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2012年9月

2012年9月30日 (日)

シビコ西広場とげんき館のおまつり

GO!おかざきジャンボリー(ちゃちゃ)

 岡崎が台風17号の暴風域に入る直前、二つのおまつりに行って参りました。
 ここはりぶら前のプロムナードです。
 岡崎青年会議所主催の「GO!おかざきジャンボリー」というイベントが開催されました。りぶら前には出店が立ち並び、シビコ西広場に設けられたステージではご当地アイドル・チームの歌と踊りが披露されました。

GO!おかざきジャンボリー(中田屋)

 家康公検定開催記念イベントとして始まったこのおまつりも、今年で3回目を数えます。

 写真とは別のところですが、通りかかった出店で、山中学区からきている方から「豚汁を食べて行って」と言われ、育てる会会長の筒井さんといっしょに頂きました。里芋がぷりぷりして美味しかったです。

げんき館 「秋のげんきまつり」

 さてこちらは若宮町のげんき館。「秋のげんきまつり」です。運動場を囲むようにいろいろなお店が出店しています。昔の夜店を思い出すさまざまな品物が売られていました。出口のところで好物のみたらし団子を三パックも買ってしまいました。

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鈴木しずおさん(9月9日)

 鈴木しずおさんの事務所開所式の記事を付け加えました。日付は9月9日です。

 鈴木しずおさんの事務所開所式

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2012年9月29日 (土)

嫩(ふたば)幼稚園の運動会

岡崎女子短期大学付属嫩幼稚園(ふたばようちえん)

 嫩(ふたば)幼稚園の運動会のご案内を頂きましたので、出席いたしました。
 運動会は園舎のある魚町ではなく、中町の岡崎女子短期大学の体育館でおこなわれました。

 今ひさしぶりに子供さんたちの演技を見ていて、たいへん懐かしい思いにとらわれております。私の3人の子供もこの嫩幼稚園でお世話になり、同じようなお遊戯をしておりました。まだほんのこの間のような気がしますが、3人とももう成人してしまいました。
 再び来ることのない、一瞬のきらめきのような幼児期の子供の姿をビデオやカメラでしっかり撮ってあげて下さい。一生の宝物になると思います。今日はいつも幼稚園でみんなががんばっている成果を家族のみなさんが見に来ています。よい子のみんながんばって下さい。

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2012年9月28日 (金)

内田やすひろ総決起大会が開かれました

 この度は本当に多くのみなさまにお集まり頂き、厚く御礼申し上げます。
 9月26日(水)、午後6時30分より岡崎中央総合公園の武道館にて「内田やすひろ総決起大会」が行われました。
 ご案内状には「元総理大臣 安倍晋三先生を迎え」とお伝えしてありましたが、安倍先生の出席は自民党総裁選挙の投票日と重なったため叶わず、奥様の安倍昭恵さんが本日の大会のために岡崎まで駆けつけて下さいました。

安倍昭恵さん。2012年9月26日

 安倍晋三夫人の昭恵さんは、岡崎とも関係の深い森永製菓のご令嬢であり、ご本人自身ラジオのパーソナリティーとしてご活躍中の現代的で素敵な女性であります。また、東南アジアのめぐまれない子供たちのために学校を作る運動に献身されており、ミャンマーには昭恵さんの名前のついた小学校がいくつもあるそうです。

安倍昭恵さん。2012年9月26日

 昭恵さんから激励のお言葉をたまわりました。

「本日は主人がきょうなら大丈夫ということで岡崎に参る御約束をした日でありましたが、みなさまご案内のような理由でわたくしが代理でお邪魔することになりました。
 内田さんは主人の父親の安倍晋太郎の信頼する秘書として、東京でご活躍して頂いておりました。そんなご縁で本日参った次第であります。
 今回の選挙は新党の候補者が強力なバックアップをもって対抗してきている大変な選挙だと聞いております。地元の皆様方のお力を結集して内田さんをぜひ当選させて下さい。わたくしも主人とともに、東京からですが出来る限りのお力添えをしたいと思っております。また、ぜひ主人には選挙中に一度、岡崎へ足を運ぶように頼んでみます」

元法務大臣の杉浦正健先生

県議会議員の青山秋男先生

 元法務大臣の杉浦正健先生、県議会議員の青山秋男先生をはじめ、そのほか本当に数多くの諸先輩、諸先生から励ましのお言葉を頂戴いたしました。ありがとうございました。

内田やすひろ総決起大会

 私内田康宏は、これまでは自民党に所属する保守の県議として、7期26年を過ごして参りました。しかしこれからは、無所属の立場で広く市民全体の声を市政に反映しなければなりません。
 次の岡崎を考え、新しく住みやすい岡崎を作るために努力いたします。
 今回の選挙は一地方の市長の選挙という以上に、よそから注目を集めております。マスコミは国政選挙を控え、自民と民主、そして新党の三つどもえの戦いとして総選挙を占う前哨戦としてとらえています。わたくしたちは否応なしにそうした国政の嵐に巻き込まれつつあります。
 さらに今回の選挙には、地元とは関係のない大きな力が関与してきております。本来、地方の政治のあり方はその地域および住民にゆだねられているはずのものであります。しかしそう考えない人たちもいるのです。もし今回、岡崎で私たちが敗れることになると、次々と他の都市へもその影響は波及することになるのです。私たちは何としてもそれを食い止めなければなりません。
 今回の選挙はそうした地方の民主主義を守るための戦いでもあるのです。

