
我々が最初に訪れたのは、アムステルダムの都市計画と安全計画管理を担当している事務所であった。古いビルをそのまま利活用しているせいか、古いエレベーターのカーゴに保護扉が無く、うっかりもたれたら壁とのスキマに引きずりこまれそうだ。「身の安全は個人で考えることで、ムダなことに税金は使わない」ということだろうか。壁をこするように上昇していく様子と共に、考え方の違いにまず大変驚かされた。
アムステルダムは北のベニス(伊)と呼ばれるほど水の豊かな、いや水に囲まれた町である。総延長100km以上の運河と約90ほどの島々を1500余りの橋によってつなげて成り立っている都市である。地元では「池にお盆をいくつも浮かべたような町」という表現を耳にした。油断すれば水没してしまうということであろう。
そうした、海に面して位置する都市であるアムステルダムは、用地の有効な活用と干拓による土地の拡張、水路の水質管理(塩分と衛生)、そして海からの自然浸食や高潮対策に常時対応してゆかなくてはならないという宿命がある。また開発行為において自然が失われる場合、替わりに同程度の自然を別に整備することにもなっている。
国際化政策とウォーターフロント計画
アムステルダムはオランダで一番発展している都市であり、歴史的にも憲法上においても首都なのであるが、水害対策のためか、王宮、国会議事堂、官公庁や各国の大使館などはハーグ(デン・ハーグ)にあり、事実上の首都はハーグとなっている。
これまでアムステルダムの発展の基礎は、交通と住宅と経済をうまくコーディネートして活用してきたからだと言われる。さらに官・学・民の三つがうまく連携協力しており、議会、市の職員、各市民団体が協力しながら良い都市づくりを進めているそうだ。
中でも重要なものは「国際化政策」であり、現在、スキポール空港(アムステルダム国際空港)がある市の南街区の再開発に力点が置かれている。
現在でも都市圏の雇用の17%は外国系企業が担っており、多くのヨーロッパ企業の本社機能がここに集まっている。それは労働市場としての条件が整備されており、各種社会的インフラが優れているためであるという。新しく造成した土地が多いため都市計画も合理的に推進できるのである。ここには日本企業も多く進出している。
都市づくりのもう一つの課題が「ウォーターフロント計画」、つまり運河沿いの地域の開発整備計画である。これは1975年から始まったものであり、長期計画のもとに戦略的に開発が進められている。現在、一日25万人が利用している中央駅あたりはかつて古い港湾地帯であったそうだ。その周囲は人工的な埋め立て地であり、150年前には海であった所が今やアムステルダムの中心地となっている。
南部の空港周辺の大型開発地域は「サウスアクシス」と呼ばれ、物流の拠点としての整備が進められている。また同時に第二次大戦以後に建設された古い住宅を修復するプロジェクトも行われているという。
2020年頃には雇用の11分の1はウォーターフロントエリアに集中すると予想されており、市民の8分の1は、このウォーターフロント周辺に住むことになるだろうと言われている。都市計画局では、さらに次世代のウォーターフロント計画を考えており、順次、西に進んでいく方針であるという。
重要な交通路であり、生活の場ともなっている水路や運河の開発、沿岸整備も同時に考えられており、シナリオも複数用意され、港湾局と連携をとりながら実施されてゆくことになっている。港湾地区では、業務用の建物と住宅を混在させる基本方針だという。
日本と違って、毎年の台風や水害の心配がないせいか、水上を利用した住宅(浮き家)や施設の存在が目についた。そのせいか市民生活にボートやヨット、カヌーといった水上スポーツが根付いていることがうかがえる風景を、何度も目にすることができた。
さらに郊外においては、「ゾーン計画」として様々な開発計画が用意されており、それぞれのゾーンには、その地域にあったテーマのもとに整備が進められてゆく。計画では各ゾーンは地下鉄によってリング状に結ばれることになっている。
クォリティーの高いまちづくり
世界遺産に認定された町並みを持つアムステルダム市のまちづくりにおける基本方針は、「クォリティー(質)の高いまちづくり」というものである。それが都市計画と経済発展において不可欠の要素であると考えられている。古い伝統的建造物、新しい建物、公共のスペースという3つの要素の調和を考え、まちづくりは進められているそうである。
「古い建物の遺構と新しい都市計画がぶつかった場合、どちらを優先するのか? 何か基準となる法律はあるのか?」という私の質問に対しては、
「アムステルダムには、伝統的に古い建物をどのように扱うかについて一貫したビジョンがあり、古いものを活かしながら、そこに新しい機能をつけ加えて活性化することに成功している」という答えが返ってきた。
現在、市内には9,000件の歴史的遺産(モニュメントと呼ばれる)に指定された建造物が存在し、古代に建てられたものも、50年前のものも、その歴史的、文化的意義が考慮されて保護の対象として指定がなされているという。
さらに地域全体が保護区とされる「景観保護地域」などもあり、そうした地区では市の認可を受けずに勝手に建物を作ることも改修することもできない。
古い町並みのイメージを大切に、統一感のある景観を残している所もあるが、中には新旧の建物が混在し、かえってそれが美しいコントラストを醸し出している所もあった。
