« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »

2014年10月

2014年10月27日 (月)

安倍昭恵さんとミャンマー大学生訪日団

安倍昭恵さん、キンマウンティン駐日大使御夫妻

 10月22日(水)から26日(日)まで、ミャンマー大学生訪日団の皆さんが本市に滞在されました。その最終日の昨日、ミャンマーの皆さんとホストファミリーの方々が一堂に会し、報告会と歓送会が開かれました。総理夫人である安倍昭恵さんの講話があるとのことで、私も御招待頂きました。

 ミャンマーの子供達のために小学校をいくつも作って来られた昭恵さんですが、その切っ掛けは御主人のひとことにあったそうです。当時、子供達の支援をアジアのどこかの国でしたいと考えていた昭恵さんは「どこの国がいいと思う?」と御主人に聞いたところ、晋三首相は迷わず「ミャンマーがいい」と答えられたということです。戦後の賠償問題などまだまだ難しい議論がアジア各国で続いていた時代、父上の安倍晋太郎外務大臣の秘書官だった晋三首相は「最後に訪れたミャンマーだけはそういう難しい話にならず温かく歓迎してくれたことが、今も強く心に残っている」と話されたそうです。

安倍昭恵さん、内田康宏

安倍昭恵さん、松井幸彦先生

ミャンマー大学生訪日団、ホストファミリーの皆さん

―当日の挨拶文―
 本日はミャンマー訪日団の報告会とホストファミリーの歓送会に家内ともどもお招き頂きまして、ありがとうございました。また安倍昭恵夫人ならびにキンマウンティン駐日大使御夫妻も御苦労様であります。
 先日ミャンマーの学生さんたちに市役所を訪問頂きましたが、その日は東海市長会に出席していたために留守をしておりまして失礼致しました。改めて本日、皆様の日本訪問を歓迎致します。
 私の今から16年ほど前の県会議員時代に、ミャンマーを訪れたことがあります。そのときの美しい自然やパゴダと夕陽の風景は忘れがたいものがありました。
 今日(こんにち)、松井幸彦先生の御縁により、岡崎ではミャンマー展は何度も開かれております。また、松井先生の御尽力と安倍昭恵さんの御縁で、毎年古くなった消防自動車をミャンマーへ送らせて頂いております。日本とミャンマーは仏教を通しての共通性もあります。これからは皆さんが新たな時代の両国の架け橋となることを期待しております。
 最後に今回の催しにあたり、お世話を頂きました皆様方に心から感謝を申し上げ、御挨拶とします。

ミャンマー大学生訪日団

|

2014年10月25日 (土)

市長会・蘭仏視察記 1.オランダの概要

Europe2014071414

 東海愛知新聞で6回にわたって連載した「オランダ・フランス視察記」は元の原稿の短縮版でしたので、これから完全版をブログに載せて行きます。 

*****************

 愛知県市長会主催の海外視察が本年より再開されることとなった。このところの景気後退の流れの中で、県議会を除く各地方自治体では自粛傾向にあったが、昨年の夏頃にアンケート調査があり、視察先とテーマを厳選の上、県議会のように報告書提出の義務の上で今年から再開することとなった。
 当初は7月中旬に7泊9日の日程で、独、オランダ、仏の三ヶ国において、①都市政策、②歴史遺産を活かした町づくり、③動物園経営、④農業政策(トマト、チーズ)、⑤環境政策、⑥新エネルギー政策等の主題の元に行われる予定であった。ところが、出発直前となって台風8号の接近を迎え、大型台風到来時に市長不在となるわけにもいかず、ドイツ訪問を割愛し、短縮して実施されることとなった(4泊6日)。

Europe2014map1

Europe201407153

 7月13日早朝、セントレアからルフトハンザ・独航空に搭乗した我々は、12時間半を要してフランクフルトに到着。さらに1時間20分乗り継いで、オランダのアムステルダムに到着した。
 途中フランクフルトでは雷雲発生のため飛行時間より長い2時間待ちとなったが、海外旅行ではよくあることである。それよりも海外のハブ空港(拠点空港)の大きさに改めて目を見張ると共に、空港係員でも電気自動車や自転車を使って移動しているのに、徒歩で荷物を持っての空港内の長距離移動には閉口させられた。(そんなことが気になる歳になったのである。)
 また、飛行機内の自席のテレビにおいて観ることのできる映画について、中国語や韓国語は吹き替えや字幕の設定があるのに、日本語のものが無い映画がいくつも目についた。こんなことからも、本格的な国際ハブ空港(2000m級の滑走路が4本以上ある)を造ることのできない日本の限界、存在感の低下のようなものがうかがえるような気がした。

