思想と政治

2021年4月 6日 (火)

一通の激励手紙と返信

Sakuranoshirobashi20211

 3月下旬、大学進学を控えたある青年から一通の励ましのお手紙を頂きました。他にも善意にあふれる同様のお手紙を頂きましたが、ことに心に響いたものだったので、ぜひ御披露したいと思います。私の返信、それに続く御本人からの返信も、併せて掲載いたします。お手紙は御本人の了解のもと、一部字句修正させて頂きました。
 この方は今年の4月から、県外の国立大学で政治・経済の勉強を始められるとのことです。私は今回、大きな挫折を経験しましたが、将来新しい可能性が生まれることを期待しております。


最初のお手紙(青年→内田)

拝啓
 内田先生、また貴後援会の皆様におかれましては、昨年に岡崎市長選挙にて大変残念な結果となってしばらく経ち、先生の再起へ向けご奮闘なさっていることと存じますが、若輩者ながら、私から来期、又はもしか現職が解職請求により失職した際の先生の再起を心より期待して、激励申し上げます。
 昨年の選挙では、私は先生が再選を果たされるものと確信し、十八歳となり初めて得た一票を先生に投じたものの、結果として中根氏が大差にて勝利し、私は愕然としました。そしてそれまで注視していなかった氏の戦法を知り、財源など到底確保しえない一人当たり五万円の支給や、長きにわたり大企業も加わり計画を練ったコンベンションホールの白紙化などそのあまりにも無謀で無責任で、無知な有権者をだますような公約に辟易し、また内田先生がコロナ対策をしていないというデマも併せて票を稼いでいたことを知り、このような人が内田先生を破ったのかと怒りに覚えました。(しかし先生の陣営も慢心とまでは申しませんが、権力に対してなんとなく目が厳しかった情勢を察して、集会が憚られた状況であったとはいえ相手に言われっぱなしに終わらない選挙活動は出来なかったのでしょうか)

 氏は当選後直ぐに田村厚労相に対して「水道事業にコンセッションを導入しない宣言」なる、あまりにも幼稚で書式すら大人であることを疑うような文書を岡崎市長の名のもと提出したことやコンベンションホールの白紙化を企業に通知したことをTwitterにて公表しました。私は内田先生が築いた国(省庁)や民間との信頼関係を著しく損ねる氏の暴政を許せません。私の考えでは氏は票を買ったにすぎず、水道の民営化反対をはじめとする政策の転換や先のとんでもない宣言を彼の独断で提出することに市民は賛成したとは言えません。結局その代金たる五万円の支給については、議会にて圧倒的多数により否決されましたが、氏は恥ずかしげもなく、提案したことで公約を果たしたことになる旨述べる始末です。
 この騒動は全国的に報道されましたが、現在ではほとんど報道されず市民も氏に対する不満を忘れかけているように思われます。私は氏の再選はあり得ないと思う一方、今期は安泰であるとは思っていないだろうかと日々悶々としております。

 市長職を奪回し、氏がかき乱した方々との関係を修復することができるのは内田先生しかおりません。先生は市債の大幅な減少と税収増加、国や民間と連携した積極的な公共事業、総合病院の新設などで手腕を発揮され、二〇二〇年の日本総合研究所による中核市の「幸福度ランキング」では岡崎市は全国で豊田市に次ぎ第二位と躍進しました。このような実績にもかかわらず、多くの市民が中根氏のデマや現実味のない公約に騙されてしまいました。実際、私の高校のクラスには中根氏の当選を受け、「五万円のほうが勝った、やった。家族にも頼んだんだ。」と喜ぶ生徒がおり、普段選挙へ行かない無知な人まで動員した中根氏の作戦勝ちかと納得する一方、彼らの政治への意識の薄さに落胆しました。特に去年から今年にかけてはこのことを実感します。国の政策に対して、TwitterをはじめとしたSNSやメディアで得た誘導や偏見を含む情報を基にした批判をする人や信仰に近い思想から意見を異にする人に攻撃を仕掛ける人など、所詮政治とは無知な人に気に入られるもの勝ちかと思わされます。
 この手紙を書くきっかけとなったのもそのことで、先日岡崎観光伝道師である東海オンエアが中根市長とともに彼らをモチーフにしたマンホールの除幕式に参加した模様を公開しました。その動画には中根氏に対して一部批判がある一方で「腰が低い」「優しそう」などと話し方や見た目のみを根拠とした賞賛のコメントが集まっております。これはまったく政治家としてあるべき姿ではなく、このような風潮はよくありません。あのような首長を誕生させたことで人々が自身の考えを見直すきっかけになることを氏の当選直後期待しましたが、ただのニュースとして忘れ去られ全く望み薄であるようです。私は将来政治の世界に入る気は先の理由からありませんが、次世代を担う者としてその行く先を大変憂慮しております。ぜひ先生には、一時的ながら政治の世界への関心が高まった岡崎市で以前のような政治をしていただき、選挙に対する意識の変革をもたらしていただきたいです。直接お会いして激励差し上げたいところではございますが、情勢の関係憚られますので、離れたところからではございますが私は誠心誠意応援致します。
 しかしながら私は今春の大学入試にて県外の大学への進学を決めたため、リコール運動や次回の投票はおそらくできません。それでも岡崎市で生まれ育ったという誇りを捨てたくはありません。重ね重ね申し上げますが先生の再起を心からお祈りします。以上末筆ながら私の思いが伝われば幸いです。

敬具


返信(内田→青年)

