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2020年1月29日 (水)

市長定例記者会見(2020年1月23日)

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 この3月22日(日)、乙川の桜城橋(さくらのしろばし)がついに開通いたします。あわせて、中央緑道上に設置される徳川四天王像のうち、酒井忠次像と本多忠勝像の2体の披露式典を行います。
 当日の式典や今後の計画について、1月23日(木)の定例記者会見で発表しました。記者会見で申し上げた内容を以下に掲載します。

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桜城橋の完成
 平成27年度から乙川リバーフロント地区で整備を進めて参りました桜城橋がいよいよ完成し、桜の開花時期となる、3月22日、日曜日、午前10時よりお手元の報道発表資料と添付図面のとおり、乙川左岸・南側の橋の下で完成式典を行います。なお、未だに「橋に100億円」というピントのズレた悪口を言っている人もみえますが、橋の建設費は21億円です。
 報道発表資料の3「内容」をご覧ください。

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 主催者、来賓のあいさつの後、桜城橋の上へ移動し、橋上(きょうじょう)セレモニーとして、明徳保育園の園児さんによる、お祝いの「鼓笛隊演奏」、「テープカット」を行います。続いて、地元の三世代夫婦を先頭にして「渡り初め」を行い「桜城橋」を南側から北側へ向かって「中央緑道」まで移動します。
 移動後、平成27年度に岡崎・石製品・協同組合連合会に石像の制作をお願いしておりました、徳川四天王像のうち、本多忠勝と酒井忠次の石像2体を披露する予定であります。披露した後、橋の上でキッチンカーなどによる飲食物の販売等の準備を行い、12時頃を目安に桜城橋と中央緑道の一部を一般開放する予定です。

 さて、今回完成を迎える桜城橋は、私が市長になりまして、一期目の平成25年度に「ツインブリッジ計画」に代わるものとして、当時の都市計画の専門家、建築家、地元代表等の方々からの「乙川リバーフロント地区・整備計画・基本方針策定のための提言書」において、提案いただいたことから始まってまいりました。

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(平成25年当初の「ツインブリッジ計画」案)

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(平成25年当初の「ツインブリッジ計画」案)

 この橋は、一級河川・乙川に架かる公園橋で、乙川河川緑地の公園・人道橋として位置付けており、ワークショップや市民の皆さんの意見を聞きながら、単なる人が通過するだけの橋ではなく、広場・イベント空間等としても利活用できる橋として、整備を進めてきたものであります。

 それでは次に、報道発表資料の5「桜城橋の概要」をご覧ください。
 橋の長さは、121.5メートル、橋の幅員は19メートルで、橋の有効幅員は16メートル、橋の広さは約2,000平方メートルあります。橋の床面や手すりには、乙川の上流部である、額田地区産材のヒノキ材で装飾しております。
 また、主要回遊動線「QURUWA」の重要な役割を担っており、名鉄・東岡崎駅がある、乙川左岸地区と、岡崎公園や中心市街地など、乙川右岸地区を結ぶ動線としての機能を果たすこととなります。そして、橋にはイベントや飲食・物販ができるよう電源設備なども用意しており、多種多様な形態で、橋の上を広場としてもお使いいただけます。
 この点については、今年度、パークPFIにより民間事業者を募集しており、来月末には事業者が選定される予定で、公民連携による橋上広場の利活用が促進されることを期待しています。
 さらに、この4月7日、火曜日には、東京2020オリンピックの愛知県内の聖火リレーのコースとして、大手門から、岡崎城、伊賀川、乙川の河川敷を経由し、桜城橋をゴールのセレモニー会場としての活用が予定されていると聞いております。

徳川四天王像披露式典
 次に、国道1号の南側の中央緑道に、岡崎の石工業の力と技の結晶として、新たに設置・披露する徳川四天王の石像2体についてであります。
 まず、石像を設置する場所についてですが、桜城橋の手前から「本多忠勝像」、その奥に「酒井忠次像」の順に設置されます。徳川四天王像には、家康公が天下を獲るまでの歴史を理解するきっかけとなるように、各武将の歴史的に有名なエピソードを基に、その勇姿を再現しております。
 「本多忠勝像」は、1572年、「一言坂の戦い」において、家康は隣国の武田信玄の大軍に出会い、当時の本拠地・浜松城に引き返した際に、本多忠勝が殿(しんがり)を務めて、追撃してくる武田軍を自慢の槍で食い止めました。その際に、敵軍武田軍から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭(からのかしら)に本多平八」と言わしめたエピソードを基に、本多忠勝が敵陣に攻め入り、威嚇した馬上の勇姿を再現しております。
 「酒井忠次像」は、1572年、「三方ヶ原の戦い」で、家康は隣国の武田信玄に大敗し、当時の本拠地・浜松城に逃げ帰った際に、城内が意気消沈する中、一計を案じた酒井忠次は全ての城門を開いて かがり火を焚き、櫓の上で太鼓を打ち鳴らす奇計で敵方にワナと思わせ、難を逃れたという謂(いわ)れのある「酒井の太鼓」のエピソードがあります。実際は味方を救うために行ったとも言われております。このエピソードを基に、酒井忠次が太鼓を打ち鳴らす勇姿を再現しております。
 以上の石像2体が、3月22日にお披露目となります。

 なお、「榊原康政像」「井伊直政像」の残り2体につきましては、今年の12月には、国道1号北側の中央緑道に設置し、同じく皆さんにご覧いただける予定となっております。その際に改めて式典は行いません。よろしくお願い致します。

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 私といたしましては、昨年の11月に本市の新たなシンボルとしてお披露目した、「若き日の徳川家康公の騎馬像」とともに、「徳川四天王・石像」が新たな観光スポットとなり、家康公が天下を獲るまでの活躍を知ることができる「四天王路(してんのうじ)」として、広く周知されていく事を期待いたしております。特に本市の子ども達が、家康は一人で天下をとったわけではなく、天下統一は四天王に代表される三河武士の団結力の成果であることを学ぶ場であってほしいと思っております。

 これまで全市的に手がけた事業が次々と実現を迎え、近い将来、間違いなく、本市の景観や人の流れも大きく変わってまいります。その第一歩となります、乙川リバーフロント地区の整備がこのように順調に進んでいることは大変うれしいことであります。
 また、これらの施設は、ただ形を作って終わりではなく、出来上がった空間を活用して、いかにまちの賑わい・新しい暮らし方・楽しみ方を生み出すということが大切と考えており、私は、むしろこれからが本番と捉えております。この先、乙川に面する建築物を建て変えする際には、統一した景観デザインを取り入れ、1階部分に店舗を誘致していただくことや、QURUWAエリア内に、新たにマンションやオフィスビルを建設する際には、1階は、店舗など、まちに開かれた空間にすることが必要ではないかと思っており、これを誘導する施策について検討したいと考えております。
 今後、ますます、市内の事業者の皆様と連携を深め、事業の展開しやすい環境づくりを一層すすめるよう、公民連携によるまちづくりを展開してまいります。


*紹介した新聞記事は、『中日新聞』2020年1月24日(金)西三河版の「QURUWA乙川リバーフロント」です。中日新聞社から許可を頂きました。

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