スウェーデン訪問記 7.ストックホルム日本商工会と日本大使公邸
(ストックホルム日本商工会にて。樗木健一会長を訪問)
私達の最終日程は、ストックホルム日本商工会におけるスウェーデンの国内事情の調査と市内の再開発プロジェクトの視察、そして日本大使公邸の訪問であった。
スウェーデンは北ヨーロッパのスカンジナビア半島に位置し、北東にフィンランド、西にノルウェーの二国に挟まれ、南西のカテガット海峡の向こうにあるデンマークとは歴史的に長く対峙してきた。バルト海の向こうには大国ロシアとドイツが控えるという地政学的条件にある。そのため、スウェーデン王国は昔から近隣の国家との軋轢が絶えず、領土や国境も度々変わることになった。
近代に入り、立憲民主国家の体制に移行し、ことに1974年の憲法改正以降は国王に官吏任命権が無くなり、日本と同じように象徴君主制の形となってきている。
政治的には、1932年のスウェーデン社会民主労働党(社民党)政権成立の折に武装中立政策をとり、第一次、第二次の両世界大戦を回避することができた。大きな戦禍に巻き込まれずに社会インフラを維持できたことが、その後の安定した経済発展につながったものと考えられる。(しかし、いったん廃止された徴兵制度が2018年に復活している。)
言うまでもなく、スウェーデンは世界に冠たる福祉国家であるが、前述した如く男女共働きを前提とした社会づくりを行ってきたことによって、出生率の維持と人口増を達成できている。
人口1千万人規模のコンパクトな国家であったことにより、国民の意志の統一が図りやすく、国のトップダウンの政策を短期間のうちに実現でき、社会システムの変革がスムーズに行われてきたことが、これまでの経済的成功と社会の安定の基となっているように思われる。女性の労働環境、子育てシステム、教育、税金のあり方については学ぶべき点も多いが、それを日本の社会で実現するためにはそれなりのアレンジが必要であろう。
また、ストックホルムは、現在大規模な再開発事業にとりかかっており、かつての港湾地区、隣接していた旧工業地帯の跡、そして外国からの流入者によりスラム化した下町地帯などで集中的に都市再開発を行っている。(難民の大量流入は犯罪の増加、治安の悪化をはじめ社会システムにも影響を及ぼしている。)
跡地に新築された集合住宅地域は、美しい市街地を形成すると共に新しく機能的なシステムが設置されている。これまでゴミ収集車によって一括回収されていた各種生活ゴミを5~6種に分別し、曜日、時間帯によって車を使わない回収を始めている。そのユニークなシステムは、地下埋設されたゴミ専用収集管を使って行われる。ゴミの種類で収集、日時を分けて同じ管を使い、空気圧の差を利用しゴミ袋のまま時速40~50キロのスピードで各終末処理場(再生場)へ風送されるという。
燃えるゴミは岡崎市と同様に、そこで生まれる熱が電力源として再利用され、周辺国のゴミも有料で処理し、電気を売電しているという。
夏季はバルト海の深層水をくみ上げ、そこから得られた冷気をビル等の冷房に活用している。原子力発電所の廃棄物はきちんと鉛で密封処理し、地下1万メートルの岩盤の中に収容している。将来、合理的な処理方法か再利用の方法が発見された時にちゃんと使えるように考えられているのである。
このようにあらゆることに合理的な資源利用・再活用の試みがなされている。
ストックホルム中心街にある世界貿易センタービルの5階にある「ストックホルム日本商工会」において、樗木(おうてき)健一会長さん達の説明を受けた我々は、その後現地視察を行った。そして50周年にわたるウッデバラとの友好関係に対する御褒美のような形で、日本大使公邸での昼食会に招かれることとなった。その理由は前述してあるので省かせて頂く。
日本大使公邸はストックホルム郊外の高級住宅街の一角にあり、バルト海につながる入江沿いの道路に面していた。瀟洒(しょうしゃ)な3階建ての洋館は旧貴族の邸宅を改装したものだと言う。防犯カメラのついた鉄格子の門があり、テニスコート付きの奥行き50メートル、幅100メートルほどの芝生の庭が続いていた。
護衛官の許可を得て、写真を撮りながら邸内へと歩を進めることとなった。廣木重之・特命全権大使のような立場の方は、スウェーデン国内はもちろん、全ヨーロッパ地域における様々なVIPと会談をすることが多く、こうした公邸が必要とされるのである。決してぜいたくをしている訳ではなく、施設のあり様そのものが日本という国家の存在を代弁しているのである。
玄関から入ってすぐ右手にある応接室でウェルカム・ドリンクのサービスを受けた我々は、ほどなく階下にあるホールに設営された会場に通された。由緒ある建物を改修したとのことであり、まるで映画に出てくる晩餐会のような雰囲気であった。
一人一人の席には日本政府を表す桐の葉のマークと共に個人名入りのネーム・プレートが配置され、同じく桐の葉のマーク入りの食器と同じマーク付きの箸、袋に入った割り箸が配膳されていた。
次々と運ばれてくる料理は我々が日本の料亭で頂くようなまぎれもない正統な日本料理であり、よく見るとお品書きには夕食会との文字が記してあった。昼過ぎの御招待であったため、ランチ・メニューを予想していたのであるが、正式なディナーであった。聞けばコックさんは日本人ではなく、長年日本食を作り続けているタイ人の方であった。
正式な日本料理の専門学校を卒業し修業をされてきた方で、長年外務省の海外公館のコック長をされてみえたそうであった。日本料理の神髄を極めるために、香辛料を多く使うタイ料理は食べないばかりか料理もしないそうである。外国人であってもこういう料理人もあるのである。さすがにこの日は、前日に日本食モドキに腹を立てていた某氏も笑顔で箸が進んでいた。
大使館の方にこっそりお聞きしたところ、「地方議会の関係者や一般人をこうして招待する例は珍しく、こちらの大使館では初めてのことである」とのことであった。改めて歴代の市長ならびに関係者の友好親善の努力に対し、頭の下がる思いであった。なお、これまでの50年間で岡崎市からは332人、ウッデバラ市からは271人の市民が相互訪問をしている。
今回私達が体験することのできた貴重な経験と学んだ知識は、今後しっかりとさらなる両市の親善関係と両国の友好のために反映できるよう努めていきたいと思う公式訪問であった。(完)
なお「スウェーデン訪問記」は、『東海愛知新聞』に2019年1月22日から29日までの間、「姉妹都市ウッデバラ訪問記」のタイトルで連載されました。
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