スウェーデン訪問記 2.ウッデバラ市到着
岡崎市と姉妹都市であるウッデバラ市は、スウェーデンの西海岸にあるヴェストラ・イェータランド県の中心都市である。首都ストックホルムの西方400キロにあるスウェーデン第二の都市イェーテボリから車で1時間ほどの距離にある。
そもそも岡崎市との縁が始まったのは、外務省を通じてヨーロッパにおける福祉モデル都市との友好提携先を探していた本市に、駐日スウェーデン大使館より、同じ花崗岩の大地の上に発展し、石材業を伝統産業とするウッデバラを紹介されたことによる。
スウェーデン語で「ウッデ」は「岬」、「バラ」は「壁」を意味し、その名の通り、美しいフィヨルドの入江の奥にある町である。
今から40年前、アメリカでの勉強を終えた私は、日本への帰国の経路として、インディアナ州の隣のイリノイ大学が主催していた「ヨーロッパ周遊・バスの旅」に参加していた。多くのアメリカ人学生とバスでヨーロッパ各国を2ヶ月間巡る旅であり、当時日本人は私一人であった。
その折、日本に報告電話をしたところ、ちょうど姉妹都市提携10周年で、ウッデバラを訪問してきたばかりの市長である父から、「ウッデバラにも行くように」という要請が出たのである。
(スウェーデン国王、内田喜久市長)
当初、北欧へは、ノルウェーのオスロとベルゲン、スウェーデンのストックホルムの3ヶ所を訪ねるつもりでいたが、ロンドンでアメリカ人の仲間達と別れ一人旅となったこともあり、ウッデバラも訪れることにしたのであった。その後、フィンランドからソビエト連邦(現ロシア)に入り、シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断し、ナホトカから横浜に単身帰国した。
私にとって、ウッデバラはその時以来40年振りの訪問である。前回は、ベルギーから列車に乗ったところ、デンマークからノルウェーへは、私の車両だけ切り離され、フェリーに乗せられた。そのことを夜中に車両のユレと波音で気がつき驚いたこともなつかしい思い出となっている。今では大陸回りの高速鉄道が走り、飛行機の便数も増えているため、海上コースはないとのことである。
今回私達が到着したウッデバラのホテルでは、日の丸の旗がスウェーデン国旗と共に掲げられていた。さらに翌朝、市内の沿道にも50周年を祝う日の丸の旗がいくつも飾られており、先方の丁重な歓迎ぶりに感謝すると共に、おもてなしのあり方を反省するものとなった。
(ウッデバラ市旧市庁舎)
初日は日本からの移動のみであったが、2日目は早朝より友好の翼のメンバーの方々と合流し、共に旧市庁舎へと向かった。岡崎の伊賀川のように、市の中心を流れ、大きさも同様なベーオン川という川があり、その横に細長く続く公園を歩き続けると、王の広場が見えてくる。町の中心にある広場を公共の建物や商店が取り囲むように発展してくるという、ヨーロッパによくあるスタイルである。石畳の中央にはこの地のスウェーデン支配を確立したカール10世グスタフ国王とエリック・ダールベリー伯爵の騎馬像が建っている。
40年前にも同じ場所に来たのであるが、当時は知人の一人もなく、赤い屋根と白と黄色にぬり分けられた旧庁舎の写真を撮りながら、帰国するまで何の建物か分からなかったものだ。訪れた日が日曜日であり、ほとんどの店が休みであったことも不運であった。そのために旧庁舎に入り、内部の様子を見るのは今回が初めてのことである。現在、市役所としての機能は、別の場所に建てられた新庁舎に移っており、旧庁舎は式典や重要な会議を行うときに使われているという。
二階にあるバロック風の格式あるつくりの部屋に通された我々は、長テーブルを挟んで対面してイスに座り、代表者のあいさつと共に、相互にプレゼントの交換を行った。(この時の様子は、翌朝の地元新聞の一面で大きく紹介されることとなった。)
(旧市庁舎2F大会議室)
この部屋は、会議室としても使われており、我々に先立ってこの地を訪れた中学生訪問団の来訪時にも歓迎会の場として使われたそうであった。
スウェーデンは1808年~9年の第二次ロシア・スウェーデン戦争以来、200年以上戦争をしておらず、地震もほとんどない安定した地盤のおかげもあって、各地にこうした古く由緒ある建物が多く残っている。
(寄贈した絵画の前で。アルフ・ギルベリ市長と)
市長主催の船上レストランでの昼食後、午後には岡崎市から贈られた「早春の岡崎城」という岡崎城と満開の桜を描いた女性画家(鈴木由紀子氏)の絵を、友好50周年の記念品として贈呈する式典を行うためにボーヒュスレーン高等職業・教育センターに出向くことになった。絵は中央ホールの壁面に黒い布で覆われていた。
ここで我々のためにミニ演奏会が行われたのだが、日本の曲として演奏された曲が中国の二胡の曲であったことは、ご愛嬌であった。
日本の我々がこうしたことを行う時には、しっかりと下調べを行うものであるが、直接日本と関わりのない一般の人にとっては、日本と中国の違いは、ムーミンを共有している北欧の三国の違いと同じくらいの認識なのかもしれないと思ったものである。
いずれにせよ、今回岡崎から贈られた岡崎城と桜舞い散る春のうららかな情景を描いた絵画は、そうしたボタンの掛け違いを払拭する素晴らしいものであった。
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