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2014年3月18日 (火)

「犬が死んじまっただーっ」

アル

 去る1月22日以来、私の頭の中では四十数年前のフォーク・クルセダーズのメガ・ヒット曲「帰ってきたヨッパライ」の替え歌(?)がグルグルと鳴りっ放しである。まさに、「犬が死んでしまった」のである。
 その日の朝、犬のオシッコを済ませてから、いつものごとく役所に出かけたところ、昼過ぎになって、ふだん「ヨメさんより大事な犬」と言っていた犬の死を嫁さんから電話で知らされることとなった。
 前日の晩、籠田公園まで散歩に出かけた時にはけっこう軽やかに歩いていたので、にわかに犬の死を信じることができなかった。ユスったら起き上がってくるのではないかとも思ったが、すでに冷たくなっているとのことであった。死に顔が穏やかであったことが救いだった。
 仕事を終え帰宅し、犬に対面できたのは夜8時過ぎとなっていた。毛布にくるまれて動かない犬を見て、初めて相棒の死を納得した。毎日当たり前のようにシッポを振って送り迎えてくれた友がいなくなったことが、これほど心に大きな空洞をもたらすものであるとは思わなかった。嫁さんは一晩泣き明かしたそうであるが、私はなぜか涙が出ず、かわりに重苦しい喪失感が心の中を占拠するばかりであった。

 段ボールで棺桶をつくり、犬の遺体を整え、花束をたむけながらこの犬と過ごした時間を一人で反芻(はんすう)していた。その後、一人でいつもと同じ散歩道をめぐった。犬の好んだ草や公園の土をひとつまみすくって持ち帰り、お棺の中に収めてやった。
 犬のいない一人だけの散歩道はどうにもやりきれない。なにせ18年間家にいる限り毎日一緒に歩いてきた相棒の死である。ただその習慣も翌日から途絶えることとなった。
 私は散歩をしながらいつも犬に向かって様々なことを語りかけていた。もちろん返事などないが、彼とのそうした一方的な会話の中にかけがえのない癒しの時間があったことに犬がいなくなって初めて気がついた。

 最後の別れを告げるために、夜半に別れの手紙を持って棺桶のフタを開けたところ、言いつけもしなかったのに、家族全員それぞれに別れの手紙が書き入れてあった。
 現在日本にいない長男もアメリカから電話を寄こし、「携帯電話を犬の耳元に寄せてほしい」と言って犬に別れの言葉を告げていた。この犬が家族の一人一人からいかに愛されていた存在であるかが改めて分かるものだ。
 とはいえ、何といっても一番ショックの大きいのは私であり、何日にもわたってなんとなく元気が無く、ボーッとしていることが多くなってしまった。これがペット・ロスの症状かと自ら気がついた。
 嫁さんからは「こんなに女々しい男だったとは思わなかった」とお褒め頂き、娘からは「いい年していつまで引きずっとるの」といたわり(?)の声を掛けられた。唯一、下の息子だけが、自ら製作した犬の写真集に一文を添えたものと30分にまとめた元気な頃の犬の動画DVDを黙って机の上に置いてくれた。

 おかげでこのところなんとか回復してきた。
 彼は亡くなりはしたが、家族や多くの人から惜しまれ愛され一生を終え、家の中で最後の時を迎えることができたのである。
 18年前に処分されていたかもしれない小さな一つの命が与えてくれたたくさんの幸せを思っただけでも、彼の犬としての一生は大きな意義があったと思う。彼はその慈愛を猫達にまで注いでいたのだ。毎日のように鼻先をスリ合わせていた犬の姿が見えなくなってから、五匹の猫共もさすがにおかしいと思ったのか、数日経った頃から順番に犬のいた場所のニオイをかぎ回っているようだった。

アル

 愛犬「アル」が「帰ってきたヨッパライ」の主人公の男のように、突然畑のど真ん中に落ちて来て生き返ることなどはありえないが、せめて彼にとって「天国よいとこ」で「ネーちゃんはきれいだ」といえる所であることを祈るものである。

 こんな文章を書いているとフザけていると思われるかもしれないが、実際は「悲しくて悲しくて、とてもやりきれない」のである。

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