第84回 都市対抗野球大会
この度、三菱自動車岡崎・野球チームが都市対抗野球大会に4年振り、9回目の出場の栄誉に輝くこととなった。7月15日(月)がその第一試合目である。出場が決定してから、初日には市長として始球式と応援の挨拶に行く約束となっており、朝から上京した。
まさかこの私が、この歳になって、東京ドームのマウンドに立つことになろうとは思ってもいなかった。おまけに今回が東京ドームへの初めての入場でもある。後楽園時代においても最後に訪れたのは38年も前。大学四年生の秋の、長嶋茂雄氏の引退試合の時のことである。大学のゼミを終えてから、友達と中日・巨人戦のダブル・ヘッダーの第二試合を観に行ったのである。(その年、中日ドラゴンズは20年振り、二度目の優勝!)
当時は、私が応援に行った試合でほとんど負けた記憶がない。それが最近は全く逆で、私がテレビをつけた途端、勝っていたゲームまで逆転されることが多い。もちろんそんなことは私のせいではないし、4年振りの都市対抗出場に向けて、奇跡の(?)三連勝で決めた地元代表チームに影響など無いと信じている。
いずれにせよ、地域や会社が一つになれる、こうしたスポーツ大会あるいはチームを持てるということは素晴らしいことである。人は理屈だけではなかなか一つにまとまることはできない。同じチームを応援するという、心情的同一感の喚起によって、立場を超えて一つになれるというのがスポーツの良い所かもしれない。
三菱自動車岡崎は、2001年の大会では決勝まで進み、惜しくも敗れはしたが白獅子旗(準優勝)を獲得している。今回は、王子製紙や日本生命などの強豪チームが負けるという番狂わせもあり、伸び盛りの若手を擁する三菱自動車岡崎にとってチャンスとも言える。
分かったようなことを書いてはいるが、私は都市対抗野球の応援に来たのもこれが初めてである。この大会の歴史は古く、第一回大会は昭和2年(1927年)に神宮球場で始まり、大戦中の中止をはさんで今日まで続いている。昭和13年(1938年)から新設の後楽園に会場が移り、昭和24年(1949年)の第20回大会より日本社会人野球協会が主催者に加わり、毎日新聞社との共催となった。優勝チームには黒獅子旗が授与されることになっている。なぜ優勝が黒で、二位が白、三位が黄なのかはっきり分からないがデザインは同一である。また各地区予選で優勝し、第一代表となったチームには青獅子旗が与えられるという。これも色やデザインの由来については分からない。
今年、全国各地区の予選を勝ち抜いて来た32チームが、7月12日から23日まで勝ち抜き戦を行う。いわば実業団の甲子園ともいえる。この大会で活躍した選手は、毎年プロ野球のドラフト候補に名を連ねることになる。高校や大学で今一歩だった選手が、実業団に入って大きく花開くことがあるのも楽しみの一つである。
その日私は新幹線で上京し、東京駅で昼食をとり、早々にドーム入りした。自分が試合に出るわけでもないのに、何となくソワソワして落ち着かない。通路で三菱自動車工業本社の益子社長にお会いして御挨拶をし、選手控え室に向かった。もちろん、こんな所まで入るのも初めてだ。
上着を脱いでユニフォームに着替え、ズック靴と野球帽姿になる。若い頃ならもう少し似合ったことだろうが、鏡に映った我が姿は「馬子にも衣装」とは言えないようである。その後ダッグアウトに入れてもらい、選手のウォーミングアップ終了後、監督と選手に挨拶をする。応援のオカザえもんと写真に収まり、全員で一塁側グランドに整列し、観客にお礼の挨拶をする。チームのメンバーと共に記念撮影をした後、名前を呼ばれマウンドに向かう。
慣れないことはどうもうまくいかない。「プレイボール」と言われるものの、どのタイミングで投げていいのかよく分からなかった。緊張の内に投じたボールは、ワンバウンドするも一応キャッチャーミットに収まった。暴投にならずによかったが、投球後、体勢が崩れて転びそうになった。
我々は、いつもテレビの画面を見ながら勝手なことを言っているが、18mの距離から時速140キロ前後のボールを全力で投げて、上下左右に変化をさせてコントロールするというのはスゴイことだと改めて思った。石のように硬い硬球を使って軽快にプレーをする野球選手という人達は、我々とは違う人種のような気がする。
試合は、大阪府門真市のパナソニック(松下電器)チームを相手に一進一退の攻防が続いた。互いに塁は埋めるものの決定打が出ない。三菱の打球は、いい当たりであっても野手の正面をついたり、ファールとなってしまう。試合にはツキも必要なのである。残念ながら、3回裏にエラーがらみで2点を奪われ、そのまま3対0で初戦敗退となった。
今回、私の他、新海議長はじめ有志の市議会議員、神明太鼓の「響」(ひびき)の皆さんや葵武将隊の面々、そしてオカザえもんも応援にかけつけていたが、そうした人々の思いも実ることはなかった。
しかし、三菱のチームは先ほど述べたように若手が多い。この経験を貴重な糧として、ぜひ来年以降、捲土重来を期してもらいたいものである。
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