悠紀斎田100周年記念お田植えまつり、無事開催しました
6月7日(日)、長年にわたり、地元六ツ美地区の皆様方とともに岡崎市が準備を続けてきた悠紀斎田(ゆきさいでん)100周年記念式典の本番を迎えた。当日は秋篠宮殿下、妃殿下をお迎えするということもあって、早朝より警察はじめ多くの皆様方に警備、交通整理、式典進行、会場造り、後片付けまで、お世話と御協力を頂き、無事開催できましたことを心より感謝申し上げます。
今さら御説明の必要もないかと思うが、「六ツ美悠紀斎田お田植えまつり」は、大正4年(1915年)に大正天皇即位の際の大嘗祭(だいじょうさい)に新米を献上するための斎田として、旧・六ツ美村(岡崎市中島町)が選ばれたことを記念し、代々受け継がれてきたものである。
不思議なことに献穀を祝う行事がこうした形で毎年続いているのは、大正天皇の時の京都を中心としての東日本の悠紀(六ツ美村)、西日本の主基(香川県綾川町)だけである。他の天皇のときのものがどうして継続されなかったのか定かではないが、あえて考えてみれば、日本が比較的平和であった時代の式典として当時きちんと準備をして行えたものであったからではないかと思う。いずれにしても全国でも貴重な存在となっている。
地元では田植え歌、踊り、装束、用具等は当時の記録と共に地域の宝としてきちんと保存されている。そうしたことが昭和41年の本市の無形民俗文化財指定、そして今日の「地域交流センター六ツ美分館・悠紀の里」における歴史民俗資料室としての展示につながっていると考える。
岡崎市としては今後もこの歴史的・民俗的祭事の伝承に力を注ぎ、御協力を頂いている皆様方に対し、可能な限りの支援をさせて頂きたいと思っている。
当日私はお昼頃、神事の始まる前に会場に出向いた。公用車で駐車場に入ったところ、宮様の車と間違えた御婦人達がかけ寄ってみえたが、私だと分かり、ガッカリして(?)戻っていかれた。
六ツ美地区の小学校・中学校の生徒による踊りと演奏、岡崎城西高校の和太鼓、グレート家康公「葵」武将隊の演武に加え、モチ投げも行われ、田畑と道路に隣接した会場には、地元を中心に鈴なりの人出で大にぎわいであった。
皇族代表として御出席頂いた秋篠宮さま、紀子さまは午後1時半頃、御臨席を賜った。黒とアイスブルーの対照的色調の服装で到着された両宮さまは、車を下りて歩き始めた途端、待ち受けていた市民からの割れんばかりの大歓声を受けられることとなった。やはり皇族は世代を越えた日本最大のアイドルであることがよく分かる出来事であった。
秋篠宮御夫妻は、式典ご参加ののち、歴史民俗資料室の展示を興味深くご覧になってみえた。また子供達の作品に対しても一つ一つていねいに視線を送り質問をされてみえた。私達は同席しなかったが、お田植えまつりの儀式に参加した子供達の代表となごやかに会話を楽しんでみえたことが印象的である。
最後まで会場に集まってみえる市民に対し、ていねいな対応をされ、握手の求めにまで応じておられた。観客のエキサイトぶりに警護の方々のハラハラした様子が見てとれるようであった。
式典には御来賓として、大村愛知県知事、地元の三代議士はじめ多くの公職者の皆様に御参加頂き、改めて感謝申し上げるものである。また、香川県の綾川町からも藤井賢町長、議長さんはじめ、市民代表の方々も40数名おいで頂いた。当日の夜、岡崎ニューグランドホテルでは、実行委員会主催による主基・悠紀両斎田保存会交流会が行われた。
両保存会、有志の方々の御尽力により、長年素晴らしい親交を深めてこられ、日本の稲作文化とお田植えの伝統行事を共に後世に伝承してこられた。
今後とも互いに協力し、さらなる友好と重要な意義をもつこの伝統行事の伝承に向けてお力添えを頂くことをお願い申し上げるものである。
主基斎田100周年記念お田植まつり・ご報告 (2015.07.29)
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