よそ者と三河者
時に「三河人(岡崎)は保守的だ」と批判的に言われることがある。そこでなぜかと問うと、「よそから来た人間や、異なった考え方を容易に受け入れようとしない」と言うのである。
しかし、そんなことは世界中どこに行っても大なり小なりあることで、特にこの地域に限った問題ではないはずである。〝よそ者の寄り集まり〟の場所である大都市と比べるから、そんな意見が出てくるものだと思っている。
確かに昔から「親子三代以上の付き合いのある人間なら信用してもよい」という言葉を耳にすることがあるが、そんなことは地方に行けばどこにでもある生活の知恵の一つであると思う。
アメリカ合衆国のような移民国家であっても、お客さんとして訪れた人には親切であるが、競争相手の一人として移り住んで来た人間は、大都市でもなければ、簡単に地域社会に受け入れられるものでもない。(第一、大都市は地域意識が薄い。)
以前、ペンシルバニア州の郊外の町を訪れた時に、地元で30年以上開業医をしてみえる中国人医師と知り合ったことがある。彼から「地方では仕事がやりにくいので、アジア人の多いカリフォルニア州へ引っ越すつもりでいる」と言われたことを思い出す。
歴史を振り返るまでもなく、アメリカでは人種や宗教の問題もあり、より複雑であるが、医師のように社会的地位の高い人物であっても、社会適応に困難性がある所もあるのである。
まして日本のように長い定住農耕社会が続き、各地で独自の文化や伝統、郷党(きょうとう)による人脈が育まれてきた国において、大都市圏でない限り、保守的傾向が強いのは当たり前のことであろう。ことにこの岡崎には、徳川家康という人物のもと、三河武士のたぐいまれなる団結力により天下を取ったという歴史的背景がある。そうした伝統がより大きく残っていたとしても当然のことであると思っている。
私の市政になってから推進している、国交省の「かわまちづくり」「歴史まちづくり」事業を機軸とした〝乙川リバーフロント構想〟に対し、「岡崎市民の中には岡崎生まれでない者もいる」と言って批判をされる人がみえる。しかし私は一度もそうした人達を敬遠したことはないし、「市民でない」と言った覚えもない。残念ながら、生まれ育った土地の違いによる、価値観の違いと共通の思いの欠如はいかんともしがたいものがある。それでも、岡崎に住むことによって、岡崎独自の価値の存在は理解してもらえるものと思っている。
私は30年近く、地元で保守政治家の一人として仕事をさせて頂いているが、この仕事ほど地域との密着性の高い仕事はないと思っている。そもそも「保守」とは、文化の一形態であると同時に、政治理念の一つでもある。そうしたものを批判する御仁(ごじん)というのは、そこにその人の思想的立場がうかがえるような気もする。
現に岡崎では、よそからやって来た人の中でも、うまく適応している方々がいくらでもみえる。事業で成功された方、町内の役員や総代、市議となって活躍しておられる方の例もたくさんある。ただしそうした方達は皆、三河(岡崎)の伝統、習慣というものを尊重し、自ら地域社会になじむための努力をされている。
「よそ者」と呼ばれると言って文句を言う人達には一つの共通点がある。それは自分達の考え方、自分達のやり方を強引に通そうとする点である。通すためには、地域の理解を得て多数派を形成しなくてはならない。そもそもそうした手順を越えてコトを運ぼうとするワガママに問題があるような気がする。自分達にある問題点を三河の保守性にすりかえているだけなのである。
誰しも中学校の英語の授業で習うことわざがある。
“When in Rome, do as the Romans do.”(ローマに行ったら、ローマ人のように振るまえ)
これは「郷に入れば郷に従え」ということである。
ところが世の中にはどうしてもこれができない人達がいる。どこに行っても自分のやり方、考え方を通用させたいと思っている。
私がもしよその土地に行って生活することになれば、当然その地方の伝統、文化、習慣、しきたりを尊重して生きてゆくことになるだろう。(もっとも、政治などという面倒なことに首を突っ込むことはないだろうが。)
今、日本全国で様々な「地方創生」の試みが行われているが、それぞれ各地方独自の自然や歴史遺産、文化や先人のなした偉業といったものを「まちおこし」の材料、きっかけ、目玉商品として使っている。もし、そうでない所があればぜひ教えて頂きたい。まず一つの例外も無く、それぞれの地域の特性を活性化の道具として使っているはずである。
そうした試みが保守的で悪いとするならば、そもそも「地方創生」は成り立たないことになるだろう。
私はこれからも三河の伝統や文化に対する自信と誇りを胸に、ふるさとの自然や先人の偉業・遺産と共に、この岡崎をしっかりとPRしてゆくつもりである。
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