2022年8月10日 (水)

安倍邸・月命日訪問

Uch081001

 8月8日、安倍晋三元総理が狙撃され亡くなって1ヶ月目の月命日、期せずして本宅にお悔やみに伺わせて頂いた。初盆には少し早いものの、8年8ケ月の在任期間とも符合する8並びの訪問となった。
 ちょうど前日まで、山口県長門市にある安倍家のお墓に行ってみえた昭恵夫人自らお出迎えして頂けた。先月から、こうして連日の様に喪服姿で来訪者の対応をされているわけで、その心労がしのばれた。
Uch081002      御本人はまだ気が張ってみえるせいか、冷静に現状を分析し、今後の方針についてテキパキとお話をされた。そうした中で「今回のことは運命だと思っています」という言葉が印象的であった。
   あの様な形で最期を迎えられたことに対し、いかようなお悔やみの言葉も虚しく感じられてしまう。気丈にお話を続けられる昭恵さんの話しに耳を傾ける。


「主人はまだ、やり残したこと、やりたいこともあったと思いますが、政治家としてその務めは十分果たしてきたと思います。妻としては、もっと長生きしてほしかったと思いますが、選挙の最中、演説中に倒れたということは“名誉の戦死„と同じだと思っています。本人にとっても男子の本懐であったはずです」と語られた。

「とりあえず、一段落したところで、下関に戻って、主人が残してくれた下関の実家を拠点に“安倍晋三記念館„の設立に向けて努力をしてゆくつもりです。そして、主人が果たすことのできなかった志を若い人達が引き継いでいける様にバックアップしてゆきたいと考えています」と力強く話された。
Uch081003

 

 まだ傷心いえぬ中、よどみなく決意を語られる様子を拝見してホッとすると共に、9月の国葬後の心理的エアポケットの心配がふと心をよぎる。
 主人がいなくなったことを知らない愛犬ロン(茶色のダックスフント)が、しきりに我々に愛きょうを振りまいてサービスしてくれているのがなんとも悲しい気がした。

 

 いずれにしてもかっての秘書仲間であった元・東京都議会議員の佐藤裕彦先生に同行して頂き、久しぶりの東京行きを無事終えることができたことを感謝しております。
しかし、生前中にお話していた「総理を辞した後、一度御夫妻で岡崎にゆっくりと遊びにおいで下さい」という約束が果たせぬこととなったことが本当に残念である。

Uch081004

(※ 訪問の性質上、昭恵さんの写真が無いことをお許し下さい)

| | コメント (0)

2022年7月29日 (金)

ポスト・コロナの時代に向けて

Uch0729011

 7月27日、久しぶりに岡崎政経同友会の例会に出席させて頂いた。今回は、来年NHKで放送が決まった大河ドラマ「どうする家康」に連動して、岡崎市がどういう政策で臨むかということを副市長がお話されるということであった。
 市政の変転によって、当初観光事業にのり気の薄い意向が聞こえており、心配していたが、大筋は変わることなく積極的に対応準備がなされていることを知り安心した。
 岡崎の観光事業というのは、その根本に「市民が楽しめる快適な都市空間を造る」ということから始まっており、市の中心をS字型に流れる河川空間とお城を活かしてヨーロッパの都市にも負けない、美しく快適な“夢ある新しい岡崎”を目ざしていたのである。
 岡崎をはじめ、西三河の経済的豊かさの大元は言うまでもなく健全な「モノづくり産業」の存在にあり、これを守り育てることが最重要であることは言うまでもない。しかしそれだけではいつまでたっても豊田市の後を追っかける岡崎市でしかなくなってしまう。
 そこで岡崎の歴史・文化、自然を活かした観光産業をもう一つの経済の柱として育てたいというのが“夢ある新しい岡崎”の考えであり、その第一歩がリバーフロント計画であった。
 市民の御理解、国・県の協力の元にその基本的な事業が完成し多くの市民が楽しんで有効活用を始めているのを見るのは何より喜びとするところである。
 そもそもこれらの事業は数多くの識者、専門家、市民代表、商工会議所の方々の知恵と経験を元に国・県のかってない資金援助を得て進めてきた政策であり、一部の特殊政党や、本市の歴史、文化、伝統、市民性に理解の薄い人達によってネジ曲げられてしまう様ないいかげんなのもではありません。
 法律や政治のシステムにも理解が乏しく、特別ワクの補助金は他の目的に流用できないことすら知らない方達に勝手な振る舞いを許すわけにはいくまい。
 子供達が自らの古里に誇りと愛情の持てる素晴らしい岡崎市にしたいと思っている。
Uch0729022我々「原・岡崎人」は、岡崎の伝統・文化を体現した観光政策をポスト・コロナ時代の本市の「モノづくり」に続く、もう一つの経済の柱として確立するために全力で取り組むべきと確信している

| | コメント (0)