 今、私の心の中を占めているいちばん大きな動機は、この岡崎に生まれ、岡崎に育ち、岡崎が大好きで、このかけがえのないふるさと岡崎を少しでもよくしたい、という一念に尽きるのであります。

 現在岡崎の人口は38万です。間もなく40万、50万となるでしょう。これから国の政策は道州制に向かって大きく舵が切られることになります。そうした新しい時代に向けて、未来の三河岡崎100万都市を念頭にこれからの都市計画、町づくりを考えていかなくてはならないと思います。

内田やすひろ総決起大会

 がんばろう三唱を唱和しました。
 輝く未来を子供たちに。

内田やすひろ総決起大会

 今回は内田後援会青年部と青山周平青年部「青山会」、中根よしたか青年部、そして額田・川遊会の4者協力で会の取り回しをやって頂きました。新しい時代に向けて、大同団結した若い力の結集の第一歩であってほしいものであります。

内田やすひろ総決起大会

 さらに後援会・女性部、さつき会はじめ各年代のさまざまな女性のあたたかいご支援により、本会が成功に導かれたものと思っております。
 感謝。

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浅井久仁臣さんの講演会

浅井久仁臣さんの講演会 2012年9月28日

 「浅井久仁臣とは何者???」という言葉がスクリーンに映っていますが、浅井久仁臣(くにおみ)さんは1947年岡崎生まれの国際ジャーナリストです。レバノン内戦、湾岸戦争、ユーゴスラビア内戦等々、世界の紛争地域を長年にわたって取材された方です。

 今年2012年、40何年ぶりに故郷である岡崎に戻られたそうです。本日りぶらの会議室で浅井さんの講演会を聞く機会を得ました。

 浅井さんのお母さんは、私が城北中学校でお世話になった浅井千代子先生(当時のあだ名は「エレキばばあ」。失礼!)であることが判明。久仁臣さんはお母様の印象とはたいへん異なる、全共闘世代の「飛んでるおじさん」でした。
 現在は額田の保久(ほっきゅう)にご家族とお住まいとのことです。岡崎市内よりも平均4度も低く今年の熱帯夜でも冷房は要らなかったそうです。「みなさん山に住みましょう」と言っておられました。それから、
「額田の山の上から見張っていますから、市政を預かる方はしっかりやってもらわなくては困りますよ」
 と壇上から言われてしまいました。

 たいへん面白いお話でしたが、残念ながら次の予定が入っていたため第二部の途中で中座しました。

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2012年9月27日 (木)

内田やすひろクロニクル 第3回 「安倍晋太郎先生の秘書になる」

 昭和53年(1978年)6月、イリノイ大学主催の第19回ヨーロッパ探求旅行に参加。日本人は自分だけだった。旅行終了後、フィンランドのヘルシンキからモスクワを経て、ソ連を単独横断、出発から3カ月後ナホトカ経由、船で横浜に帰る。実に三年半ぶりの帰国となった。
 帰国後、父の三度目の市長選を手伝ったあと、昭和54年(1979年)5月末より、当時竹下登氏、中川一郎氏、宮澤喜一氏らと共にニューリーダーと呼ばれた安倍晋太郎代議士(晋三・元総理の父)の秘書となる。福田派・清和会付きの秘書として全国遊説の随行役を担った。

安倍晋太郎先生と共に

 仕事を終え、安倍先生と遅い夕食をとっている一コマ。

 テレビや新聞でしか見たことのなかった、田中角栄、福田赳夫、大平正芳、三木武夫、中曽根康弘といった大物達と毎日の様に顔を合わせ、後に〝三角大福時代〟、〝自民党戦国時代〟と呼ばれる激動の時代にかけがえのない政治体験をすることができた。
 当時、世田谷の安倍邸に来てみえた晋太郎先生の岳父、「昭和の妖怪」こと岸信介先生と何度かいっしょに朝食を頂いたことがあるが、緊張のあまりしびれた。今そんな政治家はいない。

 昭和55年6月。衆議院選挙(衆参同日選挙)に突如自らが出馬することになった。
 本来ならば、父が出馬するのが順当であったが、3回目の市長選挙を終えたばかりで岡崎の経済界から自重を求められていたようだった。現職の県会議員も県会の職を賭けてまで国政選挙にうって出る決断をされる方もなく、お鉢が私にまわってくることになってしまった。
 千賀代議士以来、三十数年間地元の代議士のなかった岡崎に、中央との独自のパイプを作ろうという気運の高まりに乗ってしまった形になった。今思えば、傍から見れば無謀な挑戦としか見えなかっただろう。

 準備不足の中、解散から33日間の総選挙を全力で戦うも、78,480票の御支援を頂きながら当選には至ることができなかった。悔しさと共に徒労感にまみれた選挙戦だった。

 その後選挙違反事件が起き、岡崎市民に多大なる御迷惑をおかけすることとなる。自らが関与していなくとも、こと志に反する不祥事に対するショックで政治への道を断念しかける。しかし、選挙違反事件に連座した市会議員の3分の2以上の方々が各地で私を励ます会を開いて下さった。
「君がここで志を断念するということは、自分たちがやってきたことがすべて過ちであったということになってしまう。くじけることなく、再起を期してほしい」
 と何度も励まされたものだった。
 そうした皆様の変わらぬ決意と熱心さによって、徐々に私の心も変わって来た。さらに多くの支援者の方々からの励ましと期待の言葉とお支えの力のおかげで、今日への歩みを再開することができました。感謝。(つづく

