内の目抜き通りを練り歩き、武者列の方は勇壮に、そして姫列の方は華やかに沿道の皆様に凛々しい隊列を披露して頂きました。
 ことに今年は、家康公第一の家臣と称えられている酒井忠次公役に、本市出身の俳優の平泉成さんをお迎えし、平成を締めくくる、記念すべき家康行列にふさわしい、誠に格調高い家康行列を開催することができました。

平泉成さん

武将

石垣市役所旗頭列

スマイル茅ヶ崎

 また、親善都市の石垣市と福山市の皆様、ゆかりのまちからは茅ヶ崎市、佐久市、関ケ原町の皆様、友好都市である中国の呼和浩特(フフホト)市の皆様、そして観光交流都市の金沢市の皆様にお越し頂きました。加えて観光親善大使として、各市まちのミスの方々が行列に華を添えて頂き、併せて御礼申し上げます。さらにお忙しいなか出陣式から参加して頂いた大村秀章知事にも、改めて感謝申し上げる次第であります。

 今年度はいよいよ、乙川人道橋、「桜城橋(さくらのしろばし)」の全容が見えてまいります。桜城橋が完成した暁にはぜひ橋の上から満開の桜とともに、岡崎城や乙川周辺を眺め、御家族や御友人とくつろいで頂きたいと思います。
 また、この秋には東岡崎駅周辺でも中央デッキが完成し、北東街区では9階建ての新しいホテルや商業施設がオープンを迎える予定です。さらに市民の皆様の御協力を得て、高さ9.5メートルという、全国一の高さと偉容を誇る徳川家康公像がついにお披露目となります。
 これから数年のうちに岡崎の景観や人の流れも大きく変わり、間もなく迎える「令和」という新たな時代とともに、新しい岡崎が始まります。ぜひ御期待下さい。

岡崎城下舟あそび、桜城橋

(2020年完成予定の桜城橋)

明代橋と「オト リバーサイドテラス」

(東岡崎駅前北東街区で建設中の「オト リバーサイドテラス」)

能見町~能見通

2019観光大使おかざき(古林かなみさん、鶴田百代さん)

竹千代

於大の方

平泉成さん

桜並木


東宝スタジオ、平泉成氏訪問 (2019.01.06)

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2019年1月14日 (月)

おかざき クルまつり

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 このところ好評であった「岡崎モータースポーツフェスティバル」が昨年から「おかざきクルまつり」として再出発することとなった(12月9日開催)。
 これまでF1を始め、レーシングカーの走行披露がメインであったが、手間がかかり高額な予算を必要とするため、今回からメーカーや販売店の出店をメインとし、今後主流となってゆく電気自動車の展示にも力を入れるイベントとなった。言うまでもなく西三河一帯の主力産業は自動車関連のものが多いため、これからもこうした形で続けてゆきたいと考えている。
 もちろん節目の時にはレーシングカーの走行を再開したいものと思う。
 以下は当日の私の挨拶です。


 皆さん、こんにちは。岡崎市長の内田康宏であります。
 本日は「おかざき クルまつり」を開催いたしましたところ、市内外から多くの皆さんにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 また、本日の開催にあたり、ご尽力いただきました実行委員会の皆様はじめ、ご協力いただきました皆様に心より感謝申し上げます。
 さて、この「クルまつり」は一昨年の市制100周年を記念して開催した「岡崎モータースポーツフェスティバル」を継承したイベントであり、今年度は内容を一新して開催しております。殊に、今回は市内の自動車メーカーや販売店様に数多くご出典いただいており、各社が誇る最新技術や自動車の展示、試乗を通して自動車への関心を深めていただける内容となっております。
 岡崎市は自動車産業を中心としたものづくりのまちとして、発展してまいりました。今回の開催を契機に、この地域を支える自動車産業がこれまで以上に発展いたしますことを大いに期待しております。
 また、現在、交通安全・年末・緊急アピールが発令されております。多発する交通事故を抑制するため交通安全の啓発コーナーを設けましたので、ぜひ足を運んでいただき交通事故の防止につなげていただきたいと思います。