拝啓
 進学準備でお忙しい中、心温まるお手紙本当にありがとうございました。
 早速読ませて頂きましたが、18歳の方が行政の仕組みや運用システム、選挙の実態まで正確に分析し、理解をしてみえることに驚かされました。
 地方自治体の仕事は法律にのっとり、国や県との連携・共同、民間との協力無しには実現できません。ことに昨今のように市民の要望が多様化し、財政事情が思うにまかせない中、民間の力を上手に使いながら事業計画を作成してゆくことは不可欠なことだと思っております。
 しかしながら、常に野党的立場にあり自ら建設的な提言もせず、反対ばかりしてきた人たちの中には、議員であってもそうしたことを理解していない方がみえるというのが現実であります。
 私は今でも自分が行ってきた政策は合理的なものであり、岡崎市にとって適切なものであったと確信しております。
 これまでの岡崎市の豊かさの財源は「モノづくり産業」によるものです。そこに岡崎独自の歴史文化遺産と美しい山、川の自然空間を活かした観光産業、山間リゾートを整備することで新たな財源とより豊かな市民生活が実現できるものと信じ邁進してきました。
 その政策の実施に向け庁内、議会における検討、議論はもちろんのこと、外部団体、識者、専門家、地域代表、各業界の方々とも数多くの話し合いの機会を持ち、8年間で400回を超える市民対話集会・地域説明会を行い、望まれれば小中学校、全高校、大学まで出かけてゆき事業説明とフリートーキングによる議論の場を持ってきました。(今の人は事前に選別した代表者だけとの話し合いを公開しタウン・ミーティングと称しております)
 いずれにしても、これほどの手間と時間をかけて事業を推進してきた市長は私のみかと自負しております。
 しかし、新型コロナウィルスの感染拡大のため、この一年間だけ思うような活動を行うことができませんでした。また現職の市長であるため選挙直前まで仕事が一杯で告示の3日前にも上京して各省庁に要望活動を行っておりました。
 そうした状況における選挙でしたが、形としては共産党を除く政党とほとんどの業界団体からの推薦を得ての盤石の体制での選挙でした。結果がこうなってしまえば、慢心や油断と言われても返す言葉もありませんが、現職の市長選挙と言うのはどこでもこうした形で行われるものです。
 ただ、今回は相手が元国会議員で、ある程度の知名度のある人であり、推薦に加え政策協定まで結んだ各労働組合もコロナ禍により各組合員への連絡が不徹底なものとなっていたと聞いております。協力をお願いする立場としては、それ以上の介入はできませんでした。
 今回コロナ禍での不十分な形での選挙運動、禁じ手の「一人5万円還元」公約とウラミはありますが、選挙に敗北したという厳然たる事実の前に「これが天命、潔く身を引く」ことも考えました。しかし、あなたと同じく多くの支援者の励ましの声に支えられてガンバッております。
 今回後手を踏んでしまったSNS(ツイッターなど)を使った選挙作戦についてはしっかりと対応して参りたいと思っております。また気がついたことがあればぜひ教えて下さい。

 民主主義が衆愚政治に陥りがちな欠点があることは、いまさら中国の共産主義者に指摘されるまでもなく、ギリシャ・ローマの時代から多くの識者が言ってきたことです。はからずも今回それが我々の地元において再び立証されたことは残念な限りです。
 TVのニュースで「5万円で投票した訳ではない」と大見栄を切っていた共産党支持者らしい御婦人がいましたが、昨年の国からの10万円給付金を受けなかった方は、忘れていた方も含め全岡崎で57人にすぎません。各種アンケートでは「本当に困っている人に」と言っていた人も多かったのですが、残念ながらこれが人間の実態であります。もちろんコロナ禍のもと将来への不安を感じていた方がそれだけ多かったということでもあります。
 本来ならば若く理想に燃えるあなたのような見識の高い方にぜひ政治の道に進んで頂きたいものですが、一般に本当に賢い人は、政治のようにドロドロして、人間関係の面倒くさい世界には入ろうとしない方が多いようです。
 マックス・ウェーバーの『職業としての政治』の最終章にあるように、政治家とはいかなる苦境にあっても決してくじけない強い精神と肉体の持ち主でなくてはならないと思います。
 私が御期待にお応えできるものかどうか分かりませんが、これからもできる限りの努力をして参る覚悟ですのでよろしくお願い致します。

 将来に向けて実り多き大学生活となることをお祈り申し上げます。本当にお手紙ありがとうございました。

敬具


2番目のお手紙(青年→内田)

 私が差し上げた手紙をお読み頂き、お返事まで下さり本当にありがとうございました。大変嬉しかったです。
 私は先の手紙を書くにあたって、市のホームぺージで例のコンベンションホールに関する資料を見たり、様々な媒体で勉強し、PFIやVFM、プロフィットシェアリングなどの知識を得た上で、あくまで今の人への私怨ではない見地から書くことに努めました。

(中略)

追伸
 現職故の事情で選挙活動が上手くいかなかったことを理解せず、苦言にも至らない事案を添えたことをお詫び申し上げます。
 戯言かもしれませんが・・・
 私は私が生きている間に現在の普通選挙に基づいた政治に限界が来て、今のロシアや中華人民共和国のような体制になるのではないかと危惧しております。
 まともな有権者教育が行われて、人々を現実的な判断に導くことができればと思いますが、国家による洗脳と声の大きな人達に焚き付けられてより一層状況が悪化するのは目に見えております・・・。


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2019年9月 8日 (日)

デマゴーグの季節の到来?