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2012年9月26日 (水)

「岡崎市長選挙公開討論会」のお知らせ

 来たる10月8日(月)の祝日に、岡崎市長選挙の立候補予定者による公開討論会を開催します。開会は午後6時50分、会場は六供町の市民会館です。
 市民団体「岡崎市長選挙 合同・個人演説会実行委員会」様がこのたび、この討論会を企画して下さいました。

 9月20日の中日新聞朝刊に記事が載っておりましたので、ここにお知らせします。
 記事にありますように、わたくし内田と対立候補の方の二人で参加する予定です。大いに議論を戦わせようと思っております。お時間のある方は、この機会を見逃さず、ぜひ会場まで足をお運び下さい。

 内田康宏のホームページ - イベント情報

岡崎市長選挙公開討論会

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2012年9月25日 (火)

野村こうじ市議の事務所開所式

 9月25日、市議会議員の野村康治(こうじ)先生の事務所開所式が滝町で催行されました。

 平日の昼中にたいへんごくろう様でございます。いよいよあと19日で岡崎の未来を賭けた戦いが始まります。
 今回の選挙は市長選挙と市会議員選挙と県議会の補欠選挙が同時におこなわれます。私は9月11日まで自民党の県会議員でありました。7期26年に渡って皆様方のおかげで県政の場で仕事ができましたことをお礼申し上げます。

 野村こうじ先生も3期12年にわたり、市議会で献身的な努力をされて参りました。その結果、議長職も担い一度は退任の決心もされました。
 しかし、これからの岡崎の道筋を確かなものとするため、このたび新たな挑戦の決心をかためられました。今回の選挙で市議会は多くのベテラン議員が退職されます。そうした中で議会の伝統をきちんと伝えて行ける野村先生は、欠くことのできない存在であります。

 私も野村先生ともども次の岡崎を考え、新しい岡崎を築くために全力をあげてがんばります。人口38万の岡崎も間もなく40万、50万となり、国の道州制の導入によっていずれは三河の100万都市となることでしょう。私たちは今からそうした未来の岡崎を頭に描きながら街づくりを考えていかなくてはならないと思います。今回の選挙はそのための新たなる出発であります。皆様方の一層のご理解を野村先生ならびにこの内田に賜りますことをお願い申し上げます。

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2012年9月24日 (月)

平成24年 県立岡崎北高校同窓会

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 私の母校である県立岡崎北高校の同窓会が、9月23日(日)、竜美丘会館大ホールにて行われました。

 気分はまだ若いときのままのつもりなんですが、ふと見た鏡の中にある自分は、間違いなくそれなりの年齢を重ねています。
 そんなことを思う今日この頃ですが、同窓会に出席すると、現役の高校生が自分の子供より年下であることを発見してまた愕然とします。同時に、久しぶりに会う同級生の顔を見ればたちまち高校生時代の自分に戻ります。そこが同窓会のいいところではないでしょうか。

 合唱部の歌と吹奏楽部の演奏を聴きながら自分の青春時代のことを思い出しました。カーペンターズ・メロディーの中の「クロース・トゥ・ユー」は、ちょうど高校三年生のときに流行っていた曲。カレン・カーペンターの清冷な歌声と姿が今も脳裏に甦ります。昭和45年。万博の年でした。

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  ダニエル・ビダルが歌っていた「オー・シャンゼリゼ」を聴いたときには、大学の法律学科にいたある友人のことを思い出しました。

 ふだんは理屈っぽくて、理知的で、感情的な動揺というのがほとんどない男であったが、どういうわけだかフランスの女性歌手、ダニエル・ビダルの熱狂的なファンであった。「最近学校で見ないな」と思っていたら、実は来日中のダニエル・ビダルを追っかけて大阪まで出かけていたということもあった。
 あるときテレビで彼女のコンサートを見ていたら、舞台上まで花束をもって駆け上がる男がいた。それが彼であった。
 弁護士志望の友人であったが、広島出身の彼がその後司法試験に受かったかどうかは定かではない。
 当時それを見たときに女のおそろしさと男のかなしさを思った。

 その後、先輩や同級生のテーブルを回ってご挨拶をして中座いたしました。最後までいることができず申し訳ありませんでした。

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好きな映画ベスト10 追記

 ホームページのインタビューで「好きな映画ベスト10」を申し上げました。そこから漏れてしまったものをブログでご紹介したいと思います。

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怪談』(1965年日本)
 ラフカディオ・ハーンの怪談話が原作のオムニバス形式(短編4話)の日本映画です。180分を超える長さですが飽きさせません。録画したビデオは私の宝物のひとつ。

ゴッドファーザーⅠ・Ⅱ・Ⅲ』(1972年~アメリカ)
 言わずと知れた古典的名作。父親と違って穏やかな人生を送りたいと思いながら運命がそれを許さず、父が撃たれ、兄が殺される。次第に狼の血に目覚め嵐の中に身を投じてゆく主人公のアル・パチーノが、自分と二重写しに感じることがある。

