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2013年2月

2013年2月27日 (水)

岡崎市の防災対策(避難所と防災会議委員)

 災害時の一時避難所についてご報告申し上げます。
 昨年の11月22日、市内にある七つの県立高等学校のご理解を得て、一時避難場所および風水害時の避難施設として学校施設を利用できるように協約を結びました。
 12月18日には、同様に東日本大震災のときに首都圏主要駅に多くの帰宅困難者が溢れたことを教訓に、明大寺の「自然科学研究機構」のご協力により「岡崎コンファレンスセンター」を帰宅困難者支援施設として指定することができました。

岡崎コンファレンスセンター

 この施設は、名鉄東岡崎駅からも近く、一日の平均乗降客数が3万6000人を超える東岡崎駅の利用者が帰宅できなくなったときにたいへん有益な施設になるものと確信しております。県立高校や国立の世界的に有名な施設がこうした地域防災のためのご理解を頂けることをたいへん感謝いたしております。

 私自身、平成12年の東海豪雨の折に名古屋の鳴海駅で名鉄電車がストップしてしまい、鳴海小学校の体育館で一夜を過ごしたことがあります。体育館では毛布と乾パンをもらいましたが、豪雨災害の正確な情報が入らなくてたいへん不安な思いをした経験があります。こうした防災施設には、災害時の衣食対応と共に正しい情報が提供できる設備も必要であると思っております。

 東日本大震災の折に浮き彫りになった「避難所におけるプライバシーの確保」の問題について、避難所における災害弱者と言われる女性や乳幼児等のプライバシーの確保につとめることを、地域防災計画に追加しました。また、岡崎市防災会議条例も改正し、委員数を増やすとともに女性委員の数を増やすことにいたしました。
 今回、学識経験者や自主防災活動にかかわってみえた方の中から新しく4名の女性の方に防災会議の委員にご就任いただきました。名城大学の柄谷友香准教授、名古屋大学減災連携研究センターの近藤ひろ子先生、長年防災リーダーとして実績のある天野優子さん、そして「災害ボランティアおかざき」所属の木下尚美さんであります。今後は「女性の視点」から防災対策に対するご意見をいただき、それを施策に反映してまいりたいと考えております。

 また2月7日には、岡崎市内の県立特別支援学校4校を福祉避難所に指定する協定を結びました。

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2013年2月25日 (月)

新世紀アメリカ事情 第3回・第4回

新世紀アメリカ事情

内田康宏事務所からお知らせ申し上げます。

ホームページを更新しました。2001年秋に東海愛知新聞に掲載されたコラム『新世紀アメリカ事情』の続きをUPしました。
第3回「合理的な危機管理」と、第4回「大リーグ観戦記」です。

内田康宏ホームページ - 新世紀アメリカ事情

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2013年2月24日 (日)

吉・凶に思う

能見不動尊 貞寿寺

 2月某日、わが人生60年で初めての出来事が起きた。
 おみくじで「凶」を引き当てたのである。
 何せ人生初のことでもあり、なんとなく嬉しくもあった。私は神社仏閣にお参りをした折、おみくじがあれば賽銭代わりに必ずおみくじを引くことにしている。これまで少なくとも、何百回とおみくじを引いて来たはずであるが、だいたい中吉か大吉ばかり出る。たまに小吉や吉ということもあったが、ひょっとしたら凶というのは入ってないのではないかとずっと思っていた。それが本日、凶も入っていることを確認できたのである(とすると、やはり私は今までついていたのかもしれない)。

 このことを喜んで人に話したところ、結構ほかの人は凶を引き当てていることを知った。ふつうは凶を引いたことなど他人には話さないらしいことも分かった。黙って木にくくりつけて置き、後日再度引き直すというのが作法らしい。私は記念に取っておくことにした。

Nomifudoson20132

 以前、正月におみくじで凶を引き当てた友人から「気味が悪いので二回、三回と引き直したところ、三回とも凶が出てしまった」という話を聞いていたので、私も豆まきのあと、もう一度引いてみた。お祓いの効果があったせいか、今度はお決まりの大吉が出た。
 ところがである。表題はともかく、中に書いてある個々の細目は、たいして変わりがないことが分かった。要するに「身を慎んで努力すればやがて願い事は叶う」という当たり前のことが言葉を変えて書いてあるのであった。
 どちらにしても、今年は身を慎んで慎重に物事を運ぶように気を付けようと思っているこの頃である。