 3年ほど前、とある新聞記者の書いた記事に触発されて、「デマゴーグについて」と題する文章を2回に分けて書いたことがある。近年のデマゴーグは全くのウソ、デタラメではなく、数字のトリックやオーバーな表現で読者を欺こうとする傾向があるということを書いた覚えがある。
 選挙が近づいてくると、こうしたものが出てくるものであるが、昨今は実にクラシックな全くのウソ、デタラメを並べる単純な方法も目立ってきているようである。

 現在、全国の多くの自治体は水道管の布設替えや浄水場の更新の時期に迫られている。しかしながら、事業を進めるには多大な予算を要するため、自治体によっては民営化して乗り切ろうとしているケースもある。
 幸い岡崎市は複数の水源に恵まれ、財政も健全な状況を維持しており、水道の安全安定供給のため独自で水道事業を継続してゆく方針である。事業は計画的に進められており、今後も経営のあり方は同じである。

男川浄水場

 しかるに近頃、一部外者が何の根拠もなしに「岡崎市は水道の民営化を図っている」いうデマをしきりに流しているそうだが、これは全くの事実無根の話である。市の幹部会はもとより局内でも一度も議論に上がったことすらない。
 また同様に、最近の岡崎市政が「中心部偏重の施策になっている」とか、「政策決定がブラックボックス化している」とか訳の解らないことを言っている輩がいると聞いた。昔から「貧すれば鈍す」という言葉があるが、これは、ためにするデタラメであり、何の具体的根拠もない話である。

 私が上京して各省庁を回った時に必ず言われるのは、「岡崎市はよくやってるネ」という言葉である。ことに国土交通省からは「全国でまちおこしの事業を行っている所は多いが、岡崎のように5つも6つも大きな事業を全市的に展開して、すべて成功しているケースはまれであり、国としても注目している」と言われている。その証しが昨年の「地方再生のモデル都市」への選定であり、さらに「中枢中核都市」の一つとしても選ばれていることで証明されている。
 この秋、岡崎市をモデルケースにした3つの研修会が国土交通省のキモ入りで、全国の関係者を招いてこの岡崎の地で開催されることになっている。

 今さらであるが、市南部では新総合病院の建設、JR駅前の再開発、都市計画道路福岡線や同若松線をはじめとする各種道路の整備、河川改良などが行われている。東部ではアウトレットモール誘致と本宿駅周辺の区画整理事業に着手し、額田地区では「額田センター・こもれびかん」建設のほか、地元密着型の山間地事業にも着手しており、中山間地の活性化計画も具体的に進めている。北部では経済界待望の新しい工業団地計画が進み、活性化のための「(仮称)岡崎阿知和スマートインターチェンジ」事業も間もなく実施の段階に入ってくる。

藤田医科大学岡崎医療センター

岡崎市龍北総合運動場

 県との間で長年の懸案事項であった県営グラウンドは、「岡崎市龍北総合運動場」として再生途上にある(来年7月完成予定)。県立愛知病院の経営移管の話も大きく進展し、「岡崎市立愛知病院」に生まれ変わった。
 区画整理が未整備であり、道路事情が悪く、大きな施設を造りにくい矢作地区でも南北道路延伸を含めた道路計画が進み、西岡崎駅周辺整備が行われている。要望の強かった西部学校給食センターの再建も矢作南で実現することになっている。
 市内東西南北それぞれにその地の発達段階に応じた施策を展開し、それなりの評価を受けているというのが実態である。
 その上でワンランクアップの都市を目指すための施策が、「モノづくり」に続く「観光産業の振興」であり、その第一歩が「乙川リバーフロント計画」なのである。一体どこが「中心部偏重」なのであろうか? きっとこれは事実を認めたくない人か、市民の声や正しい情報が入ってこない立場の人かのいずれかであるかと思う。
 また、「ブラックボックス」という言葉であるが、そもそも用語が間違っている。通常ブラックボックスとは、飛行機の安全航行のための経路と機体の運航状況を記録し、まさかの事故の時のデータを残す機械のことである。仮に言うならば、ブラックホールであるが、これとても正しい認識とは言えない。第一まじめに仕事をしている市の職員をバカにしている言葉である。

 岡崎市は大きな事業を行うために極力、国・県との連携を重視し、なるべく多くの補助金を使って事業展開をしている。さらに民間の力を活用もしている。よく100億円事業と悪口を言われた乙川リバーフロント計画も半分近くは国費であり、全国でも例外的な事業だと言われる。それだけまちおこしとして説得力のある仕事であったからできたことである。

桜城橋

(2020年3月完成予定の桜城橋)

岡崎市東公園

(2019年8月に完成した東公園の木製遊具)

 東岡崎駅前の家康公像、東公園の恐竜と木製遊具においては、これらは市民の浄財によって整備されたものであり、そのことも正しく見て頂きたいものである。
 しかもこうした施策の策定・実施は、役所の部内、議会での審議はもとより、380回(来年までに400回)を超える市民対話集会、政策説明会にくわえ、地元説明会などを経て、岡崎活性化本部はじめ多くの専門家、諮問機関の提言、チェックのもとに進められてきたものである。決して一人の人間の気まぐれや思いつきで行われてきたものではないことを強調したい。
 私が市長になってから一番強く感じたことは「市長だからと言って、ひとりで勝手に決められることはほとんどない」ということである。ひょっとして、根拠なしに批判してみえる方は「市長になれば何でも自分の思いどおりにできる」と思っている人なのではないだろうか?

 これから選挙が近づいてくると、またぞろ、ためにする悪口、根拠のない批判、デマが出てくるものである。またそうしたことが好きな御仁もいるのである。
 賢明なる市民の皆様におかれましては、どうかその点をしっかり見極めて頂き、正しく御理解、御判断をして頂きたいものと思っております。

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2018年12月 9日 (日)

個人と公人の境界について

 先日、ある方から「今年は地方自治体の首長にとつて受難の年だ」ということを言われた。例年にも増して多かった自然災害に加え、異常気象に対する対応に苦労したということかと思ったら、そうではなかった。
 本年の前半は私の知り合いの首長が何人も突然死された。現職のまま亡くなるというのは、まさに「名誉の戦死」であると言える。中には若くして亡くなった方もいる。