マレーナ』(2000年イタリア)
 第二次世界大戦中のシチリア島を舞台にした、懐かしさにあふれた映画。主人公の女性がただただ美しく、哀しい。

狼男アメリカン』(1981年アメリカ)
 当時流行っていたよくあるホラー映画かと思って見たらびっくり。とても個性的な映画です。ロンドンの風景と不思議なアレンジの「ブルー・ムーン」が忘れられません。

“ジェイソン・ボーン”シリーズ(2002年~アメリカ)
 『ボーン・アイディンティティー』、『ボーン・スプレイマシー』、『ボーン・アルティメイタム』の三作をこれまでに見ました。記憶喪失の諜報員が主人公のアクション映画です。最近の映画ではこれが好き。アクションが秀逸。

たそがれ清兵衛』(2002年日本)
 山田洋次監督の時代劇。ご覧になった方はきっと多いと思います。ほのぼのとした映像の中に、独自の侍としての誇りを守り抜いている男の姿が共感を呼びます。しかしこんな生き方は私にはできない。

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2012年9月23日 (日)

柴田いずみ市議の事務所開所式

柴田いずみ市議 事務所開所式

 丸山町にある、柴田泉(いずみ)市議の事務所開所式でもご挨拶をいたしました。

 柴田いずみ先生は市議会で議長職を経験され、現在自民党岡崎支部の支部長代行という重鎮であります。しかしながら当選回数は2期であります。2期で重鎮というのはおかしなものでありますが、今回の選挙では各党のベテラン議員が13人もご勇退されますので、ますますもって柴田先生の存在感は大きなものとなります。
 そんな柴田先生でありますが、今回の選挙は楽観できるものではありません。定数は40から37に削減され、新人候補が19人も出馬されます。当落ボーダーラインは3000票を超えるとも言われています。このような激戦を勝ち抜いて柴田先生を当選させるためには、地元男川学区の皆様方の力の結集が不可欠であります。
 よろしくお願いいたします。

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加藤よしゆき市議の事務所開所式

加藤よしゆき市議 事務所開所式

 雨のなか、加藤義幸(よしゆき)市議の事務所開所式に行って参りました。場所は福岡町です。

 ふつう今日のような雨が降ると、「生憎の天候で~」という枕詞がつくものですが、これだけ暑い夏日が続くと、ちょっとした清涼剤のような気がいたします。
 加藤先生は、市議会でちょうどそんな存在であります。
 俗に政治家というのは、声が大きくて、前裁きが荒くて、俺が俺がという人が多いわけですが、加藤先生はポスターの写真のように、物静かで紳士的な方であります。白衣を着てビーカーとフラスコでも持って大学の研究室にいる方が似合いそうなタイプです。
 そんな加藤先生ですが、実際に地域の代表としては誰よりもこまめに地域を歩き、地元の問題に真摯に取り組んでいる方であります。こうした議員の存在というのは地域にとってひとつの財産であります。

 10月14日に始まる今回の選挙は、市会議員の選挙だけではなく、市長選ならびに県会の補選をあわせたトリプル選挙です。実際に選挙が始まると市会議員で47台、市長で2台、県会で4台、それに加えて各党ごとの街宣車が岡崎市内を走り回ることになります。
 一般の市民にはどの選挙に誰が出ているのか分らなくなったとしても不思議はありません。今回の選挙がそうしたものであることを十分ご理解頂き、福岡学区の皆様方がかけがえのない地元の代表である加藤よしゆき先生をしっかりと応援して頂きますことをお願い申し上げる次第です。

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中根よしたかと語る会(岩津学区)

中根よしたかと語る会(岩津学区)

 本日も自民党12区支部長の青山周平さんとと共に、「中根よしたかと語る会」に出席致しました。今回の会場は岩津学区の施設です。
 一致団結と「なかよし」がキーワードです。その思いを込めて、ご挨拶をさせて頂きました。

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内田やすひろクロニクル 第2回 「留学時代」

 地元の連尺小学校、城北中学校、県立岡崎北高校を経て、昭和46年(1971年)、日本大学法学部に入学。高校の担任の教師に、
「浪人して大学入試を再挑戦したい」
 と言うも、
「浪人すれば必ず学力が上がるとは限らん。それに大学は大学生としての学究の場であり、大学の名前より本人の心がけの方が大切だ。もし、そんな余分な時間と金があるなら、君はアメリカに行け」
 と言われ、気がつけばその通りの人生コースを歩んでいた。

 大学を卒業した昭和50年(1975年)に渡米、ニュージャージー州立ラトガス大学のサマー・コースを受講する。9月からの学部入学の予定が狂い、ニューヨーク大学に通うことになる。ニュージャージー州リビングストン市の教育長宅に居候しながら(ホームステイではない)半年間を過ごす。

内田やすひろ 1975年11月、ニューヨーク

 NY、ワシントン・スクエア公園にて撮影。昭和50年11月。22歳。

 昭和51年(1976年)6月よりインディアナ大学に入学。政治学を学ぶ。2年間の大学生活のあいだ、友人と剣道部を創立したり、日本人会の幹事をやったり、各種パーティーやスポーツ・イベントにかかわったりした。どうもその頃の経験が今日につながっているような気がしてならない。

