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2017年10月24日 (火)

友好都市・フフホト訪問記 4.書道交流と富士ファインの挑戦

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書道家交流会
 大草原のパオ型ホテルから帰ってきた我々はフフホト市青少年センターで行われた書道家の交流会に出席した。この10年ほど、岡崎とフフホトの交流は、このところの日中間の国際関係の悪化と鳥インフルエンザ、狂牛病などの影響により滞っていたが、両市の書家の先生方の民間交流はしっかりと継続されていたのである。
 ニューヨークにあるグッゲンハイム美術館のように螺旋(らせん)状の坂道の壁面にしつらえた展示コーナーに、岡崎の子供達の絵や書と共に先生方の書も展示されていた。

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 旧知の間柄である書家の先生方の交流ぶりを端で拝見していて心暖まるものを感じたのは私ばかりではなかったと思う。簡単な式典と記念撮影の後、フロアに用意された墨(すみ)と筆により相互に記念の書を書くことになった。「お前さんも書け」と言われないかと冷や冷やしていたが幸いそれはなく、ホッとしたものである。

 現在この地の書道界の重鎮の一人となっている高延青(コウエンセイ)氏は元フフホト市の副市長で、友好都市提携を締結後、最初の訪問団として岡崎市に来られた方であり、私に対し「一衣帯水」と大書した書を揮毫(きごう)して頂いた。一衣帯水という言葉は、山岡荘八氏の小説『徳川家康』の冒頭に出てくる言葉であるが、現実の東アジア情勢はお世辞にも穏やかな海と言えないことは残念である。
 国家間における関係は時の政治事情によって左右されることもあるが、民間の友情や信頼関係がそうしたものを超えて継続できるということを、今回の書道家の皆さんの交流から教えて頂いた気がしている。

大連へ向けて出発
 フフホト市での公式日程を終えた私達は、予想外の雨とカミナリの中を空港へと向かった。日程を終えたあとの天候の変化は一向に構わないが、今回も概して天候には恵まれた旅となった。
 天候には恵まれたものの、この国の交通機関の正確性は相変わらずアテにならない。フフホトから北京空港へのフライトはまたもや1時間あまり遅れた。おまけに到着した北京空港では、パイロットがゲートを間違えたのか管制塔の誘導ミスなのか、旅客機に乗ったまま空港内を20分あまりドライブすることとなった。
 こんなことは初めての体験であるが飛行機で空港内をぐるっと一周したのである。そのため大連(だいれん)行きの便への乗り継ぎがギリギリとなってしまった。

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 さらに、これまで一度も時間どおりに飛んだことがなかったのに、今回の大連行きは時刻表どおりに飛ぶという皮肉な形となった。時間どおりと言っても、大連到着は午後11時過ぎであり、この国で余裕のある旅をすることはなかなか容易なことではないようである。

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富士ファインの挑戦
 訪中5日目となる翌朝、岡崎から中国に進出している富士ファイン株式会社の工場見学に出かけた。
 かつて岡崎から繊維関係の会社が何社も中国に進出したものの、相次ぐ法律の改正と中国政府の方針変更により、事業の継続を断念して撤退したという話を何度も聞かされたことがある。そのような経済環境の中、天安門事件で大揺れしている中国に進出を決定し、今日まで堅実な事業発展を続けてみえる富士ファイン株式会社の存在には、以前から強い関心を持っていた。

富士ファイン株式会社・大連工場

 富士ファインは旧名「富士電線電器」といい、工業用の銅線を製造してきた会社である。単に銅線を作るだけならば、どこの国でもできそうなことである。国家の都合でルールが変わる不安定な環境の中でこの会社が存続し発展してきているというのは、他の追随を許さない12ミクロンの銅線を作ることができたからである。12ミクロンというのは人の髪の毛の5分の1の細さであり、手に持っても、しかと分からない重さである。
 現在このレベルの銅線を安定した品質で作り出せる技術を持っているのは富士ファインを含めて世界中で2社だけであるという。この銅線を作るための銅も純度の高いモノが要求され、1キロ70万円するそうである。IT時代において小型で高性能のモーターが求められる中、この銅線は不可欠な存在であるという。この製品を作るための専用の工作機械をオリジナルな仕様で作り上げているそうである。

富士ファイン株式会社・大連工場

富士ファイン株式会社・大連工場

 そしてもう一つ、富士ファインが力を入れているのは人材の育成である。
 近年は本国日本においても若年労働者が長続きせず、「3年もたずに離職する者が多い」と言われる中、この会社では創業以来の熟練労働者が多いという。真剣なまなざしで作業に集中している大勢の若い女性労働者の様子を見て、中国人の伝統的生活様式(大家族主義)を理解しながら、働く人ひとりひとりを大切にし、個々の能力を的確に判断し、適材適所の仕事を与えてその能力を伸ばしていることに成功の秘訣があるように感じたものである。 (つづく

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