21世紀の朝鮮通信使友情ウォーク
江戸時代に行われた朝鮮通信使の足跡をたどり、韓国のソウルから東京までの2000キロを共に歩いて新たな友情を育もうとしている人達がみえる。この試みは「21世紀の朝鮮通信使 ソウル―東京 友情ウォーク」と呼ばれ、今回(4月1日~5月22日)で5回目を数える。これまでに東日本大震災の年を除いて4回完遂されている。
ことに今年は日韓国交正常化50周年の年であり、また朝鮮通信使の切っ掛けを作った徳川家康公の没後400年という節目の年でもある。そのため今回もメンバーの方達が岡崎を訪問することとなったのである。
このところ歴史認識の違いの問題を抱え、両国関係がこじれたままであり、そうした状況の中で日韓両国の心ある方々はなんとかしたいと考えている訳である。現在のあり方は両国にとってなんのプラスにもならないのである。
5月9日(土)午後4時半頃、友情ウォークの皆さんは岡崎市役所前に到着された。
当日は日本人25人あまり、韓国のかたは十数名参加されていた。ソウルからここまで全行程を徒歩でみえたかたもあり、その健脚ぶりには驚かされるばかりである。ことに韓国側のリーダーである宣相圭(ソン・サンギュ)正使は全5回にすべて歩いて参加しており、誠に頭の下がる思いであった。なお宣会長は理学博士とのことである。
私も岡崎市長として初めて歓迎の御挨拶をし、友好のペナントと朝鮮通信使「ユネスコ世界記憶遺産」登録キャンペーンののぼり旗を受け取ることとなった。
この催しは、楽しく、仲良く「日韓友情ウォーク」を通じて歩いて市民交流の実を積み上げてゆくことを目的としているのである。国同士というものは政治や経済的問題で時にしっくりいかない時もあるものだが、そうした時に安全弁として機能するものが、一人一人の人間関係を通して培われた信頼や友情ではないかと考えている。そのために様々なパイプを通じた複層的交流が重要であると思っている。
かつて、この岡崎にあった〝御馳走屋敷〟という施設は、朝鮮通信使の折にも幕府が正式な迎賓館として使用していたという。そうした由来を知れば、16世紀に秀吉軍の侵攻によって断絶した日本と朝鮮の関係を修復しようと尽力した家康公の意志を継いで我々も何かのお役に立てないものかと考えるものである。
と言っても、友好や相互理解の旗印のもとに相手の考えを鵜呑みにしようと言うことではなく、事実誤認や誤解、偏見や悪意に基づいた意見に対しては、こちらも遠慮せずに正当に議論を戦わせてゆけばいいと考えている。
相互理解とは、必ずしも同じ意見、見解に達することではない。相互のものの見方、考え方において、見解の相違があることを認識し、それがいかなる根拠によるものであるかということを知ることでもあるからである。それに、自分達にとって都合の良い資料だけを根拠にしての話では説得力に欠ける。近頃よく大都市で行われている、感情的憎悪のはけ口のような「ヘイト・スピーチ」はいただけないだろう。
同じモノを見ても、その人の立っている物理的な位置、文化的素養、経験(歴史)、あるいは利害関係や思想的背景によっても、モノの見え方は大きく変わってくるものである。そうした中で、おいそれと意見が一致することなどあり得ないことは、中東とヨーロッパの関係一つ見てもよく分かることである。
不満があるならば、堂々と理性的に、公の場で論証すればいいのである。こうしたことに日本は今まであまりに消極的であり過ぎたと言える。日本人は概して論戦を好まない気質があるが、それは国際関係では通用しない。黙っていることは自らの非を認めたことになるのである。
欧米において盛んに行われている中韓の反日キャンペーンに対して、大人ぶって沈黙を通してきたことも今日の情況を招いた一因であると考える。よって我々は今後、様々な形で交流すると共に、不当な言論に対しては論戦を厭わないという硬軟おり混ぜた姿勢が必要であると思っている。
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