内田やすひろ 1976年8月5日撮影

 日本人会で主催したパーティーにて。

内田やすひろ 1975年12月~1976年1月

 夏休み、冬休みは日本へ帰らず、グレイハウンドのバスを乗り継ぎ、アメリカ大陸をほぼ一周。また友人と二人で中南米探検の旅にも出た。上の写真はペルーの奥地、マチュピチュに行ったときのもの。当時23歳。

内田やすひろ インディアナ大学時代

 このころは朝から晩まで勉強していた。そんなことはこれまで私の人生にはなかった。寮→学部→図書館→寮→学部・・・という魔のトライアングルの毎日。

内田やすひろ インディアナ大学時代

 この写真は大学の構内のレモン湖で撮ったもの。まさか中西部のここでヨットに乗れるとは思わなかった。ひさしぶりの解放感にゴキゲンの私。(つづく

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2012年9月22日 (土)

4人の方の事務所開所式

 秋分の日の今日、3名の市議会議員の方の事務所開所式に行って参りました。

 そのほかに小野政明先生も本日開所式をおこなわれましたが、小野先生につきましては家内と後援会連合会長が出席致しました。ご無礼の段はおゆるし下さい。

神谷としひろ市議 事務所開所式

 神谷としひろ先生の事務所の写真です。先生の事務所は中園町にあります。

 あらゆる選挙の中でいちばん難しいのが市会議員の選挙です。それは競争相手の数が多いからです。前回の選挙で応援して頂いた方であっても、次の選挙ではその人の家族が出たり、親戚が出たり、親しい友達が出たり、仕事でお世話になっている人が出たり、様々なケースが発生します。そうした可能性がいちばん多いのが市会議員の選挙であります。
 地元のことを熟知した地域代表があるかないかは、地域にとって大きな問題です。ことに、地域に重要な課題を持ったところでは有能な市会議員は欠くことができません。

 矢作北小学校の校舎の増築問題を解決するためには、政治手腕抜群の神谷市会議員の力は絶対に必要です。地域の皆様方が神谷先生のお身内のひとりになったつもりで応援をして頂くことが、地域発展のカギだと私は思います。

うめむら順一先生 事務所開所式

 県議選への出馬を表明したうめむら順一先生は、事務所を石原町から大平町のこの場所に移転されました。
 実を申しますと、ここは私がかつて7回の選挙のうち、4回を戦った場所であります。全勝であります。そうした縁起のいい場所でうめむら先生が事務所を張って頂くことは、たいへんうれしく名誉なことであります。ぜひともそのツキを継続して頂き、愛知ならびに岡崎の発展のためにがんばってほしいものであります。

 これまで岡崎の東部および額田地域は、人口減少問題が課題のひとつでありました。
2年後に額田は、新東名高速道路の開通により、名古屋まで30分圏域となります。こうした状況の変化を利して、地域開発を考えることが必要です。新インターチェンジを起点にこれらの地域に優良な住宅用地や働く場所としての企業誘致、ことに物流関係の会社を招聘することが重要ではないでしょうか。
 そうしたことによってこの地域は20年、30年後には岡崎の新しい中心地域を形成することになる可能性が十分にあります。
 現在岡崎の人口は38万人です。間もなく40万、50万を超えることでしょう。そして国の施策は、道州制へと大きく舵を切られることとなります。道州制時代の三河の百万都市・岡崎を念頭に置いて町づくりを考えることが肝要です。これから始まる岡崎の未来を賭けた市長選挙において、わたくしはその任務を果たさなければなりません。そのために全力を挙げて戦い抜く覚悟であります。
 みなさまの一層のご理解とご支援を、県政に飛躍を期するうめむら順一先生ともども、このわたくしにも頂けますことをお願い申し上げます。

吉口二郎市議 事務所開所式

 それから井田町に移動し、吉口二郎先生の事務所でご挨拶をさせて頂きました。

 一見「やさ男」風に見える吉口先生ですが、言いたいことははっきりと言う硬骨漢であります。その点に私はたいへん信頼を寄せています。
 吉口さんのようなタイプの方は議会政治には必要不可欠です。みんなの意見が一方に偏りかけたときに、再度冷静に考え直す機会を与えてくれる方であるからであります。先の岡崎の豪雨災害の折には地域代表として地元に密着した救援活動、事後対策に邁進されたことも思い出されます。さらに素晴らしい岡崎をつくるために吉口さんのそうした能力を発揮して頂きたいものです。来たるべき選挙には地域の皆様方のお力を吉口さんに結集して頂きますことをお願い申し上げます。
 わたくしも共に10月21日に向けてがんばります。
 祈願必勝です。

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「内田やすひろ総決起大会」のお知らせ

 来たる9月26日(水)午後6時30分より、岡崎中央総合公園の武道館にて「内田やすひろ総決起大会」を開催します。
 皆様お誘い合わせの上、ぜひお越し下さるようお願い申し上げます。

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 大会のための準備も今佳境に入っています。岡崎の未来のため、戦い抜きます。皆様のお力をお貸し下さい。

 内田やすひろホームページ - イベント情報

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2012年9月21日 (金)

内田やすひろクロニクル 第1回 「生い立ち」

 私の生い立ちから今日に至るまでの歴史をシリーズで書いていきたいと思います。私がどんな人間であるか。いかにして政治家としての道を歩むようになったか。これを機に皆さん、ぜひ知って下さい。


