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2022年7月14日 (木)

元総理・安倍晋三さんを偲んで

Uchi1   先週安倍晋三元総理が奈良で遊説中、手製の銃で撃たれお亡くなりになった。心からお悔やみ申し上げます。
以来、毎朝目覚めてからもずっと悪夢を見た直後の様な不快さが心を離れない。それにしても、ただただ残念である。
   私が父上の晋太郎先生の秘書であったというだけでなく、思想的傾向が近かっただけに総理としての彼の再生を心から願っていた。それがわけのわからない暴漢に生命を絶たれてしまい、不可能となった不条理に悔しさだけがつのる。現在の保守陣営の中で、理念が確立しており、言動もブレない数少ない政治家であっただけに、彼を失ったことは惜しんで余りある。日本の現状を考えた時、まさに国家的な損失である。

思えば、私と安倍家との御縁は40数年前に遡る。
父の友人を通じ、政治評論家の飯島清氏の御紹介を経て、先代の安倍晋太郎代議士の秘書となったことがその始まりであった。
 当時晋太郎先生は農林大臣を降りたばかりであったが、議員会館に面会に訪れた初対面の私に対し
「この世界は水商売と同じで、浮き沈みの激しい世界なんだよ」
「今、この議員会館で先生と呼ばれている議員の三分の一は次の選挙でいなくなる」というお話をして下さったことを今も鮮明に覚えている。
 27才で私が衆院選に臨んだ時、無所属で自民党の現職に対抗して出馬したため、応援はして頂けませんでしたが、一言、
「刺し違えるつもりでガンバって来い」と励まされたものです。
 その後、選挙に敗れ、選挙違反事件に巻き込まれた折りも何かとお心使い頂いたことを思い出します。

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 そして7年後、34才で県議選出馬の決心を固め、当時外務大臣であった晋太郎先生にごあいさつにうかがった折には、大臣室で励ましの言葉と共に「もうすぐニューヨークにいる息子(晋三氏)がアメリカから帰ってきて秘書官になってくれる」と、うれしそうに話された笑顔がなつかしく思い出されます。

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   晋三さんとのおつきあいは最初の県議選の折に父上の代理として3回応援に来て頂いて以来のことです。
当時まだ幼児であった長男圭亮も抱いて頂くことができました。

 

 

 以来、選挙の度にお世話になり、その後父上の替わりに代議士となられてからも愛知県の青年議員連盟の大会などに何度も足を運んで頂きました。私の県会議長就任と初の総理就任が同じ年であったことも不思議な御縁です。 

   最初の市長選では、自民党の単独支援の厳しい戦いでしたが、当時総裁になられたばかりの晋三さんが奥様と何度も応援に来て頂きました。その時も市長当選と総理就任が同じ時期になりました。

まさに私の政治人生は安倍家と共にあったと感謝しております。

 先回の三度目の市長選の直前(3日前)、東京陳情の仕事の折に議員会館にごあいさつに訪れた私をわざわざお待ち頂いたことも忘れられません。

 その時に、1ヶ月前に8年8ヶ月務めた総理大臣を辞任したばかりであった晋三さんから「こんなメンドウくさい仕事(首長)をまだやるの?」とジョークを混じえてお話しされたものです。

「ところで選挙の様子はどう?」と問われ、「実はきのうからこんなチラシが出回っています」と「5万円返還!」のチラシをお見せしたところ、じっと眺めてから、「これは前回、自民党が負けた時と同じ戦術だよ。油断しない方がいいよ」と言われたことが、思えば最後の直接の会話となってしまいました。

 先日(5月28日)の再起を目ざした「新緑の集い」に際しましては、大村知事と共に心温まる祝電を頂いております。

 次の選挙に向けて御相談したいこともありましたが、それももはやかなわぬこととなってしまいました。

Uchi5

 必ず、墓前に良い御報告ができるようにあと2年3ヶ月、全力でガンバリたいと決心しております。

 お亡くなりになったことが今も信じられない思いですが、本当に長い間国家・国民のためありがとうございました。

心から御冥福をお祈り申し上げます。

 

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