『東海愛知新聞』2018年4月5日

 首長の仕事は多岐にわたり、どこまでやれば終わりということはなく、実に多忙である。副市長や部長もいるのであるが、「ぜひ何とか市長に」と言われると無下に断ることもできず、ついつい無理しても出かけることになる。
 かく言う私の場合も就任一年目は仕事を自分の目でしっかり確かめるため、積極的に動き回り、気がつけば一年間で完全な休日は7日しかなかった。そのせいかちょうど一年を経た頃、体に変調をきたし急遽点滴生活を送ることとなった。
 若き日と異なり、一晩眠ったぐらいでは疲労は癒えず、精神的なストレスも蓄積されるばかりである。しかるに、自身は以前と同じイメージのまま走ってしまい突然倒れることとなるのである。
 また、他にも元気印の代表のようなスポーツマンで体力自慢であった友人の訃報がこのところ続いている。よくある50代、60代の山の遭難も同じ理由と思うが、体に自信があるためついつい無理をしてしまうのである。責任感の強いまじめな人ほど、そうしたサイクルとなりがちである。それだけに周囲の人の心遣いを期待するものである。
 いずれにせよ訃報が相次いだせいで、今年はやたら「お体に気をつけて下さい」と言われたものである。

 続いてこの秋頃からはなぜか女性問題で失脚してゆく首長が目につくこととなった。中には私の知っている方もおり、いずれも仕事熱心であり、知性派の人物と思っていただけに驚いている。仕事が順調で強敵も見当たらないというような時に、人は心にスキが生まれるのかもしれない。(油断大敵である。)
 こうした事件(?)が続くと、必ず同業者は同じような苦言を頂戴することになる。「あんたは酒も飲まないし、夜の街に出歩くこともないが、くれぐれも気をつけるように」などと心配を頂くことになるのである。
 そもそも人の寿命や色恋ざたの発生は、気をつけていてどうにかなるという性質のものではない。誰しもそれを予見はできないだろう。十分気をつけていても病気になる時はなってしまう。体の中の微妙な出来事のすべてに対応できるはずがない。我々にできることは、せいぜい定期検診で人間ドックに通い、飲食に気をつけるぐらいのことである。多忙な毎日の中で運動のための時間を設けることも難しい。
 対人関係において好悪の感情をコントロールすることは我々の仕事の一部のようなものであるが、相手のある関係の中では一人の自制心だけにその責を問うことは無理があることもある。そうしたケースにおいては、公人が責めを負うこととなる。一般人なら「困った人だね」で済む話でも、公人は許されないというのが昨今のモラルの基準となっているようである。

 しかし、私の知る限り、公平に見て、近年の政治家は随分お行儀が良くなっていると思う。昔は国会議員が外遊する時には、海外の民間会社の駐在員が夜の相手をする女性を捜すのに走り回ったとか、秘書を二号にしたのか二号を秘書にしたのか分からないといった話を耳にしたことがあるが、近年はそうした話を聞いていない。
 岡崎でも、40年ほど前には「市会議員になっても、松本町に彼女がいるくらいでなくては一人前とは言えん」などと言う方がいた。そういう方は決して保守系の議員ばかりではなかった。
 かつての有名政治家におけるこの手の逸話は枚挙にいとまがない。とりわけ有名なものとして次の話がある。
 戦後政界の大立て者の一人、三木武吉(ぶきち)翁は、地元の演説会で「メカケが4人もある奴がえらそうなことを言うな!」とヤジられ、「ただいまメカケが4人と声が掛かりましたが4人ではありません。5人であります。もっとも今やいずれも年老いて、ものの役には立ちませんが、不肖、三木武吉、役に立たないからと捨て去るような不人情者ではありません。今も全員の生活の面倒をみております」と答えて聴衆の拍手喝采を浴びたと伝えられている。(当時は女性の職業の選択に限りがあり、戦争未亡人も多かった。)

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(三木武吉、1884年~1956年)

 もちろん半世紀も前の出来事が今の世の中で通用するとは思っていない。モラルのあり方も社会の価値観も時代によって大きく変化してゆくものである。しかし犯罪的な要因があることならばともかく、単なる個人的な人間関係、プライベート上の醜聞によって全人格が否定され、その人間を職務から追放しなくては成らないものかと思うものである。
 今回続いた事件の問題は双方が既婚者の不倫ということであるが、それは当事者間で話し合うなり、裁判で決着をつければよい話であると思う。マスコミや第三者が神や裁判官のごとく断罪しようとする風潮をなんとも情けなく感じるものである。

 かつてフランスのミッテラン大統領は、自身の愛人の死に臨み、堂々とその娘と共に葬儀に出席した。その折、アメリカのマスコミがその是非を問うインタビューを行ったが、ミッテランは「そのとおりです。それがどうかしましたか?」(誰かに迷惑をかけているのですか?)と答えたという。フランスではニュースにもならなかったそうである。
 「個人主義が確立した大人の国と大衆民主主義の国の違い」などとコメントするとまた叱られることになるかもれしないが、人間は人生のすべての局面で完全であることはできないし、完全を目指していても失敗することもある。その対応は個人が行うべきことであり、第三者が果たしてどこまで介入すべき領域であるのかと思うものである。
 ことに私達のいる政界は、意図的にワナを仕掛けられるケース(ハニー・トラップ)もあるだけに、より大きな注意と自制心が要求されるのだろう。
 そう言えば私も少し心配がある。先日行った出版記念パーティーで、魅力的な70代、80代の女性と望まれるまま肩を組んだりして、不適切な(?)写真を数多く撮ってしまった。選挙になるとこれらの写真が問題となるのだろうか?