内田やすひろ1

 昭和27年(1952年)12月23日、辰年生まれ。愛知新聞社(注・東海愛知新聞社の前身)の社主であった内田喜久の長男として、岡崎市康生町に誕生。
 写真はキリスト教系の愛隣幼稚園に通っていたワンパク坊主時代のものである。この頃は日活映画の全盛期であり、石原裕次郎がスターであった。決してそのポーズを真似しているわけではない。こういう生意気なガキであったのである。
 当時の子供達の遊びは刃のついていないオモチャの金属刀でのチャンバラや、銀玉鉄砲を使った戦争ゴッコなどであった。私の子供時代であった昭和30年代はテレビが一般的に普及し始めた時代であり、子供達のヒーローは「月光仮面」や「七色仮面」、「快傑ハリマオ」、「赤胴鈴之助」、「白馬童子」などであった。

 黒潮おどる南海に 血風すさぶ離れ島
 生まれてここに十余年 仇なす敵に剣をとる
 ああ 変幻 三日月丸は 快男児

 私は今でも「変幻三日月丸」の歌を口ずさむことができるが、覚えている人がほとんどいないのが悲しい。
 「鉄腕アトム」や「鉄人28号」のマンガが月刊少年誌の紙面におどり、週刊の「少年サンデー」や「少年マガジン」が刊行されたのもこの頃であった。その後テレビはアメリカの戦争ドラマ「コンバット」や忍者モノの「隠密剣士」、NHKの「ひょっこりひょうたん島」が流行り、映画館は若大将・加山雄三がスターの時代となっていた。

 日本の高度経済成長の始まりと共に生活は年々豊かになり、大きく時代が移り変わっていった。安保闘争などで世間は騒然としていたが、古き良き時代であったことは間違いない。(つづく

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多岐亡羊('93~'94 南北アメリカ・レポート)

『多岐亡羊 '93~'94 南北アメリカ・レポート』より

 1993年1月、私は、アメリカ政府の公式招待による“大統領就任式にともなう国際交流プロジェクト”に日本からただ一人参加する幸運に恵まれました。そして翌年の4月に行われた愛知県議会の中南米行政産業視察にも参加。

 帰国後、東海愛知新聞紙上に発表した文章をもとに一冊の本を著したことは、以前日記で申し上げたとおりです。このあいだは写真をホームページに掲載したことをお知らせしました。

 「大統領就任式に伴う国際交流プロジェクト

 今日、『多岐亡羊 '93~'94 南北アメリカ・レポート』(1994年10月刊行)の文章をいくつか抜き書きして、そちらもあわせて掲載しました。
 お時間のあるときにまたお読み下さい。

 「多岐亡羊('93~'94)

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常磐南学区 内田やすひろを励ます会

 本日も私のために、支援者の方々が「内田やすひろを励ます会」を開いて下さいました。常磐南学区の皆様、まことにありがとうございました。
 また、市議会議員の野村こうじ先生、中根よしたかさん、青山周平さんとご同席しました。

 決意表明のなかで、来週9月26日に迫った、総決起大会のご案内をさせて頂きました。ご都合よろしけれぱ、皆様どうぞお誘い合わせの上お越し下さい。場所は岡崎中央総合公園の武道館にておこないます。

常磐南学区 内田やすひろを励ます会

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2012年9月20日 (木)

岡崎政経同友会 9月例会

 岡崎ニューグランドホテルで「岡崎政経同友会」の9月例会がありました。
 今回は会員としてではなく、10月の市長選挙に臨む候補予定者としてどのような政策を考えているか、また将来の岡崎市の展望、道州制時代に向けての岡崎のあり方などを30分ほど話させていただきました。
 私の講演のあと、第二部としてお茶と音楽の会があり、岡崎出身の悠情さんと山下力哉さんのコンサートを聞きました。

岡崎政経同友会

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2012年9月19日 (水)

事務所の新しい幕です

内田康宏事務所 新しい幕

 私たちの事務所にできた新しい幕です。近くをお通りになった際はお気軽にお立ち寄り下さい。
 9月に入ってから連日帰宅は深夜0時近くですが、倒れている暇はありません。事務所は毎日夜遅くまで開いています。いつでもWelcomeです! スタッフ一同歓迎いたします。

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太極拳の会

「六名体育館で太極拳の会の練習があるので挨拶に見えませんか」
 というお誘いがあったので、市議会議員の小野政明先生といっしょにお邪魔しました。

 中国生まれの太極拳ですが、日中関係の難しい状況の今にもかかわらず、さまざまな年齢層の方々が熱心に練習に励んでおられました。
 先生も女性の方でしたが、参加者も女性が多く、日本における太極拳の浸透度がわかるような気がしました。また、太極拳は武道というよりも、健康体操という色彩が強い気がします。
これからも多くの方が太極拳を通じて健康な生活を送られますことをお祈り申し上げます。

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2012年9月17日 (月)

岡崎理容組合ソフトボール大会

 三連休最後の日、岡崎理容組合のソフトボール大会に行って参りました。会場は、愛知県岡崎総合運動場(通称:県営グラウンド)。開会式でご挨拶をさせていただきましたが、
やすひろーっ!
 という大きな声がかかり、少し驚きました。ともあれ声援はうれしいものです。選手のみなさん、やる気まんまんでしたヨ。

