講演会の心得
「次の、新しい岡崎へ」という表題で、この1月に8回以上講演をさせて頂きました。
岡崎商工会議所、日韓親善協会、岡崎鉄工会、岡崎南ロータリークラブ、岡崎倫理法人会、岡崎建具組合、岡崎青経連、政経同友会など。また、各地域の会合等でも、時間はそれぞれでありましたが、お話をさせて頂けたことに対し、改めてこの機会に御礼を申し上げます。
(内容については、たびたびホームページやブログで触れているのでここでは書きません。)
私の思い描く岡崎の将来計画については、昨年10月の市長選挙までの活動や衆議院選挙、12月議会における所信表明と答弁、1月1日の岡崎市新年交礼会などでも披露させて頂きました。また、何回も新聞紙上で記事として取り上げて頂きました。
選挙中の演説会や街頭演説の時間まで含めると、かなりの数の人の前でお話をして来たはずだし、ホームページやブログにおいても何回も触れてきたので、もう十分市民の方々に認知されて来ているだろうと思っていた。ところが、このところ様々な機会を得て、個々の方々とリバーフロント計画、ツインブリッジ構想、歴史観光等の話をしてみて、理解されてきたと思うのは私の勝手な思い込みであり、まだまだ個別のプランの名前さえも知られていないのだということが分かってきた。
しかし、これは、冷静に考えてみれば当たり前のことである。
我々は学校の授業のように、きちんと聴いてノートをとっていなければ後で自分が試験に困るような話ですらまともに聞いていないことがある。教科が苦手、教師が嫌い、話が面白くない、そもそも興味がない、眠たかった、などなど様々な理由で聴くべき話を聞いてすらいないことは日常茶飯事である。
ことにうちの嫁さんのまわりくどい世間のよもやま話など、生返事はしているがほとんどまともに聞いていない。
そういう我が身の実態を振り返ってみれば、どこの何者かわからない、我が意にそぐわないことを言っている政治家の話など、誰が真剣に聞くだろうか? そのことを再認識して広報活動というものの原点に立たなくてはならないと自己反省している。
そもそも話をする側が、いくら論理的に誠実に話をしようとしても、政治的に敵対する立場に属する人たち、利害的に違うものを求めている人々はハナから相手の言うことを聞く気はないし、理解しようとする意志はさらにない。話に耳を傾けるときがあるとすれば、相手を攻撃するための材料を探すためである。これが政治的世界の実態である。(政治的世界とは政治家のことだけを言っているのではない。念のため。)
相互理解のためには、まず共感と信頼が前提になくては、それこそ「オハナシにならない」ということである。
また、私は情報発信をする場合、基本は「中学二年生にわかる話」といつも心がけている。相手が理解できなければ、いくら高度な話であっても、自己満足に終わるからである。
「社会の教育レベルが上がれば、大衆のレベルも上がっている」という考えが幻想にすぎないことは、かつてのワイマール憲法下のドイツ共和国におけるナチズムの躍進の例を見るまでもなく、昨今の日本の政情を見ればよくわかるはずだ。
将来展望の定まらない不安定な社会を反映してか、大衆の動向は右から左へ、左から右へとぶれ幅は大きく、不定見である。これは、決して大衆社会を見下して言っていることではない。しかし個人的にいくら知的レベルの高い人、個々で専門的に高度な知的活動をおこなっている人であっても、こと情報化社会における大衆の一員となったとき、その埒外に我が身を置いて、冷静に物事を判断することは至難の技となる。
「我々、政治を生業(なりわい)とする者はそのことを忘れず、決して幻想にとらわれず、あくまでリアリストでなくてはならない」と自分自身に言い聞かせている。
今後、こうした現況を打開するために、4月からの「市民対話集会」に力を入れ、夏頃には「私のつくるツイン・ブリッジ」という題で絵と作文のコンテストをやったらどうかと考えている。
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