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2013年2月17日 (日)

プロの技

岡崎市役所 西庁舎

 2月も中盤となり、間もなく市長職満4ヶ月を迎えようとしている。これで、少し落ち着いて、今までの足跡を振り返る心の余裕が出てくるかもれない。

 何と言っても3,500人近い大所帯が、この岡崎市役所である。特定の職員とは何度も顔を合わせて話をしているが、まだまだ一般職の個々の職員とは挨拶もできないでいる。
最近当たり前のことをうなずきながら確認することがある。役所というところは、様々な特技、資格を持った専門家たちのパズルの組み合わせのような組織だとも言える。そのことは個々の担当官と意見を交わすときによく分かる。
 それぞれ自分の専門分野のことになると、立て板に水の弁論が続き、さらに法律的な裏付け話まですぐに出てくる。本当に優秀だと思う。
 ただ私の県議時代の経験からして気を付けていることは、そうした意見が中立的で素(す)の意見であることは稀であり、多くは特定の方向への誘導の意志が見え隠れする点にある。
 さらに、一般論として言うならば、官吏は自分たちに都合の悪い情報はあまり積極的に報告しないものである。国会でも風呂敷に包んだたくさんの資料を官僚たちは持ってくるが、議員が問題点に気付いて指摘しない限り、彼らはそれを解いてまで詳しく説明しようとはしない。議員に余計な知恵を付けさせないためだ。そんなときこそ、個々の議員の政治家としての器量が問われることになるのである。

 余計な話から書いてしまったが、それにしても役所の職員の専門分野における力量には舌を巻くことが多い。
 財政部門の担当官は、当然ながら数字に明るく、政治経済の動向を見通しての見識を披露してくる。ときに一方的に説得されてしまいそうになる。
 法律分野の担当官は、発言に法令や条文に則ったものが多く、抵抗できない。
 ある広報の職員は、私の書いた文章を分析し、文体を似せた基本文案を持ってくるという熱心さで、驚かされる。
 他にも自己の専門分野に誇りを持って堂々と持論を述べる職員がたくさんいることに驚くと共に、たのもしく感じることがある。こうした一人一人の人々がそれぞれの担当分野の一隅を照らしており、総体としての役所の機能を成り立たせていることが最近実感としてわかってきたような気がする。

 今、私の公用車の担当運転手の運転を見ていると、まったく自分の車の運転が恥ずかしくなってくる。まるで自動車教習所の教官が隣に乗っているかのような交通法規に則った安全運転をする。その慎重さは際立っており、少し遠くからでも歩行者を発見すると、その人が通り過ぎるまで待ってからこちらの車を出す。交差点でも必ず対向車に道を譲り、彼がクラクションを鳴らすことを一度も見たことがない。その上時間には正確で、私のせいで出発が遅れてもちゃんと定時前に目的地に送り届けてもらえる。こういうのをプロの仕事とでもいうのであろう。
 おまけに彼のプロらしさは、私に神経を使わせまいと余計なことを一切話さない点にもうかがえる。お調子者でお喋りの私にはとても務まりそうにない。前市長が彼を専属運転手として長年手放さなかった理由がよく分かる。
 一度彼に、「あなたは事故なんて一度も起こしたことないでしょ?」と尋ねたことがある。そのとき返って来たのは、
「はい、ありません。でもそれは偶然のことだと思います」
 という言葉であった。こういう心構えが長年に渡り、完璧な仕事を無事故で成し遂げているのだということを教えられたような気がした。

 まだお会いして話をしたことのない役所の職員の中にも、彼のような本物のプロフェッショナルが各所にいるはずである。

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