たとえば港湾地域にある古い倉庫は、建物の外観を残したまま、ゴージャスな内装が施された高級マンションに改築されている。また頑丈な大型クレーンのあった土台を壊すことなくそのまま活かし、その上にモダンなアパートを建てているケースもあった。
まちづくりには高いクォリティー(質)が望まれるが、その程度はケース・バイ・ケースであり、地域によっても求められるレベルやその質も異なっているようだった。
話をしていて面白く感じたことは、「建物を修復する場合に、必ずしも同じ形、様式を再現するばかりでなく、そこに新たな美的感覚を加えた機能的な改修を行うことは可能である」という点と、「結果として、その建築や改修によって地域全体の価値が上がるような計画であれば、その計画の実施は認可される」というところである。そうした考え方に、日本的型どおりのお役所判断とは異なった新鮮さを感じたものだ。
このような施策を現実に進めるにあたって必要とされるのは、専門の知見に健全な美意識そして芸術的センスに裏付けられた判断能力である。これは一朝一夕に養われるものでなく、長い歴史と伝統の中でつちかわれてきたものと言えるが、我々もこれから優れたまちづくりを目標とする以上、こうした姿勢と能力を持つ努力をしなくてはならないと思っている。
モニュメント審議会
アムステルダム市には「モニュメント審議会」(建造物審議会)というものがあり、これは都市計画や歴史的建造物の専門家、学者、建築家、デザイナーなど各分野の専門家達で構成されており、こうした方々が市議会で議決された都市計画の基本方針(ケースによっては非常に細部にわたる基準がある)に沿って、審議会としてケースごとに判定をすることになっている。
モニュメント審議会は行政にアドバイスをする立場であるが、そこでの判定が覆(くつがえ)ることはあまりないそうであり、いわば顧問審議会とも言えるようだ。また実施にあたって、大きな計画については地域における周知のための説明会や公聴会が開かれている。
呼び名が違うので新しいように感じるが、考えてみれば、私が市長になってから行ってきた、各種施策と精神も実体も同じであることに気づき、少々力づけられた気がしている。官民連携組織である「岡崎活性化本部」を昨年立ち上げたことや、専門家と市の「乙川リバーフロント推進会議」(計11回)、「乙川リバーフロント部会」(計6回)、「乙川リバーフロント懇談会」(計3回)、「乙川リバーフロント推進部会」(平成26年7月9日より開始)、そして市民対話集会や各地での講演会、アンケート調査などである。
日本でもよくあることであるが、いくらよく練られた都市計画であっても、個々の土地や建物の所有者の考えと、審議会や行政の判断に違いが出る場合がある。このようなケースでは改めて話し合いがもたれることになるが、仮に裁判になっても公共の利益が個人の利益に優先する判決が下されることがほとんどだそうである。
また、「日本では2011年の大震災以来建物に対するルールが大幅に厳しくなっており、古い建物を残すことに困難性があるが、個人の建物を改修する場合、公の補償はあるのか?」という質問に対しては、「オランダでは、建物のオーナーに安全基準に適した投資をする義務が課せられており、特別な補助は一切無い」ということであった。いずれにせよ、冒頭のエレベーターの一件からして、地震の無いこの国において、安全基準は日本より格段にユルイことが推測される。現に町なかで、地盤沈下によって傾いたままの建物が、当たり前のようにそのままに立ち並んでいた。

橋について
もう一つ橋について言及したい。オランダでは、16世紀まで全ての橋は木造であった。水路があるため、その多くが船の通過できるゴッホの絵にあるような跳ね橋であった。17世紀となり、レンガ造りの橋が造られるようになり、有名な丸橋やめがね橋はこの頃の名残(なごり)である。それが19世紀を迎え、産業革命による交通量の増大、自動車の走行や鉄道の敷設によって古い橋は取り壊され、新しく丈夫な、鋼鉄製の平たく広い橋となっていった。その後、歴史と伝統を重視する回帰運動の高まりの中で、跳ね橋やレンガ橋が再建されることもあったが、それは主流とはならず今日に至っているそうである。しかし昔ながらのイメージを保持するために残っている部材を利用して、橋の欄干を昔風に再現してみたり、古びた手すりを再整備(リストアー)してペンキを塗り直して再利用しているそうである。こうしたことは、時間と費用もかかるため、実施には市民の理解が必要とのことであった。

ところでヨーロッパ(特に北欧)でトイレに行く度に思うのだが、男子トイレの小便器の位置が日本のものよりずいぶん高い所にある。飛散防止のための処置と思うが、小柄なアジア人は子供用を使うか、背伸びをする必要があることもある。
街なかでは、身の丈2メートルくらいの男が、180cmはあろうかという女性と腕を組んで歩いている姿を見かけることも決して珍しくはない。オランダでは男子の平均身長が180cm、女子が167cmだそうである。これがかつて古代ローマ人が南下を恐れていたゲルマン民族の子孫達であるのかと改めて思い直したものである。 (つづく)
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