『夢ある新しい岡崎へ』出版記念パーティー

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2018年6月13日 (水)

最近はやりの「声なき声」について

 「声なき声を聞く」という言葉が再び、各地の議場や街頭演説の決めゼリフの一つとして流行(はや)っているような気がする。
 しかし私のように政治の世界に長く首を突っ込んでいる人間にとって、最近の「声なき声」の言葉の使い方に大きなとまどいと違和感を覚えるものである。
 そもそも「声なき声」の語源は英語のサイレント・マジョリティ(Silent Majority)である。元々の意味は「静かなる多数派」「物言わぬ大衆」であり、現状に満足しているか、あるいは大きな不満がないため、あえて声にして意見をしない人々のことである。

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 ところが現在この言葉を好んで使う人達の用法は、「自分達の意見が政治に反映されない人達の声」という意味での使われ方であり、明らかに誤用である。しかもその実態は「声の大きな少数者」であり、「自分達の特異な意見に固執するがゆえに多数となりえない異端者の声」を「声なき声」として表現しているケースが多いのである。

 かつてアメリカのニクソン大統領が1969年11月3日の演説で「グレート・サイレント・マジョリティ」としてこの言葉を使ったことがある。当時私は高校生であったが、ベトナム戦争に反対して過激な活動を行う一部の学生に対し、ニクソン氏が「そうした運動や声高な発言をしない多くのアメリカ国民は決してベトナム戦争に反対していない」という意味でこの言葉を使っていたことを覚えている。実際、その後1972年の大統領選挙において、ニクソンは50州中49州で勝利し、圧勝している。
 また、日本においても1960年(昭和35年)の第1回目の「安保闘争」(日米安全保障条約反対闘争)の折に、当時の岸信介首相(安倍総理のおじいさん)が「国会周辺のデモ隊は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつもどおり人であふれている。私には、そうした〝声なき声〟が聞こえる」と発言して、安保反対運動に参加していない一般の国民のことを「声なき声」として表現している。
 「声なき声」の用法としては、本来はこうしたものが正しい使い方である。

 とかく政治の現場は声の大きな人々の意見の影響を受ける傾向があるが、必ずしも大きな声が正当な意見、多くの人々の意志を体現しているとは限らない。声だけ大きく遠慮知らずのワガママな意見に辟易しながらも、自らの意見はあえて述べない多くの人々がいるということをもっと冷静に考えるべきではないかと思っている。
 そしてさらに気になるのは、これは以前指摘したことでもあるが、TVや新聞で「この件に関して市民は・・・」といった書き出しで登場する人物及びその意見が、とても一般市民の代表的な考えとは思えないものが目につく点である。
 その地域では有名な特殊政治集団の活動家や、何事にも文句を言うことが生きがいのような「地元の困ったちゃん」、はたまたモノゴトの本質を全く理解していないと思われる第三者の声が〝市民の声〟として紹介されることがあるのである。まるで誰かによって意図的に選別され編集された発言を、〝市民の声〟というオブラートに包んで一般的に広めようとする隠された意志の存在が感じられるのである。

 事実を平穏に伝えるのではなく、あえて平地に乱を喚起するかのような報道姿勢がうかがえることがある。世の中には未だに社会主義を最良と考える人々がいるものであるが、あたかも反権力的な発言や意見を取り上げることが報道の使命であるかの如く勘違いしているマスコミ関係者もいるようである。
 より中立性が求められる選挙時における報道においてすら、一方的に偏った報道がなされることがある。時に事実を誤認させるようなキャンペーン記事を意図的に流すマスコミもあるのである。例えば犯罪者と特定地域の関係性を必要以上に強調しようとしたりすることもある。(これを〝イメージ操作〟と称する。)
 最近政府の放送制度改革を一部マスコミが反対している。これまでの規制を緩和して自由な情報発信ができるようになるのであるから結構なことであると思われる。逆にこれまで自分達の首カセとなっていた建前の中立性がとれるのであるから、この際もっと自由にして欧米のように自社の思想的立場、報道姿勢、支持政党まで公表して堂々と論陣を張った方がよほどスッキリして分かりやすい。
 〝言論の自由の守護者〟を任じる人々が自分達の考えと異なる意見が出ることに反対するということもおかしなことである。よほど新たな競争相手の参入を歓迎してないかのようにみえる。
 「報道の中立」を建前上の表看板としながら、実際は御都合主義的に偏向報道を行う現在のあり方の方がよほど不健全な姿である。情報提供を多様化して判断は市民の良識に任せる方がより正しいあり方ではないだろうか?

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2017年5月18日 (木)

政治と政争

――以下の文章は、5年前の最初の市長選後に書きながら、周囲のアドバイスを受けて棚上げになっていたものである。久しぶりに読み直してみて、今日にも通じると思い発表することにした次第である。――

 先日(注・5年前)某新聞に載っていた「政争の町、岡崎」という記事を読んで、まったく「わかっちゃないな」と感じた。その記事は、『過去を反省し「政争の町」から脱却すること』が『新トップの手腕にかかっている』と訴えていた。
 そもそも政治の原点というものは、戦いである。食べ物をめぐるもの、水をめぐるもの、領土をめぐるもの、また様々な利権をめぐるもの、そうしたものを血を見ずにして解決しようとするところから政治というものが生まれてきた。
 しかし、政治というものの本質がそうである以上、政治が争いというものから無縁ではあり得ない。古今東西の国家間の利益をめぐる交渉ごとの例を見ても、軍事力の行使があろうとなかろうと、そこに力の存在というものが無縁であったケースなど聞いたことがない。この世で政治のあるところに政争のないところなどは無いのだ。それが現実というものである。
 個別の名前は控えるが、愛知県の市町の中でもかつて政争の激しかったところはいくつもある。現在、一見平和的にものごとが進んでいるからと言って、決して政争がなくなっているわけではない。そのことはそこで政治に関わっている人々と話せばすぐにわかることである。現状の表面的平穏は単に双方が折り合いをつけているだけのことである。政争というものは、政治現象が争いごとの過程において温度が上がり沸点に達したときに発する現象であるとも言える。表面上、見えないからと言って無くなっているわけではない。それこそが人間の持つ性(さが)であり、業(ごう)であるからである。

