2013年の年頭にあたって 3
この時期にもう一つ大きな事件が起きた。
言うまでもなく衆議院の解散総選挙である。
誰もが「選挙は年明けだろう」と高をくくっていたところ、計画的か突発的か野田総理が11月14日に突如解散を表明し、選挙になってしまった。
ふつうこうしたことは、総裁の専権事項であるとは言っても、党の幹部、政権の内部で議論検討がなされて決行に至るものである。小泉純一郎総理以来、こういった抜き打ち的解散の仕方が流行っているが、政党政治の原理原則を考えたときに果たしていかがなものかと私は思っている。
とは言っても、選挙が始まれば待ったなしで対応しなければならない。選挙の義理は選挙で返すのが保守の政治家の生きざまである。当然今回は市長選挙でお世話になった自民党の公認候補者、青山周平君の応援をすることになった。選挙の経緯については触れないが、ご承知のとおり岡崎からは代議士が3人誕生することとなった。私が27歳のときに挑戦した33年前は「せめて岡崎から一人代表を」と思って戦っただけに不思議な思いがする。
いずれにしても行政の長としては、3人の代議士には、それぞれの特徴を生かして国家あるいは地元の発展のために尽くして頂きたいと考えている。わたくしも行政上の問題については公平公正な対応でお三方と協力していくつもりである。
ここでひとつ説明しておくことがある。
通常政治家(議員)の世界では「当選回数は星の数」と言われ、軍隊と同じ序列でものごとが運ばれます。とすれば、今回当選回数3回の中根康浩さんが序列第一に上がることになるわけですが、今回行われた小選挙区制による衆議院選挙は、愛知県庁の選管で当選証書が手渡されたのが15選挙区の当選者だけことからもわかるように、正式な選挙区当選者は小選挙区第1位の者であります。他の二人はあくまで比例復活による当選者として扱われます。それゆえ、今後行われる正式な式典などにおける衆議院議員の席次は青山氏、中根氏、重徳氏の順番になるわけです。
序列についての根拠は以上のものであり、決して恣意的な思惑によるものではありません。
この選挙をはさんで、「豊田・岡崎地区研究開発施設」用地造成工事起工式ならびに国道一号線で県内初となる道の駅「藤川宿」が完成した。両事業とも将来の愛知の発展に大きく寄与する期待が持たれる事業である。
さらにこの時期、私にとって初めての所信表明の機会ともなる12月議会が始まった。政治家としての信義に基づいて選挙に手を抜くわけにはいかないし、そうかと言って議会をさぼって選挙の応援に行くわけにもいかない。また再び、精神的にも肉体的にも大変な山場を迎えた。幸いにして内田事務所のメンバー、後援会の皆さま、市の秘書課の職員の協力もあってこの難局を何とか切り抜けることができた。感謝。
12月28日夜、市長としての年間の公式行事の最終となる「歳末消防特別警戒」による各地域消防団の巡回を終えた。市職員、消防関係者の方々の中には年末年始もなく仕事が続く方々もおり、本当にご苦労なことだと思う。市長としての年内における公式な仕事はこれで終了したことになる。今振り返ってみて反省すべき点もいくつか思い当たるが、この短い期間によくこれだけ新しい経験をこなしてきたものだ、と自ら思う。
新年度からはそうした経験と反省を生かしてよりよい市政運営ができるように努力したいと思っている。
岡崎市は歴史と伝統、豊かな自然に恵まれた美しい都市です。
市内を流れる矢作川と乙川の清流は、岡崎を象徴する景観を醸し出しております。私も乙川べりから見た岡崎城の風景を子供のころから眺め続けてきました。四季を通じてどの時期の、また一日のどの時間に眺めたものであっても、私の岡崎の心象風景として焼きついております。
こうした素晴らしい水辺空間を活用し、機能的な河川敷の有効利用をはかりながら新しい岡崎の町づくりを皆様と共に成し遂げていきたいと思います。 (完)
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