2022年7月14日 (木)

元総理・安倍晋三さんを偲んで

Uchi1   先週安倍晋三元総理が奈良で遊説中、手製の銃で撃たれお亡くなりになった。心からお悔やみ申し上げます。
以来、毎朝目覚めてからもずっと悪夢を見た直後の様な不快さが心を離れない。それにしても、ただただ残念である。
   私が父上の晋太郎先生の秘書であったというだけでなく、思想的傾向が近かっただけに総理としての彼の再生を心から願っていた。それがわけのわからない暴漢に生命を絶たれてしまい、不可能となった不条理に悔しさだけがつのる。現在の保守陣営の中で、理念が確立しており、言動もブレない数少ない政治家であっただけに、彼を失ったことは惜しんで余りある。日本の現状を考えた時、まさに国家的な損失である。

思えば、私と安倍家との御縁は40数年前に遡る。
父の友人を通じ、政治評論家の飯島清氏の御紹介を経て、先代の安倍晋太郎代議士の秘書となったことがその始まりであった。
 当時晋太郎先生は農林大臣を降りたばかりであったが、議員会館に面会に訪れた初対面の私に対し
「この世界は水商売と同じで、浮き沈みの激しい世界なんだよ」
「今、この議員会館で先生と呼ばれている議員の三分の一は次の選挙でいなくなる」というお話をして下さったことを今も鮮明に覚えている。
 27才で私が衆院選に臨んだ時、無所属で自民党の現職に対抗して出馬したため、応援はして頂けませんでしたが、一言、
「刺し違えるつもりでガンバって来い」と励まされたものです。
 その後、選挙に敗れ、選挙違反事件に巻き込まれた折りも何かとお心使い頂いたことを思い出します。

Uchi2 Uchi3

 そして7年後、34才で県議選出馬の決心を固め、当時外務大臣であった晋太郎先生にごあいさつにうかがった折には、大臣室で励ましの言葉と共に「もうすぐニューヨークにいる息子(晋三氏)がアメリカから帰ってきて秘書官になってくれる」と、うれしそうに話された笑顔がなつかしく思い出されます。

Uchi4

   晋三さんとのおつきあいは最初の県議選の折に父上の代理として3回応援に来て頂いて以来のことです。
当時まだ幼児であった長男圭亮も抱いて頂くことができました。

 

 

 以来、選挙の度にお世話になり、その後父上の替わりに代議士となられてからも愛知県の青年議員連盟の大会などに何度も足を運んで頂きました。私の県会議長就任と初の総理就任が同じ年であったことも不思議な御縁です。 

   最初の市長選では、自民党の単独支援の厳しい戦いでしたが、当時総裁になられたばかりの晋三さんが奥様と何度も応援に来て頂きました。その時も市長当選と総理就任が同じ時期になりました。

まさに私の政治人生は安倍家と共にあったと感謝しております。

 先回の三度目の市長選の直前(3日前)、東京陳情の仕事の折に議員会館にごあいさつに訪れた私をわざわざお待ち頂いたことも忘れられません。

 その時に、1ヶ月前に8年8ヶ月務めた総理大臣を辞任したばかりであった晋三さんから「こんなメンドウくさい仕事(首長)をまだやるの?」とジョークを混じえてお話しされたものです。

「ところで選挙の様子はどう?」と問われ、「実はきのうからこんなチラシが出回っています」と「5万円返還!」のチラシをお見せしたところ、じっと眺めてから、「これは前回、自民党が負けた時と同じ戦術だよ。油断しない方がいいよ」と言われたことが、思えば最後の直接の会話となってしまいました。

 先日(5月28日)の再起を目ざした「新緑の集い」に際しましては、大村知事と共に心温まる祝電を頂いております。

 次の選挙に向けて御相談したいこともありましたが、それももはやかなわぬこととなってしまいました。

Uchi5

 必ず、墓前に良い御報告ができるようにあと2年3ヶ月、全力でガンバリたいと決心しております。

 お亡くなりになったことが今も信じられない思いですが、本当に長い間国家・国民のためありがとうございました。

心から御冥福をお祈り申し上げます。

 

| | コメント (0)