 前述のごとく日本のマスコミの中には何かというと平和的話し合いですべて解決するような論を説く人がいる。しかし実際の世の中には、話し合いとは時間かせぎのための方便に過ぎず、その機に自分達の主張を相手にのませ、逆に相手の言うことなどハナから聞く気のないという人達もいるのである。そうした人間の業のような性質を理解していないから、きれいごとのおためごかしの正論が言えるのである。パワー・オブ・ポリティクスで物事が決まる現実において、話し合いも力の裏付けがあってこそ成立するものである。(北朝鮮が核とミサイルに固執する理由もそこにある。)

 以前私は、カリフォルニア大学バークレー校で政治学を専攻していたアメリカ人の友人フィリップ・キース君に、岡崎の政治について次のように説明したことがある。

Phillip E. Keys and Yasuhiro Uchida

「岡崎という町は、他の地域のように保守と革新が競うという政治土壌はなく、戦前から保守が二派に別れて権力闘争をするという伝統がある。革新勢力はそのときどきでそのどちらかに乗ったり、乗らなかったりという存在である」
「現実に戦前は政友会と民政党の系列で争った時代があり、戦後は愛市連盟VS光会(ひかるかい)の時代、そしてその流れを受け継ぐ者たちの戦いの時代、近年は保守の旧勢力と新興勢力の争いという形になっている。いずれにしても理念性は薄いが、形としてアメリカの政治の共和党と民主党の争いの形態に似ている。それが岡崎の政治風土である」

 彼がこの内容をどこまで理解したかはわからない。その後数年岡崎市に在住し、私の最初の選挙も手伝ってくれたが、将来、彼が大学に戻るとき、日本の政治についての論文を書くための日本の地方政治のあり方の一形態としての研究の材料になればと思って話したことを覚えている。(現在、彼はカリフォルニア州の某カレッジの学長をしている。)

愛知県議会議員選挙(1987年)

 現在の岡崎の政治状況もそうした政治風土の一環と考えるか、都市型の政治形態に向かう成長過程ととらえるかは、その人の見方あるいは趣味の問題だと思う。
 私は、そうした岡崎の政治風土の中で生まれた保守の政治家の一人であるが、岡崎の持つ独自の歴史、伝統、文化、それに基づく地域的思考というものはそれなりにその地域の個性であって、決して恥じるべきものではないと思っている。そうした観点からも、政治の場における権力闘争というものは今後も無くなることはないと考えている。また、これはある意味、世界中のどこでも同じである。人類の存する限り、政争もなくならないのである。レベルの低い無益な争いは極力避けるべきであり、ものごとの折り合いはつけて行くべきであるが、自らの主張を曲げる必要はないと考えている。なぜならばそうした各種異なった考え方の集団の代表が、政治家であるからだ。
 一部マスコミの言う一見第三者的常識論は、決して神の御宣託ではない。鉄砲玉の飛んでこないところで、彼らの商売のネタとしての一面的なきれいごとの論理を展開しているに過ぎない。しかも、一部のマスコミ報道は、一見中立的に見えて実際は逆に政争を煽(あお)っているように見えるときがある。また、自らは他を自由に批判しながらも、逆に自分たちに対する批判は許そうとしない独善的体質があるように感じることもある。
 いずれにしても、私たちは自由主義社会にいながら、いつもどこかで彼らにマインドコントロールされている可能性があることも忘れてはならないと思う。

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2017年1月19日 (木)

『リバ!』2017年2月号

Reversible20172

内田康宏事務所から『リバ!』2017年2月号発行のお知らせです。
市長のコラムは「デマゴーグについて」です。

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2017年1月14日 (土)

銅像と偶像の違い

 今回家康公像に対して本市が試みている寄附金を主体とした新しいシンボル造りの事業は、キリスト教文化に根ざした欧米社会ではしばしば行われていることである。
 現在もそうしたものが、欧米を旅した時、各地で大切にされていることを目にするものであり、地域の人々の郷土愛のシンボルとして役立っている様子がよく分かるものである。

 かつて20代の頃、アメリカ留学からの帰国途上、単身で東欧からソヴィエト連邦を旅したことがあった。日露戦争の折、旅順港閉塞作戦で戦死した軍神・広瀬武夫少佐はロシア留学後にシベリアを単身犬ぞりで踏破して帰国しているが、そのことを記録した『ロシヤにおける広瀬武夫』という上下2巻の本を学生時代に読み、以来私もいつかユーラシア大陸を横断したいと夢見ていたからである。
 当時これらの国々のどこに行っても目についたのが、あのお決まりの気むずかしい顔をしたマルクスとレーニンの像であった。スターリン批判の後であったせいか、あのアドルフ・ヒトラーと並ぶ、カイゼルひげの虐殺者の像は目にすることは無かった。偶像がプロパガンダ(政治的宣伝)の一環を成すというのが当時のこれらの国々の常態であった。

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 シベリア鉄道を使って移動中、沿線の名も無き小さな町においても、日本の田舎のお地蔵さんのように、このハゲとヒゲのおじさん達の像はあった。お地蔵さんはたいがい町や村の片隅にひそやかにたたずんでみえるものであるが、これら権威主義の象徴のようなハゲとヒゲのおじさんの像は、どこの町でも一等地の真ん中に「これでもか」とばかりにふんぞり返っていたものである。
 中には金色や銀色に塗り上げられたモノもあった。当時それを目にした私は「金、銀とは太閤秀吉でもあるまいに、まさに成り上がり者根性の極みだな」と思ったものであった。
 昨今も同様の趣味の方が近隣の国にいるようであるが、「ムダな建造物」と言う言葉を使うならば、これらの像ほど無駄なシロモノもないだろう。しかもこれらの国々の場合、思想の押しつけがあるだけに余計に悪質で始末に悪いものであると思う。このような像こそ、人民の生活を後回しにして造られたモノなのである。きっと自分達の思想のもとに行われることは何でも正当化できると思っているのであろう。