岡崎理容組合のソフトボール大会

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2012年9月16日 (日)

井田学区敬老会

井田学区敬老会 ご挨拶

 岡崎の学区のなかでいちばん世帯数が多く、かつ小学校の生徒数もいちばん多いのが井田学区。
 その井田学区の敬老会に行って参りました。会場は井田小学校の体育館です。生徒があまりに増えたために本校舎だけでは足らず、井田小学校では現在体育館の脇にプレハブが建てられています。

 敬老会のみなさま。多年に渡る社会へのご貢献に、心より感謝の気持ちを申し上げる次第です。いつまでもどうぞお元気で。

井田学区敬老会

 余興として、オカリナ演奏、体操、井田小金管部とバトン部による演奏がありました。

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2012年9月15日 (土)

新東名奥殿地区の工事現場視察

 住所で言いますと、岡崎市奥殿町大字赤峯149番地に今度、新東名のサービスエリアが建てられることになっています。
 三連休に入り何かと忙しい時期ですが、これからの岡崎づくりのキーポイントとなる「岡崎サービスエリア(仮称)」の基礎工事の様子を確認しに行って来ました。図面や見取り図では分からない工事の実態を間近で見ることができました。

新東名の「岡崎サービスエリア」(仮称)

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続いて、やなせ太市議の事務所開所式

 みうら康宏さんの事務所を辞したあと、市議会議員のやなせ太(とおる)先生の事務所開所式に出席致しました。会場は、松本町の松應寺のすぐ南。神事は事務所の中でとりおこなわれましたが、そのあとの開所式は写真のとおりに催行されました。

 平成20年8月。4年前の選挙の直前。
 岡崎が水害に見舞われた際、先頭を切って町のため、市のため奮闘されたやなせさんの姿を思い出し、こんな挨拶をさせて頂きました。

「共に地域の活動をしたこの4年間。私は彼の政治家としての素質に目を見張りました。勘は素晴らしく、頭はシャープで、行動は迅速です。まさに政治家になるために生まれてきた人だと思います。こうした政治家を持つことは一地域のためだけでなく、岡崎市全体にとっても、たいへんな政治的財産であると考えます。
 かけがえのないやなせ先生を必ず当選させるよう、皆様方おひとりおひとりが家族や身内になったつもりで、ご支援をいただきたいと思います。」

 やなせさん、がんばって下さい!

やなせ太市議 事務所開所式

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みうら康宏さんの事務所開所式

みうら康宏さん 事務所開所式

 だんだん気温も下がってきて、エアコンも使わないことが増えましたね。
 市議会議員立候補予定者の三浦康宏さんの事務所開所式に、本日激励ということで参列致しました。会場はみうらさんのお地元である鴨田町、新事務所すぐとなりの中華料理屋さんの駐車場でした。
 はちまきの緑は、「大樹寺の茂れる木、みうらのみ」をイメージしたカラーとのことです。

「・・・4年前の事務所開所式の日は、岡崎豪雨災害の翌日でした。まっすぐ来ることができなくて248号線を通ってきました。動けなくなった車や、道路に横たわる流木をよけながら来た覚えがあります。選挙戦の厳しさを暗示するような情景でありましたが、実際にその年の選挙は、同一地区から対立候補が出たことに加え、準備期間も少なかったせいか、苦敗を味わうこととなりました。
 以来4年間、消防団や交通指導員等の活動をおこない、今度は地元を熟知した、文字通りの地元の代表として立候補を表明しております。今度こそ彼の初心を貫徹させていただきたいと思います。」

 みうらさん――いや、みうらくんは、実を言うとかつて私の秘書を約7年間つとめてくれた人でした。前回の選挙では、惜しくもギリギリのところで涙をのみましたが、今回は何としても必勝して下さい。
 ご健闘を心から祈念しています。

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2012年9月11日 (火)

愛知県議会議員を辞職しました

 26年間つとめた愛知県議会議員を、本日9月11日に辞職しました。小林功議長にその旨の届け出をいたしました。
 今後は、生まれ育ったふるさと岡崎のために全力を尽くします。
 これまでご支援下さった愛知県民、岡崎市民の皆様、ありがとうございました。

愛知県議会議員を辞職しました

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2012年9月 9日 (日)

大統領就任式に伴う国際交流プロジェクト

 今から約20年前、私はアメリカ政府の招待により、“クリントン大統領の就任式にともなう国際交流プロジェクト”に日本人代表として参加しました。続いて、愛知県議会の中南米行政産業視察団のメンバーとして、南米の5ヶ国も探訪しました。
 そのときの写真をホームページに掲載しました。

 大統領就任式に伴う国際交流プロジェクト

 帰国後、上梓した『多岐亡羊 '93~'94 南北アメリカ・レポート』(東海愛知新聞社)からの写真を主に使いました。ぜひご覧下さい。

アメリカ政府MRPプログラム参加者とスタッフ

 ワシントンの国会議事堂の前でパチリ。

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吉口二郎ならびに内田やすひろを励ます会

 夜7時より、井田学区にて、市議会議員の吉口二郎先生と私の合同の「励ます会」を開いて頂きました。井田学区のみなさま、9月1日の励ます会に続いてご参加下さり、ありがとうございました。
 これから選挙戦に向けて吉口先生とともに、新しい岡崎を築くために全力をあげてがんばりますので、よろしくお願い致します。

