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2014年7月19日 (土)

平成26年度 岡崎市平和祈念式

平成26年度 岡崎市平和祈念式

 7月19日(土)、「岡崎市平和祈念式」を岡崎市民会館にて挙行しました。私が述べた式辞を掲載いたします。

 本日ここに、岡崎市平和祈念式を挙行いたしましたところ、戦没者ご遺族の皆様、市民の皆様並びにご来賓の皆様方におかれましては、ご多忙のなか、多数のご参列を賜り、心から御礼申し上げます。
 第二次世界大戦の終戦から、69年の歳月が過ぎ、戦争を直接知る世代が数少なくなる今日ですが、多くの方々が、戦争の犠牲となり、お亡くなりになりましたことは、未来永劫忘れてはならない深い悲しみの記憶であります。
 ここに、日清・日露戦争から先の大戦において、祖国の安泰を願い、家族を案じつつ、戦場に散り、あるいは戦禍に倒れられた方々、そして、終戦間近い昭和20年7月20日未明の岡崎空襲による犠牲者など、本市における戦没者及び戦災死者に対して、謹んで哀悼の意を表します。また、最愛の肉親亡きあと、幾多の苦難を乗り越えてこられた、ご遺族のご心労を拝察するとき、痛恨の情、切々として、万感胸に迫る思いを禁じ得ません。

 さて、我が国は、敗戦という混乱と焦土の中から立ち上がり、国民が一丸となって、国の再建に努め、発展を遂げてまいりました。今や国際社会において、先進的な役割を担う立場になっております。
 本市におきましても、先人のたゆまぬご努力により、今日では、人口約38万人を擁する中核市として順調な発展を遂げております。市政の運営にあたりましても、平成24年10月の市長就任以来、「夢ある次の新しい岡崎」に向け、議会並びに市民の皆様の意見を生かし、数多くの施策を着実に進めてまいりました。
 そして、平成27年に家康公顕彰400年、翌28年には市制施行100周年といった記念すべき節目の年を迎えます。幸い本市には、空襲を受けたものの古より連綿と受け継がれてまいりました歴史遺産という掛け替えのない財産があります。ことに乙川とお城が造り出す空間は、他では見られない岡崎独自の景観であり、先達が守り続けた貴重な財産の一つであります。この乙川の豊かな水辺空間が持っている、岡崎のまちづくり、市民生活の価値の向上、観光資源としての価値を、さらに活かしていくための取組みが私の公約の一つである「乙川リバーフロント計画」であります。こうした豊かな自然や歴史遺産を未来に受け継ぐべく、岡崎の個性を磨き、魅力を高め、広く市民が誇りと愛着を持てるふるさとを築き、そして訪れる人々に感動を与えられる「観光産業都市 岡崎」の実現に繋げてまいりたいと考えております。
 また、医療に関しましては、昨今、救急搬送が年間9000件以上も市民病院に集中し、南部や西部地域における救急搬送を近隣の病院に頼らざるを得ない状況にありましたが、今回、藤田保健衛生大学を運営する学校法人藤田学園との間で、岡崎駅南土地区画整理事業区域内に大学病院を建設することとなり、去る5月29日に基本協定を締結したところであります。
 福祉に関しましては、福祉の村において発達障がいのあるお子さんを対象とした、医療を含めた新たな機能を備えた、「こども発達センター」の整備を進めております。障がいの有無に関係なく生まれ育ったふるさとで、健やかに成長できる環境整備を進めてまいります。

 このように、今日ある平和や安心して市民生活を送れますのも、ひとえに、戦争によって心ならずも命を落とされた方々の犠牲の上に成り立っていることを、私たちは決して忘れてはなりません。悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、平和の尊さを次の世代に語り継ぎ、二度とこうした悲劇を繰り返さないことが、私たちに課せられた責務であります。時は移り変わりましても、過去を謙虚に振り返り、未来に向かって進んでいかなければなりません。38万市民の皆様とともに戦争や災害のない平和な日本に、そして岡崎市に進むため決意を新たにさせていただくところでございます。

 終わりにあたり、戦没者及び戦災死者の御霊の安らかならんことと、ご遺族の皆様のご健勝、ご列席の皆様のご多幸を、心よりお祈り申し上げ、式辞といたします。

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