 翌朝7月14日朝から、今回の最初の課題となった、アムステルダム市の「文化芸術・歴史的建造物等を活かしたまちづくり政策」の調査に出かけた。
 本題に入る前に、オランダとアムステルダムの概要について解説してみようと思う。

 オランダの本来の名はネーデルランド(Nederland)であり、こちらの方が正式名称で、「低地の国」という俗称がその名の由来となっている。人種的にはドイツと同じゲルマン系であり、「ドイツ語はオランダ語の方言である」と言う気概もある。
 古くはローマ帝国の領域の一部として発展し、その後、毛織物貿易や海上交易で栄えてきた。15世紀後半から、一時スペインのハブスブルグ家の支配下に入るも、1568年には独立し、17世紀には東インド地域に進出し、ポルトガルから香料貿易の権限を奪い、一大海洋帝国として黄金時代を築いた。18世紀には英仏との戦いに敗れ、1810年、ナポレオンによりフランスの直轄領とされ、同時に海上の覇権もイギリスの手へと移っていった。
 オランダは大航海時代よりスペイン、ポルトガルと並び世界進出を果たし、インドばかりでなくアジア各国とも関係が深い。日本の長崎にあった出島は鎖国期の江戸時代、貴重な西欧への窓であった。
 第二次大戦中は、東南アジアへ侵攻した日本と戦火を交えたこともあるが、1971年の昭和天皇のヨーロッパ歴訪以降、両国の関係は良好なものとなっている。
 オランダ本土は、12の州の連合体であり、日本の九州とほぼ同じ面積である。国土の多くは13世紀から続く、ポルダーと呼ばれる干拓地が占めている。実に国土の4分の1は海面下に位置し、現在も干拓により面積は広げられているが、各干拓地の間を流れる河川が干拓地より高い所に位置するケースも多く、そのために長大な防潮堤防や数多くの水門や可動堰などが設けられている。1997年に450億円ほどかけて作られた、コンピュータにより自動制御された開閉式で長大なマエスラント可動堰は日本からも注目されている。

Europe2014maeslantkering

 一般に、日本人のオランダのイメージは風車とチューリップ、酪農と運河といったものであるが、実際は様々な産業が発達している。ことに20世紀に入って金属工業の発展がめざましく、近年では石油化学工業が重要な産業となっている。有名なロイヤル・ダッチ・シェルはオランダの石油会社である(かつてセブン・シスターズと呼ばれた七つの世界的石油会社のひとつ)。
 日本と同じく、鉱物資源の多くは海外に頼っているが、天然ガスだけは世界第9位の産出国であり輸出国でもある。
 アムステルダムはそんなオランダの首都であり、最大の都市でもある。国の人口は1,600万人程で、そのうちの220万人がアムステルダム周辺に居住し、さらにそのうちの89万人がアムステルダム市民であるという。

Europe2014071434

Europe201407141

 市街地を見て、すぐ気がつくことはトラムと呼ばれる2~3両連結の市電が幹線道路を中心に縦横に走っていることと、その両側にある車道の外側には自転車専用道路と歩道がそれぞれ設定されていることである。レンガのひかれた自転車道を人が歩いていて事故が発生しても、過失があるのは歩行者であり、補償の対象とはされないそうであるので注意が必要である。
 今私がおこなっている市民対話集会において、時にヨーロッパ滞在経験者と思われる方から、自転車専用道路設置の要望を頂くことがあるが、果たして岡崎のように起伏の大きい土地でどれだけの有効性があるのだろうか? オランダの自転車専用道路は干拓によってできた平たんな地形を前提に成り立っており、そうした長い伝統的生活の中から生み出されたものが自転車を活用とした生活習慣であることを忘れてはならないと思う。
 残念ながら日本にはそうした条件も習慣もないし、社会はこれから自転車に不向きな高齢化に向かっている。第一、道の形状が根本的に異なっており、まず道路を拡幅してスペースをつくる段階で大きな壁に当たってしまう。用地買収の手続き、補償費、道路改良費などを考えただけで気が遠くなってしまう。まず用地買収において、沿道の対象者すべてが協力するという前提が必要となってくるが、それだけ考えても非現実的であることが分かると思う。

Europe201407143_2

 その替わりという訳ではないが、現在岡崎市においては、乙川の河川敷や堤防を利用して中央総合公園へつなぐサイクリングロードと矢作川の河川敷を活用した自転車専用道路の整備を検討している。これは河川改修の進展のよって、さらに延伸も考えている(乙川は将来、額田まで伸ばしたい)。
 トラムという市電形式の公共交通の存在は高齢者にとって有用と思われるが、トラム専用路の設置のため、自動車道がきわめて狭隘(きょうあい)となっているところが目につく。市街地で左右各一車線しか車道がないところも多いようだった。
 果たして岡崎のように家族で複数の車を持つ車社会においてこうしたことが妥当かどうか疑問である。第一、岡崎においてはかつて市電との共存よりも、バスの利便性を選択したという歴史的事実がある。もしどうしてもトラムやトロリーバスを使ったまちづくりを行うとするならば、区域を限定した特区をつくり、その中で様々な実証実験を行いながら拡大してゆく方式が現実的ではないかと思う。しかしそれも土地建物の個人所有の進んでいる昨今、「言うは易し、行うは難し」であると考えられる。
 いずれにしても、アムステルダムの歴史的な町並みと川や橋を活かした町づくりは、これからの岡崎の町づくりの参考になるものと思われる。 (つづく