 その後1990年代を迎え、ソ連邦の崩壊と東欧共産政権の瓦解に伴って、各国においてこうした偽りの偶像が民衆の手によって次々と引き倒され破壊されていったことは今も我々の脳裏にしっかりと残っているし、映像の記録が世界中に保存されている。まさに「圧政者の末路、あわれなり」であった。
 私は、負の遺産というものもそれなりに教訓的価値があり、できのいいモノは残しておいてもよかったのではないかと思っているのであるが、どうやらあらかた破壊されてしまったようである。プーチン大統領の時代になり、復古的風潮が出ているとのことであり(プーチンはKGB(ソ連秘密警察)の元工作員)、機会があれば再びロシアを訪れ、この目で確認したいものである。

 シベリア鉄道の車内食も今は改善されたそうであるが、当時は実にひどかった。そんな旅のさなか、各駅に停車する度に近くのロシア人の太ったおばさん達がバケツに塩ゆでしたジャガイモを山盛りにして売りに来ていた。1ルーブルでビニール袋いっぱいのジャガイモをくれたが、あれはおいしかった。

 それにしても冷戦下に共産圏の一人旅というのは、興味深くはあっても決して快適なものではなかった。各手続きにやたら時間がかかるし、団体旅行ならスンナリ通す所も、私だけやたらと多くの質問を受けた。さらに、いつも誰かに見られているような気がしていたものである。(単に当時のソ連人と風体が変わっていたせいかもしれないが・・・。)
 中央アジアのブハラでは、夜に民俗音楽の音(ね)に惹かれて道を歩いていたところ、民警に不審者と思われ勾留されたこともあった。アメリカを発つときに知人から、「先年、経済企画庁のOBがソ連を一人で旅していてスパイ容疑で逮捕され、1年間帰国できなかった」という話を聞かされていたため、自分もそうなるかと冷や冷やしたものであった。幸い、手ぶらでカメラも持っていなかったため、ホテルに連絡がとれて無事釈放となったのである。
 極東のナホトカ港には、日本人旅行者向けに無料サービスの共産主義に関する本が何種類も置かれていた。私はオミヤゲ代わりにと一通り、20冊ほどもらって帰国の船に乗り込んだ。そのためか、ナホトカから横浜港に到着した時に左翼過激派の一味とでも思われたのか、「どうして一人でソヴィエトに行ったのかネ?」と今度は日本の入国管理事務所で、私だけ40分近く念入りに取り調べを受けたことを今もなつかしく思い出すものである。

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2016年12月25日 (日)

デマゴーグについて(その2)

Völkischer Beobachter

 繰り返すが、デマゴーグとは、全くのウソ、デタラメを喧伝することとは限らない。一つの社会現象、ある事件の一側面を拡大解釈したり、曲解したり、書き手の考えに都合の良い数字や情報だけをつまみ出してきて誇張して表現することもデマゴーグの技と言える。(それを専門にしている政党もある。)
 自分勝手で反地域的な言動をもっぱらにする、その界隈では有名なクレーマー(文句ばかり言う人)や、特殊な思想集団の活動家として知られている人物の意見を、あたかも無垢な一市民の声のように報道することもよくある手法の一つである。
 また、先のアメリカ大統領選挙において、反トランプ的社会気運を反映して極端に一方に肩入れした報道がなされた。外国の報道機関の場合、時にこうしたことがあるが、彼らの場合は前もって自らの政治的立場、報道姿勢を明らかにした上で行っていることであるのでそれなりに筋が通っている。

 我が国の報道の場合、建前上、中立・公正・公平を謳(うた)いながら偏向報道を行うことがある点が問題なのである。
 そうした議論を始めると、必ず「全文を読めば中立的なバランスを取っていることが分かる」という言葉が返ってくる。しかし一般の人で記事の全文を隅々まで綿密に読むような方はマレである(教科書ですらそんな読み方はしない)。見出しの太文字と前段の数字、刺激的な言葉や作為的な写真を見て、正しく理解した気になっているというのが実態であり、良くも悪くも〝大衆社会〟とはそうしたものである。
 第一、人間は誰しも、自分に直接関わりのある問題以外には細かな点にまで注意を払うことはしない。そうした現実を百も承知の上で、意図的に誤解を招くような記事を書き、最後の数行の中にバランスをとるような文言を散りばめて裁判にならない配慮をしているから悪質なのである。

 もう一度言う。一流のマスコミ人は決してこういう姑息なことをやらない。時に人格的に問題があったり、思想的な偏向性があると思われる人物が公の仮面をかぶって紙面に記事を書くことがあり、そうしたことが問題なのである。
 前回のブログで「思想統制された国家ばかりでなく、自由主義社会においても我々は知らないうちに洗脳されていることがある」という点に言及した。
 一部のマスコミの中には「無知な大衆を我々が教育してやる」といった姿勢が見られることがあるが、それは危険な兆候だと思われる。大衆扇動が冷静な思考の後退を生じることは、我々が歴史上の幾多の経験と現在も世界で進行中の様々な出来事から学んだことである。

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 うっかり洗脳されないようにするためには、普段から自分で注意する必要がある。ニュース・ソースを多元化し、一つの事柄について常に多くの情報に接する習慣を持ち、新聞や雑誌なども複数のものを比較して読み、自分の考えを練らなくてはならないだろう。
 「いちいちそんな面倒なことは御免こうむる」という方は、たまには購読する新聞を変更してみることも一手であろう。新聞は中立・公平・公正と言いつつも紙面にはそれぞれ個性や差違というものがあり、ひょっとするとそんなことで新たな視座を開くことができるかもしれないと思うものである。

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2016年12月21日 (水)

デマゴーグについて(その1)