服部正成と稲姫

 当日豆まきの会場には、グレート家康公「葵」武将隊のメンバーの中から、服部正成と稲姫のお二人がお手伝いに来ていた。こうしたところまで出演して岡崎を盛り上げるためにがんばっていることを大変ありがたく思っております。彼らには何とか岡崎100周年まで続けてほしいと願っている。

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2013年2月20日 (水)

『リバ!』2013年3月号

『リバ!』2013年3月号

内田康宏事務所からお知らせ申し上げます。

現在『リバ!』(株式会社リバーシブル発行)に連載中の「内田やすひろの徒然市長日記」が基本的にブログを元にしたものであることは、ご案内のとおりです。
しかし本日発行の3月号のコラムは市長の書き下ろしです。『リバ!』でしか読めない文章ですので、この機会にぜひご覧下さいますようよろしくお願い申し上げます。

星城高校男子バレーボール部に所属する、矢作中、矢作北中、六ツ美中、竜海中出身の6人のメンバーが、今月号の表紙を飾っています。

<追記>
『リバ!』をお持ちでない方のために、本文を以下に転載しました。
内田やすひろクロニクル ~その3 議長就任から市長当選まで~

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2013年2月17日 (日)

プロの技

岡崎市役所 西庁舎

 2月も中盤となり、間もなく市長職満4ヶ月を迎えようとしている。これで、少し落ち着いて、今までの足跡を振り返る心の余裕が出てくるかもれない。

 何と言っても3,500人近い大所帯が、この岡崎市役所である。特定の職員とは何度も顔を合わせて話をしているが、まだまだ一般職の個々の職員とは挨拶もできないでいる。
最近当たり前のことをうなずきながら確認することがある。役所というところは、様々な特技、資格を持った専門家たちのパズルの組み合わせのような組織だとも言える。そのことは個々の担当官と意見を交わすときによく分かる。
 それぞれ自分の専門分野のことになると、立て板に水の弁論が続き、さらに法律的な裏付け話まですぐに出てくる。本当に優秀だと思う。
 ただ私の県議時代の経験からして気を付けていることは、そうした意見が中立的で素(す)の意見であることは稀であり、多くは特定の方向への誘導の意志が見え隠れする点にある。
 さらに、一般論として言うならば、官吏は自分たちに都合の悪い情報はあまり積極的に報告しないものである。国会でも風呂敷に包んだたくさんの資料を官僚たちは持ってくるが、議員が問題点に気付いて指摘しない限り、彼らはそれを解いてまで詳しく説明しようとはしない。議員に余計な知恵を付けさせないためだ。そんなときこそ、個々の議員の政治家としての器量が問われることになるのである。

 余計な話から書いてしまったが、それにしても役所の職員の専門分野における力量には舌を巻くことが多い。
 財政部門の担当官は、当然ながら数字に明るく、政治経済の動向を見通しての見識を披露してくる。ときに一方的に説得されてしまいそうになる。
 法律分野の担当官は、発言に法令や条文に則ったものが多く、抵抗できない。
 ある広報の職員は、私の書いた文章を分析し、文体を似せた基本文案を持ってくるという熱心さで、驚かされる。
 他にも自己の専門分野に誇りを持って堂々と持論を述べる職員がたくさんいることに驚くと共に、たのもしく感じることがある。こうした一人一人の人々がそれぞれの担当分野の一隅を照らしており、総体としての役所の機能を成り立たせていることが最近実感としてわかってきたような気がする。

 今、私の公用車の担当運転手の運転を見ていると、まったく自分の車の運転が恥ずかしくなってくる。まるで自動車教習所の教官が隣に乗っているかのような交通法規に則った安全運転をする。その慎重さは際立っており、少し遠くからでも歩行者を発見すると、その人が通り過ぎるまで待ってからこちらの車を出す。交差点でも必ず対向車に道を譲り、彼がクラクションを鳴らすことを一度も見たことがない。その上時間には正確で、私のせいで出発が遅れてもちゃんと定時前に目的地に送り届けてもらえる。こういうのをプロの仕事とでもいうのであろう。
 おまけに彼のプロらしさは、私に神経を使わせまいと余計なことを一切話さない点にもうかがえる。お調子者でお喋りの私にはとても務まりそうにない。前市長が彼を専属運転手として長年手放さなかった理由がよく分かる。
 一度彼に、「あなたは事故なんて一度も起こしたことないでしょ?」と尋ねたことがある。そのとき返って来たのは、
「はい、ありません。でもそれは偶然のことだと思います」
 という言葉であった。こういう心構えが長年に渡り、完璧な仕事を無事故で成し遂げているのだということを教えられたような気がした。

