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2013年5月29日 (水)

オカザえもん騒動について その2

オカザえもん

 絵画芸術の世界には、1960年代以降のコンセプチュアル・アートという潮流がある。作品の物質的側面よりも観念性、思想性を重視して記号や文字、パフォーマンスによる表現を目指す芸術手法をそう呼ぶ。オカザえもんの作者、斉と公平太(さいと こうへいた)さんもそうした流れを継承する作家の一人であり、岡本太郎賞を受賞する日本の現代アート界を代表する若手(?)有望アーティストである。
 賛否両論かしましいオカザえもんであるが、若い人達には「キモかわいい」として面白がられているのも事実である。ネット投票による「ご当地キャラ総選挙2013」においても、中部地区で上位3位の中に入ったそうである。
 先日ゆかりのまち30周年で訪れた茅ヶ崎市の市民まつりにまで、オカザえもんは自費で出張出演していた。やはりこのときも子供達は警戒して遠巻きに怖々(こわごわ)とオカザえもんを眺めていたそうである。ところが現場にいた若い茅ヶ崎市の職員達には「アレは何だ!」と大変な評判、注目度であったという。その存在感は大したものだと思う。

Papua New Guinean Mask

 作者の斉と公平太氏の評判も関係者にはすこぶる良い。物腰は低く、謙虚で、礼儀正しく常識人であるという(巨匠と呼ばれる芸術家で、こういうタイプはあまり聞いた覚えがない)。彼の人となりを知る者は、誰しも応援したくなるような人物であるらしい。オカザえもんの人気も作者の人柄によるところが大きいという。
 私は前回、オカザえもんについて「安直な発想」と失礼なコメントをしてしまったが、斉と氏は決していい加減な気持ちでオカザえもんを製作した訳ではない。「まず第一印象から強いインパクトを与えるため、パプア・ニューギニアのお面や能面の、シンプルで無表情の中にある美しさやユーモアを表現したい」と考えたそうである。そして次に岡崎という〝全国的知名度いまいち〟の都市をどうしたら有名にして観光に訪れる人を増やし町を活性化できるかを徹底的に考え抜いたという。その結果が、あの誰が見ても「岡崎」と認知できる「オカザえもん」であったということである。
 マスコミの会見で斉と氏は、
「賛否両論頂いたが、話題になったということだけでも十分目的は達したと思う」
 と答えている。私もその通りであると思うし、この点、作者には感謝している。

 しかし、一方こうした動きもある。先日岡崎の某女性団体の役員の皆さんがおそろいで市役所までおいでになり、「岡崎のイメージ・キャラクターをもっと可愛らしい誰にでも親しめるものにしてほしい」と強い申し入れをしていかれた。こうした意見を私に言われる方が結構多いのである。オカザえもんの存在感は認めるが、それが一般受けするモノでないところが限界となっている。とはいえ、いつの時代でも新しいことをやる芸術作品は冷遇されてきたものである。また騒動となったことは作品としてのオカザえもんの価値にもつながったと言える。

葵博 岡崎 ’87 パンフレット

 オカザえもんだけでなく、これまで岡崎には市制70周年の「葵博」におけるあの手塚治虫御大の手によるハクセキレイのピー子ちゃんはじめ、おかざキング、てんかくん、味噌崎城(みそざき じょう)など様々なキャラクターが乱立しているが、それはそれとして新しくもう一つ岡崎のイメージにふさわしく、万人受けするキャラクターを作ってもいいのではないかと私も思っている。
 すでに浜松市に「出世大名家康くん」を先取りされた今、幼名の「竹千代君」という線もあるが、対外的に「竹千代って何だ?」ということになってしまいそうである。
 そこで私としては、私案として、ドラゴン(龍)をモチーフとしたカワいらしいキャラクターを、プロも交えて公募してみたらどうかと考えている。そもそも岡崎市の市章は龍城にちなんだ「龍と玉」である。そんなことを基礎に考えてみたらどうかと思っている。(つづく

(オカザえもん写真提供: 株式会社リバーシブル様)

岡崎市の市章

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