2022年7月 5日 (火)

ベランダプール

   InstagramとFacebookに載せた家庭用組み立てプールに、予想外の反響がありました。2年ほど前から買おうか迷っていたものですが、ネコのせいで今年から使っています。
 水をいっぱいにすると2トンほどになりますので安全の為、半分くらいで使っています。
 水は毎日、朝・夕植物にかけて、減った分をつぎ足しています。(ウナギのタレみたいですが、、、。)

 娘がうるさいのでタブレットの消毒剤を使用しています。プールを使うのは私と孫だけなので水もたいして汚れません。

 ネコが落ちない様に注意しています。

かって子供達が小さい頃は近くに市営の流水プールがあって、助かったものです。ついでに施設内の売店でホットドッグや焼きそばで夕食を済まして帰ると嫁さんに喜ばれたものです。

 東部に民間による、砂浜のある扇形の大プールを計画していたのですが、タナ上げとなってしまい残念です。

 夜間照明で夜も市民が楽しめるプールがあるといいと思います。できれば冬場はスケートができる様になればとも考えていました。デート・コースになれば将来の少子化対策になるかもしれません。

Uch1

| | コメント (0)

2022年6月28日 (火)

新緑の集い(5/28)”御礼報告

Uchida06282

   5月28日(土)多くの市民の皆様の御来会を得て、3月から準備をしてきました「内田康宏をかこむ新緑の集い」を盛会裡に開催することができました。御協力を頂きました皆様方に心から感謝申し上げます。
 先回の市長選から1年半の時が経過し、一度は政治生活の継続を断念しかけた私でありましたが、全市各地の皆様方の御激励、御支援のおかげをもちまして、再起の歩みを再開しております。ただただ感謝の気持ちで一杯であります。
 これまで、県議のころより毎年2月に行ってきた「新春の集い」がコロナ・ウイルスの影響もあって2年続けて開催できませんでした。本年は5月の新緑の時期に時を移して、場所も中総から市民会館に替え、飲食の提供も控え、簡素化して行わせて頂くこととしました。
 市民会館での後援会の大会・開催は初めてのことであり、これまでの中央総合公園体育館での会とは勝手も違い、様々な手違いがありましたことをおわび申し上げます。
 ことに駐車場の不足は否めない事実であり、当日あてにしていた篭田公園の駐車場も各種イベントと重なり、十分に機能しませんでした。駐車できずにお帰りになった方も少なからずおみえになったと聞いております。御参加頂いた皆様方に重ねて御礼申し上げると共に失礼の段、伏しておわび申し上げます。
 御報告が遅れましたが以下、当日のあいさつです。