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 そして、ご案内のとおり、本日は今年のル・マン24時間レースで優勝され、「市民栄誉賞」を受賞された中島一貴さんにお越しいただいております。この後のトークショーでは貴重なお話が聞けるものと思います。岡崎市民の誇りとして一貴さんのこれからのご活躍を心から期待しております。

 最後になりますが、このクルまつりの成功と、本日が皆さんにとって思い出に残る一日となりますことを心より祈念いたしまして、私からの挨拶とさせていただきます。皆さん、楽しんで行ってください。

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2019年1月 6日 (日)

東宝スタジオ、平泉成氏訪問

平泉成さん

 昨年12月14日(金)、写真家・竹内敏信氏に続いて今一人の額田出身の著名人、俳優であり、第1回岡崎市民栄誉賞受賞者の平泉成(ひらいずみ せい)氏を訪ねることとなった。今年の家康行列において、徳川四天王の長老、束ね役であった酒井忠次公として出演して頂くため、平泉氏に正式に御挨拶に伺った次第である。
 私は安倍晋太郎代議士(晋三総理の父)の秘書時代、世田谷区の豪徳寺というところに住んでいたが、同じ世田谷区の成城にある東宝スタジオには一度も行ったことはなかった。そのため今回訪れてみて「こんなに近くにあったのか」と驚いたものである。

 東宝スタジオは小田急線成城学園前駅からほど近い所にあった。現在は市街地の一角となっているが、かつては東宝砧(きぬた)撮影所と呼ばれ、当時は田畑の真ん中にあったそうである。
 タクシーを降りた我々を迎えてくれたのは、入口正面にある高さ2メートルほどのゴジラのモニュメントであった。左手にある建物の壁面には、黒澤明監督の名作、『七人の侍』の有名なポスターが大写しに描かれていた。

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東宝スタジオ、七人の侍

 正面玄関を抜け、建物の2階にある来賓応接室に通された。途中、壁に掛けてある写真のパネルに東映の看板スター、高倉健さんを発見した。かつて東宝、東映、日活、松竹、大映という大手五社は昭和30年代の映画全盛の時代にはしのぎを削る競争をしており、自社所属の俳優を他社の映画に出演させることはほとんどなかった。
 しかし有名俳優(三船、石原)が独立プロとして映画の自主製作を始めるようになり、昭和40年代のTVの時代を迎え、そうした規制も有名無実なものとなっていったと記憶している。
 東宝の重役であった、現在岡崎市の総代会連絡協議会会長の神尾明幸氏のお話では、かつて3000人を超えた東宝の社員も、今や正社員は500人を切っており、実際の映画製作の多くは下請けのプロダクションが行っており、本社の仕事は編集作業と広報が中心だそうである。

 忙しい撮影の合間をぬって、平泉氏はかけつけて下さった。
 岡崎市が家康公だけでなく、共に戦って新しい時代を築いた四天王や三河武士団にも光を当ててゆく方針であること、その一環として今日、四天王筆頭の酒井忠次公を三河人である平泉氏にお願いしたいことを説明したところ、快く了承して下さった。
 話題は『シン・ゴジラ』はじめ、昨今、平泉氏の出演された映画やTV番組にも及び、改めて平泉氏の多彩な芸歴を知ることとなった。

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 その後、私達はスタジオの中を見学させて頂いた。デジタル化の流れの中、建物のあり様も昔のスタジオのイメージとは随分違ったものとなってきている印象を受けた。それでもある映画のセットでは、古風な洋館がドラキュラの館のようにマニアックに作られていた。もちろん裏に回るとセットであることは一目瞭然であった。
 かつて、大学を出たばかりの新人・加山雄三氏がこの撮影所で父上の上原謙氏(戦前・戦中の大スター)と一緒にベンチに掛けている写真を見たことを思い出し、見回ってみたが、それがどこかは分からなかった。
 多くのスターや撮影スタッフ達が足繁く通った一ノ橋を渡り、場内を一周し、モスラに見送られて帰途についた我々であった。