 まだお会いして話をしたことのない役所の職員の中にも、彼のような本物のプロフェッショナルが各所にいるはずである。

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2013年2月13日 (水)

「先生」と公用車について

 昨年12月に衆議院選挙が終わり、またたくさんの新人の国会議員が生まれた。
 今回はまだ耳にしていないが、毎回国政選挙が終わるたびにニュースとなる茶番劇がある。ことに新人議員に多く見受けられるのだが、
「私を先生と呼ばないでください」
 とか、
「うちの事務所では先生という言葉を使ったら、罰金1000円です」
 といった類いの流行である。
 流行り病(やまい)のようなもので、番たびこうしたことが言われるので聞いていておかしい。「先生」という言葉が社会階級的上位を表しているように感じられるため、そういうことを避けるほど「私は進歩的です」と言いたいらしい。しかし、毎回半年か一年もすればそんな話は雲散霧消してしまう。呼ばれている方も、いちいち「先生と呼ぶな」と言うことが面倒くさくなってきてしまうのである。
 さらに言えば「先生」という言葉が学校の先生やお茶やお華、踊りの先生の「先生」とは違って、たいして尊敬の念を込めて使われているわけではないことがわかって来る。
 「先生」という言葉は実に便利な言葉である。議員の名前が思い出せないとき、「先生」という呼称を使えば何とかなる。ふつう何百人もいる国会議員や各地方議員の名前をいちいちすべて覚えられるわけがなかろう。そこで「議員」とか「先生」という代名詞が活躍するのである。かつて、台湾観光に行った男の人が夜の街をうろつくと「シャチョーさん、シャチョーさん」と変なアクセントの日本語で呼ばれたアレと本質的には同じことであろう。

岡崎市 公用車

 公用車についても同様のことが言える。
 黒塗りの公用車というのが妙に反感を買いやすいのも、一種の社会階級の象徴と見られやすいからであろう。私のブログにもそんな意見が何度か来たことがある。公用車に対する感情的反発、階級的憎悪の入り混じった思いが込められているようであった。
 私も個人的には公用車など、どんな車であろうと何色でも構わない(赤はイヤだ)。
 以前「プリウスと私」で書いたように、車は靴や下駄のような移動の道具のひとつだと思っているからである。

 しかし、役所で「籠の鳥」状態でいると、実に不便である。ちょっと近所に行くだけで公用車を使用するのは気が引ける。
 そこで「自分用に役所にスクーターか自転車を置いては駄目か?」と訊いてみたところ、秘書課から即座にノーの返事が返ってきた。また、私が個人的に自分の車に乗って出かけることも役所は歓迎していない。私のような立場の人間がもし人身事故でも起こせば、すぐ進退問題になる。そのたびに選挙のやり直しをすることになれば、財政的にたまったものではない。それともう一つ、政治家というものは好むと好まざるとにかかわらず、敵対する勢力ができてしまう立場である。車でわざとぶつけられる可能性だってある。そんな安全確保の理由も含め、現在の公用車の制度ができているのであろう。

 それにしても、自分で車が運転できないというのがこんなに不便なことかと毎日感じさせられている。「空いた時間にちょっとそこまで買い物」ということができないのである。
かつてアメリカ人が燃費の悪い大型車を使う生活態度を世界中から非難されることがあった。だが彼らは一向に自分たちの生活態度を変えようとはしなかった。なぜならば大型車でいつでもどこへでも自分の好きなものを持って出かけることができるのが、彼らの自由の証であったからである。最近は経済的理由で日本車や小型の車を使う者も増えてきたが、車が彼らの自由の象徴であることは変わっていない。(ということは、やはり私には自由がないということだ。)

 ではなぜ公用車の多くに、市長や市議長にはクラウンやレクサスが使われ、県知事、県議長にはセンチュリーやシーマなどの高級車が用いられているのか?
 社会階級的な位置づけの意味合いがまったくないとは言えないが、使用する立場の人間が優越意識を持っているというよりも、世の中のシステムに起因していると言える。

