交通安全に思う
4月早々、新しく岡崎警察署に着任された鈴川信視署長より感謝状を頂くことになった。これは昨年(平成25年)一年間で岡崎の交通死亡事故が前年の16人から8人へと大幅に減ったことに対するものである。
昨年は1955年に統計を取り始めてから最も交通事故死者数の少ない年となった。これは警察署はじめ各地域、学校、企業、関係諸団体の皆様の御協力・啓蒙活動のおかげであると心から感謝しております。
4月3日朝、鈴川署長より立派な感謝状を頂いた訳であるが、当日私は少々恐縮していた。ここ数年2件ずつ発生していた1月の交通死亡事故が今年はゼロとなり、幸先の良いことと思っていたところ、2月、3月と立て続けに死亡事故が2件続き、4月前の時点でもうすでに昨年の半分に達してしまっていたからである。
本年も相変わらず交差点における高齢者の事故が多い。ほんの少し、注意深く行動していたら、命を失うことはなかっただろうに、本当にもったいないことだと思うものである。
4月に入って、今年も各地から信号設置の要望の声が多い。しかし、信号はあっても一番肝心なのは、自分の目で安全確認をしながら交差点に入ることである。「相手が悪い」と言ってみても、死んだら元も子も無いことは言うまでもない。
最近は自分で車を運転する機会もめっきり減ってしまったが、私自身せっかちな性格であり、それが車の運転に現れることがあり、時にハッとすることがあった。また、そうした傾向は私ばかりでなく、やたらと先を急ぐ「せっかち運転」というものが、この地域の特性のように言われることがある。愛知県、ことに三河は産業地帯であり、時間に追われて生活する人間が多いせいかもしれないが、俗に「名古屋走り」、「三河走り」と言われ、「愛知県の人間は車の運転が乱暴である」と県外の人達から指摘されることがある。
そうしたことは車ばかりではない。先日も自転車に乗った御老人が横断歩道も渡らず、幹線道路を左右の確認もせずに「あんた達止まっておくれ」と言わんばかりに真っすぐ前だけを見て横断してゆくのを目撃したばかりである。現在の交通事情を考えればこれは自殺行為にも等しいと言える。
老人クラブなどではそうしたことに対する講習会が度々行われているが、高齢者で事故に遭われる方は、そうした講習を受けていないケースが多いそうだ。
以前もブログで取り上げたことがあるが、公用車の運転手さんの運転を見ていると反省させられることが多い。信号が黄色になりそうな時には必ず停止するし、対向車が右折する場合、あるいはこちらに進入しようとする車があれば必ず先を譲る。こちらに優先権があると思われる時でも相手を優先するのである。また、20~30メートル先の歩行者が前方を横断すると思われる場合もその人を待ってから前進する。公用車の運転であるため、人からどんな苦情を言われることもないように、そこまで神経を使って運転していることが察せられる。
もっとも商用車の方々に同様のことを要求してもそれは現実的ではないかもしれない。慎重すぎる運転に対して、時に後ろからクラクションを鳴らされることがあるが、皆が少しでもこうした心構えを持つようにすることにより、事故を大幅に減少することができると思う。
個々の交通事故の状況を見れば、まさに、ほんの少しの油断で起きている事故ばかりであることが分かる。あとほんの少し注意深く、慎重であれば、こんなことにはならなかったろうにと思われることばかりなのである。
言い古された言葉であるが、「交通事故は被害者の悲劇であると同時に加害者にも悲劇」である。一つの交通事故が原因で被害者にも加害者にも家庭崩壊の悲劇に見舞われることがあることを私達はもう一度考えてみる必要があると思う。
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