前・犬山市長、田中志典氏来岡
昨秋の落選以来、何かと心にかけ御心配頂いていた前・犬山市長の田中志典さんが5月半ばに岡崎を訪問されました。
私達は県会議員時代に、私が副議長で、田中さんが自民党の幹事長として共に仕事をした仲であり、大学の同窓生でもあります。その後、田中さんは県政功労者会の役員であったこともあり、様々に気配りをしていただいております。
当日はあいにくの雨天ではありましたが、私にまだ少しは〝晴れ男〟としての御利益が残っていたせいか市内を周遊している間はおおむね雨も止まってくれました。
まずは到着早々、東岡崎駅前に一昨年秋に完成した新たな岡崎のシンボル、家康公の騎馬像を御覧頂きました。
神戸峰男先生がライフワークとして手がけられた作品の見事さもさることながら、像と1枚岩を使った台座の建設費1億2千万円のほとんどを市民からの寄付で賄えたことに対し、岡崎市民の郷土愛の高さを感心してみえました。〝ピンチをチャンスに変えて、人生を切り拓いて行った郷土の英傑〟のように、岡崎の子供達が困難に直面した時に、この像を見上げて発奮してもらいたいものです。
田中さんが岡崎にみえたのは、10年ぶりのことだそうであり、当時に比べて東岡崎駅と乙川沿いの風景の変容ぶりに大変驚いてみえました。
2015年から工事が始まったこの区域の整備事業は、観光岡崎という新しい経済の柱を築き、外から訪れた皆さんに岡崎の歴史と風景を楽しんで頂くと共に、そこに暮らす市民に、より快適な生活と美しい景観を提供するために行ったものです。
さすが田中氏は元市長であり、国と県との共同化、ことに〝かわまちづくり事業〟〝歴史まちづくり事業〟のダブル認定を活用し、総額99億円の総事業費の半分近くを国の補助金で達成したことを高く評価して頂き、ありがたく思った次第です。
東岡崎駅の改築を含めた駅北・西側の高度再開発事業が、三菱地所の資本参加によるプランニングで進行する中での市長交替となったため、今後の成り行きを大変心配しているところです。
「もし現行の計画が中止ということにでもなると、駅前再開発が今後同じレベルで実現されることは不可能に近い」という私の話を興味深く聞いてもらえました。
桜の季節を過ぎていたのが残念でしたが、河川敷の風景を眺めながら桜城橋までそぞろ歩きをしました。この橋は幅が16メートルと殿橋と同じであります。単に人が渡るだけでなく、橋上の空間を活用して、駅前と中心街を結び、新たなまちの賑わいをつくり出すためのことであることに興味をもってもらえたようです。さらに表装が木調になっているのは、市内の中山間地の山林整備のための木材活用である点も高く評価して頂きました。
伊勢神宮の神橋のように10~15年ごとに表装の木材を取り替える作業をお祭りやイベントとして活用したいと考えていました。また、廃材も捨てるのではなく、帆船「海王丸」の取り替えた旧マストが小さく切断され、キーホルダーとして売られているように、何か岡崎的なオミヤゲとして再利用したいと思っていました。田中さんは「民間のアイデアを活用すると面白そうだ」と賛同されました。
天下の道から籠田公園への取り組みは、何年もかけて、地元代表はじめ都市計画や街づくりの専門家の方々の知恵と経験をもとに、世界の先行事例を参考に練り上げたものであり、さらに市民対話集会や政策説明会を繰り返す中で、修正を加えながら進めてきた事業であるとことをおほめ頂きうれしく思いました。
徳川四天王の石像は、長年地元の石工業界から切望されていた日本一の技術力を証明するための仕事でもあり、私が第1回目の選挙以来公約として掲げてきたものの一つであります。現在展示されている各作品はQRコードの活用により多言語(五ヶ国語)で案内が聞けるシステムとなっており、コロナ終息後のインバウンドが回復したあかつきには、観光岡崎の実現に向けて大きな力となるものと思います。
昼食後、岡崎特産の八丁味噌蔵の見学に行きました。突然の訪問にもかかわらず快く御案内頂いた早川さんには大変感謝申し上げます。
田中氏はかつて県会の観光議員連盟の会長をしてみえたことがあり、八丁味噌訪問は初めてのことではなく、昨今大きな問題となっている岡崎の八丁味噌の名称と起源についても正しく御理解頂いており、ありがたく思った次第です。
その後、248号線を北上し、訪れたのは御存じ、徳川家の菩提寺、大樹寺です。松平家八代の墓石と歴代徳川将軍の位牌も観て頂きました。
遠方からのお客さんには必ずこの二つを御覧頂くことにしていますが、よく「どうしてこんなイナカにこんなものがあるのか?」という顔をされるとお話をしたところ笑われました。今も山門を通して岡崎城が見えるビスタラインが健在であることに大変感心されていました。
そして私の事務所に立ち寄り、休憩してから、最後に私の一番のお気に入りである東公園の恐竜コーナーへと向かいました。
私が市長の折に、さる知り合いの篤志家の御好意により総額2億円の個人寄贈によってでき上がったものです。この方は多目的広場の木製遊具や市民病院救命救急センターへのMRIの寄付も含めるとお一人で5億近い御協力をして頂いております。私はそういう市民のいる岡崎市をありがたく思うと共に誇りに感じております。
いずれにせよ、こうした施設に触れながら育った子供達がさらに〝夢ある新しい岡崎〟を築いて行ってくれることを祈っております。
時間の都合もあり、その後、再び振り出した雨の中、駅に向かいましたが、次回は仲間も増やし、さらに訪問先も増やしてゆきたいと思います。
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