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 それにしても平成の最後を飾る家康行列で、三河武士の筆頭であった酒井忠次公役を地元出身の氏に務めて頂くことになったというのも不思議な縁である。


2019・平成最後の桜まつり (2019.04.17)

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2018年12月20日 (木)

竹内敏信写真展(12月5日~23日開催)

竹内敏信さん

 12月の中旬を迎えて、相次いで額田出身の著名人の方とお会いすることとなった。
 まず12月12日(水)には、風景写真家として高名な竹内敏信氏(75歳)の写真展に出席し、感謝状を贈呈させて頂いた。
 竹内敏信氏は額田郡宮崎村の出身で、中学時代に新聞配達をして買ったカメラで写真を撮り始め、大学を卒業後、県庁に入られた。その後フリーの写真家となり、日本の風景写真を中心に活躍された方である。現在は東京にお住まいであるが、この度1,760点もの作品を本市に寄贈頂くことになり、併せて竹内氏の写真展を岡崎市美術館にて行うこととなったものである。
 当日は多くの写真愛好家をはじめ各方面で御活躍の友人知己の方も多く来訪され、竹内氏の交友の広さを知るものとなった次第である。

「竹内敏信写真展~日本の原風景を求めて~」
期間: 2018年12月5日(水)~23日(日)
時間: 午前10時~午後6時
休館日: 月曜日
観覧料: 無料
場所: 岡崎市美術館(岡崎市明大寺町茶園11-3)


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竹内敏信写真展

挨拶
 この度は竹内様におかれましては、本市の文化芸術の振興のため、1,760点もの写真パネルをご寄附いただき誠にありがとうございます。
 本市の出身である竹内様は、日本の写真界に風景写真のブームをもたらしたパイオニアであるとともに、日本を代表する風景写真家であり、本市にとりまして大変な誇りであります。
 また竹内様は長年にわたり「日本の原風景」「日本人の心の風景」を主要なテーマとして、作品づくりに取り組んで来られたと伺っております。今回はその作品がここ岡崎市美術館に集結し、このように企画展を開催できますことを大変うれしく思います。ぜひ多くの皆様に鑑賞していただきますことを大いに期待しております。
 最後になりますが、竹内様におかれましてはお体を大切にしていただき、今後ますますご活躍されますことと、本日ご来場の皆様のご健勝を祈念申し上げ、私からのお礼の挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。


*もう一人の額田出身の方の話は後日掲載予定です。

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2017年1月31日 (火)

藤岡弘、さん、今春本多忠勝役に!

藤岡弘、さん

 昨年、NHKの大河ドラマ『真田丸』で本多平八郎忠勝役を演じ存在感を示していた藤岡弘、さんが、今春の岡崎桜まつりの「家康行列」において本多忠勝役で再び登場することとなった。
 出演交渉は、昨年の夏頃から東宝の事務所を通して行ってきた。そして昨秋行った仮契約により正式に出演して頂けることと相成った。
 昨春の〝里見浩太朗・家康公〟による盛況ぶりを見ても明らかな通り、大物スターの登場は家康行列の魅力と集客力アップにもつながり、沿道の商店街からも「朝から来客が増えた」と好評だったことから、この度の藤岡さんへの出演交渉を行うことになったのである。ただ、今回は10月に選挙があったため、私が直接御挨拶にうかがうのが12月となってしまった。

家康行列(2014年4月6日)