*****************

(マエスラント可動堰の写真は「Wikimedia Commons」から借用しました。)

|

2014年10月22日 (水)

連合愛知三河中地協・要望書提出懇談会(2014年)

Jtuc201409301

 9月30日、「連合愛知三河中地域(なかちいき)協議会」の幹部の皆様と、来年度予算編成に向けての懇談会を行うこととなった。労働者団体の代表者組織である協議会からの要望書提出と懇談会は、毎年恒例となっている。
 大切な要望活動には必ず出席される中根代議士が国会(臨時国会)の都合で珍しく欠席されたものの、西久保県議をはじめ各市会議員の皆様おそろいの中、各企業労組の役員、教職員組合、市職員組合、市従業員労組などの幹事の方々とお話をする機会を持つことができた。
 議員の皆様とは、議会をはじめ、様々な地域会合などでお会いした折に意見を交わす機会は度々あるのだけれど、組合関係者の方々と直接的に言葉を交わす機会は貴重なチャンスであり、十分に活かしたいものである。

―当日の挨拶文―
『今年の夏は、全国各地で甚大な豪雨災害や土砂災害が発生しており、中でも、広島市では局地的豪雨による大規模な土砂災害が発生し、74人もの尊い人命が失われました。本市も、平成20年8月末豪雨では、2人の方が亡くなる大災害に見舞われ、以後、河川の改修、雨水貯留施設やポンプ場の整備、警報装置の設置など豪雨対策に取り組んで参りましたが、今また、新たな課題を突き付けられた思いであります。
 いずれにしましても、自然の脅威を目の当たりにして、防災はいかに危険を早く知らせ、避難を誘導できるかが重要であることを、改めて肝に銘じたところであります。
 なお、私もお招きに預かりましたが、4月20日、菅生川河川敷で開催されたメーデーでは防災コーナーを設置して頂き、「千人を超す組合員の方々に防災マップや防災グッズについて周知ができた」との報告を受けております。また、東日本大震災被災者への支援活動、応急活動への協力や避難場所の提供など、数々の御尽力に対し、この場をお借りして深く感謝を申し上げます。
 すでに御存じかと思いますが、岡崎駅の南、約1キロメートルにある土地区画整理の区域内に、平成32年(2020年)4月の開院を目指して、藤田保健衛生大学病院が進出することになりました。これにより、市内における医療の地域格差も大きく是正されることになります。さらに重要なことは、市民病院の負担が軽減され、市民病院本来の機能が十二分に発揮できるようになるという相乗効果であります。
 また、平成28年(2016年)1月には重度の心身障害児を療育する「第二青い鳥学園」が、そして翌29年3月には子供の健全な発達を医療面からもサポートする「こども発達センター」がオープンする予定でございます。これにより、本市の医療環境は格段に改善されるものと確信いたしております。

 今般、「乙川リバーフロント地区整備計画」を取りまとめ、来年度からスタートする準備が整いました。これにより、岡崎の豊かさの基盤であった「モノづくり産業」に加えて、観光産業をこれからの岡崎の経済を支えるもう一つの柱として育て上げたいと思っております。
 しかし、一方では、企業の市外流出が続いており、雇用の受け皿となる企業がいなくなる、元気がなくなるというのは本市の活性化にとって大きな痛手となっております。そこで、昨年10月に岡崎ビジネスサポートセンター「Oka-Biz」を開設し、今年4月から工場緑地率の規制緩和を行い、事業環境の改善を図って参りました。残り1区画となった東部工業団地への企業誘致、阿知和地区工業団地構想の具体化など産業基盤の整備充実にも取り組んで参ります。』

