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2020年4月 5日 (日)

抜きうち多頭飼い調査

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 1月の末に自宅の抜きうち調査があった。税務調査ではない! どうやら私は、あにも(保健所)から「猫の多頭飼いをやっている困ったちゃん」の一人として認識されているのかもしれない。
 ACジャパン(公共広告機構)のテレビCMや新聞広告による「多頭飼いは止めよう」キャンペーンが行われているさなか、公職にある身でありながら公然と「多頭飼いは私の趣味」と言っているのだから、そう思われても仕方ない。

 何の事前連絡もなく、突然の訪問であったとのことであるが、ともかく間が悪かった。たまたま前日の夜、オス猫どもに度々マーキングをされ、悪臭のために廃棄する予定であった爪とぎ器を玄関先に置いたままにしてあったのである。
 そのせいか、訪ねてきた調査員から「典型的な多頭飼いの家の臭いがしますネ」と言われたそうである(ふだんはそんなことはない)。我が家を市長宅と承知で来たのかどうか定かではないが、玄関先で応対した娘にいくつかの質問をして、1階に置く猫トイレを増やすようにアドバイスをして帰ったそうである。元々そのつもりであり、今は増やしてある。

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 私としては、貴重な機会をのがして「実に残念なことをした」と思っている。もし私が在宅中であれば、2年前に作ったキャットウォークとキャットタワー、壁の穴から私の部屋につながる通路、隣にある猫専用のロフト部屋を披露するところであった。さらに3ヶ所に分散してある10個のトイレや4ヶ所に分散してあるエサ場の様子も見てもらうことができたはずである。併せて、朝夜計2時間ほどかかる猫のトイレ掃除とエサやりの様子を実演を含めて解説することができたはずである。
 いずれにせよ、市の職員が、相手が市長といえども特別扱いせずキチンとチェックを行い、言うべきことを言って職務を果たしていることはお分かり頂けたと思う。

 しかし、ここで一つ明言しておきたいことがある。
 そもそも問題の本質は多頭飼いそのものにあるのではない。多くの動物を飼うために、しっかりした覚悟も準備もなく、一時のかわいさモノ珍しさに流されて安易に生き物を飼う人間のイイカゲンさ、オロカさにある。
 私は家で飼う動物は全て家族の一員としてとらえ、対応しているつもりである。動物とはいえ、できる限り彼らの自由な行動を許しているし、食べ物から健康状態のチェック、群れの中における個体ごとの状態なども観察している。
 猫はすべて室内飼いをしており、2階のテラス以外は外に出られない。グループ行動を好まない個体には特に注意をしており、特別にオヤツを与えたり「ちゃんとお前のことも見ているよ」と言ったりしてスキンシップもはかっている。とはいえ猫の中には人との直接の接触を好まない性格のものもいるため無理強いはしない。顔を見る度に、個々の名前を呼んで頭や背中に触れたり、相手の性格に合わせて対応を変えている。
 そのせいか、私のベッドの上や周囲は複数の猫の溜まり場となっている。そういうことが気になる人はそもそも動物など飼わない方がいい。無理に動物の動態を変えようとせず、なるべく自然体で暮らせるようにしている。
 前にも書いたが、私はアメリカのホームドラマのように犬猫と共生する生活をしたいと考えており、幸い家族も皆動物好きなため多頭飼いが可能となっているのである。
 仕事がはかどらない時の気分転換に、動物の世話はもってこいである。猫のトイレの掃除やエサやりをしていて、フトひらめいてこうした文章を書き始めたりするである。ちょうどトイレやフロに入った時の効用と同じである。

 ただし最近、困ったことが一つある。猫達には24時間いつでもお腹がすいた時に食事ができるようにエサを与えていたせいか、このところ缶詰めのエサを食い残すことがある。生(なま)餌は腐り易く、悪臭を放つため現在は分量を減らして与えるようにしている。そのせいか今度は腹を減らせた猫が私の枕元まで来てエサをねだるようになった。なるべくリクエストにはその都度こたえるようにしているが、そうしたことが私の慢性睡眠不足の原因なのかもしれない。

 マイナス・イメージのことばかり書いてしまったが、家族に動物が加わることによる喜びやメリットもたくさんある。何よりも昨春、母親チャッピーが私の枕元で出産したことには感動させられた。動物は一番安心できる所で子供を産むものであり、それが私の枕元であったことは何ともうれしい限りであった。

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(チャッピー、母親)

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(ゼルまたはタケシ、父親)

 また結婚して30年も経つと、お互いに相方の顔も見たくなくなるものであるが(中には幸運な例外もある)、そのような状況において人の思惑など考えずに動き回る動物達が共通の話題を提供してくれることもある。彼らが思わぬ家族円満の絆となっているのである。
 体調が悪くて一人でベッドに横になっていたりすると、いつもと違う様子を察知した猫達が次々とお見舞い(?)に来てくれることがある。女房が来るよりよほど元気づけられるものである。
 猫を10匹も飼っていると言うと、たいていの人はアキレ顔になる。ウチには犬もいるのであるが、やはり数は力であるのか犬の方が遠慮しながら生活している。自分のエサ箱を猫に荒らされていても、黙って見ていることがあるので、そんな時は私が猫どもを叱って追い払っている。
 いずれにせよ、人間でも動物でも大勢で共同生活をするということはそれなりの手間と気遣いが必要となるものである。

追記
 この原稿を発表前に「あにも」に送ったところ、〝抜きうち調査〟では決してなく、「譲渡した犬猫のその後の様子を確認するため、1年後には必ず行っている調査である」とのことであった。岡崎のあにもでは動物愛護のためにそこまでやっているのである。(この文章は2月の初めに書いたものである。)

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