佐久市訪問 その1(ゆかりのまち30周年)
5月の連休中の二日間、ゆかりのまち30周年の第二弾として長野県佐久(さく)市を訪問することとなった。「岡崎市と佐久市がなぜゆかりのまちなのか?」という嫁さんの質問に明確に答えられなかったので、改めて調べてみた。
そもそもの始まりは、江戸末期の文久3年(1863年)、第8代奥殿藩主であった松平乗謨(のりかた)公、のちの大給恒(おぎゅう ゆずる)が岡崎市の奥殿にあった陣屋を信州佐久1万2千石の中心地臼田(うすだ)に移し、龍岡(たつおか)藩主となった縁による。その後、昭和58年(1983年)7月1日に岡崎市と臼田町が旧縁をもとにゆかりのまち提携をすることとなったのである。
今回訪れたのは、ゆかりのまち30周年記念を寿ぐと同時に、当地で21回目となる「佐久バルーンフェスティバル2013」に参加し、フリー・フライトに試乗し、同日行われる第51回目の「佐久鯉まつり」に参加するためである。岡崎市がゆかりのまち提携をしたのは臼田町であったが、2005年4月に佐久市、臼田町、浅科村、望月町が合併し、新しい佐久市となったため現在は佐久市とゆかりのまち提携を続けている。
面白い話として日本中で海から一番遠い地点、海から一番遠いスシ屋の所在地でもある。とは言え、佐久という名前は私達にあまりなじみが無い。合併して10万人程の新しい市であり、長野県と言っても東部にあるため経済的には関東圏の影響下にある。四辺を山々に囲まれた、佐久平と呼ばれる盆地に位置する。住民の気質は穏やかであり、近隣の市町との関係も良好な住み易い所だそうである。
市内を千曲川が貫流し、耕地の広さが目につく農業地帯でもある。古くは中山道と甲州道の結節点の宿場町として始まったという。現在は上信越自動車道が通り、長野新幹線の駅まであることがうらやましい。駅周辺では将来を見越して、機能的に整備されている。周囲の田畑となっている土地が区画整理され市街化されれば、将来の発展性は高い。新幹線で東京まで70分という立地を考えると、一度都市化の流れが始まると、急速に市の外観が変容してゆくことが想像できる。一つ不思議であるのは観光地という訳でもないのにホテルが5~6軒も存在していた点である。軽井沢に近いことがその理由かもしれない。
5月4日の午後、佐久市到着早々、新海議長と共に臼田にある宇宙空間観測所の視察に行った。細い山道を抜けてしばらく行くと、白い円形の巨大な建造物が山の中腹に見えてくる。これが日本一大きな直径64mの大パラボラアンテナであることが、到着後に教えられる。堂々と説明する女性はJAXA(宇宙航空研究開発機構)の博士かと思っていたが、佐久市の職員であった。あの宇宙探査機「はやぶさ」の帰還の折、微弱な電波を最初に受信したのはこの施設だそうである。施設の中核をなす64mのパラボラアンテナは総重量が2000トンもあり、部品として運んだとしてもどうやってあの細い道を通ってきたものか疑問が残る。牽引型のトラックで運んだとすれば神業である。
その夜、バルーン・イリュージョンの見学に出かけた。これは、地上に固定したバルーンに翌日開催のレースに備えガスバーナーの火を当てる催し物である。それから歓迎夕食会に向かった。
個々のカラフルで個性的なバルーンは闇夜のネオンサインのように輝いていた。(つづく)
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