吉口二郎ならびに内田やすひろを励ます会

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鈴木しずおさんの事務所開所式

安形光征先生、鈴木静男さん

 鈴木静男(しずお)さんの事務所開所式に出席いたしました。新しい事務所は樫山町の須賀神社の近くにあります。
 写真は当日のものではなく、後日撮影したものです。右側が市議会議員選挙立候補予定者の鈴木しずおさん。左側は、後援会会長をつとめておられる市議会議員の安形光征先生です。
 鈴木さんは桜井寺町でお生まれ、現在も生まれ育った町に住んでおられます。岡崎市額田消防団長、桜井寺町総代をこれまでにつとめ、今回市議選への出馬を表明されました。

 額田の統一候補です。額田のみなさんしっかり応援してあげて下さい。よろしくお願いいたします。

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平成24年 菅生川草刈一斉清掃

菅生川草刈一斉清掃

 ここは菅生川(乙川)の明代橋。東岡崎駅から明代橋を通ってモダン道路が北にのびています。
 本日、早朝より行われた「菅生川草刈一斉清掃」に参加しました。

 昭和40年代から続くこの河川美化活動は、三島、梅園、根石、連尺、六名、竜美丘の6学区の住民の皆様で構成された「菅生川を美しくする会」を中心として、多くの方の御協力のもとに行われているものです。

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2012年9月 8日 (土)

うめむら順一市議の報告会

うめむら順一市議の報告会

 「3者合同語る会」でお話をさせて頂いたあと、その足で形埜学区市民ホームに向かいました。市議会議員のうめむら順一先生の報告会にお招き頂きました。心から応援しております。

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中根よしたかと語る会(奥殿学区)

 中根よしたかさんの後援会のご主催による、「3者合同語る会」。(今回は3者でした。)
 奥殿学区市民ホームにて、中根よしたかさん、自由民主党12選挙区支部長の青山周平さん、そして私の3人でご挨拶をさせて頂きました。

 お集まりの皆様、お忙しい中ありがとうございました。

中根よしたかさんの奥殿学区後援会

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ご長寿をお祝い申し上げます

 敬老の日にはまだ少し早いですが、本日土曜日、市内各地で敬老会が開かれました。わたくしもご挨拶のために行って参りました。
 皆様がいつまでもご壮健で、しあわせな人生を過ごされますよう心から念じています。

 初めに連尺小学校で行われた敬老会に向かいました(ごめんなさい。写真は撮れませんでした)。

矢作東学区の敬老会。やはぎかんにて

矢作東学区の敬老会。やはぎかんにて

 「やはぎかん」で開かれた、矢作東学区の敬老会です。

常磐南学区の敬老会

 次に常磐南学区の敬老会に伺いました。会場は常磐南小学校です。

形埜学区の敬老会

 そして形埜学区の敬老会です。会場は形埜学区市民ホームです。

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2012年9月 7日 (金)

立候補予定者説明会がありました

 午後1時30分より、市役所となりの福祉会館にて「立候補予定者説明会」がありました。私は都合により出席できなかったので、事務所より3名参加しました。
 説明会があるといよいよ、決戦のときが近づいてきていることを感じます。愛する岡崎市のために全力で戦う覚悟です。

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2012年9月 3日 (月)

羽根・小豆坂学区 内田やすひろを励ます会

「内田やすひろを励ます会」を開いて頂きました。
羽根・小豆坂学区のみなさまご参加たまわり、ありがとうございました。

羽根・小豆坂学区 内田やすひろを励ます会

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2012年9月 2日 (日)

東康生の皆様ありがとうございました

内田康宏君を応援する会(東康生)

 わたくしの地元である東康生で、「内田康宏君を応援する会」を開いて頂きました。
 町内会、発展会、レディースサークル、そして商店街まちづくりの会の皆様から、隣町の方までお集まり頂きました。それから市議会議員のやなせ太さん。先輩、後輩、子供のころ遊んで頂いたおじさん、おばさんもみんな駆けつけてくれました。

 この26年の議員生活において、地元のみなさんがここまで私のために一丸となって応援して下さるのは初めてのことでした。ほんとうに感謝申し上げます。

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平成24年度 岡崎市地域総合防災訓練

平成24年度 岡崎市地域総合防災訓練

 9月2日(日)、岡崎市の各地で防災訓練が実施されました。47ある市立小学校のうち、21の小学校がその会場に選ばれました。
 私は羽根小学校、城南小学校、愛宕小学校で行われた訓練に参加しました。

平成24年度 岡崎市地域総合防災訓練

 こちらは愛宕小学校。消防署の職員と広幡消防団による放水訓練です。テントではアルファ米の炊き出しがありました。

平成24年度 岡崎市地域総合防災訓練

 愛宕学区総代会長の彦坂圭佑さんとともに。

 事前に集計していた参加予定者のほかに、当日の参加者も非常に多く、市民のみなさまの防災への意識の高さを心強く感じました。

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2012年9月 1日 (土)

井田学区 内田やすひろを励ます会

井田学区 内田やすひろを励ます会

 「内田やすひろを励ます会」を開いて頂きました。井田学区のみなさまご参加たまわり、ありがとうございました。
 本日も、わたくしの基本方針のひとつである「岡崎市の観光産業都市化」についてお話をさせて頂きました。

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