老猫と連休の一日
この5月、正月以来の連休を3日間取ることができた。いつものことであるが、休みの日は文字通り、心身の疲れをとるために休んで過ごす(眠る)ことが多い。
しかし、今回は家のそうじと共に、おばあさん猫ミー(16歳)の健康診断をしておきたかった。この1月に愛犬アルが満18歳目前に亡くなったので、ミーがいちばんの高齢となった。犬と違って、私に対して様々な要求ばかりするワガママな奴であるが、長年一緒に暮らしてきた家族同様の動物に続けていなくなられては、こちらの神経も参ってしまうというものである。
実際情けないことであるが、10年も一緒に暮らしていると、猫の泣き(鳴き?)方としぐさで、彼女が何を求めているのかが分かってしまい、条件反射的に要求に応えてしまっているのである。また猫の方もこちらの行動を先読みして動いているようなフシがある。彼らは思ったより利口な存在なのである。
連休中にはたして開院しているのか分からなかったが、娘の担当である三匹の猫(ぷーすけ、ぴー子、虎男)とボス猫キックがお世話になっている動物病院へ出かけることになった。嫌がるミーを猫バッグに押し込んで病院に向かった。ケンカによるケガの治療のため虎男が先週まで使っていた猫バッグに入れたせいか、ミーはかなり御機嫌が悪かった。ふだんは決して発しないような、野太い低音のうなり声で、まるで魔女が呪文を唱えるように長らくうなり続けていた。猫は人の十数倍の嗅覚を持つというから、先の使用者のニオイがガマンならなかったかもしれない。
待合室で偶然御一緒した娘さんと同行の上品な御婦人から「こういう時はネコちゃん自身のニオイのついたタオルを入れておくといいんですよ」と教えて頂いた。もう、いい年をしたバアさん猫(人の70~80歳)ではあるが、ウチの他の猫どもとは違い、生まれてからずっと家猫育ちであるため、外に出ることにかなりナーバスになっていたらしい。御婦人も猫連れであったが、3歳で引き取った猫について「御縁があってウチに来た動物だから家族の一員としてみています」という物言いをされていた。やはり生き物を飼われる方は、同様にやさしい心根を持つ人であることが再確認できたようでうれしい気持ちになれた。
ミーは血液検査の結果、老齢のため腎機能の低下が若干見られるものの幸い他に異常はないことが分かった。「食べ物に気をつけて下さい」ということであった。
それにしても、犬と猫は共に人類とは長い付き合いではあるが、その性向はずいぶん異なっている。犬は集団を意識し、人間の指示に従うことが多いが、猫は自身の意志と欲求に忠実な自由主義者(?)である。
はじめからそう理解して付き合っていれば腹も立たないものであるが、猫さんは時々人間の予想もしない行動により、我々に驚きをもたらしてくれる。どこで捕まえたかしれない鳥や生きた魚をくわえてきたりすることもあった。
ウチの娘に言わせれば、「猫は飼っていると思ってはいけなくて、飼わせて頂いていると思わなくてはいけない」ということになる。確かに古代エジプトで神として崇められていたのは猫であるし、中世ヨーロッパでは魔女の使いとしての力を信じられてもいた。猫には、犬よりも自立した存在感があるようである。
しかし私には、猫にかこつけて娘が自分のことを言っているようにしか聞こえないのであるが、どうだろう。
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