 国交省への来年度予算要望に出かけた12月12日(月)の午後、電車を乗り継いで世田谷区に到着。駅から東宝の担当者の車で藤岡さんの事務所へと向かった。
 さすがにスターの個人事務所らしく、鉄筋コンクリートのがっしりとした建物であった。事務所の前には撮影機材を満載したと思われる大型車両が停められていた。なんとこの細い道路を通ってここに駐車させるのは、藤岡さん御本人だそうである。ちなみに藤岡さんは大型、大型特殊はじめ、ほとんどの車両の免許を持ってみえるそうだ。
 2階にあるガラス張りの応接室に向かった。階段をのぼる途中、テラスに本物かと見まがうような陶器製のトラの置物が我々の方を向いて座っており、ドキリとさせられた。
 応接間のテーブル上には、本多忠勝に関する資料や藤岡さんの雑誌インタヴューに答えたコピーなどがていねいに並べて置かれており、藤岡さんのこの役に対する思い入れと、来客に対する細やかな心配りが感じられるようであった。窓際には初代仮面ライダーの当時のポスターや貴重なフィギュアなどが並べられており、きっとマニアにはたまらないお宝であろう。
 そう言えば今回の話を本多家の御当主・本多大將(ひろゆき)さんに伝えたところ、初代仮面ライダー世代でもある大將さんは「ともかく理屈を超えてうれしい」とコメントされていた。

 ほどなくして入室してみえた藤岡弘、さんは肩書きに武道家とある通り、1メートル80センチを超える体軀(たいく)に筋肉のヨロイをまとっているような方であった。そうした見かけに反して、声はソフトでラジオの朗読番組に合いそうな、やさしい語り口であった。
 今回の本多忠勝役については一番敬愛する戦国武将であり、NHKの大河ドラマに忠勝役の出演依頼があった時は運命的なものを感じたそうである。私達にはこれまでも主役を歴任されてきたイメージが強いのであるが、御本人は「役者人生で初めて本当にやりたい役が回ってきた」と熱く語られた。
 藤岡さんの武士道と日本文化・伝統に対する思い入れは深く、俳優業の傍ら、武士道と日本文化の伝道師として世界中を回って活躍されていることはつとに有名である。私もこれまで70数ヶ国を訪れているが、藤岡さんの100ヶ国近くにはとても及ばない。

 職業軍人であると同時に武道家でもあり、戦後は警察官として指導的立場にあった父君喜一氏から「文武両道に通じる規律ある生活と古武術に始まり、柔道、剣術など各種武道を厳しく指導を受けたこと」が今日のベースになっているということであった。
 父君は戦時中に受けた弾の跡やキズ跡があり、そのせいか長生きはされなかったとのことである。そのため戦友でもあった小野田寛郎少尉が戦後29年経って(昭和49年)フィリピンのルパング島で発見され、帰国した折には、息子である藤岡弘、さんと出会う機会があり、小野田さんとはその後も親交が続き、父君の語られなかった戦時秘話を聞くことができたという。その後小野田さんがブラジルへ移住し、牧場を始められ、ブラジル軍に関わりを持たれていた頃にも藤岡さんは南米まで出かけられたそうである。小野田さんが亡くなられる前にもう一度会うという約束が果たせなかったことが心残りであると語られた。

藤岡弘、さん

 藤岡さんは東宝映画『大空のサムライ』(昭和51年)にも主演されている。原作者であり物語の主人公でもある零戦の撃墜王・坂井三郎氏とも面識があり、多くのお話を直接聞かれているそうである。藤岡さんはこの映画の後に小型飛行機操縦の免許もとっている。小型船舶の免許もあるそうであるから、陸・海・空すべての映画に対応できる。無線の資格もあるそうで、これで爆発物取扱の資格があればアメリカ海軍のネイビー・シールズの隊員も務まりそうである。

 それから時代劇の話でも盛り上がった。友人から「映画オタク」と呼ばれる私であるが、『椿三十郎』における三船敏郎と仲代達矢の終盤の決闘シーンについてつい熱く語ってしまった。
 瞬時に決まる三船さんの居合い抜きの場面をスローモーションで観てもよく分からず、後に何かの本で読んで「右手で抜いた刀の背を左手のヒジで押し切りするように高速回転させる」ということを知ったとお話したところ、さすが刀道教士七段、抜刀四段に加え、居合道も極めてみえる藤岡さんは、すでに御自身も試みておられ、「あれって本当に出来るんですよ。私もやってみました」と軽く答えられ、またもや驚かされた。
 よく手入れされている日本刀の刀身は台所の包丁とは違い、うっかり刀の部分を握りでもすれば手の平が切れるほど鋭利である。私達がマネでもしようとすれば、自分の手足を切るのが関の山である。武芸百般に通じた現代のサムライ・藤岡弘、さんにおいてこそ成し得る技であることを明記しておく。