―当日の答弁―
『地域の産業振興の強化につきましては、「Oka-Biz」の相談件数が目標の2倍以上を数え、徐々にではありますが、中小・零細業者への経営支援や企業・創業支援に実績を上げております。9月25日には、岡崎信用金庫に続き、日本政策金融公庫とも覚書を締結し、経営相談に関しては「Oka-Biz」を紹介して頂けることになりました。
 また、今年度終了の産業空洞化対策減税基金を財源とする設備投資補助制度につきましては、本市も6社が認定され、支援を受けることとなりました。来年度以降も継続して頂けるよう、県に要請しているところであります。
 雇用の安定と創出につきましては、市内の企業に目を向けて頂く「長期実践型インターンシップ」や、中小・零細事業者の魅力をウェブ上で紹介する「岡崎コレクション」を展開しております。地元企業の魅力を理解して頂き、就職につながれば、と期待するところであります。
 仕事と生活の両立支援につきましては、来年度から、新たに3園で午後7時まで園児をお預かりする延長保育を実施したいと考えております。また、児童育成センターの開館時間を、夏休み期間中は30分早めて午前7時30分からとする条例改正議案を、この9月議会に上程しております。
 高齢者福祉の充実につきましては、本市も高齢化率が20%を超え、超高齢化社会が目前に迫っており、介護サービスや一般高齢者サービスの充実が喫緊の課題となっております。
 本年から地域包括支援センターを2箇所増設して、計14箇所としました。策定中の第6期介護保険事業計画では、高齢者数の増加に見合った地域包括支援センターの増設、認知症地域支援推進員や生活支援コーディネーターの配置なども検討しております。
 地域包括ケアシステムにつきましては、昨年度、地域包括ケア推進会議を発足させました。今年度は、地域包括ケアシステムの構築に向け、着実に前進して参りたいと考えております。
 また昨年度から、見守り支援事業を実施しました。新聞・宅配飲料の販売店、電気・ガス・水道事業者、金融機関、医療機関など、現在200を超える事業者に登録して頂いております。今後も、見守りのネットワークとして拡げて参りたいと考えております。
 現在、社会の情報化が急速に進展する中、子供達が情報や情報手段を主体的に活用する能力の育成が重要となっております。本市ではこの10月に、すべての中学校にタブレット型情報端末を配備いたします。まずは、数学、理科、英語の3教科でICT(情報通信技術)を活用した新たな授業スタイルを定着させ、子供達に確かな学力を身に付けさせて参ります。』

―当日の意見交換―
 意見交換の折に「旧太陽の城の跡地利用問題」についてご質問がありましたので、お答えしました。

『旧太陽の城の跡地利用につきましては、コンベンション(=会議、集会)機能やバンケット(=祝宴、宴会)機能など、すべての業務を担うことのできるシティホテルを誘致することがベストと考えております。その可能性はあきらめておりません。しかし、資本主義というのはシビアなもので、「儲からないこと」は誰もやりません。この事実を踏まえて、現在、セカンドベストの対応策を模索しているところです。
 例えば、コンベンション機能については市で整備し、その他の機能についてはホテル事業者に管理・運営を任せるような、官民が連携した事業計画の可能性を検討しております。
 市内には、「岡崎ニューグランドホテル」「竜美丘会館」「岡崎商工会議所」の3箇所のコンベンション施設がありますが、コンベンションの顧客ターゲットは企業・事業者であります。ニューグランドホテルや商工会議所との競合も予想されるため、顧客の奪い合いを避けられるよう、商工会議所も参加できるような事業計画についても検討を進めております。この事業計画については、ヒアリングした事業者の多くが高い評価を示しており、ホテル誘致の有効な事業計画になるのではないかと考えております。
 いずれにしましても最重要事項のひとつと考えており、早い時期に誘致できるよう、一生懸命やって参ります。』

Jtuc201409302

|

2014年10月21日 (火)

第18回市民対話集会(2014.10.23)のお知らせ

大門学区市民ホーム

あさって木曜日、18回目の「市民対話集会」を行います。事前のお申し込みは不要です。お時間ございましたらぜひご参加下さい。

第18回 市民対話集会
日時 : 平成26年10月23日(木) 午後7時
会場 : 大門学区市民ホーム
対象 : 大門学区の住民の皆様

|

2014年10月20日 (月)

『リバ!』2014年11月号

『リバ!』2014年11月号

秋冷の候、皆様つつがなくお過ごしのことと存じます。内田康宏事務所からお知らせです。
リバーシブル2014年11月号が発行されました。市長のコラムは「大恐竜がやってくる!」です。ブログの「その1」と「その2」を合わせたものが最新号に載っております。

|

2014年10月16日 (木)

ネコは気ままに

内田家の猫 ミー

 最近どういう訳か、満16歳を迎えた婆さんネコ・ミーが、私を夜中に何回も起こしに来るため非常に迷惑している。それも決まって3時から6時にかけての、一番眠りの深くなるべき時間帯にである。
 ネコ・ビスケットを山盛りにして置いておくと、他のネコに横取りされないようにまとめ食いをしようとするためか、吐き戻すことがある。(ウチには他に4匹のネコがいる。) 年をとったせいで若い頃のように消化できないのだろう。
 いずれにせよ、仕事を終えて家に帰った時にはじめにすることが、ネコのゲロ片付けであることほどウンザリすることはない。臭いし、発見する頃にはガリガリに乾いてこびりついている。
 じゅうたんの上で催されてはたまらないので、私の部屋はいたる所に新聞紙が敷きつめてある。そのため他人を招き入れることはできない。何か私に文句でもあるのか、二、三度、フトンの上に吐かれたことがあるが最悪である。洗ってもニオイはすぐにとれない。