 デマゴーグとは、全くのウソ、デタラメを喧伝することとは限らない。ある社会現象、事件の一側面を拡大解釈したり、自分の論理に都合の良い数字だけをつまみ出してきてオーバーに表現することもデマゴーグの技と言える。
 通常こうしたものは裏情報として世の中に広まるものであり、表(社会の公器としてのマスコミ)に出てくることはないシロモノである。時にそうしたものが表面に出てくることがない訳ではないが、それは芸能週刊誌であるとか、三流のゴシップ新聞の類(たぐい)の紙面を飾るものであり、ふつう一流紙と呼ばれるものでお目にかかることは滅多にないことである。
 なぜかと言えば、一流と呼ばれる書き手(記者)には、それぞれジャーナリストとしてのプライドというものがあり、デマゴーグ的仕業に対してプロとしての矜持が許さないからである。一つの記事を書くにしても、まず客観的事実というものを報道し、そして次に記者としての考え、あるいは社としての社説を記述するという手順を踏むというのが健全なる報道人、マスコミ人というものである。事実、これまではそのようであったと思う。

 ところが近年、記者個人の自主性を重んじるとして、一部の社ではかつての常識的な報道の自己制御を失ったかに見えることがある。客観的であるべき社会的事象の記述において、記者の個人的思いや情念が先行してしまい、公正性、公平性、客観性というものを感じられない記事が散見されることとなった。
 政治の世界も時代と共にかつての独自のしきたり、道義のようなものが失われつつあるが、マスコミの世界でも客観性と共に記者の誇りが薄れつつあるのかもしれないと思うものである。

 今年の春、こんなことがあった。本市の3月議会の最終日、自民清風会、民政クラブ、公明党、黎明という多数の会派の賛同を得て、30対3(欠席1)という圧倒的多数により予算が成立した。その他多くの議案が可決された(全員賛成もアリ)。

岡崎市議会(平成28年3月定例会)

 ところが、某・地元有力紙は多数派の賛成討論を封殺して、逆に反対討論を行った少数議員だけ太字で実名報道するというあからさまな逆差別報道を行った。そして、あたかも予算案が否決されたかのような印象を与える記事を意図的に掲載している。
 この記事を書いている記者が思想的偏向性のある人物であることはかねがね分かっていたことであるので、特段驚くべきことではないが、このような記事を有力紙が臆面もなく出してしまうことに大変危惧の念を抱いている。これではまるで思想統制された国家の報道と同じであり、とても自由主義社会における公正な報道とは思われない。

 また、先日の岡崎市の選挙においても、総額99億7000万円の乙川リバーフロント地区整備計画について「橋を造るのに100億円!」という誤解を招くような報道、アピールを行う人達がいた。

乙川、殿橋、岡崎城

 実際は乙川の河川空間の整備と中心市街地の再整備、岡崎城周辺の歴史資産の活性と機能整備などで総額64億円がかかり、そのうち人道橋の整備費用は岩盤工事を含めて21億円である。国のコンパクトシティー構想に併せてプランを提出すれば、さらに国の補助が得られることが分かったため、乙川リバーフロント計画は、別個の計画であった東岡崎駅前再開発事業(35億円)を上乗せした事業計画となった。こうしたことから100億近い数字となったのであり、橋を造る費用は21億円である(もちろん決して少ない金額ではなく、必ず「やってよかった」という仕事をするつもりでいる)。しかも橋は道路と同じで、いわゆるハコモノでなく、維持管理費用は手入れ代しかかからない。
 しかるに橋をハコモノと偽り、さも高額の管理費がかかるような、ニセの情報を流した新聞もあった。さらには、半分近く国庫補助で行われるこの事業を取り止めれば、その予算を他の事業に回すことができるかのようなデタラメ宣伝もしている。目的別の国庫補助はその目的にしか使えないことは法律で決まっているのである。
 選挙直前と選挙中はさらにひどく、個別の市の政策を検証する形をとりながら、もうすでに議会で承認されたことに対して、一部の人の言い分を基軸に反対キャンペーンを投票日前まで行う執拗さであった。この記者に対しては選挙後「選挙妨害で告訴したらどうか」という市民の声も頂いたほどである。

 もとより少数意見を尊重することは必要であるが、それはあくまで多数決という民主主義のルールにのっとった上でのことである。こうした基本的なことも守れない人が公器である報道を操るようになっている社会に大きな不安を感じるものである。我々は自由主義社会にいながら、ある種の思想統制、マスコミの世論コントロール下に置かれていることを実感するのである。
 一部マスコミは、口を開けば「先の大戦の時の過ちを繰り返してはならない」と言う。しかし先の大戦を招来する世論の形成のため一番大きな原動力となったのは、ほかでもない、軍部の力以上にマスコミの偏向報道であったということを私達は忘れてはならない。そしてもう一つ、海軍次官を経て連合艦隊司令長官となった山本五十六大将は御前会議で最終決定が下されるまで、右翼に命を狙われながらも体を張って日米開戦に反対していたことも記憶しておこう。

Admiral Isoroku Yamamoto

 日本のマスコミは戦後うって変わっていつの間にか宗旨変えし、軍部批判を行うものの、自らに対する反省・検証を行った形跡はほとんど見られないのである。
 我々政治家や行政にたずさわる者は、他者から批判の対象とされ、マスコミ報道の監視にさらされるというのは自由主義社会における必然的宿命であり、仕事の一部とも言える。そのことを否定するつもりは毛頭無い。
 しかし、それは同時にマスコミが「第4の権力」としての自己の力と役割をわきまえ、客観性と公平さ、公正という視点を踏みはずさない時にのみ正しく機能するものと考える。
 さて賢明なる岡崎市民、読者の皆さんは昨今のこうした出来事をどう思われるであろうか? (つづく

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2016年4月19日 (火)

『リバ!』2016年5月号

『リバ!』2016年5月号

こんばんは。内田康宏事務所から、リバーシブル2016年5月号発行のお知らせをいたします。
市長の連載コラムは「選挙制度と政治家の質について」です。

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