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2020年2月16日 (日)

声が出ない!

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 1月1日の朝、目が覚めた途端、ノドがやたらイガラっぽいことに気付いた。うがいをして、そのまま神社の祭礼に出かけたが、「君が代」が歌えない。声が音程にならないのであった。新年の挨拶もガラガラ声で、しかも大きな声を出すことができない。12月31日の夜までは何の気配すらなかったのに「全く、なんてこった!」である。

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 元旦は10時から新年初の公的行事である「新年交礼会」があるため、とりあえず手持ちのカゼ薬を飲み、何回もしっかりうがいをして再び出かけたのであるが、結果は散々であった。最初の一声からガラガラ声で、後で「何を言っているのかよく分からなかった」と言う人もいた。こんなことなら副市長に代役を頼めばよかったとも思った。
 しかし年の初めからそんなことをすれば「市長は悪い病気らしい」といった噂話が出回ることになっただろう。前市長が検査入院した時も、聞いてもいないのに、その筋の人から〝末期ガン説〟が伝えられたものである。もちろんデマであった。とかく公職者はちょっと体調を崩しても、重病説が流布されるものである。

 1月4日には病院に出かけ、薬をもらってきた。家では水蒸気の吸引を行い、気持ちが悪くなるほどノドあめをなめ続けていたが、さっぱり良くならなかった。医者の見立てでは「カラオケのやり過ぎと同じ症状で、声帯がひどくいたんでおり炎症もある」「1週間か10日、しゃべらずにおとなしくしていれば直ってくるが、ノドを使いながら直そうとすると長くなりますよ」とのことであった。
 そう言われたところで休むわけにもいかず、予定どおりの日程をこなした。1月7日の消防出初式はガラガラ声ながら、マイクのおかげでなんとか式辞を読み上げることができたが、午後の成人式の挨拶ではマイクを通しても声とならなかった。
 そんな無理を続けているうちにとうとう翌週は朝から熱も出てしまい、声が全く出なくなってしまった。急遽代理を立てていくつかの会を欠席させて頂いた。御迷惑をおかけした皆様には改めてお詫び申し上げます。

 しかしカゼではなかったためカゼ薬はほとんど効かなかった。カラオケなどもう1年以上やったことがないが、昨年の秋から年末にかけて日程が過密であり、疲れを感じていても休むことはできなかった。当時は慢性の睡眠不足で眠りが浅く、ストレスがたまっていたのも事実である。
 中日新聞の記者から「過労の疲れがノドにきて声が出なくなることがありますよ」と教えられたが、まさにそんな感じであった。
 さすがに発熱した日は一日寝ていたが、バケツの水をかぶったように汗が出て下着を全部着替えた。風呂に入る度にノドの調子が悪化し、しばらくはシャワーだけの生活となった。いずれにせよこれほどひどい症状は初めてのことであり、私のような職業の者にとって声が出ないというのは正に「商売上がったり」「歌を忘れたカナリア」であった。
 女房は「私にやさしくしないからバチが当たったのよ」と勝手なことを言っているし、孫からは「ジイジ怪獣みたいな声」と言われるあり様であった。

 1月1日は夕刻に、岡崎城を取り上げた『池の水ぜんぶ抜く大作戦』がTVで放映された。「番組に出演した時にお堀の中で転んだせいだろう」と言われたものであるが、収録は12月22日のことであり、それが直接の理由ではないはずである。

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 考えてみれば、秋から年末にかけて市民対話集会を一日複数回やったり、連続して長時間話すことが続いていた。また、予算編成前に上京し、連日各省庁を回って要望活動を続けていたこともストレスの原因になったのかもしれない。私自身がやらなくてはならない重要な仕事ばかりで代役を立てることもできず、仕方がなかったのである。
 だがその結果、多くの方々に御心配をおかけしてしまった。薬やノドあめや手造りの強精剤までお届け頂いた。
 おかげ様で2月に入ってノドの具合もほぼ元に戻り、お世話をおかけした皆様には改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
 以前は近所に、サンダルばきで出かけると血管注射と抗生物質の注射を打ってもらえる病院があった。そうすれば2~3日で直ったものである。ところが医療保険制度の改編のせいか最近は病院でなかなか注射を打ってもらえず、近所の病院も昨年廃院となってしまい、私としてはいたって具合の悪いことになってしまったのである。

 いずれにせよ、新春早々声の出ない1ヶ月は散々であった。
 今はただこれが厄払いとなることを祈るばかりである。
 特に今年は。
 それにしても新型コロナウイルス肺炎の岡崎市の対策本部長が、本市初のCOVID-19(WHOの正式名称)の患者とならなかったことは幸いであった。

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