 以上の理由で、ミーには一日7~8回に分けて、少しずつエサを与えているのであるが、彼女にはそれが不満であるせいか、私の顔を見る度に「ミャーミャー」と名古屋弁で(?)エサをねだってくるのである。
 また年をとってからの食欲には驚かされるものがある。若い頃よりエサ袋の消費が早いような気もする。ひょっとすると、老人ボケ(?)で食べたことを忘れているのかもと思うことがあるほどである。
 どちらにせよ、かようなことで夜中に何回も起こされる方はたまったものではない。こちらも若い頃とは違って、夜中に一度起こされると次になかなか寝つけないのである。ことにこの傾向はこの夏頃からひどく、おかげでこのところ私は慢性の睡眠不足状態が続いている。
 先方は元々夜行性の動物であり、朝私が出かける頃にはすやすやと寝ている。しかしこちらはそうはいかない。この話をすると「そんなネコ処分しちまえ」と言う人もいるが、生まれた時から面倒をみてきたネコであるし、厳しい女房と我がままな娘、気まぐれな次男にはさまれて暮らしている身としては、唯一の味方をなくす訳にはいかないのである。(すでに、最高の相棒であった愛犬はこの2月にこの世を去り、後任の犬は未だ私に慣れてくれないあり様である。)

内田家の猫 キック

 他のネコはどうかと言えば、ボスネコ・キックは今年で4歳になる。現在もこの辺りを仕切っているらしい。子供の頃から野性味あふれる敏捷(びんしょう)なネコであり、犬をも恐れない根性を持ち、人間が制御できる範疇に収まらない生き方をしてきたため、歴戦の証しとして全身これキズだらけである。(耳も一部欠けている。)なでてやろうとしてさわったり、クシで毛をといてやったりする時に気をつけないと、キズに触れて逆に彼にかまれることがある。
 おまけに度重なる戦いの結果のせいか、このところめっきり元気がなく歳より老けてみえる。奴もかつては車の音を怖がるかわいい子猫ちゃんであったのだ。

内田家の猫 虎男

内田家の猫 虎男

 3年前に母猫とはぐれ、玄関先で情けない声で泣いていたキジトラの子猫であった虎男も、今ではすっかり大人のネコになり、態度もデカく、マイペースのニャン生を送っている。こいつはオスネコのくせに美形であり、そのおかげで我が家の五匹目のネコになりおおせたようなものである。今までも養子の話は何度もあったが、私と妻のお気に入りでもあり、娘のネコ達と一緒に育ったため娘もかわいがっており、そのままこの家にいついてしまった。子猫の頃は目のクマがもっとはっきりしており、「海老蔵」(エビゾー)と呼んでいた。
 毎日「トラ君、人間がごはんを食べるからどいておくれ」と言ってもなかなかお気に入りのコタツ机の上から退去してくれず、机の角にしがみついたりもする。それでも彼を叩いたりはしない。やさしく抱き上げて別の場所に移し、強制執行は完了するのである。

 二匹のメスネコは完全な家ネコとなっているのであるが、去勢手術をしていても、いずれのオスネコも室内飼いをしているにもかかわらず人の目を盗んで勝手に外に出て行ってしまう。どうやらオスネコの放浪癖というのは、すべてのオスに共通の本能に由来するものなのかもしれない。

ピー子

ピー子

プースケ

 虎男より2ヶ月ほど早く拾われたピー子プースケは本来三匹の兄弟であった。発見された時にすでに衰弱していた一匹は助からなかった。彼らがウチに連れてこられた時、頭はピンポン玉くらいの大きさしかなかった。私は娘が拾ってきた時に「育てるのはムリだ」と言ったのだが、とうとう二匹を何度も病院に連れて行ったりして、育て上げてしまった。
 そのため彼らは娘をゴッドマザーと思っているらしく、娘には絶対服従である。娘が遠くで呼んでもすっ飛んで行く。まるで犬のようなネコ達である。犬のようと言えば、プースケには投げたペットボトルのフタを投げた人のところに持ってくるという芸がある。(娘のケータイに動画がある。)
 私は最初にその話を聞いた時、マサカと思ったが、私が投げても拾ってきた。しかも何度でも拾ってきて、こちらが止めようとすると肩に手を置いて「もっと遊んでくれ」というような仕草でおねだりまでするのである。
 そうした様子を見ていたピー子も、いつしか綿棒を拾ってくるという妙な芸を身につけた。なぜ綿棒なのかは彼女に聞かないと分からない。私がゴミ箱に投げ捨てたものまで拾ってくるのには閉口した。この子は発育不全気味の子猫であったのだが、頭が良く世話好きの姉御肌のネコでもあり、自分より大きいプースケや虎男の毛づくろいをしてやったりしている。ちなみにピー子は覆面をしているような顔のため、「キャットウーマン」という別称を持っている。