藤岡弘、さん

 話がはずみ、1階の奥にあるお茶室にも案内して頂いた。室内には藤岡さん自らデザインされた鎧兜をはじめとし、何領もの甲冑(かっちゅう)が並んでいた。囲炉裏の周りに腰を下ろした我々は、藤岡さん手ずから入れられたお茶を頂き、足元に置いてあった仕込みヅエ(レプリカ)も見せてもらうことができた。
 これらの凝り具合に私は同じ傾向の趣味の臭いを感じ、個人的にも藤岡弘、さんを好きになりそうである。
 別れ際に「また、ぜひ遊びに来て下さい」と言われたことを女房に話すと、「バカじゃない、社交辞令に決まってるじゃない!」と一笑に付されてしまった。
 しかし帰りに外まで出て、私達の車が角を曲がるまで見送って下さった藤岡さんの誠実な姿からは真実しか感じられないと、私は勝手に思っている。

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2017年1月10日 (火)

若き家康公像の制作に思う

 12月末、岐阜にある神戸峰男(かんべ みねお)先生のアトリエを訪れた。若き家康公像の制作が着々と進んでいることが確かめられ満足であった。
 今回の家康公像制作のために神戸先生は新しくアトリエを増築されている。「日本一の騎馬像を造る」という決意が感じられて、感謝の念でいっぱいである。
 完成時には高さ3メートルの台座の上に、等身の1.5倍の騎馬像が屹立することとなり、高さ・大きさ共に日本一の騎馬像が誕生することとなる。試作の10分の1サイズと比べ、今回拝見した3分の1サイズのモデルは格段に写実的な出来栄えであり、春頃には実物の制作に入られるそうである。

神戸峰男先生、内田康宏

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 使用する粘土はイタリアのフィレンツェ産の土をオリーブオイルで練ったもので、3トンほどの粘土を使うという。支柱として使う木は地元、南木曽のヒノキだそうである。造り始めると作業台の高さも5メートル以上になるそうだ。時には夜中まで仕事に集中することがあり、作家の中には作業に没頭しすぎて落下死した方もあるという。神戸先生には、とにかく安全に制作して頂きたいと思っている。

 この事業は、市民の皆さんからの浄財(寄附金)を使って、東岡崎駅の北東街区に徳川家康公の騎馬像を設置するというものである。桶狭間の敗戦により岡崎への帰還を果たした松平元康が徳川家康と改名した25歳当時の若き日の姿を再現し、ピンチをチャンスに転換し、天下統一と平和な世の中を作り上げた郷土の英雄の姿から「困難に立ち向かい、人生を切り開いてゆく」精神を子供達に学んでほしいと願うものである。

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 正式な募金活動はまだ昨年4月に始めたばかりであるが、商工会議所の前会頭はじめ、岡崎信用金庫、その他多くの企業や篤志家の方々の熱い思いを込めた御寄附が続いている。目標額は設置費の半分ということであったが、このペースでゆくと全額寄附金でまかなえるかもしれない。本当に岡崎市民の皆さんは愛郷心の強い方々が多く、今更ながらに感謝申し上げるものである。

古澤武雄さん、徳川恒孝さん、安部龍太郎さん、内田康宏

 おととしの11月、家康公四百年祭のシンポジウム〝徳川創業期を支えた家康公と家臣団〟の折に、徳川18代の德川恒孝(つねなり)様も「このような企画の催しを行えるのは、全国でも岡崎くらいですよ」とおっしゃってみえた。
 岡崎独自の歴史、文化、伝統という切り口で真心をこめて訴えかけてゆくと必ずそれに応えて頂ける岡崎市民の皆さんには、どんなに感謝しても余りある。私達もこうした市民の御厚情に甘えるばかりでなく、善意の心にしっかりと応える仕事をしなくてはならないと思っている。

