岡崎城の将来について
現在、河村市長の名古屋城・木造化再建計画によって名古屋市議会は大ユレの様相を呈している。
本物の名古屋城は先の大戦の折に焼失しているが、幸いにも詳細な設計資料や見取図、多くの写真が残っているため、木造の城として日本有数の巨大な城であったこともあり、木造復元プランにも賛同者が少なくないのである。
ただし天守閣を本来の姿に再現することによって確実に不便となる点もある。まず天守閣の本来の機能は戦時物見やぐらである。決して居住性の良いものではない。例えば犬山城を見れば分かる通り、老人や女性、子供や身体に障害のある人達が登るためには難のある施設となるだろう。エレベーターの設置はもちろん、照明や冷暖房設備についてもオリジナルな姿にこだわるほど設置が難しくなる。さらに、これまで鉄筋コンクリート製の城が担ってきた、博物館的機能を併せ持つことも困難になり、別途展示施設を用意する必要が生じる。
専門家に意見を問えば、「木造で再建すれば手入れ次第で400年は持つが、コンクリート製では資材の劣化により100年ほどで再び再建問題を抱えることとなる」という答えが返ってくる。しかし国(文化庁)の審査を受け、国庫補助を得て、木造で文化財としての城を再建するためには数多くの基準を満たさなくてはならない。本物の建築資材と技術力を有した職人を集めるだけでも大変な手間と資金が必要とされる。
文化財的価値があるとは言え、一部の好事家にしか価値の分からない、高価で不便な建物を造ることになれば、「一体何のための再建であるのか」という意見も出てくるであろう。
いずれにしても、岡崎市もあと10年~15年もすれば「岡崎城をどうするか」という同様の問題を抱えることになるだろう。
どうするかはその時の岡崎市民の判断に任せることとして、私としてはその時のために今からできる限りの岡崎城に関する資料をそろえておきたいと思っている。その時の市政にしっかり議論して頂き、方針を決めてもらえばよいだろう。終戦間際までは旧岡崎市立図書館に関連資料が保管されていたが、残念なことに岡崎空襲によって全て焼失してしまった。
(明治5年頃の岡崎城。翌年に取り壊される)
(17世紀前半の岡崎城郭図)
そこで市民の皆様にお願いがあります。
岡崎市には旧家も多くあり、今一度それぞれのお宅のお蔵や倉庫を再点検して頂きたいと思います。
先年、福岡町の岩瀬医院のお蔵からは杉田玄白の『解体新書』(ターヘル・アナトミア)の原典が発見されております。ひょっとするとどこかのお宅から岡崎城の設計図や見取図、古い写真が発見されるかもしれません。
四国の高松城も同じ試みで、古い写真が平成17年に発見され、お城の再建へのはずみがついたということですので、岡崎城についても期待しております。ただ残念ながら徳川宗家、四天王の酒井家、本多家、榊原家、井伊家には岡崎城の図面が残っていないとのことでした。
どこかのお宅にそんな資料が眠っていることを期待しております。その節はぜひ市役所まで御連絡下さい!
岡崎城は宝の山 その1 (2014.06.22)
岡崎城は宝の山 その2 (2014.07.04)
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