ボーイスカウト、備えよ、常に!
岡崎市長になると、様々な団体組織の会長、顧問と称して約125あまりの諸団体の役職につくことになっている。去る1月20日、さらにボーイスカウト三河葵地区の名誉協議会長に就任することと相なった。
他の団体のときはそれほどでもなかったが、ボーイスカウトと聞くと何かとても懐かしい気持ちでいっぱいとなる。実は私もOBの一人である。
小学校4年生から中学2年の途中まで足かけ5年近くボーイスカウトでお世話になった。昭和30年代の中ごろというのは、ちょうどボーイスカウト運動の盛んな時代であり、私の町内の子供会の男坊主はこぞって入隊したものである。今から思うと、まるで徴兵されたかのようだった。
最近はスパルタ教育が批判されているが、当時は鉄拳制裁もあった。わがままなクソ坊主であった私が曲がりなりにも人並みになれた?のはボーイスカウトのおかげだと思っている。今でも手旗信号やロープワークはできる。
当時の隊長の口癖であった「自分のことは自分でやる」「備えよ、常に」というスローガンは今でもすぐに思い出すが、三つの誓いと十二の掟はうろ覚えとなってしまっている。
私の所属していたかつての第9団の神部(かんべ)隊長は、旧帝国陸軍航空隊の生き残りで、戦争中は「呑龍(どんりゅう)」という重爆撃機の機銃手であった。キャンプに行くとテントの中では必ず戦争の話であった。イギリスの戦闘機スピットファイアーがどんな爆音と機銃音をさせて攻撃して来るかと、自らの口で音を真似しながら臨場感豊かに空中戦闘場面を再現してくれた。今考えると戦闘中の爆撃機の中で、相手の戦闘機の爆音や銃撃音がどこまで正確に識別できたか疑問であるが、何せ子供時代のことである、耳をそばだてて真剣に聴いていたものである。
私が県会議員のとき同僚から軍事オタクと呼ばれた素地は、この頃養われたものかもしれないと思う。
その頃、ボーイスカウトの先輩の何人かが少年自衛官として自衛隊に入隊したことがあった。中学を卒業して自衛隊に入隊すると、訓練をしながら高校卒業の資格がもらえたのである。ときどき帰省報告に来た先輩の自衛隊の制服姿が子供心に凛々しく、まぶしく見えたものだ。
近眼になりあきらめたが、私も高校2年生までは密かに戦闘機のパイロットになりたいと思っていた。
当時は全市のボーイスカウトで毎年運動会ができるほどであったが、現在は時代も大きく変わり、ボーイスカウトにかつての華やかさはうかがえない。個人的な思いであるが、その理由の一つはテンガロンハットをやめてベレー帽にしたせいではないかと思う。申し訳ないが、あれは冴えない。売れない画家か緑のおじさんに見える。でかくて邪魔に思う人がいるかもしれないが、かつてのわんぱく坊主たちは、あのテンガロンハットがかぶりたくてボーイスカウトに入ったようなものである。おりしも当時のテレビ番組は「ローハイド」「ララミー牧場」「ライフルマン」「拳銃無宿」「ガンスモーク」「シャイアン」「ブロンコ・ビリー」など西部劇のオンパレードでもあった。うちに帰ると、ボーイスカウトのかっこうのまま腰に拳銃をぶら下げて公園に遊びに行ったものである。今言うと「馬鹿か」と思われるかもしれないが、銀玉鉄砲で早撃ち競争や決闘ごっこをしたこともある。
今回の会長就任にあたって、何十年かぶりで、昔の幼馴染や先輩とお会いすることができて、本当に懐かしかった。かつての紅顔の美少年も?今や皆いいおじさん、おじいさんとなっていた。大変面白かったのは、今もって、ほとんどの者が日常小型ナイフを手放せないことが分かったことである。まさに「備えよ、常に」の精神は今日も生きていた。
ボーイスカウト気質とDO IT YOURSELF (2017.06.12)
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