 私が県会議長で、全国議長会に出席したとき、また、市長になって東海市長会に出たときも、まさにきれいに黒塗りのセンチュリーや黒のクラウン、レクサスのオンパレードであった。国庫補助がなければ年度予算の編成もままならぬような県や市の車まで、同一車種であった。この点には私も矛盾を感じないわけではないが、普段顔を合わせることのない多くの人々がいちどきに一箇所に集結するとき、警備上簡単なチェックでスムーズに身元確認が行えるよう、こうした形が定着してきたものと思われる。要するに、車の車種で識別しているのである。
 ときに黒塗りではあるが、低燃費のワゴン車を公用車として使っている自治体もあった。しかしそれらの車は止められてしっかり身元確認をされていた。こうした時間のロスも困りものである。しかもこうしたケースは低燃費車を使っているということを売り物とした、「私は環境問題に理解のある政治家である」という選挙向けのポーズであることが多い。

 繰り返すが、私は個人的には車は靴や下駄と同じで、道具のひとつにすぎないと思っている。
 もっとも公用車はこうした形ではあるが、一定量日本の高級車市場を支えているという経済的側面もある。もし、これを小型車に変更したとして果たしてどれだけの予算削減となるだろうか。逆に日本経済の柱のひとつである自動車産業にどんな影響が出るかも考えてみてもいいだろう。世の中には、一見無駄に見えて決して無駄にはなってないこともあるのである。

 しかし、だからと言って高級公用車を使用することを正当化する気もない。今使っている車が古くなったら、次は燃費のよいプリウスや、岡崎産の三菱自動車の新型プラグインハイブリッド「アウトランダー」のような車にしても構わないと私は思っている。

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2013年2月 9日 (土)

うちの猫 Ⅱ -勇者キック-

 フェイスブックの「ねこ部」のみなさんのリクエストに応え、選挙前に続き、「うちの猫 Ⅱ」を書きます。

 以前「内田家の犬と猫 Ⅰ」で記述したとおり、我が家には犬1匹(17歳の老犬)と猫が5匹いる。いずれも立派な雑種である。犬は豊田市の動物管理センターから引き取ってきた犬で、うちでいちばんのお利口さんで、功労者であり、また私の大切な相棒でもある。ただ老齢のせいで最近耳が遠くなり、足腰が弱っている。しかし、まだ番犬の役を果たしている。
猫は13歳のばあさん猫(私の担当)と、2歳半になる康生のボス猫(嫁さんの愛猫)と、去勢された1歳半の猫たち(オス2、メス1。この3匹は娘の担当)がいる。
 別に猫が好きで5匹も飼っているわけではない。イカンと言っても子供たちが拾って来てしまうのである。もっとも、5匹目のトラ猫は私が拾ってきたので、あまりえらそうなことは言えない。
 私が子供のころは野良犬も野良猫も、社会の中でごみ箱や残飯をあさって生きていける余裕があった。また人の目も彼らに優しかった。しかし、現代のようにあらゆることが公的管理のもとに置かれ、ごみは密封され、定期収集の形になると彼らが単独で生きて行くのは至難の技となってくる。人間に捨てられたら、飢え死にするしか道はないのである。
 よく野鳥や自然の動物の保護活動に熱心な方々がみえるが、もっと身近な、人間にとって古くて長い付き合いである犬や猫にも心配りをしてほしいと思う。毎年全国で何十万頭もの犬猫が故なくして殺処分されているのである。彼らは言わば、人間の身勝手の犠牲者だと言える。
 こういう世の中になって、いじめや子育て放棄、家庭内暴力などの問題が起きているのは、決して偶然ではないような気がする。

