« 今日からブログを再開します | トップページ | 海外親善交流 1 »

2012年11月12日 (月)

新米市長の仕事と挨拶回り

 新米の市長であるために毎日各部局からの市政の現状説明とレクチャーがある。
 同時に、決裁のための書類が次から次へと運ばれてくる。説明を受け、ひとつひとつ確認しながら市長印を押しているのだが、私が印を押すことによって一件何億という事業が実施の方向に向かう。もちろん最終的には議会の承認を得なければならないが、のちにトラブルの原因にならないようにと大変神経を使う。
 そうした作業のあいまを見て、県内各地の市町村に挨拶まわりをすることになった。
 それこそ分刻みで西三河各地域の市庁舎をまわった。秘書から「ここは15分から20分くらいで話を終えて下さい」と言われながら、エレベーターに乗り込む。選挙の戦いが激戦であったことと、マスコミでよく取り上げられたこともあって、おいおい話が長くなりがちであった。

第115回 東海市長会臨時総会

 10月24日(水)。
 前日に安城市、知立市、豊田市、幸田町、西尾市とまわった。
 この日は高浜市、三好市、企業庁自治センター、そして愛知県議会の議長、副議長ならびに各党の控室をまわった。とりあえずの当選挨拶であったので、もちろんアポイントなどはとっていない。儀礼的に名刺を置いてまわってくるのが、慣例である。

 選挙の応援をしてもらったわけでもないので、行く必要もないと思ったが、儀礼的に知事、副知事のところにも挨拶に行った。
 もちろん会うことができたならば、ひととおりの挨拶はするつもりでいたが、ちょうど知事公邸において会議中であるとのことであったので、秘書に丁重に名刺を渡して、当選の挨拶の言葉を残して帰って来た。

 翌々日10月26日の某新聞紙上に、このことについて、礼をわきまえない行動のように知事がコメントしている、との記事が載っていた。
 まさか知事がそんなくだらないことを言うとはとても信じられないが、当選後の挨拶で名刺を置いてまわるのは、選挙で当選した者が誰しもやっている当り前の慣例である。そんなことを新聞社が知らないことに驚いた。ましてや普通は、対立候補を応援した人のところに挨拶には行かないものだ。
 私は、いつまでも喧嘩しているように見られることはみっともないと思ったから、儀礼的であっても名刺を置いて挨拶をしてきたのである。なんら恥ずべきところはない。
 どちらにしても触らぬ神に祟りなしということか、と思った。

 その後、中部地方整備局の局長以下、各部長さんのところも挨拶まわりをした。選挙で公約した「新観光産業都市・岡崎づくり」、「水辺空間を生かした町づくり」、「岡崎の伝統産業、石を使ったツインブリッジ構想」などを熱く語ってきた。

 それから公用車で三重県の伊勢市に向かった。翌日行われる東海市長会総会に出席するためである。
 今回岡崎の選挙が全国ネットで新聞テレビに載ったせいか、よく知らない市長さんからも声をかけられ、激励を受けた。全国市長会の会長や東海市長会の会長が向こうからわたくしを見つけて挨拶をされたのには驚いた。
 政治の世界では、俗に「無名より悪名がまし」ということが言われるが、まさにそのとおりだなと思った。

|

« 今日からブログを再開します | トップページ | 海外親善交流 1 »

思想と政治」カテゴリの記事

コメント

なんだか、引き回しの刑みたいですね。まずは、ご自愛ください。そして、早くご自分のペースで行動選択できます事、お祈り致しております。

そこそこお話したいこともございますが、気長にお待ち致しております。(^o^)/

投稿: candle | 2012年11月12日 (月) 23時35分

ブログ再開されたのですね。
無理しない程度に続けて下さい。

投稿: カタクリ | 2012年11月13日 (火) 18時03分

candle様、カタクリ様へ

優しいお言葉をかけて下さりありがとうございます。
こう見えて(?)内田はとても頑健にできています。そして嵐は必ず過ぎ去るものです。だから大丈夫です。
変わらぬご支援のほどよろしくお願いします。

投稿: 内田康宏 | 2012年11月15日 (木) 22時09分

行動の人から学びたい、、、私も苦難に立ち向かう時
いつもトインビーのこの言葉を心に秘めて、他人のせいにしないで、まず自分が一番悩んでいる人の所へ励ましに行く、その積み重ねで70代半ばにして夫と共に元気で活動させていただけることに感謝の日々です。内田市長さんの誠実さ・やさしいお人柄・誰よりも岡崎の未来を真剣に活動されることは、皆さん見ています。頑張ってください。

投稿: YUKIE.A | 2012年11月19日 (月) 14時56分

そういえばアメリカのリチャード・ニクソン大統領は生前よくこう言っていたそうです。
「もし他人が君を憎んだとしても、君が相手を憎み返さないかぎり、彼らが君に打ち勝つことはないんだよ」
内田新市長の市政に期待しています。

投稿: まるやま | 2012年11月21日 (水) 19時33分

YUKIE.A様

返事が遅くなってすみません。
なにせ忙しすぎて一週間に一度しか事務所に戻ってこられません。毎週土曜日の夜に友人に手伝ってもらってブログを作成しております。公開してしまってから、つまらないことを書いてしまったと思うこともありますが、あとの祭りであります。
しかし冷静に考えてみればそのときの正直な気持ちが出ているのではないかと思っております。

お便りにアーノルド・トインビー博士の名前を見て、たいへん懐かしく思いました。学生時代に創価学会の友達が何人もいて彼らから借りた本の中に博士の本が何冊かありました。政治というものを考えるときに目の前の出来事のみにとらわれるのではなく、ひとつの歴史の流れの中での出来事として考えることも大切なことを教えられたような気がしております。

投稿: 内田康宏 | 2012年11月24日 (土) 22時25分

まるやま様

お便りありがとうございました。
昔リチャード・ニクソンの伝記を読み、映画『ニクソン』も見たことがあります。
どちらであったか記憶しておりませんが、あなたの言われたことをニクソンが言っておりました。一般に世間ではニクソンをジョン・F・ケネディの敵役(かたきやく)として描きがちであります。ウォーターゲート事件の影響もあり、ニクソンは暗い性格ととらえられ、アイビー・リーグ出身で海軍将校であったケネディは明るいイメージでとらえられております。ケネディもひとかわ剥くとダーティな側面がないわけではありません。暗殺されて早死にしたためにきれいなイメージだけが残ってしまったわけです。

ニクソンは貧しい家庭に生まれ、刻苦勉励の末田舎の大学を卒業して弁護士の資格をとったと記憶しております。アイゼンハワー大統領のもとで副大統領として実務的な成果をのことしたのは彼でありました。苦労人のニクソンの姿を知っている人たちは彼の人間的な深さをわかっていますが、一般にそのことは知られることはありません。
たとえば1960年のニクソンとケネディの大統領選挙のとき投票結果は僅少差であり、2000年のゴアとブッシュの選挙のときのように票の数え直しをした場合、結果はひっくりかえる可能性があると言われていました。しかしそのときニクソンは「負けは負けだ。勝者はケネディだ」と言っていさぎよく身を引いております。

ものごとはひとつの出来事だけで判断できるものではありませんが、世の中には往々にしてこのように判断されてしまうことがあるようです。

投稿: 内田康宏 | 2012年11月24日 (土) 22時49分

この記事へのコメントは終了しました。

« 今日からブログを再開します | トップページ | 海外親善交流 1 »