モンゴル訪問記 11.モンゴル抑留、26日の夕食会
モンゴル抑留
すべての公式日程を終えた我々は、さわやかな気分でウランバートルの市街地へと足を進めた。渋滞する夕暮れの道を車で移動するよりも歩いた方が早いということで、ホテルの夕食会場に向かった。会場にはモンゴルの経済界の要人も招かれているという話であった。
中心街には外資系の新しい高層ビルが点在するが、ビルの多くは4~5階建てで、社会主義時代にソ連邦の指導と援助の下に造られた建物のようである。また、表通り沿いにある大きなモンゴル国立歌劇場は古めかしくも凝った装飾に彩られた立派な建物である。
司馬遼太郎氏の『モンゴル紀行』によると、どうやらこうした建物の多くは戦後抑留されていた日本兵を動員して建てたものであるらしい。モンゴルに抑留されていた1万2千人あまりの日本人のうち、1600人が亡くなっている。これは決してモンゴル国に対して文句を言っているのではない。当時モンゴルはスターリンの政策には従うしかなかったのである。
いずれにせよ日本は先の大戦に敗れたために一部の国から必要以上に過重な要求をされることになった。
確かに古代であるならば、敗戦国は勝者に対して「問答無用」で服従しなくてはならなかった。近代から現代にかけての戦争の裁定は国際法の下に行われるようになったが、太平洋戦争の敗戦の混乱期には日本人の方もかなり非人道的な扱いを受けている。そうした事実をなぜ我が国はもっと広く発信していかないのだろうか? 戦後長らく相手国の人間を抑留して食べ物も満足に与えず重労働に使役するというのは完全な国際法違反である。共産主義の信奉者は常々、立派な理想主義を唱えているが、実際に歴史のページをめくってみると、御都合主義で自分勝手なことをたくさん行ってきている。しかも都合の悪いことは決して認めようとはしない。我々はそのことを忘れるべきではない。
26日の夕食会
市役所から15分ほど歩いた我々は夕食会の行われるホテルのレストランの別室に通された。会場にはモンゴルアーチェリー協会のツァガン会長はじめ、日本で言えば経団連のようなモンゴルビジネス評議会のバヤンジャルガル・ビャンバーサイカーン議長も同席されていた。
公式日程がすべて終わったため、夕食会はなごやかな雰囲気の中で行われた。私もこの日は朝から緊張の連続であったため、まさに肩の荷を下ろした気分であった。
来春に行われるモンゴルの国政選挙には、エルデネボルド副会長が立候補することを本人の口から聞いていたが、どうやら大統領の要請で、ツァガン会長も再度の出馬ということになりそうである。ツァガン会長の場合、経歴から考えると当選後即入閣となりそうである。今回我々はモンゴルの国政の中核を担う人々のもてなしを受けたことになる。
「あなたも来秋には選挙があるそうで、我々もできる限りの協力をします」と温かい言葉を頂いたものの、日本の法律では外国人の選挙応援や支援を受けることはできないため、その旨を伝え、気持ちだけ頂くことをお話し、お礼を申し上げておいた。ところが帰国後何気なく調べてみたところ、選挙運動をすることは問題がないようであった。そう言えば、私もかつてアメリカ人の友人に選挙の応援をしてもらったことがあった。
様々にフランクな話が続き、その間に中国やロシアの習慣の影響であるのか「トクトイ!」(乾杯)と13回も杯を上げることになった。もちろん私はこの習慣にまともにお付き合いすることはできないため、もっぱらジュースやお茶で応えていた。ここでは酒の苦手な人は初めからそのことを相手にハッキリと伝えておいた方がよい。
モンゴルビジネス評議会のバヤンジャルガル議長はモンゴルに対する日本の投資やビジネス環境について具体的な話をされた。ビジネス評議会には、国内企業はじめ数多くの世界の企業が加盟している。三菱UFJ銀行や日本大使館もそのメンバーとなっている。
バヤンジャルガル議長は以前は国営の鉱産企業の代表であり、現在は公共公益施設エネルギー関連企業の代表をしてみえる。将来は北東アジア全体をカバーするエネルギー拠点としてのモンゴルの立場を確立したいという夢を語られた。
またツァガン会長は1990年代に自由化に転換した折に日本から大きな支援を受けたことを感謝された。「当時、外国からの支援の60%は日本からのものであり、私達はそのことを忘れていません」と言われ、さらに続けて「モンゴルは平和な国です。大空、太陽、星、草原、風の音、雨などを体で感じてほしい。次回はぜひ御家族でおいで下さい。その時にはゴビ砂漠でラクダに乗りましょう。確かにあなたも私も忙しい身です。しかしあなたが再訪される時には必ず時間をつくります。そのためには来秋の選挙はぜひガンバって下さい」と私を励まして下さり、「再選に乾杯!」と杯を上げられ大笑いとなった。
最後に私から岡崎の伝統工芸品の一つでもある「かぶら矢」の飾り物を贈呈し、先方からはモンゴルの馬頭琴の本物がプレゼントされた。(この「馬頭琴」は市役所1階のホールで「名誉記章」や「市のスプーン」と共に展示されているのでぜひ一度御覧下さい。)
宴席は夜の8時過ぎにお開きとなり、市内視察ができなかった我々はデパートが10時まで営業していることを知り、オミヤゲ物の購入のために近くのデパートへと案内された。
そこで驚かされたのはオミヤゲ物のコーナーの一角の天井から体長2メートル以上ありそうな狼の頭からシッポまである毛皮が何匹も吊されていたことだ。首都の中心街のデパートに狼の毛皮が売られているとは思わなかった。現在、世界各国で狼は絶滅危惧種として保護されているが、モンゴルでは家畜を襲う害獣として今も駆除されているそうである。北川氏の話では「この毛皮を家の玄関に吊しておくと、ニオイに怖れをなして絶対に犬が寄ってきませんよ」ということであった。 (つづく)
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