 しかし世の中には明があれば暗がある如く、物事を素直に受け止め協力して下さる方もあれば、何につけても足を引っ張ろうとする人もいるものである。
 岡崎の歴史を考え、多くの岡崎市民の期待感を見るにつけても、とっくの昔に設置されて然るべき、史実に基づいた〝若き日の家康公像〟の建設を「ムダ使い」であるとか「形を変えた政治献金か」などと揶揄する人もいる。こうした何事もゆがんだ目でしかモノを見られないかわいそうな人達も世の中にはいるのである。
 また、私は先頃小さな子供さんがお母さんの助けを借りて十円玉を募金箱に入れている姿を見たことがあるが、「そうした金額が少ない」とバカにする貧しい心の持ち主もいるのである。
 今回私達が試みている寄附金による事業というのは、決して個々の寄附金の多寡を競うものではなく、一人でも多くの市民の参加を願って行うものなのである。仮に一人でも5千万円寄附すれば5千万円になり、300人でも一人10円なら3000円にしかならない。そんな計算もできないのだろうか? また私は一部の集団のように半強制的な募金のやり方は好まない。
 たとえ一人一人の寄附が少額であっても〝自らも建設に関わったという参加意識〟や〝歴史を振り返る切っ掛けが愛郷心の醸成を促す〟ことに真の意味と価値があるのである。もっとも唯物的思想に凝り固まっている人々にそうしたデリケートな心の動きを期待することは無理なのかもしれない。

東岡崎駅周辺地区整備全体のイメージ図

 いずれにせよ、実際に若き家康公の騎馬像が完成すれば、そんな声も雲散霧消するものと思っている。単に観光のシンボルというだけでなく、入学試験やスポーツの試合に出かける子供達が東岡崎駅に向かう前に必勝の願いを込めてから出かけるような像となることも期待している。そしてこの像が明治維新以来、形成されてきたタヌキオヤジ的イメージを払拭して、新たな家康公の姿を現すものとなることを願っている。
 ギリシア、ローマの例を持ち出すまでもなく、ブロンズ像は戦争さえなければ2000年以上残る。今後末永く、太平の世を現出した郷土の英傑の志を伝えてくれることであろう。


新たなシンボル「徳川家康公像」 (2015.11.05)

若き徳川家康公の騎馬像、建築へ (2016.02.27)

「若き家康公・騎馬像」完成! (2019.11.14)

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2016年4月12日 (火)

大相撲岡崎場所

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 昨年の11月24日、日本相撲協会副理事で元横綱の大乃国関(現・芝田山親方)が岡崎市を訪れ、私の所に御挨拶にみえた。用向きは平成28年4月に岡崎にて地方巡業を行いたいということであった。
 応接イスに座られた大乃国関は、イスの席幅一杯の大きな体軀(たいく)の方であり、立ち上がったらオシリがイスにはさまったままとなりそうな気がしたものである。通常、現役を引退するとやせられる方が多いようであるが、その気配はこの人にはなく、テレビ番組でシュークリームを作ったりスイーツの本を出されるくらいであるので、「ひょっとしたら甘党が原因か?」と勝手に思っていた。実際にお会いした大乃国関は大変能弁であり、話題も豊富であった。とつ弁の方が多い相撲界ではうってつけの広報担当であろうと思われたものである。軽妙な語り口からニュースキャスターでもできそうな方であった。

芝田山親方、内田康宏

大相撲岡崎場所(2016年4月6日)

 それから早(はや)半年近く経ち、大相撲岡崎場所の当日(4月6日)を迎えた。所々にポスターが貼られてあるくらいでそれほど活発な宣伝を行った形跡もなかったのであるが、日本の国技だけあって相撲ファンというのは全国津々浦々にみえるようであり、中央総合公園の体育館が満員であった。後ほどの話では4700~4800人の入場者だそうであり、改めて大相撲の人気のほどを再認識した。ことにスモウ追っかけの若い女性(スモ女?)の多いことに驚かされた。太っているが強くて、礼儀正しく、お金持ち?の男はモテるのだろう。

