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2019年1月 6日 (日)

東宝スタジオ、平泉成氏訪問

平泉成さん

 昨年12月14日(金)、写真家・竹内敏信氏に続いて今一人の額田出身の著名人、俳優であり、第1回岡崎市民栄誉賞受賞者の平泉成(ひらいずみ せい)氏を訪ねることとなった。今年の家康行列において、徳川四天王の長老、束ね役であった酒井忠次公として出演して頂くため、平泉氏に正式に御挨拶に伺った次第である。
 私は安倍晋太郎代議士(晋三総理の父)の秘書時代、世田谷区の豪徳寺というところに住んでいたが、同じ世田谷区の成城にある東宝スタジオには一度も行ったことはなかった。そのため今回訪れてみて「こんなに近くにあったのか」と驚いたものである。

 東宝スタジオは小田急線成城学園前駅からほど近い所にあった。現在は市街地の一角となっているが、かつては東宝砧(きぬた)撮影所と呼ばれ、当時は田畑の真ん中にあったそうである。
 タクシーを降りた我々を迎えてくれたのは、入口正面にある高さ2メートルほどのゴジラのモニュメントであった。左手にある建物の壁面には、黒澤明監督の名作、『七人の侍』の有名なポスターが大写しに描かれていた。

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東宝スタジオ、七人の侍

 正面玄関を抜け、建物の2階にある来賓応接室に通された。途中、壁に掛けてある写真のパネルに東映の看板スター、高倉健さんを発見した。かつて東宝、東映、日活、松竹、大映という大手五社は昭和30年代の映画全盛の時代にはしのぎを削る競争をしており、自社所属の俳優を他社の映画に出演させることはほとんどなかった。
 しかし有名俳優(三船、石原)が独立プロとして映画の自主製作を始めるようになり、昭和40年代のTVの時代を迎え、そうした規制も有名無実なものとなっていったと記憶している。
 東宝の重役であった、現在岡崎市の総代会連絡協議会会長の神尾明幸氏のお話では、かつて3000人を超えた東宝の社員も、今や正社員は500人を切っており、実際の映画製作の多くは下請けのプロダクションが行っており、本社の仕事は編集作業と広報が中心だそうである。

 忙しい撮影の合間をぬって、平泉氏はかけつけて下さった。
 岡崎市が家康公だけでなく、共に戦って新しい時代を築いた四天王や三河武士団にも光を当ててゆく方針であること、その一環として今日、四天王筆頭の酒井忠次公を三河人である平泉氏にお願いしたいことを説明したところ、快く了承して下さった。
 話題は『シン・ゴジラ』はじめ、昨今、平泉氏の出演された映画やTV番組にも及び、改めて平泉氏の多彩な芸歴を知ることとなった。

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 その後、私達はスタジオの中を見学させて頂いた。デジタル化の流れの中、建物のあり様も昔のスタジオのイメージとは随分違ったものとなってきている印象を受けた。それでもある映画のセットでは、古風な洋館がドラキュラの館のようにマニアックに作られていた。もちろん裏に回るとセットであることは一目瞭然であった。
 かつて、大学を出たばかりの新人・加山雄三氏がこの撮影所で父上の上原謙氏(戦前・戦中の大スター)と一緒にベンチに掛けている写真を見たことを思い出し、見回ってみたが、それがどこかは分からなかった。
 多くのスターや撮影スタッフ達が足繁く通った一ノ橋を渡り、場内を一周し、モスラに見送られて帰途についた我々であった。

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 それにしても平成の最後を飾る家康行列で、三河武士の筆頭であった酒井忠次公役を地元出身の氏に務めて頂くことになったというのも不思議な縁である。


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