  皆様こんにちは。 本日は土曜日の午後という貴重なお時間にも係りませず、満堂の御参会をたまわり心から御礼申し上げます。 また来賓の先生方におかれましては、御多用中、本当にありがとうございました。
 一昨年の選挙以来、一年半を経過しておりますが、私自身の力足らずのせいで多くの市民の皆様方に御心配、御迷惑をおかけしておりますことをおわび申し上げます。
 これまで、選挙前・選挙中に引き続き選挙後もコロナ・ウイルスの影響により後援会としての活動は思うにまかせませんでした。一部地域において昨年中、役員会まで開催して頂きながらあいにく緊急事態宣言、まんえん防止法、そして秋には国政選挙も行われ、独自の後援会活動は休止状態となってしまいました。
 しかし、私個人におきましては、この一年半は久しぶりに十分な思索の時間をもてました。現職中に購入しながら読めなかった書籍に加え、様々な皆様からたくさんの図書が届けられました。そうした読書を通じて、新たな知識を得ると共に、これまでの出来事を改めて思い返すことができました。
 そのおり、旧約聖書の「コヘレトの言葉」の章の中の「時の詩」に目が止まりました。その詩では「天の下ではすべてのことに時節があり、すべてのできごとに時がある」と説いていました。「生まれる時と死ぬ時」「泣く時、笑う時」「戦う時、平和の時」「進む時、退く時」…そうした言葉が20項目ほど書かれておりました。
 私は、その詩編を読み進む内に、今回の敗北は1つの運命であり、この際ここで潔く身を引くことも政治家としての生き方かもしれないと思ったのです。
 その後そうした思いを胸に、支援者の皆様のお話しをうかがって歩く中、それぞれの皆様から元気づけられ、励まされるだけでなく、今回の敗北をまるで我ことの様に悔しがり再起に向けての決意を述べられる多くの皆様の声に接し、心うたれるものがありました。一時、弱気になりかけていた私ではありましたが、そうした善意の熱意ある支援者の方々の心に触れる中、「いたらぬ私ではありますが、そうしたお声をかけて頂ける限り、今一度ガンバッて挑戦してみよう」という決心が芽ばえてきました。
 実際に具体的な動きとなりましたのは今年になってからでしたが、3月の末に選挙後3回目の連合役員会を行い、本日の“新緑の集い”の募集活動を始めさせて頂くことができました。
 そして、その結果「私にはまだこんなに多くの味方がいる」ということを改めて気づかされ、大きな勇気を頂くことができました。
 本日の開催のために市内各地において御尽力頂きましたお一人お一人の皆様に、改めて心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
人は大きな失敗にみまわれた時、後ろ向きの心のあり方となりがちです。私は、今回の挫折はもう一度自分の人生を見直し、さらに良い形で前進するために神仏から与えられた啓示であると思い直すことにしました。
もとよりこれまでの二期8年にわたる私の市政は、岡崎市のあるべき姿を願って全力で取り組んできたものであります。先達の智恵と経験を十分にふまえ、さらに多くのまちづくりの専門家、市民代表の意見を加えて練り上げた政策によるものばかりであり、きわめて民主的なものであったと思っております。
選挙においても、けっして後援会頼みではなく、400回を超える自由討論を含めた“市民対話集会”を行っております。望まれれば小学校、中学校へも足を運び、市内の全高等学校、三つの大学においても同様の対話の機会をもちました。
ここまでやっている市長は全国に他に無いものと自負しております。
他にマスコミを活用した政策・P・R、インターネットにおける多くのブログの配信、岡崎市の公報のあり方についても、どこにも負けない工夫をしてきたつもりです。
しかし、時は我々に味方せず、コロナ・ウイルスのまん延による社会情勢の変化の中、そうした努力が十分な効果を発揮することがありませんでした。
逆に組織を持たない相手方のゲリラ的な大衆戦略と新しい情報システムを駆使した戦術によって足元をすくわれてしまう結果となってしまいました。
本日、皆様にお配りしたパンフレットは当時のものですが、あれほどたくさん配ったはずなのに「全く見ていない」という声も多くありました。いずれにせよ、先回私はそうした中途半端な選挙をやってしまったのです。また、相手が選挙活動中も東京への陳情要望活動に追われ、現職ゆえの仕事をしながらの選挙となり、十分な街宣活動ができなかったことも反省しております。そのような、私の至らなかった点を十分に反省し、この度新たに加わってくれた、本日の石本講師のような若い仲間達の知恵と力を借りながら、次のチャンスに向けて準備を始めております。
これまで皆様の御理解のもとに行ってきた市政によって、岡崎市の新たな骨格はできつつあります。堅実な「モノづくり産業」によって支えられてきた「豊かな地域」を、独自の「歴史資産」と市の中央を流れる二つの川、山々の「美しい自然」を活用することによって、より質の高い「福祉・文化都市」を目指します。さらに、その流れを観光産業に結びつけることによって、岡崎市はより素晴らしい都市に成長することができます。先日、スイスのダボスで行われた国際会議では、これからコロナ後の国際交流時代において№1の観光資源を持つのは日本であると認識されたことも明るいニュースであります。
すでに市の南部は藤田医科大学病院の誘致が切っ掛けとなり、“新たなまちづくり”が始まっております。東部は2025年のアウトレットを中核に区画整理も始まります。北部では、新たな拠点整備計画に加え、岩津・松平の遺構、細川氏などの歴史を活用した独自のまちづくりが考えられております。西部・矢作地域は、国や県、及び周辺自治体との連携をより高め、地元の要望も高い南北道路の整備を進めます。その上でしっかりとした基盤整備を行わなくてはなりません。そうして地域の目玉となる施設や民間事業の誘致ができる様になります。隣接する安城、豊田という有力自治体の存在は矢作の“強み”となります。
そしてもう一つ、市域面積の60%を占める額田の中山間地域を、ぜひとも市民の憩いの空間として有効活用したいと考えております。
すでに在職中に具体的な民間のプランをいくつも頂いており、ぜひそうしたものを実現したいと思っております。そうして山間地への人の出入りを増やすことにより、関連する働きの場ができます。今、外に出ている地元の若い人も戻ってくることができます。もちろん新たな工業団地計画も行います。全市の公園の整備に額田の間伐材を活用した高齢者と子供達のための施設整備をする約束も忘れておりません。
そしてもう一つ、本日ここに来て改めて自確しましたが、北の駐車場を2階建て3層に立体化し、駐車台数を倍増させたいと思います。そうすれば、そのまま二階からアオイホールに入れる様になります。
まちづくりというものは、どこまでやったら完成ということはありません。私は、私の時代になすべきまちづくりを完成させなくてはなりません。次の時代には、また新たな視点をもった新しい担い手にまちづくりのタイマツの火を手渡してゆきたいと思います。
いずれにせよ、中途半端に断ち切られてしまった『夢ある新しい岡崎』の実現に向けて、全力で邁進する覚悟であります。
もうあと2年半の有余となっております。これからも時をムダにすることなく、より計画的に活動を積み重ねて参ります。
今さらですが「政治家にとって一番大切なことは実現できる公約をうたい、一日も早くそれを実現してゆくことです」できないことを言うのは詐欺です。
これまで、長年積み重ねてきた東岡崎駅の再開発もようやく形が見えてきました。“家康公400年祭”以来何度もNHKに要望・陳情を重ねてきた大河ドラマも、来年度「どうする家康」として実現するはこびとなりました。
しかし、残念ながら今後のことを考えた時、共産党と手を結んだ現市政では国や県からまともに相手にされることはありません。
 これからの岡崎市政の一日も早い正常化を目指し、再起をかけて全力を尽くします。どうぞ、市民の皆様の今一度の御支援、御厚情を賜りますことをお願い申し上げ、本日の私の決意表明のごあいさつとさせて頂きます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。


 当日は多くの国会・県会・市会議員の先生方の御来会を賜りましたことを重ねて感謝申し上げます。

Uchida06283Uchida06284

Uchida06285Uchida06286

Uchida06287Uchida06288

Uchida06289Uchida062810


| | コメント (0)

2022年4月 6日 (水)

今さらですが、なぜ人道橋だったのか?

  そもそもは渋滞解消のため「築後90年になる古い殿橋明代橋をかけ替えたい」というのが始まりでした。
それぞれ橋上緑地帯のある幅広の新橋にしたいと考えていました。
しかし殿橋が昭和初期に造られ、戦渦に残った全国でも貴重な橋であり、簡単にとり壊せない橋であることが分かり、断念しました。
 かわりに、県道にかかる二つの橋は、県がしっかり補強することになりました。しかし「街の活性化のための河川公園の施設として人道橋を!」というアイデアが“岡崎活性化本部”(地元代表、商工会議所、学者、専門家の会議)から提言書の1プランとして出されました。
それを市議会で討議し、市役所内でも検討して決まったものが桜城橋です。
名前は公募し、中学生がつけてくれました。
 一部の人から“100億円の橋”と悪口を言われましたが、実際は基礎工事も含めて21億円です。
もともとその場所に橋を造る計画が3代前の市政の頃からありましたが、県河川にかかる橋は県の所管するもので実現しませんでした。しかし、岡崎市が国の「かわまちづくり」「歴史まちづくり」の2つの事業認定を受け、モデル都市となったため大きな国庫補助を受けリバーフロント計画が実現したのです。
 また桜城橋は過重量となっていた殿橋の負担を減らすため、その下に殿橋の下を通っていた水道の本管、電線、NTTの配線などがまとめて配置された「ライフ・ラインとして重要なもの」となっています。
 橋上の仮設・商業施設も、活性化本部やまちづくり専門家からのアイデアです。
 幅広の人道橋は、夏の花火大会には身障者(車イス)や施設の子ども達高齢者のための特設無料観覧コーナーとしても考えられていました。
 また災害時には新しく強度のある桜城橋が二橋の助けにもなります。表装に額田の木を使ったことで、山林の整備にも寄与しています。Uchida22040601Uchida22040602Uchida22040603

ツインブリッジ構想から桜城橋へ

| | コメント (0)

2022年3月22日 (火)

天風南賜流南賜吟道会創立四十周年記念

Uchida1_20220322155301 Uchida2_20220322155301

   3月21日(日) コロナ禍の折り、昨年から慎重に準備を重ねてみえた天風南賜流南賜吟道会の創立40周年記念の大会が三谷温泉 明山荘にて盛大に開催されました。

Uchida3_20220324133101

   30周年、35周年の大会にも御案内を頂いている私としては、当然お祝いのため、参加する心づもりでおりましたが、今回も来賓としてお招きを受けたことに大変恐縮しております。

Uchida4

   老若男女をそろえた御一門の皆さんの充実した発表会、趣向をこらしたお楽しみ演芸の後、各会派の先生方の吟詠、吟舞、剣舞、詩舞、朗詠と実に多彩で一流の技の披露が続き、本当に格調の高い早春の一日を過ごすことができました。

Uchida5_20220324133401

                           Uchida6

 

Uchida7_20220324135501

   吟・剣・詩舞道はまさに我国、日本の文化と伝統の真髄を体現した芸道であり、詩歌や舞を通して、日本人の精神と礼節までを伝える貴重な文化遺産であると言えます。

 国際化が進み日本独自の文化の希薄化が心配される今日、こうした文化活動を通じて我国の精神文化の高揚と伝統芸術が末永く伝えられることを祈るものであります。

  Uchida8_20220324133201

   本大会の実現に向けて尽力された一人一人の皆様に改めて感謝申し上げると共に、二代目宗家 酒井南賜先生を中心に天風南賜流南賜吟道会がさらなる御発展をされますことを心からお祈り申し上げます。

Uchida9_20220324133301

Uchida10_20220324133301

 

 

| | コメント (0)

2022年2月 9日 (水)

後援会の皆様へ

略 コロナ対策の為、直接お会いしてお話しできないことを大変残念に思っております。

 人生の“有為転変”を考えさせられるこの一年でしたが、後援会並びに支援者の皆様方の御厚情、お力添えにより、今日も後援会事務所が存続し、活動を継続できますことを心から感謝致しております。

 政治の世界は「一寸先は闇」であり、常在戦場の心でおります。

 すでに、次期選挙まで2年9ヶ月を切り、岡崎のあるべき未来像を心に描きながら、計画的に準備を進めています。

コロナの影響で各種会合の開催も思うにまかせませんが、これからの、より良い岡崎の実現のため、今後ともガンバってゆく覚悟でありますので変わらぬ御支援、ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。

 

  令和四年

内 田 康 宏

これまでの活動

3

     3月に続き12月17日に連合役員会を開催いたしました

 

4 5

         月に一度桜城橋清掃活動に参加しています

  

6-2 7

           様々な地域の小集会へ訪問しました

8
  
     徳川19代の来訪

 

 

 

 

| | コメント (0)

2022年1月26日 (水)

桜城橋、橋上清掃

 インスタグラムに、毎月第4土曜日の夕方に開催されている桜城橋の清掃活動のことを載せたところたくさんの方からお便りを頂きましたのでブログでお答えします。
 内田後援会の青年部の活動の1つとして、毎月の清掃活動を行っていますが、私も昨年から参加しております。

Photo_20220126161401  そもそもは、乙川ぞいにある県の総合庁舎の河川課にお務めの職員の方の発想で始まった活動です。「せっかくできた木の橋を市民の力できれいにしよう」という呼び掛けで始まったそうです。
 私が市長の時に結成した岡崎市活性化本部の提言の一つとして人道橋“桜城橋„は河川公園内の施設として造られました。
国の「川まちづくり事業」の認定と県の協力により、市民に愛される美しい河川空間が生まれたことをうれしく誇りに思っております。
 しかし橋の完成当時は市民の皆さんの自発的行動によって橋上の清掃活動が始まることは予想しておりませんでした。とりわけ小さなお子さんまで参加して頂いていることに感動しました。
 この政策を推進していた一人として、私もできることはやろうと思い参加しております。

 先日、NHKのTVクルーがたまたまその様子を取材に来ていました。
私はそうとは知らず、参加者の一人としてふき掃除をしていたところ、「前の市長も参加しているよ」と聞いたスタッフからたまたまインタビューを受けました。

 

Photo_20220126161402 そこで橋建設の成り立ちから、市民の寄附によって完成した駅前の家康公像、さらに歴史や伝統に対する市民の関心と愛郷心の強さなどについて久しぶりに長広舌をふるってしまいました。
 「いつ放送されるか?」という質問もありましたが、正規のインタビューではなく、偶発的に行われたものでもあり、また現市政に対する配慮ということを考えると、このインタビューが報道されることは無いと思われますが、「どんなことを話したのか?」ということを幾人もの方からたずねられましたのでブログにしました。

 もし橋の清掃活動に賛同頂ける方があれば、毎月、基本第4土曜日の午後5時から桜城橋の橋上にて、参加有志によって1時間ほど行っていますので、ぞうきんかモップ、バケツなどを持参の上御参加下さい。(詳しくは主催者様のHPに日程が載っています「桜城橋ふき」で検索)

 橋は10年から15年毎に、額田の木材の活用と山林整備の目的で上部の木材を取り替える計画ですが、少しでも長持ちさせることができれば、幸いと思っています。

| | コメント (0)

2021年12月 2日 (木)

SDGs 第二弾 ”フランケンシュタイン・ボックス„(テラス用・倉庫)

Uchida1

   国政選挙後、すきま時間の活用と家にある建設残材の利用により、テラス用の小倉庫を造ることにした。こんなものでもスチール製の売り物を買うと5~6万円はする。家の中の片づけを経済的に進めるためには自作に限る。テーブルに続く第二弾である。
 我々の世代は中学校で技術・家庭科があり、(「今でもある」と妻の声!)基本的なノコギリ、カナヅチ、カンナ、ノミなどの使い方は知っている。ヤル気さえあれば、素人でもかなりのモノを造れるはずである。
 いつもの通り、嫁さんの冷やかしの声を背に木材の選定、採寸にとりかかる。「ジャマだから捨てろ」という声にも負けず保存していたせいで、かなりの木材を買わずにすむことになる。
 天井用の板だけは、四柱との強度を確保するために一枚板である必要があるため、ホーム・センターで購入する。それ以外は半端な板の接続金具とペンキ代くらいですんだ。ことにペンキは、落下してカンが変形したモノを半額セールしていたため安くすんだ。家の空きペンキ・カンに移して使えばいいだけのことである。
 なれぬ作業は、ムリをすると続かない。毎日、少しずつテーマを決めて手順をすすめてゆく。採寸した木材は、別の日に切断、次の日に仮り組み立てをして調整、部材ごとにペンキを塗り、数日放っておく。ペンキがかわいた頃、少しずつ木工用ステンレスネジで止めてゆく。外部に置くため、ステンレスネジを使い、木部は防水・腐食防止ペンキでていねいに塗っておく。これをしっかりやるかやらないかで完成体の寿命が決まってくる。木製品でもペンキがしっかりぬってあるモノは長持ちする。船も同じだそうである。
 倉庫の背中側は見えないので、半端板を金属金具で接合して一枚板として使う。写真のごとくツギハギのフランケンシュタイン・ボックスである。
 しかし建築物ではないし、倉庫としての強度もまずまずである。すきまはすきま材を注入して埋めることにしているが、中に精密機械を収納するわけもなく、少しくらいのスキ間は空気穴だと思えばよいだろう。(気になる人は充填剤で埋めればよい)
 倉庫の内側は、支えの木材で補強し、ついでにその上にタナ板をもうけることで使いがってもよくなる。
倉庫の内側もペンキをしっかりぬっておくことが長持ちのコツだ。第一見た目がきれいである。

Uchida2_20211202203401

  今回戸ビラには、古い家の階段下にあった納戸の戸ビラをとりはずしてとってあったものを使用した。私が子供の頃、イタズラをすると母親にオシオキ部屋として入れられた思い出の戸ビラである。
 65年以上の歴史と思い出のしみこんだ戸ビラを再生し、余り物を活用して必要なものを作り出すことは、まさに昨今のSDGsの思想にかなっている。
「そんなことをやってる奴がいるから景気が良くならない」という意見もあるが、本来我々日本人はこうしたムダのない生活をしていたはずである。それがいつしか使い捨てが美徳のような文化にそまってしまい、限りある資源のムダ使いをするようになってきた。そうしたことも地球温暖化の一因であるような気がしている。
 余った木材でも、このくらいのことはできる事がわかった。額田森林組合の人から「素人の仕事にしては上出来だ」とお褒め頂いた。今一度、家の中の不用品が再利用できるかどうか振り返ってみるのも一興である。
(今回、倉庫の完成を一番喜んでいるのは、新しいくつろぎ場所を得たネコさん達かもしれない。)

 

| | コメント (0)

«2021年・続選挙に思う