内田やすひろクロニクル 第2回 「留学時代」
地元の連尺小学校、城北中学校、県立岡崎北高校を経て、昭和46年(1971年)、日本大学法学部に入学。高校の担任の教師に、
「浪人して大学入試を再挑戦したい」
と言うも、
「浪人すれば必ず学力が上がるとは限らん。それに大学は大学生としての学究の場であり、大学の名前より本人の心がけの方が大切だ。もし、そんな余分な時間と金があるなら、君はアメリカに行け」
と言われ、気がつけばその通りの人生コースを歩んでいた。
大学を卒業した昭和50年(1975年)に渡米、ニュージャージー州立ラトガス大学のサマー・コースを受講する。9月からの学部入学の予定が狂い、ニューヨーク大学に通うことになる。ニュージャージー州リビングストン市の教育長宅に居候しながら(ホームステイではない)半年間を過ごす。
NY、ワシントン・スクエア公園にて撮影。昭和50年11月。22歳。
昭和51年(1976年)6月よりインディアナ大学に入学。政治学を学ぶ。2年間の大学生活のあいだ、友人と剣道部を創立したり、日本人会の幹事をやったり、各種パーティーやスポーツ・イベントにかかわったりした。どうもその頃の経験が今日につながっているような気がしてならない。
日本人会で主催したパーティーにて。
夏休み、冬休みは日本へ帰らず、グレイハウンドのバスを乗り継ぎ、アメリカ大陸をほぼ一周。また友人と二人で中南米探検の旅にも出た。上の写真はペルーの奥地、マチュピチュに行ったときのもの。当時23歳。
このころは朝から晩まで勉強していた。そんなことはこれまで私の人生にはなかった。寮→学部→図書館→寮→学部・・・という魔のトライアングルの毎日。
この写真は大学の構内のレモン湖で撮ったもの。まさか中西部のここでヨットに乗れるとは思わなかった。ひさしぶりの解放感にゴキゲンの私。(つづく)
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コメント
開所式ありがとうございました。
クロニクルいいですね。
昭和48年(1973年)生まれのみうらはこの当時
まだ2歳、3歳…。
それにしても先生、芸能人みたいです。
投稿: みうら康宏 | 2012年9月23日 (日) 22時59分
僕でも若いころはあったんです。
今あらためて見ると、あのころはスマートだったんだなあと思います。医者から体重10キロ落とすようにと毎年人間ドックのあとに言われていますが、これがなかなか落ちないんですね。
10キロ落とせたら、着ようと思ってとってある未練がましい服が何着かあります。ぜひこれを着れるようになりたいです。
となりで嫁さんが、
「ムリ!ムリ!」
と言っています。
投稿: 内田康宏 | 2012年9月24日 (月) 23時31分