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2019年11月14日 (木)

「若き家康公・騎馬像」完成!

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 令和元年(2019年)11月2日(土)。
 心配されていた天候もカラリと晴れて青空となった。
 平成24年(2012年)の市長選挙以来、公約の一つとして唱えてきた「若き徳川家康公」の騎馬像が、岡崎市の表玄関である東岡崎駅の駅頭に屹立する日を迎えることになった。
 ペデストリアンデッキの中央部分に設置されたのは5日前のことであるが、当日私は東京出張中であり、実際に完成体を見るのは本日が初めてであった。設置後、本体は白布に覆われていたため、市民のほとんどにとっても初お目見えのこととなる。

 朝10時、東岡崎駅前広場の特設テントで記念式典があり、そのあと駅の3階東口に移動しペデストリアンデッキ開通のテープカットを行った。続いて家康公像の除幕式へ向かい、「オト リバーサイドテラス」のグランドオープン記念式典と「岡崎ジャズストリート2019」のパレード及び開会式に出席することとなっていた。

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 岡崎市民にとっては言うまでもないことだが、実際に家康公が岡崎にいたのは生誕から7歳までと、桶狭間の合戦で敗れ、帰城した19歳から29歳で浜松に移るまでの17年間のことである。
 永禄6年(1563年)に松平元康から家康に改名しているため、その故をもって「家康は岡崎で二度生まれた」と言われている。ようやく独立できたものの、当時は西に織田、東に今川、北に武田という大国にはさまれた小国、三河岡崎の国主に過ぎず、その頃の家康公が天下取りを視野に入れていたとは思えないが、少なくとも三河衆の頭として岡崎の安泰を図るべく懸命の努力を始めたことは十分考えられる。
 桶狭間で敗れ、大樹寺にある松平家代々の墓前で割腹して果てようとしたところ、貫主の登誉(とうよ)和尚に諭され思いとどまり、「厭離穢土、欣求浄土」(おんりえど、ごんぐじょうど)の言葉を頂き、再起を期して立ち上がったと言われている。成功者の人生はとかく美しい物語として伝えられるものであるが、岡崎城に戻って三河衆と共に再起を図ったことが後の大成につながったことは間違いないであろう。
 応仁の乱以来200年続いた戦国の世を、信長、秀吉に続き平定し、徳川幕府の開幕まで成し遂げたことが264年に及ぶ泰平の世を現出することにつながったのである。
 実際に我が国の伝統、文化、習慣、日本人の国民性に至るまで、現在日本的と言われるものの多くは江戸時代の安定した社会の中で体系づけられ、完成したものと言われている。そうしてみると、明治維新による体制の大転換があったとはいえ、岡崎において郷土の偉人であり英雄でもある家康公のこうした像を建立するのは遅すぎたことかもしれない。

 だが、今、実際に目の前に立ち上がった騎馬像を目の当たりにして、そうした想念はどうでも良いような気がしている。

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 確かに、現実に岡崎にいた頃の「若き家康公の像」の建立を訴え、先頭を切ったのは私であったが、同じ思い、考えの方はたくさんみえたはずである。ことに計画が始まってから、実に多くの皆さんの智恵と熱意、協力を得て、この事業は動き出したのである。
 それらの一つ一つを思う時、まさに感謝、感謝である。1億円を超える浄財はその証しである。
 今、実際にオープニングのこの瞬間を迎えてみると、喜びと共に何か不思議な感慨で胸が一杯になってくる。本当に出来あがったのだ。
 「駅前に家康公像を造ろう」と自ら言い出したものの、当初は「仙台の伊達政宗公の像に負けないものを」というくらいの漠然とした思いであった。

徳川家康公像デザインコンクール

 平成27年(2015年)秋にデザインの選考とPRを兼ねた「徳川家康公像デザインコンクール」を開き、制作者を選出した。具体的衣装についての時代考証を重ね、馬については見映えを重視し、「サラブレッドで」と考えていた。寄附金についても「なんとか総額の半分くらいは集めたい」といったものであった。
 こうした基本プランをもとに、担当部局、各界の識者、経済界の皆さん、地元代表の方々のそれぞれ持てる力を結集し、智恵を出し合って頂き、今日を迎えることができたのである。
 何より嬉しいのは、制作費のほとんどが多くの企業や個人の方からのご寄附により賄えたことであり、まさに岡崎人の真心によって建てられた像であることである。制作費1億2204万円(本体6,912万円、台座5,292万円)に対し、今年の10月末時点で、1億413万円の御寄附を頂いた。短期間で1億円を超える御寄附を集めることができたのも、岡崎が徳川家康公の生誕地であることを誇りに思う、市民の方々の強い愛郷心があればこそである。

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 ペデストリアンデッキは平成29年度から工事に着手し、完成までに約3年の年月を要した。特徴としては、東岡崎駅を出た人が、家康公像を見ながら徐々に像に近づけるよう通路部分は緩やかなカーブを描いている。
 さらに景観上の工夫として、風景の中で過度に浮かび上がらないよう、橋桁の塗装を落ち着きのあるダークグレーとし、加えて家康公像周辺の舗装には白色の御影石のタイルを使用することで、美しく均質な設(しつら)えとした。多くの人々に御活用頂き、愛される場所となることを大いに期待している。

 制作者の神戸峰男(かんべ みねお)先生におかれては、これまで4年間にわたり、精魂を傾けて騎馬像の制作に携わって頂いた。

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 総重量5トンものイタリア産粘土を御自身の手により一から造り上げられ、鋳造の段階を経て、現場での組立てまで全力で取り組んで頂いた。まさに渾身のライフワークとも言える傑作であり、これから百年、二百年、それ以上に岡崎市の看板として駅頭に立ち続けるであろうことを願っている。また、困難の多い鋳造とボルトによる組み立てに関わって頂いたムラセ銅器(岡崎市羽根町)の皆さんにも感謝したい。
 これでようやく、〝徳川家康公・生誕の地〟として胸を張れることになった気がしている。

 私のつたない計画を認めて頂き、「徳川家康」「厭離穢土欣求浄土」の題字を自ら書いて下さった德川恒孝様、神戸峰男先生、寄附をして頂いた多くの皆様、長い間御尽力、御協力を頂いた皆々様に重ねて感謝を申し上げるものである。本当にありがとうございました。

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