2013年の年頭にあたって

2013年1月 5日 (土)

2013年の年頭にあたって 3

 この時期にもう一つ大きな事件が起きた。
 言うまでもなく衆議院の解散総選挙である。

 誰もが「選挙は年明けだろう」と高をくくっていたところ、計画的か突発的か野田総理が11月14日に突如解散を表明し、選挙になってしまった。
 ふつうこうしたことは、総裁の専権事項であるとは言っても、党の幹部、政権の内部で議論検討がなされて決行に至るものである。小泉純一郎総理以来、こういった抜き打ち的解散の仕方が流行っているが、政党政治の原理原則を考えたときに果たしていかがなものかと私は思っている。
 とは言っても、選挙が始まれば待ったなしで対応しなければならない。選挙の義理は選挙で返すのが保守の政治家の生きざまである。当然今回は市長選挙でお世話になった自民党の公認候補者、青山周平君の応援をすることになった。選挙の経緯については触れないが、ご承知のとおり岡崎からは代議士が3人誕生することとなった。私が27歳のときに挑戦した33年前は「せめて岡崎から一人代表を」と思って戦っただけに不思議な思いがする。
 いずれにしても行政の長としては、3人の代議士には、それぞれの特徴を生かして国家あるいは地元の発展のために尽くして頂きたいと考えている。わたくしも行政上の問題については公平公正な対応でお三方と協力していくつもりである。

 ここでひとつ説明しておくことがある。

 通常政治家(議員)の世界では「当選回数は星の数」と言われ、軍隊と同じ序列でものごとが運ばれます。とすれば、今回当選回数3回の中根康浩さんが序列第一に上がることになるわけですが、今回行われた小選挙区制による衆議院選挙は、愛知県庁の選管で当選証書が手渡されたのが15選挙区の当選者だけことからもわかるように、正式な選挙区当選者は小選挙区第1位の者であります。他の二人はあくまで比例復活による当選者として扱われます。それゆえ、今後行われる正式な式典などにおける衆議院議員の席次は青山氏、中根氏、重徳氏の順番になるわけです。
 序列についての根拠は以上のものであり、決して恣意的な思惑によるものではありません。

道の駅「藤川宿」

 この選挙をはさんで、「豊田・岡崎地区研究開発施設」用地造成工事起工式ならびに国道一号線で県内初となる道の駅「藤川宿」が完成した。両事業とも将来の愛知の発展に大きく寄与する期待が持たれる事業である。
 さらにこの時期、私にとって初めての所信表明の機会ともなる12月議会が始まった。政治家としての信義に基づいて選挙に手を抜くわけにはいかないし、そうかと言って議会をさぼって選挙の応援に行くわけにもいかない。また再び、精神的にも肉体的にも大変な山場を迎えた。幸いにして内田事務所のメンバー、後援会の皆さま、市の秘書課の職員の協力もあってこの難局を何とか切り抜けることができた。感謝。

 12月28日夜、市長としての年間の公式行事の最終となる「歳末消防特別警戒」による各地域消防団の巡回を終えた。市職員、消防関係者の方々の中には年末年始もなく仕事が続く方々もおり、本当にご苦労なことだと思う。市長としての年内における公式な仕事はこれで終了したことになる。今振り返ってみて反省すべき点もいくつか思い当たるが、この短い期間によくこれだけ新しい経験をこなしてきたものだ、と自ら思う。
 新年度からはそうした経験と反省を生かしてよりよい市政運営ができるように努力したいと思っている。

 岡崎市は歴史と伝統、豊かな自然に恵まれた美しい都市です。
 市内を流れる矢作川と乙川の清流は、岡崎を象徴する景観を醸し出しております。私も乙川べりから見た岡崎城の風景を子供のころから眺め続けてきました。四季を通じてどの時期の、また一日のどの時間に眺めたものであっても、私の岡崎の心象風景として焼きついております。
 こうした素晴らしい水辺空間を活用し、機能的な河川敷の有効利用をはかりながら新しい岡崎の町づくりを皆様と共に成し遂げていきたいと思います。 (完)

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2013年1月 3日 (木)

2013年の年頭にあたって 2

内田康宏(2012年11月11日)

 その後各種業界団体、地域のお祭りや文化祭、スポーツ大会、さまざまなものにお招きを受け、できる限りのものに出席し、市民の皆さんと交流を深める努力をした。市政というものが幅広い市民の皆さんの生活とかかわりがあることを再認識することのできる機会となった。

 それにしてもあまりに用事が多いので、秘書課の職員に、
「現在岡崎市長として、あて職としてあるものも含めて引き受けている役職というものがいくつあるのか、一覧表で教えてくれ」
 と言ったところ、A4版の用紙に3ページ半打ち出されて返ってきた。数えてみると124あった。私の記憶では確か県会議長のときでも110くらいであった。市長の場合は代理が効かない役職もあるのでその分より忙しくなっているのである。なぜだか知らないが、なかには「全国浄化槽推進協議会」のような全国規模の組織の会長職もいくつかある。

