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2016年5月28日 (土)

能見で能を見る

「羽衣」観世流・近藤幸江

 最初に「能見で能を見る会」のことを紹介された時、誰かがダジャレか軽いジョークとして言っているのかと思ったものである。ところが能見町という町名そのものが、かつてこの地で能や狂言、猿楽などが愛好され、盛んに演じられていたという伝説に基づくものであることが分かった。
 その歴史というのも半端なものではなく、時代を遡ること12世紀のこととなる。ちょうど、平安時代から鎌倉時代にかけて、現在の岡崎城の外堀の一帯で矢作の兼高長者が月に6回ほど能や狂言を催したことから、この辺りが「能見村」と名付けられたことに由来するというのである。
 そうした歴史と伝統があるせいか、岡崎には今も能を愛好し、自らも演じる同好会などが存在する。古(いにしえ)の芸と伝統を愛する方達の情熱と、岡崎市制100周年の記念事業である「新世紀岡崎チャレンジ100」(市民のアイデアと活動を支援する活性化事業)が合体して、今回の事業の実現に至ったのである。

能見神明宮で「能を見る」会

 驚くべきことは、こうした一地方の記念事業としての催しに対し、シテ役の近藤幸江さんを始めとして人間国宝となられた方々が5人も参加して頂いているという事実である。古くから能を愛好した土地であり、能見と名付けられた歴史的経緯があること、今も能を愛好する地元の方達の情熱がそうした最高のプロフェッショナルの心を打ち、共鳴したからではないかと思っている。

 そして今回何よりも驚いているのは、夜、能見の神明さんの境内に2000人あまりの人々が集まったことと、私自身の心境の変化である。「地元でやることだからぜひ来てくれ」という話を受け、忙しいなか無理して出かけたのである。こんなに近くで能を鑑賞することは初のことではあったが、古典芸能について造詣が深いわけでもないため当初は「仕方なしに」という気分であった。
 ところが、挨拶をする都合上いちばん前の席に座らされてから、能の舞台が始まるとともに、その幽玄の世界にたちまち引き込まれてしまった。
 枯れ木のようなたたずまいの(失礼)高齢の方の小鼓の軽い拍子の音、重なるように打たれる鼓の軽快で腹に届く響き、一瞬、場の空気を切り裂くような横笛の高音の鮮烈さ、そうした音の饗宴と対峙する舞の静寂。舞手が高齢者だから動きがスローモーという訳では決してなく、ほんのわずかな挙措動作や顔の傾きに映える光と影の推移の中で、情景描写がなされてゆく。フト我に返り、日本の古(いにしえ)の伝統美の世界に取り込まれている自分を発見して驚いたものである。伝統芸能の力、本物の魅力、そしてそうしたものに共感してしまう自分の心の動き、そうしたことに対して新たな発見があった。

 演じられていたのは「羽衣」という比較的ポピュラーな演目であったが、セリフが古語であるためすべての言葉の意を正確にとらえられたとは言い難かった。
 しかし張りつめられた空気の中、演者の魂が観る者達の体にしみこんでくるような感じがしたものである。舞台の左右にしつらえたかがり火の木のはじける音がより臨場感を高めてくれた。そうした中、静と動の微妙なつながりの舞を見ていると、まるで一つの宗教儀式に参加しているような感慨もわいた。「退屈な時をがまんすることになる」どころか、時間はたちまち過ぎ、異次元の空間のとりこになっている自分を見る〝観劇〟ともなった。

 主催者ならびに地元の方々は、この行事を毎年恒例の催しとして再興してゆく心づもりのようである。

能見神明宮大祭(2016年5月8日)

 同時に行われた神明さんの大祭で町中を練り歩いた、伝統のある山車も含め、本市にある数多くの歴史的文化遺産を活用して、なんとか「モノづくり」に次ぐ経済の柱としての「観光産業」を岡崎に確立したいものだと思っている。
 そうした意味からも今回のような地元主導で始まった、能を活かした取り組みには大いに期待するものである。

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