内田家の猫 キック

 前置きはこれくらいにして、今回は地域のボス猫となったうちのキック(2歳半、オス)について書こうと思う。
 小さいころは写真のように白黒のかわいい子猫ちゃんであったが、どういうわけか犬の散歩に同行するのが好きで、置いて行こうとするとギャーギャーと泣く。そのくせ自分では歩こうとしない。仕方なく左手で猫を抱き、右手で犬のロープを持って散歩するのが私の日課となった。そんなところまで見ている人がいて、「内田さんは猫連れで犬の散歩をするのですか?」と訊かれることがあった。車がそばを通るだけでぶるぶる震えているような弱虫の子猫であったが、好奇心だけは人一倍旺盛で、その後窓を閉めておいても自分で戸を開けて外出するようになった。
 網戸に鍵がかかっていれば、金網に大穴を開けて外出するまでにもなった。この猫のために私は何度金網の修理をしたか分からない。他の猫に比べて、運動神経がよく、活発な猫で垂直の壁なども爪を立てて天井まで登ってしまう。まだ子猫のうちから外に出るたびに喧嘩をして来るようになり、満身創痍で帰って来ることもある。
 あるとき犬がキュンキユン泣きながらその猫をなめているので、何事かと思ったら、体中傷だらけで床に倒れていた。

 「こんなになるまで・・・」と思いながら、獣医に連れて行くこと3~4回。
 5匹の猫のうち、彼だけが去勢手術をまぬかれたのは次の獣医の一言による。
「ひどい怪我だけど、この猫は見上げた奴だ。傷が体の上半身に集中している。逃げ傷がない。これは敵に背中を見せずに戦った証拠ですよ。しかも傷の様子からすると、1対1ではない。複数の相手と一匹で戦っている」
 私はこの言葉を聞いて感動してしまった。
 しょうもない猫だと思っていたが、「お前は男だ。勇者だ」と思った。
 ローマのことわざに、「栄光と賞讃は、美女と勇者にこそふさわしい」という言葉がある。勇者には、勇者として報いてやらなくはならないと思った。私は彼に男の道を歩ませることにした。
 かくしてキックは、○○を取られることをまぬかれたのである。タマタマ○○が取られなかったのではないのだ。昨今の性別不詳の人間の男と違い、彼には○○を保持するだけの資格があるのである。
 今では体も大きくなり、歴戦の結果、顔もごつくなり康生~本町一帯の夜のボスとして君臨しているらしい。彼は毎晩必ず、なわばりの夜回りに出る。一度どこまで行くのか、つけたことがあるが、ビルとビルの間の細い猫道に入られ最後まで追跡ができなかった。

 そのキックがこのところ、5日ほど姿を見せなかった。うちの嫁さんは愛猫の失踪に心配のあまり夜も寝られず、昼寝していた。
 交通事故か? 外に彼女ができたか? はたまた新たな強敵の出現か? このいずれかであると思っていたが、昨日(2月3日)、久しぶりにひょっこりと帰って来た。彼は家族の歓声とともに迎えられた。だいぶ痩せこけて手傷を負っての帰還となった。激闘を物語るように前脚の爪がほとんど折れていた。私は痛々しいキックの姿を見て、少し後悔の念にとらわれてもいた。心を鬼にして子猫のうちに○○を取っておけば彼もこんなにしんどい“ニャン生”を歩まなくても済んだかもしれないと思ったのだ。
 しかし、先の獣医はこんな言葉も発していた。
「猫にも個体それぞれに性格や特徴があり、それを生かしてやることが幸せというものです」

 腹がいっぱいとなり、疲れ果てて眠っているキックの頭をなでながら「もう君はチャンピオンであり続けなくてもいいんだよ」と言っている私であった。
 彼の時代も間もなく終わることになる。

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2013年2月 6日 (水)

岡崎市民会館の今後と、新文化会館について

 市長選挙の争点のひとつになった「新文化会館」と、「市民会館の今後の活用」について再度述べてみたいと思います。
 これまで言われてきた新文化会館構想は、多額の市費の投入が必要となりますし、駐車場に予定されていた公園グランドは国道一号線の交通渋滞も懸念されます。それどころか、国の公園法の規定により新しい建造物はこれ以上建てることができません。さらにグランドからは文化財保護の対象となる歴史的な遺構が発掘され、その上に造作工事もできなくなりました。そうしたことから、今一度原点に帰って、今ある市民会館が延命使用できるのか、また建て直すにしてもその時期や場所、時の財政事情も考慮しながら比較検討して慎重に進めていかなくてはならないと考えております。

 しかし、現在の市民会館には、「空調機の騒音が大きく、音楽鑑賞に支障をきたす」、「客席の椅子の大きさや間隔も狭く、座り心地もわるく、人の移動が困難」、「舞台の奥行や袖および楽屋を含めた舞台まわりの部分が狭い」などの問題点が挙げられており、いずれの問題の改善にも根本的な改修が必要であるとされています。