 この事業の主催は、名古屋テレビ放送と岡崎パブリックサービスであり、岡崎市並びに教育委員会、体育協会、商工会議所が後援をして開催にこぎつけたものである。岡崎市での巡業開催は実に18年ぶりのことであり、地元の相撲ファンにとっては身近で本物の関取が見られる貴重な機会となった。こうしたことをきっかけとして本市からも、出羽疾風(でわはやて)関に続く未来の関取の出現を期待するものである。

出羽疾風・プロフィール

 相撲はその歴史を遡ると鎌倉時代にはすでに武士の戦闘の訓練や寺社の奉納相撲として行われており、戦国期を経て江戸時代に様式が定型化し、日本の伝統文化として定着したものの一つである。1年6場所15日制になったのは昭和30年代のことである。
 かつて3年のアメリカ生活を終え日本に帰国した私が、日本に帰ってきたということを何よりも強く感じたのは、NHKテレビで大相撲をやっているのを見た時であった。そのことは今も鮮明に記憶にある。

 当日は朝からのちびっこ相撲大会に始まり、幕下力士の取組や相撲甚句(じんく)、初切(しょっきり)など地方巡業ならではの催しが行われた。

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 幕内力士の取組前に巡業部長の貴乃花親方と面会した。大乃国関とは違い貴乃花親方は奥様のダイエット食のせいか陸上競技かバスケットの選手のようなスマートな体形となっていた。
 続いて錬成道場にしつらえた仮の控え室に入った。そこは横綱、大関の専用となっており、段ボール製のヤナギゴウリで仕切られたそれぞれのエリアの中央に横綱が腰掛けて髪を結い直したり、付き人達が縄をなっていた。横綱が腰に締めているあの綱(白いしめ縄)を私はチャンピオンベルトのように巻いて身に着けるものと思っていただけに、毎回このように縄をなって作り上げることを知り大変驚いた。
 それにしても、まわしを付ける前の大関の某氏が黄色の星のマーク付きの真っ赤なデカパンをはいていたのは面白い光景であった。片方に大人が一人入るほどの大きさであり特注品であろう。おまけに体に巻いたピンクのタオルがキティちゃんの図柄であり、きっとファンからのプレゼントであろうと思うが、まさにマンガ的であった。
 付き人が肩にかけて重そうに運んでいたが、まわしの重さは個人差があり平均10~12、3キロだそうである。ひときわ大きな体形であった曙(あけぼの)関は20キロのものをつけていたそうである。さらに化粧まわしが同じくらいの重さがあるそうであるから、幕内の関取は本当に大変である。
 横綱のところには、幕内力士が対戦の前に次々と挨拶にきていたが、その対応を見ているといかにもこの世界は力による階級社会であるということが分かるものであった。

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 その後主催者の方々と共に三横綱(日馬富士、白鵬、鶴竜)と横並びの記念写真を撮らせて頂くことができた。遠巻きに見ていても大きさはよく分かるものであるが、横綱の間に挟まれてみると改めてその迫力と肉感のすごさを体感した。三横綱それぞれの個性的な土俵入りを土俵際で初めて見せて頂いた後、名古屋テレビの横井社長と共に土俵上で御挨拶をさせて頂いた。

大相撲岡崎場所(2016年4月6日)

大相撲岡崎場所(2016年4月6日)

大相撲岡崎場所(2016年4月6日)

 それにしても市長という仕事は本業以外にもやらなくてはならないことが実に多い。市長になっていなければ東京ドームでの都市対抗戦での始球式や大相撲の土俵上での挨拶などの機会もなかったわけである。
 貴重な機会を与えて下さった関係者に改めて感謝致すと共に御来場頂いた多くのお客様に心から御礼申し上げます。

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