 こんな個性的なネコ達のおかげで、毎日家ではタイクツせず生活している私であります。皆さん動物にやさしくしてやりましょう。動物は裏切りません。
 彼らは人間の心にやすらぎをもたらしてくれる天使なのかもしれませんよ。

|

2014年10月14日 (火)

オカザえもん巨大ロボ、再展示へ

オカザえもん巨大ロボ

 先日、岡崎公園多目的広場で初お目見えした「オカザえもん巨大ロボ」の再展示が、このたび正式に決まりました。御案内申し上げます。

 オカザえもん巨大ロボは、当初3日間のイベント用にと安価な予算で製作したものであったため、素材が弱く、縫製も両面テープのみであった。繰り返しの使用には耐えられず、長期の屋外展示は不可能であった。台風の接近に伴い、強い風雨にさらされることも予想され、当初予定されていた十王公園(岡崎市役所西庁舎前の公園)での展示は見送られることとなった。
 上半身はバルーン型となっており、常にコンプレッサーを使って送風を続けなくてはならない構造となっているため、電源は不可欠となってくる。また、全高8メートル、全幅4メートル、奥行1.5メートルという大きさに加え、半分バルーン製とはいえ、総重量が300kgもあるため屋内でも設置できる場所は限られてしまうのである(なお今回は動かない)。
 そこで担当部署において再整備を行い、場所を図書館交流プラザ「りぶら」1階とし、展示が可能となった。
 展示期間は、「おかざきコウエンナーレ」最終日の4日間である10月30日(木)~11月2日(日)を予定している。11月1日、2日の週末は、「岡崎城下 家康公秋まつり」(旧・秋の市民まつり)と「岡崎ジャズストリート2014」の二つのイベントが開催されることとなっている。

 先日ロボットの実物を見ることのできなかった小さなお子さんやオカザえもんファンの皆様に御覧頂ける機会となりますことを願っております。
 今振り返ってみますと、得体の知れない不思議な物体であったオカザえもんが、今このように文字通り大きく育ったことに対し、市民の皆さんの温かい御支援と御理解に改めて感謝と御礼を申し上げるものであります。どうぞこれからも、オカザえもんと岡崎市をよろしくお願い致します。

岡崎市図書館交流プラザ「りぶら」

|

2014年10月10日 (金)

新東名高速道路・名称問題

岡崎東インターチェンジ(工事現場)

 9月18日、中日本高速道路(NEXCO)より、市内樫山町(かしやまちょう)で建設中の新東名高速道路のインターチェンジの名称を「岡崎東インターチェンジ」とすることが正式に発表されました。併せて、市内宮石町に建設中のサービスエリアの名称を「岡崎サービスエリア」とすることも正式に発表されました。
 お地元の額田地域の皆様、ことに用地のとりまとめの段階で多大な御協力を頂き、地元の額田の名前を残すことに大きな期待感をお持ちであった皆様には、お詫びを申し上げます。(正直言って私がお詫びするのも筋違いなのですが・・・。)

 当初、国との話し合いの席で出されていた資料の地図上には、仮称とは言え、「額田インターチェンジ」という表記がなされていたものもあり、名称は意外と簡単に地元の意向が通るのではないかと思っておりました。
 用地の問題が終了すると、工事が始まり、各地域でNEXCO(ネクスコ)による地元説明会が行われるようになりました。当時県議であった私も、毎回説明会の御案内を頂き、できる限り出席していたため、各地区の期待や要望がどんなものかおおよそ把握しておりました。また、地元の国会議員、県会議員、一部の市会議員と話をしたときの感触から、新東名インターの名称は、NEXCOとの直接の話し合いに入った段階でも「岡崎額田」か「岡崎ぬかた」くらいだろうと思っておりました。
 ところが「新東名高速道路インターチェンジ及びサービスエリアに係る名称検討委員会」(平成24年6月に設置)が行った、各業界団体並びに地域代表の皆様19団体34名の有識者の意向調査では、以下のような結果となりました。

岡崎東」  第1回 59% → 第2回 85%(29名)
岡崎額田」 第1回 23% → 第2回 15%(5名)

