岡崎の国際交流 その1(サウスカロライナ大学2015)
昨年に引き続き、今年も米国サウスカロライナ大学の学生訪問団をお迎えすることとなった。これは私の高校時代の友人で、同じ水泳部仲間であった榊原祥隆(さかきばら よしたか)氏が主催するもので、同大学で教鞭を執っている榊原教授が昨年ビジネス・スクールの学生達を中心に訪日学習ツアーを催したことに始まる。
日本では東京、京都、愛知と訪れ、主に定番の観光コースを巡ることになるが、愛知県においては名古屋、瀬戸、豊田、岡崎が訪問先に組み込まれている。これからは歴史や文化ばかりでなく、産業というものも日本観光の一つの売り物となる訳である。今回も、産業観光に先進的に取り組んでいるトヨタ自動車の組み立て工場とトヨタ博物館を訪れている。仲介の労を取って頂いた太田俊昭市議には大変感謝している。
榊原教授はじめ17名の訪問団は、5月19日(火)、トヨタ自動車訪問後午後1時に岡崎市役所に到着した。昨年同様、学生さん達には市議会の議員席にお座り頂き、私共は議長と一緒に理事者席(注・議長席の左右の席のこと)でお迎えすることとなった。それぞれ歓迎のあいさつ、御礼のあいさつを済ませてから議場で記念撮影を行い、その後市役所内を見学しながら市長室まで御案内した。
前回もそうであったが、学生達は室内の飾りモノや写真に興味津々の様であり、私が出席したクリントン大統領の就任式の写真や、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ブッシュ大統領夫妻(第41代)、安倍晋三総理との写真を眺めながら様々に質問をしてきた。
私もアメリカ留学時代の写真を披露しながら忘れていたエピソードを思い出すことができ、大変なつかしい一時を過ごすことができたものである。
現在もアメリカ全土を網羅する長距離バス・ネットワークが存在するかどうか定かではないが、私が滞在していた38年程前にはグレイハウンド社の連絡網を中心にアメリカ全土を巡るルートが完備されていた。当時私は〝アメリ・パス〟という乗り放題バス・チケット(2週間・1ヶ月・2ヶ月)を使い、長期休みの間日本に帰らず、全米一人旅を繰り返していた。
アメリカ人の上層階級は決してバス旅行などやらないが、この国の社会と人種の縮図をかいま見るためには良い経験であった。イナカ回りのコースでは気のいいアメリカ人と知り合いになれた。都市に近づくと急に黒人の割合が増え、南部に行けばメキシコ系の人々がどっと乗ってくるという具合であった。私のいたインディアナ州から西海岸へ向かう3日半の間、車窓の風景はトウモロコシと小麦の畑がどこまでも続いていた。「よくもまあ、こんなデカイ国を相手にケンカをしたものだ」と思ったものである。またその一帯は竜巻(トルネード)の名所でもあり、それも窓から見ることができたものだった。
シーズン・オフのイエローストーン国立公園に一人レンタカーで乗り込んだ時の話は学生達にバカ受けであった。時に私は、一般のアメリカ人が行かないようなところへも足を運んでいる。夜まで走ってもホテルが見つからず、滝のそばで野宿をしようとしたら、そこがグリズリー・ベア(灰色熊)のエサ場であったことや、真夜中の月明かりの下でコヨーテの遠吠えを聞いたことも、なつかしい想い出である。公園と言ってもイエローストーンは北九州エリアほどの広さがあり、各所に間欠泉が噴き出しており、野生の動物達とも遭遇する山岳地帯である。景色を眺めながら一人サンドイッチをほおばっていたら、周りにリスや鳥が集まってきて白雪姫状態になったことがある(ホント熊でなくてよかった)。その頃の私は刃渡り12センチくらいのナイフを腰にぶら下げていた。森の中で頼りになるのは自分ひとりであったからだ。今も当時の風景が夢に出てくることがある。
私のイスの背後にかけてある犬の写真(アル)に気づいた女の子達から質問を受け、うっかり「彼は嫁さんより大事な犬だったんだけれど、去年17歳半で亡くなってしまい、僕は未だに立ち直れないんだ」と答えてしまった。「しまった! 彼らはアメリカ人だった」と思ったが、意外にも「その気持ち、よく分かる」と慰められた。愛犬家の心情は国境を越えるものであると分かった次第である。
学生の中には美術の知識を有する者もいて、飾ってあるピカソの絵(腕を組んで座る軽業師)を見て、「これは本物ですか?」と訊いてきた。「本物なわけないじゃないか。本物だったらこのビルが買えるよ」と言って大笑いとなった。
その後彼らは岡崎城、並びに岡崎公園と八丁味噌蔵を見学し、東公園の恐竜達と対面してセントレアより帰途についた。
後ほどアメリカから届いた礼状によると、まもなく映画『ジュラシック・ワールド』が公開されることもあって、東公園の精巧な恐竜モニュメントは大好評であったということである。
彼ら一人一人にはオミヤゲとして岡崎のパンフレットと共に観光DVD(英語)をプレゼントし、「帰国後、一人でも多くの知人・友人に見せてPRして下さい」とお願いしておいた。そんな小さな積み重ねが観光岡崎への一助となることと思う。アユの放流のように、彼らの中から日本に興味を持った者が再び来日したり、日本と関わりのある仕事に就く者が現れたりするかもしれない。日本に対して親近感を持ってくれるアメリカ人が一人でも増えてくれれば、我々の努力の価値は十分あると考えている。(つづく)
(昨年2014年のときのもの)
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