 またこの時期、岡崎商工会議所の120周年記念式典、県立岡崎工業高等学校創立100周年記念式典などが相次いで行われた。岡崎には創立600年、400年を超える企業を始め、老舗の会社と言われるものがたくさんあるが、すでに明治期において商工会議所ができているという点にも岡崎の先見性がうかがわれる。
 また岡崎工業高校に限らず、岡崎の公立高校は市政100周年よりも古い伝統を持っている学校も多い。都市としての歴史も感じさせる点である。

 そして大樹寺で家康公検定の表彰式があった。徳川家第18代、徳川恒孝公がお見えになった。一般に明治維新で徳川が滅んだように思ってみえる人もいるが、三河武士の伝統はこの岡崎に脈々と息づいている。そのことを実感させられる催しでもあった。

大樹寺

 岡崎という地域の素晴らしさの一つに、そこに住んでいる人々の愛郷心の高さもあると思う。それを保守的だと批判する人もいる。偏狭な排他主義に陥ることは諌(いさ)めなければならないことであるが、ふるさとの歴史、文化に誇りを持つこと、同族意識を強く持ち、郷土を愛することは少しも恥じるべきことではない。
 どこの国に行ってもそうした伝統主義を大切にする政党が保守政党として存在することは、その証(あかし)であると思っている。

 11月17日に、岡町のおかざき世界子ども美術博物館(岡崎地域文化広場)にある「妖精の棲む浮かぶ島」がリフレッシュオープンした。
 ご本人が名前を出されるのを望まれないので名を伏せますが、これは、わたくしの近所に住んでおみえになる篤志家のご夫人の寄付によるものであります。この方は税金とは別に、亡くなられたご主人と共に個人的に通算3億円にのぼる寄付を岡崎市に頂いております。
「岡崎の子供たちの未来のために役立ててほしい」
 とのことでありました。金額はともかくこうした心を持ってみえる方が少なからずいるというのが、先ほども言った岡崎の素晴らしさだと思っている。感謝。 (つづく

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2013年1月 1日 (火)

2013年の年頭にあたって 1

内田康宏事務所

 2013年あけましておめでとうございます。謹んで新春のお慶びを申し上げます。市民の皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。


 市長選に当選させていただいてから、あっという間に二か月半たったような気がしている。ひとことで言って、〝疾風怒涛の二か月半!〟だったような気がしている。

 10月21日夜、当選の万歳をやった瞬間から制度上は市長職が始まったことになっている。以来、役所のしきたりを覚え、用語を理解し、これまでの政策の継続過程を検証し、理解しようとつとめ対応していくのに精一杯であった。
 毎日次々と目の前に置かれる決裁書類は初めて目にするものばかりである。もちろん、各事項に対する説明や質疑の応答はある。努力はしているが、完璧に理解しているという自信はない。しかしそのことによって将来不都合が起きれば全責任はわたくしが負うことになる。そうしたことを意識しながらひとつひとつの書類に目を通し、丁寧に印を押して行く。ひと段落すると体中に何とも言えない重たい疲労感が残っている。誰でもそうであるが、慣れていないこと、初めてのことを根をつめてやるとこういうことになる。

 昨秋はさまざまな行事があった。
 当選してすぐ三重県の東海市長会へ出席。とりあえずコンピュータで印刷した役所作成の名刺を使って各地域の市長さんたちと名刺交換をする。その中で、ほんとうにこの仲間に入れたのだなという実感が湧いて来た。
 恥ずかしい話であるが、このとき泊まったホテルで一か月半ぶりにゆっくり風呂に入った。風呂桶に入ったまま一時間以上、解剖前の検体のように横たわっていた。

 10月29日に岡崎市の公式行事として初めて出席したのが第49回の「おかざきっ子展」のオープニングセレモニーであった。昨年までは来賓の県会議員のひとりとして出席していたのだが、今回は主催者の市長として挨拶をした。いよいよ第一歩を踏み出したのだなと感じた。

 11月に入ってすぐ「岡崎アート&ジャズ2012」が始まった。私も個人的にジャズが好きであるが、岡崎が日本におけるジャズのメッカになりつつあることを再認識した催しであった。文化事業としての価値とともに、これをぜひ観光岡崎の秋の目玉商品のひとつに育て上げて行きたいものである。

 11月5日、市長として初めて臨む11月臨時会があった。
 このとき、正副議長と委員会の役割分担が決められ、わたくし自身も初めて議場で市長として挨拶することになった。議長に「市長!」と指名され、檀上中央に上がり挨拶をしたときに改めて責任の重さを感じた。 (つづく

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