 額田地区の方9名の内、「岡崎東」を選ばれた方は5名、「岡崎額田」は4名でした。サービスエリアについては、「岡崎」が31名、「岡崎奥殿」が3名という結果でした。
 委員会においても、「道路利用者が地図上にない『額田』の名に困惑する」、「全国の名称決定基準の法則に準じて行うべき」との意見が多数を占めました。

岡崎東インターチェンジ(工事現場)

 一昨年10月に市長に就任してからこの問題を引き継ぐことになった私は、当初、NEXCOとの話し合いにおいて「岡崎ぬかた」の名称を主張していました(外部の人は「額田」を読めない)。
 しかし、前述の「全国・名称決定基準」による、誰にでも分かりやすい名称という方針と意向調査の結果報告で「岡崎東」が多数であったこともあり、その方向で承認することとなったのです。
 もちろん、額田で一般投票を行えば、そうした結果にならないことは十分承知しております。けれども高速道路を利用する方々はこの地方の人間ばかりではありません。北海道の彼方からみえる方、九州の端から来られる方など様々であります。それに必ずしも事前に経路をチェックしてみえる方ばかりでもありません。そうした不特定多数の方々が時速100km前後のスピードで走りながら、迷うことなく瞬時に名称を判別でき、今自分がどこらあたりを走っているかを認知できることが、安全走行のためにも一番大切なことであると思います。高速道路を利用するドライバーにとって、通過地点にある地方の独特の名称というのは不必要な情報であります。

 郷土愛の心から、地元を全国にPRしたいという気持ちは十分理解できますが、そうしたことは機能を主体として成立している高速道路に求めるべきではないと考えます。その代わりとして額田の名前は、付属するトンネルや橋、サービスエリアの中の施設、あるいはオミヤゲ、地元の地域施設の名称として生かしていくべきではないでしょうか。
 例えば私達がアメリカに行った場合、外国人としてレンタカーを借り、高速道路を走ったとして、地理に明るい人でなくても、案内地図のアルファベットの記号と道路のルートナンバーを間違えることさえなければ、ちゃんと目的の都市へたどり着くことができます。道路、ことに利用客がお金を支払って利用する高速道路において一番必要なことは、そうした利便性の良さであります。
 何とぞ日本全体を見渡した大きな心で御理解頂けますようお願い致します。


新東名開通前イベント (2015.11.28)

|

2014年10月 8日 (水)

第17回市民対話集会 (2014.10.7)

大樹寺学区市民ホーム

 10月7日(火)、大樹寺学区市民ホームにて第17回「市民対話集会」を開催しました。今回は一学区のみを対象とした集会でしたが、いつにも増して多くの方から御要望、御質問を頂きました。
 市民対話集会の内容は随時、岡崎市のホームページで議事録(PDF)の形で公開しております。お越しになれなかった方はそちらの資料を御覧下さい。

 岡崎市ホームページ - 市民対話集会

第17回市民対話集会(大樹寺学区)

大樹寺

|

2014年10月 4日 (土)

またも来ましたラブレター

またも来ましたラブレター

 昨年、匿名で個人的誹謗中傷を吹聴する手紙のことを、〝ラブレターの季節〟と題してブログに書いた。あれだけはっきり書いたのに、また今年も懲りずに同様のラブレターが届いた。しかも答えを要求しながら、住所すら記していない。
 この人物の手紙の文面を見ると、何やら特定の教員OB集団が私に圧力をかけ、それにより私が教育委員会に圧力を加えているということが言いたいらしい。
 はっきり申し上げて、私は誰からも圧力など受けていないし、逆にかけた覚えもない。私は総理大臣にお会いしても、知事に面会しても、自分の信じていることを申し上げる。重要な問題を考える時ほど、そうした真摯な姿勢が大切だと思うからである。

 相手のことを考えずに一方的に自分の思いをぶつけてくる点において、この種の手紙とラブレターは共通点があり、我ながら「ラブレター」とは言い得て妙であると思う。
 しかし本物のラブレターは愛があるが、こちらには悪意があるようだ。

 世の中には「正しいのはいつも自分であり、間違っているのは他人である」ということを言いたがる病的精神の持ち主がいるものであるが、そういう人物が子供を教え導く教職員の世界に今も生存しているとしたら、本当に困ったことである。(もちろん教育者をかたっているだけの可能性もある。)
 なぜならば、学校の先生こそ世の中の多様性、異なった立場とそれに伴う様々な意見の存在というものを認め、尊重することを子供達に教え導くべき存在なのであるからである。
 民主主義的手続きの中で決定されたことが、自分の思うような結果でないからといって、デマゴーグ的手段で圧力をかけようとするのは紳士的であるとは言えない。
 差出人は「岡崎の教育を正しく導く会」と名乗っているが、自分を神であるとでも思っているのであろうか? 会と言っていても実は一人なのかもしれないが、どちらにしても、こうした不遜(ふそん)で自分勝手な文句を言ってくる人物が上等な人格を保持しているとは思えない。本当に自分に正当性があるという自信があるならば、堂々とアポイントメントをとって正面から市長室に来ればよいと思う。(自分は常に安全の高みに身を置いて、リスクを負いたくない卑怯者なのであろう。)
 私は自分と違う考え方だからといって、それだけで人事や処遇に差をつけたりするほど小心ではないつもりである。筋の通った話であるならば当然耳を傾ける。

