佐久市訪問 その2(バルーンフェスティバル)
5月5日(日)、早朝6時にホテルを発つ。熱気球のフライトには風の少ない早朝が良いそうである。先日のグライダーに続き、「煙となんとかは高いところに行きたがる」のたとえ通り、またしても私は大空高く舞い上がる乗り物に試乗することになった。今度は茅ヶ崎市長と新海議長も道連れである。
我々の乗るバルーンは「佐久の鯉太郎」号であった。バルーン下のカゴに乗って浮き始めると、一斉にカメラのレンズが向けられる。上から「最後の写真になるかもしれないから上手に撮ってネ」と声をかけると、下から「遺影を撮るときは『イエーイ!』と言って指サインをして下さい」と返ってきた。要望に応えその通りにするところが我々の世代の良いところである。
バルーンは上空450mあたりまでゆるやかに上昇し、地上の会場の周囲を一周するような形で30分近く浮遊した。遠くには頂(いただき)に雪を残した山々が見える。会場のまわりにはのどかな田園風景が広がっている。私達は会場の隣の田んぼにゆっくりと着地した。当初1000mくらいまで上昇すると聞いていたが、上空は強い気流があったため、流されてレースの邪魔にならないように高度を調節したということであった。高度によって吹く風の向きが違い、熱気球はハンググライダーのように簡単に向きをコントロールできない。そんな中、自然の風に乗り、どれだけ正確にゴールに近づけるかを競うのがこのレースである。そのため競技は、一般的に風の穏やかな早朝か夕方に行うのだそうだ。強い風ばかりでなく、雨や露でも競技中止になることがあるという。「上空は寒い!」と言われ厚着をしていったが、450mくらいでは大したことはなく、逆にガスバーナーの熱で頭が焦げそうであった。
佐久では毎年この大会が終わるまで農家の方達が田んぼに水を入れずに待っていてくれるそうである。大会終了と同時に水を引き、田植えが始まるという。
早朝の熱気球のフリーフライトを終え、ホテルに戻り朝食をとり、再び会場に向かう。バルーン・レースの出発会場はすっかりお祭り広場に模様替えされていた。養鯉(ようり)業はこの地の伝統産業であり、海から遠い山間地において貴重なたんぱく源であった。そのせいかこの地で鯉は食用専門である。
大人の体ほどもある木彫りの鯉の載った台車のおみこしを引きながら、はっぴ姿の子供達が場内を一周する。その後壇上で始まった式典で鯉拝領の儀式があった。龍岡藩主に扮した人から各町の代表に、生きた鯉が口上を述べながら手渡された。そして我々の登壇挨拶となった。
考えてみれば、歴史的つながりとは不思議なものである。一言で縁と言ってしまえばそれまでであるが、百年以上前の出来事がこうして遠く離れた地域の人々に友好関係をもたらしており、そして今、岡崎のゆかりのまちである佐久市と茅ヶ崎市が岡崎を通した縁によりこの度防災協力都市協定の縁組みをすることになった。こうした友好と助け合いの輪が広がってゆくことが、より良い日本を造ることにつながると私は信じたい。
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