籠田公園・今昔
岡崎の籠田公園を中心に、伝馬、康生、連尺、本町にかけての沿線はかつて西三河の商業の中心地域であった。籠田公園そのものも、毎日我々近在のワンパク坊主達の集うニギヤカな公園であった。
時は移り、各市にそれぞれ商店街が発展する様になり相対的に岡崎の地位も下がってきた。さらに、昭和末期の大規模店舗法の見直しによって、全国的に大駐車場を併設された大型ショッピングセンターの出店が始まる。その結果、地域商店街は大打撃をこうむり、急激に衰退してゆくこととなった。岡崎市もその流れから逃れることはできず、後継者不足も相まって、かつての中心街の衰退が始まり、“シャッター街”というありがたくない呼び名をちょうだいすることになっていた。
そのため、私が県会議員になった頃から、この地域の最大の政治・経済的課題は、「中心街にいかににぎわいを取り戻すか?」ということであった。
これまでも、歴代の市政において、歩行者天国を行ったり、通りに面した駐車スペースを設けたり、季節ごとに様々なイベントを展開したりしてきたものである。
そうしたことによって、一時的な人通りの回復はできても、かつてのにぎわいを取り戻すことはかなわなかった。
籠田公園そのものも、10年ほど前までは、年に何度か行われる定例のイベント時をのぞけば、どこの地方都市にもある、閑散とした一公園となっていた。
そうしたものを何とかしたいと始まったものが、私の市政の目玉の一つである『リバー・フロント計画』であった。
国の“川まちづくり事業”、“歴史まちづくり事業”の二つの認定を受け、駅前から桜城橋、天下の道(中央緑道)を通り、籠田公園までの空間に、人々が集い、くつろぎ、楽しむことのできる多目的スペースを作るために、多くの専門家、まちづくりの先駆者、商工会議所はじめ、地元の皆さんの智恵と御協力によって今日のような利用勝手の良いエリアとなったものと考えている。
籠田公園も一時はホームレスが住みつく公園となったこともあったが、今や一日中、子供連れの市民が集まり、キッチンカーも常駐する公園となっている。 しかしながら、どの様な政策にも、プラスとマイナスの功罪があるものであり、最近では一日中集まる人々の騒音に対して苦情が出る様になり、現在、公園の使用に制限が出されているという。迷惑を受けている方の気持ちは分かるが「前の静かな公園の方が好きだ」などという声を聴くとガッカリしてしまう。
リバー・フロント計画の本来の目標であった「快適な都市空間の形成と中心市街地のにぎわいの再生」まで、今一歩のところであり、なんとか双方の折り合いをつけて、中心街に本格的な活気を取り戻すところまでガンバリたいものである。
| 固定リンク
コメント