岡崎市民会館の視察

岡崎市民会館の視察

 昨年12月には、私自身も現地を視察し、担当者から問題点の説明を受けるとともに、私からも様々な改修案を提示しました。先に述べた問題点を解決していくためには、ほかにどのような方法があるのか、またどの程度まで改善する必要があるのか、幅広い見地から関係部局が連携して外部の専門家の意見も聞きながら検討するように指示しているところであります。

 現時点で、延命のための改修工事をおこなう場合、部分改修では17億円程度、また本格改修では25億円近くかかる。現地での建て替えをおこなうと90~160億円かかると言われています。また、他の施設や駐車場の整備等を含めれば、それ以上に費用がかかることが予想されます。いずれにしても多額の費用のかかる事業でありますので、市民の要望と現実的な費用対効果というものを考え、さまざまな可能性を探りながら今後の方針を決定してまいりたいと考えております。

 また、平成25年度には、とりあえずの施設の改修工事として必要な電気設備やホール棟の空調設備などの改修を実施します。そのため大ホールは11月5日から約5ヶ月間休館とさせて頂きます。
 市民の皆様にはたいへんご迷惑をおかけいたしますが、何とぞ、ご理解をいただきますようお願い申し上げます。


岡崎市民会館リニューアル記念式典 (2016.10.20)

市民会館、まもなく再生! (2016.09.09)

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2013年2月 3日 (日)

またやっちまった! Ⅱ

内田康宏

 私が生来の粗忽者であることは、第三者の指摘を待つまでもなく自分自身がいちばんよくわかっているつもりだ。自分なりに気を付けていても、ときどきポカをやらかしてしまう業の深さに我ながらあきれる始末である。

 1月20日(日)、明日でいよいよ市長就任満3か月を迎えるところまで来た。
 今日も朝から日程がいっぱいで、睡眠不足とストレスで少々疲れ果てていた。夜最後の日程が岡崎歯科医師会の新年会であった。歯科医師会は、昨年の市長選において、いち早くご推薦を頂き、様々な圧力にも抗して私に対して力強いご支援を賜った団体である。
 その日、開会から閉会までずっと出席させて頂いた。自分なりに愛嬌を振りまきながら応対をしていたつもりであるが、そこが根っからの宴会苦手男!やっぱり、つまらないミスをしでかしてしまう。
 ベテランコンパニオンのお姉さんを女医さんと勘違いしたり、女医さんをコンパニオンと間違えたりしてしまった。

岡崎歯科医師会

 こんなことを書くとまた叱られそうであるが、一昔前、女医さんと言えば眼鏡をかけたあまり服装に気を遣わない「しっかり勉強して、お医者になりました」というタイプの人が圧倒的に多かった印象がある。また、女性の占める割合も少なかった。
 しかし、男女同権社会の今は、まるでモデルか女優かと見紛うような女医さんが少なくない。女性の方が真面目にしっかり勉強する人が多いせいか、世の中のあらゆる責任ある分野でこういうことが増えてきている。
 私の学校の先輩でもあるA先生のお嬢さん(女医)などはまさにその見本のような人である。和装で近づいてきたときには、ゲストでみえた「ミス何とか」かと思った。最近診察してもらった○○病院の整形の先生もそうだが、「天は二物を与えず」というのは嘘であると思う。
 どうでもいいことであるが、私は美人の女医さんと話をするのも苦手だ。何を言われても「はい」と返事をしてしまいそうな恐怖感がある。「腎臓は二つあるから一つ取りましょうね」などと言われても、うっかり「はい」と言ってしまいそうである。やっぱり医者は年寄の男がいい。

 この日も和服を着た楚々とした女性が私にビールをすすめに来た。少々眠たくなっていた私は相手の顔もしっかり見ずに、
「正月に痛風が発生したので、ウーロン茶を頂けませんか、できたら氷を入れてもう少し大きいコップにして下さい」
 と言ってしまった。コンパニオンのお姉さんだと思っていたのだ。
 しばらくして、にこにこ笑いながら注文のウーロン茶を持ってみえた女性の胸の名札を見て、ドクターであることに気が付いた。立ち上がって平身低頭、平謝りである。
 本宿のK先生、本当に申しわけありませんでした。お許し下さい。
 あなたの寛大さと優しさはまるで女神のようでありました。


またやっちまった! Ⅰ (2013.01.24)

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