 さて、この人物が指摘する人事の問題については、当然岡崎の教員OBの大先輩の方々の御意見を拝聴することはある。しかしそれはあくまで御意見であり、それを丸飲みするわけではない。さらに問われれば、市長の立場として意見を述べることはあるが、決定にあたっては教育委員会において慎重にモノゴトを進めている。
 人事にしても、他の政策においても、私が一人で独断的に決定していることなどはない。それほど思い上がっていないし、第一、独裁者になるほどの自信もない。何事においても、いつも一番良かれと思うことを提案し、他の意見を聞きながら調整し決定するように心がけている。
 教育に関して言うならば、この岡崎には「三河の教育」という伝統としきたりがある。当然そうした、多くの先輩達が築き上げてきた伝統や手法というものを尊重して対応している。保守の政治とはそういうものである。それが気に入らないというのであれば、アポをとって市長室までおいで下さい。扉は開かれております。


ラブレターの季節 (2013.12.24)

怪文書の季節来たる! (2016.07.18)

|

2014年10月 2日 (木)

リレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎2014

リレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎2014

 抜けるような青空のもと、平成22年(2010年)から始まった「リレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎」も今回で5回目となった。昨年に続いて今年も市長として参加させて頂いた。
 この催しはがん患者やその家族、友人、支援者と共に交代で夜通し24時間グラウンドを歩き続けるというものである。地域一丸となって、がんと闘う連帯感を育み、がんで悩むことのない社会を実現するためのチャリティーイベントである。多くの方々の善意と協力により、年々盛り上がっていることをうれしく思っている。行政の力では施設的整備は進められるが、人の心や姿勢を変えることはできない。
 こうした催しを通じて、がんに対する理解とがん患者に対する共感、そしてがん予防に対する意識がより高まっていくことを期待するものである。

リレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎2014

―9月27日、開会式の挨拶文―
 本日は、「リレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎2014」のご開催、心よりお慶び申し上げます。今年もイベントの開催に向け、早くから準備・調整にご尽力された主催者の皆様に心より敬意を表します。
 また、1年後の再会を約束され、本日ここにお越しになられた「サバイバー」(Survivor)の皆様には心よりお慶び申し上げます。私も去る7月に、一緒に暮らしておりました義理の母をがんで亡くしたばかりであり、がんと闘い共生することの難しさを感じたばかりであります。
 今年はこの催しが平成22年に岡崎市で初めて開催されてから5年の節目の年となり、今回は40チームがリレーウォークに参加されていると伺っております。この2日間のイベントを通して、がん患者の方も、そうでない方も、互いに勇気や希望、そして元気を分かち合い、交流と支援の輪が広がりますことを心から願っております。
 さて岡崎市は平成27年に家康公顕彰400年、さらに翌28年には市制施行100周年といった歴史的に大きめな節目の年を迎えます。
 私共はこれを絶好の機会と捉え、岡崎独自の歴史的文化遺産と乙川の水辺空間を活かした、「観光産業都市・岡崎」としてのまちづくりをはかっているところです。子供達がふるさと岡崎にこれまで以上に愛着と誇りを持てる「夢ある、次の新しい岡崎」の実現を目指し、様々な事業に取り組んでおります。
 先般、本市の南部地域に藤田学園の大学病院が進出することについて、合意をすることができました。これにより、本市の医療体制がより充実したものとなると確信しております。
 そうしたハード面での充実に加えて、引き続き、がんの早期発見・早期治療を目指して、このイベントに参加させて頂くと共に、がん検診のご案内の個別通知やパネル展の開催などを行い、より多くの市民にがん検診を受診して頂けるよう努めてまいります。
 結びに、リレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎に参加されるすべての方に、命の大切さと、それを守る検診の必要性を御理解いただき、皆様の健やかな未来に向かい、歩き続けて頂けるようお願いいたしまして、私の挨拶とさせていただきます。

リレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎2014

まめ吉くん

|

2014年10月 1日 (水)

オランダ・フランス視察記「フランス編」のお知らせ

Tokaiaichi20141001

 『オランダ・フランス視察記』後半の「フランス編」を、今日(10月1日)から3日間、東海愛知新聞に連載します。お読み頂けたら幸いに存じます。

|

« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »