家康行列

2017年4月22日 (土)

春のメイン行事、桜を見る会、桜バッジ

内田康宏、原田範次市議

家康行列
 昨年から続けてきた市制100周年記念事業が3月末で終了し、春のメイン事業「岡崎の桜まつり」が続いて行われた。今年は例年になく桜の開花が遅く、4月の半ば過ぎまで桜の花が残っていた。
 4月9日(日)に行われた家康行列も晴天に恵まれ、藤岡弘、氏が扮する本多忠勝公に三河武士の勇姿を御披露頂き、盛況の内に終えることができ喜んでいる。

藤岡弘、さん

藤岡弘、さん

岡崎城下 舟遊び

朝鮮通信使の隊列

2017観光大使おかざき(白井梨花さん、田村汐里さん)

内閣総理大臣主催「桜を見る会」
 4月15日(土)に東京の新宿御苑で行われた総理主催の「桜を見る会」も、開花の遅れのおかげで文字通りの満開の桜の中で行われた。この「桜を見る会」には昨年も出席しているし、秘書時代、県議時代、そして市長になってからと、これまで5回も出席している。今年は御無礼しようかとも考えたが、かつて秘書として仕えた身でもあり、安倍家に逆風の時こそ出席するべきと思い、前日から上京した次第である。
 ところがそんな私の心配をよそに、今年も日本全国から1万6千人を超える招待客が参集し大変な盛況であった。

桜を見る会(2017年4月15日)

桜を見る会(2017年4月15日)

 受付の午前8時半前に到着するために迂回路を通って出かけたのであるが、すでに会場周辺道路は渋滞しており、少し手前でタクシーを降り歩くこととなった。入口で受付票を渡し、識別のリボンを受け取る。昨年はピンクのフチどりのものであったが、今年は黄色であった。

桜を見る会のリボン

桜を見る会(2017年4月15日)

 会場中央では、9時に登壇した総理を中心に、内閣の顔ぶれが並び、後方のテントの中には政財界の要人や各国の駐日大使の姿も見受けられた。挨拶後、総理をはじめ閣僚の巡回が始まったが、いつもの通りロープで仕切られており、しかも20名ほどの護衛のSP(セキュリティ・ポリス)が周りを囲んでいるためなかなか見つけてもらえない。観衆からも「総理!」「安倍さん!」と掛け声が続き、なかなか話しかけることができなかった。
 そこで思い切って「晋三さん」と声を掛けたところ、私の声に気がついて戻って来て下さり、市長選当選祝いの言葉のあと、「次の選挙(衆院選)は大変だから頼むよ」と言って再び列に帰って行かれた。その時には深く考えていなかったが、数日後、幸田町が14区に編入されるニュースを知った時に「あっ、このことを言っていたのか」と思ったものであった。

 続く昭恵さんにも励ましの言葉が飛んでいたが、何度も会っている私の家内を見つけると、手を握って何か話しておられた。涙ぐんでいる様にも見えた。

桜を見る会(2017年4月15日)

 政治家の家で育った訳でもないお嬢さんが、良かれと思って行動したことを悪用され、連日の様に国会とマスコミに叩かれてさぞかし驚かれたことだろうと思う。新聞にはまだそれなりのコード(規定)というものがあるが、週刊誌の記事となると憶測ネタをさらにふくらまして記事とすることもあり、そうしたことに不慣れな当事者のショックは大きく、さぞかし辛いことだろうと同情するものである。

岡崎の桜バッジ
 岡崎市の市制100周年記念の桜バッジのインパクトは意外に大きく、これまでに各地で注目を集めてきた。今回東京でも、何人かから「そのバッジは何?」と聞かれたものである。7期ベテランの山東昭子参議院議員からもおほめの言葉を頂き、一つ差し上げてきた。
 余談となるが、今回のこの桜バッジは100周年事業担当者のヒット作であり、少々大きくはあったがPR効果という点では抜群であった。
 昨年陳情のために上京した折、衆議院第二議員会館地下の食堂に行った。その時レジの御婦人から桜バッジについて問われ「付けてくれるなら差し上げます」と言って渡したことがあった。その後、愛知県の他市の市長から「岡崎のバッジを国会で見た」という目撃談を何回も聞くこととなった。
 それが切っ掛けで各地のバッジが届けられることとなり、今ではレストランにコルクボードが置かれ、そこに各地のバッジが50~60個並んで飾られているとのことであった。何でそんなことを書くかというと、それらのバッジの先頭を飾っているのが東京のオリンピック・バッジでなく、我が岡崎の100周年記念バッジであるということが何とも小気味良かったからである(以下がその写真である)。

衆議院第二議員会館、岡崎市の桜バッジ

 岡崎市役所では桜の季節の終了と共に、新しい岡崎ルネサンス・バッジに付け替えていますが、それはあくまで役所の都合であり、市民の皆様には引き続き桜バッジを御利用頂けるとありがたく思っております。
 ことに女性の方の中にはアクセサリーとして使って頂いている方もみえ、桜バッジを付けて頂いているだけで、即、岡崎市の宣伝になりますので、大変感謝しております。


藤岡弘、さん、今春本多忠勝役に! (2017.01.31)

|

2017年1月31日 (火)

藤岡弘、さん、今春本多忠勝役に!

藤岡弘、さん

 昨年、NHKの大河ドラマ『真田丸』で本多平八郎忠勝役を演じ存在感を示していた藤岡弘、さんが、今春の岡崎桜まつりの「家康行列」において本多忠勝役で再び登場することとなった。
 出演交渉は、昨年の夏頃から東宝の事務所を通して行ってきた。そして昨秋行った仮契約により正式に出演して頂けることと相成った。
 昨春の〝里見浩太朗・家康公〟による盛況ぶりを見ても明らかな通り、大物スターの登場は家康行列の魅力と集客力アップにもつながり、沿道の商店街からも「朝から来客が増えた」と好評だったことから、この度の藤岡さんへの出演交渉を行うことになったのである。ただ、今回は10月に選挙があったため、私が直接御挨拶にうかがうのが12月となってしまった。

家康行列(2014年4月6日)

 国交省への来年度予算要望に出かけた12月12日(月)の午後、電車を乗り継いで世田谷区に到着。駅から東宝の担当者の車で藤岡さんの事務所へと向かった。
 さすがにスターの個人事務所らしく、鉄筋コンクリートのがっしりとした建物であった。事務所の前には撮影機材を満載したと思われる大型車両が停められていた。なんとこの細い道路を通ってここに駐車させるのは、藤岡さん御本人だそうである。ちなみに藤岡さんは大型、大型特殊はじめ、ほとんどの車両の免許を持ってみえるそうだ。
 2階にあるガラス張りの応接室に向かった。階段をのぼる途中、テラスに本物かと見まがうような陶器製のトラの置物が我々の方を向いて座っており、ドキリとさせられた。
 応接間のテーブル上には、本多忠勝に関する資料や藤岡さんの雑誌インタヴューに答えたコピーなどがていねいに並べて置かれており、藤岡さんのこの役に対する思い入れと、来客に対する細やかな心配りが感じられるようであった。窓際には初代仮面ライダーの当時のポスターや貴重なフィギュアなどが並べられており、きっとマニアにはたまらないお宝であろう。
 そう言えば今回の話を本多家の御当主・本多大將(ひろゆき)さんに伝えたところ、初代仮面ライダー世代でもある大將さんは「ともかく理屈を超えてうれしい」とコメントされていた。

 ほどなくして入室してみえた藤岡弘、さんは肩書きに武道家とある通り、1メートル80センチを超える体軀(たいく)に筋肉のヨロイをまとっているような方であった。そうした見かけに反して、声はソフトでラジオの朗読番組に合いそうな、やさしい語り口であった。
 今回の本多忠勝役については一番敬愛する戦国武将であり、NHKの大河ドラマに忠勝役の出演依頼があった時は運命的なものを感じたそうである。私達にはこれまでも主役を歴任されてきたイメージが強いのであるが、御本人は「役者人生で初めて本当にやりたい役が回ってきた」と熱く語られた。
 藤岡さんの武士道と日本文化・伝統に対する思い入れは深く、俳優業の傍ら、武士道と日本文化の伝道師として世界中を回って活躍されていることはつとに有名である。私もこれまで70数ヶ国を訪れているが、藤岡さんの100ヶ国近くにはとても及ばない。

 職業軍人であると同時に武道家でもあり、戦後は警察官として指導的立場にあった父君喜一氏から「文武両道に通じる規律ある生活と古武術に始まり、柔道、剣術など各種武道を厳しく指導を受けたこと」が今日のベースになっているということであった。
 父君は戦時中に受けた弾の跡やキズ跡があり、そのせいか長生きはされなかったとのことである。そのため戦友でもあった小野田寛郎少尉が戦後29年経って(昭和49年)フィリピンのルパング島で発見され、帰国した折には、息子である藤岡弘、さんと出会う機会があり、小野田さんとはその後も親交が続き、父君の語られなかった戦時秘話を聞くことができたという。その後小野田さんがブラジルへ移住し、牧場を始められ、ブラジル軍に関わりを持たれていた頃にも藤岡さんは南米まで出かけられたそうである。小野田さんが亡くなられる前にもう一度会うという約束が果たせなかったことが心残りであると語られた。

藤岡弘、さん

 藤岡さんは東宝映画『大空のサムライ』(昭和51年)にも主演されている。原作者であり物語の主人公でもある零戦の撃墜王・坂井三郎氏とも面識があり、多くのお話を直接聞かれているそうである。藤岡さんはこの映画の後に小型飛行機操縦の免許もとっている。小型船舶の免許もあるそうであるから、陸・海・空すべての映画に対応できる。無線の資格もあるそうで、これで爆発物取扱の資格があればアメリカ海軍のネイビー・シールズの隊員も務まりそうである。

 それから時代劇の話でも盛り上がった。友人から「映画オタク」と呼ばれる私であるが、『椿三十郎』における三船敏郎と仲代達矢の終盤の決闘シーンについてつい熱く語ってしまった。
 瞬時に決まる三船さんの居合い抜きの場面をスローモーションで観てもよく分からず、後に何かの本で読んで「右手で抜いた刀の背を左手のヒジで押し切りするように高速回転させる」ということを知ったとお話したところ、さすが刀道教士七段、抜刀四段に加え、居合道も極めてみえる藤岡さんは、すでに御自身も試みておられ、「あれって本当に出来るんですよ。私もやってみました」と軽く答えられ、またもや驚かされた。
 よく手入れされている日本刀の刀身は台所の包丁とは違い、うっかり刀の部分を握りでもすれば手の平が切れるほど鋭利である。私達がマネでもしようとすれば、自分の手足を切るのが関の山である。武芸百般に通じた現代のサムライ・藤岡弘、さんにおいてこそ成し得る技であることを明記しておく。

藤岡弘、さん

 話がはずみ、1階の奥にあるお茶室にも案内して頂いた。室内には藤岡さん自らデザインされた鎧兜をはじめとし、何領もの甲冑(かっちゅう)が並んでいた。囲炉裏の周りに腰を下ろした我々は、藤岡さん手ずから入れられたお茶を頂き、足元に置いてあった仕込みヅエ(レプリカ)も見せてもらうことができた。
 これらの凝り具合に私は同じ傾向の趣味の臭いを感じ、個人的にも藤岡弘、さんを好きになりそうである。
 別れ際に「また、ぜひ遊びに来て下さい」と言われたことを女房に話すと、「バカじゃない、社交辞令に決まってるじゃない!」と一笑に付されてしまった。
 しかし帰りに外まで出て、私達の車が角を曲がるまで見送って下さった藤岡さんの誠実な姿からは真実しか感じられないと、私は勝手に思っている。

|

2016年5月12日 (木)

「桜を見る会」と「家康行列」

桜を見る会(2016年4月9日)

家康行列

内閣総理大臣主催「桜を見る会」
 もうすでに一ヶ月前の出来事となってしまったが、春の大きな行事であるので書かせて頂こうと思う。
 昨夏の花火大会に引き続き、安倍昭恵夫人には今年の家康行列の案内状を送らせて頂くつもりでいた。岡崎の春のメイン行事と乙川リバーフロント計画の進み具合を共に御覧頂き、総理にお伝え頂く考えであった。ところが反対に、総理主催の「桜を見る会」の御案内が先にこちらに届き、せっかくの御招待でもあり夫婦共々上京することとなった。新宿御苑で行われる「桜を見る会」に出席するのは県会議長の時(平成19年)以来であり、そう言えば前回御招待頂いたのも安倍総理の時であった。

 4月8日(金)の臨時議会を終えてから、夕刻に上京した。明朝8時半には会場に出向かなくてはならず、当日は初の新宿のホテル泊となった。久しぶりに見る夜の歌舞伎町は、昨今の外国人観光客増加の影響もあって、まるで同じ国内とは思えない街の様子であった。タクシーから降りた街角には黒人のグループがたむろし、ホテルの受付係は韓国人と中国人、お客も日本人は我々くらいしか目につかなかった。翌日表通りで目にしたのは新宿東宝ビルに最近できたという実物大のゴジラの頭と半身であり、不思議な雰囲気をかもし出していた。

ゴジラ

 9日朝は新宿御苑の西口である新宿門の受付を通っての会場入りとなった。岡崎においてはすでに桜は満開の時期を迎えていたが、こちらも新緑の鮮やかさと共に満開の桜が我々を迎えてくれた。限られたスペースに1万6000人もの人々が集うため、会場はロープで仕切られていた。各国大使などの外国人招待客、国会議員、各業界・団体の代表者に加え、芸能人も招待されており実に多彩な顔ぶれの催しであった。

桜を見る会(2016年4月9日)

桜を見る会(2016年4月9日)

 「桜を見る会を久しぶりに満開の桜の下で開くことができ、うれしく思います」という総理の挨拶は、天候を含め自然現象をコントロールできないはがゆさが感じられ、私も同じ心境であった。それから総理が前日面会したという、インドネシア人留学生達が作った桜の歌の一節が挨拶で紹介された。「桜よ咲け、日本の真ん中に、日本よ咲け、世界の真ん中で」というフレーズが印象的であった。やはり外国人にとって桜は日本のイメージなのであろうか?
 岡崎市の市制100周年の記念バッジは桜の形である。少し大きすぎるとは思ったが、先般ある岡崎の方が文部科学大臣に面会された時に、胸のバッジについて「そのバッジのデザインをオリンピックのシンボルマークにすればよかった」と言われたそうであり、うれしく感じたものである。

 「桜を見る会」は園内各所に軽食を楽しむ場所が設けられていたが、安倍総理と昭恵夫人への挨拶を済ませた我々は早々に御無礼することとなった。この日は、翌日に開催される「市制100周年・家康行列」のために、親善都市(石垣市、福山市)・ゆかりのまち(茅ヶ崎市、佐久市、関ケ原町)・観光交流都市(金沢市)の代表の方々と家康公役の里見浩太朗氏が岡崎にお越し頂いており、その歓迎夕食会でお迎えをしなくてはらなかったからである。

岡崎市制100周年・家康行列
 それにしても、こうした他市との御縁というのは本当にありがたいものである。
 昨年5月、ゆかりのまち・茅ヶ崎市の「大岡越前祭」を訪れた折に、夕食会に同席された前川・茅ヶ崎商工会議所副会頭に「100周年の家康行列に時代劇のスターをお願いしたいと思っている」とお話したところ、偶然にもその方は里見浩太朗氏の親しい友人でゴルフ仲間であることが判明した。「よかったら話してあげましょう」と宴席の最中にお電話して頂き、突然私に携帯電話を手渡されることとなった。「また改めて後日、正式に~」という話かと思っていた私は、いきなりの御本人の里見さんとの会話に驚いてしまったが、思い切ってお願いしてみた。里見浩太朗さんは大変紳士的で気さくなお人柄の方であり、それが切っ掛けとなり今回の出演ということになったのである。

Ieyasugyoretsu201604108

 そのほか、家康行列で心配していたのは天気であった。このところ開催日は天候不順が続いており、昨年は小雨混じりでさえあった。議長とも「天気が買えるものならぜひ買いたいものだ」などと話していたくらいであったが、なんとか久しぶりのお天気となってホッと一安心であった。

 さすが千両役者の里見浩太朗さんの御登場であり、才色兼備の美人女優・菊川怜さんの出演も加わり、すばらしい盛り上がりの家康行列となり感謝感激である。菊川さんも、東大工学部卒の知性派女優ということもあって、この夏の参院選候補として名前が挙がっており直前のキャンセルを心配していたが、快くお引き受け頂けた。

Ieyasugyoretsu201604102

Ieyasugyoretsu201604101

 当日4月10日は、一日警察署長としての菊川さんの車を先頭に、おなじみの徳川四天王と武者行列、奴(やっこ)列や姫行列、少年少女隊に加え、昨年に続く民団岡崎支部による朝鮮通信使列、昔なつかしのレトロ市電、オールド・カー、100周年PR隊等、多彩な隊列となった。そして何よりも気品と貫禄十分な里見さんの家康公姿は、先日まで舞台で使用していた衣裳とあいまって錦上花を添えるものとなった。46万人を超える、これまでに最高の人出を記録したことはお二人をはじめ多くの皆様方の善意と御協力の賜(たまもの)であり、今改めて感謝御礼申し上げるものである。

Ieyasugyoretsu201604091

Ieyasugyoretsu201604104_2

Ieyasugyoretsu2016041010

Ieyasugyoretsu201604109

Ieyasugyoretsu2016041012

Ieyasugyoretsu201604105

Ieyasugyoretsu201604106

Ieyasugyoretsu201604107

Ieyasugyoretsu2016041011

 行列の通る経路は私にとって、広幡、連尺、梅園、三島学区という、まさにワンパク坊主時代からの地元である。沿道には子供時代からの知り合いも多く、「ヤっちゃん!」との掛け声には思わず立ち上がってしまうものであった。「まさかあのヤっちゃんが市長になるとは思わなかったわネ」というかつてのお母さん方からの声が耳に聞こえてきそうでもあった。
 ともかくこのように大きなイベントを事故なく終えることができたのも、当日警備と安全に御尽力頂いた警察、消防、役所関係者、ボランティアの皆さんのおかげであり、沿道の皆様方に重ねて感謝と御礼を申し上げるものである。本当にありがとうございました。

|

2015年3月 8日 (日)

朝鮮通信使隊、家康行列へ

前回のつづきです。)
 江戸時代のはじめ200年の内に12回行われた朝鮮通信使は、家康からの和睦の使いに対する返礼として遣わされた「回答兼刷還使」を始まりとする。
 4回目の派遣から朝鮮通信使と名を改めることとなったが、本来の目的は、5万とも20万とも言われる、秀吉の軍勢が引き上げの折に日本へ連れ去った俘虜人(ふりょにん)を連れ戻すことであった。しかし月日の経過の中で日本に帰化せざるをえなくなった者も多く、帰国できた者は初期の3回で2000人ほどであったという。通信使は江戸間までの道中、歌や踊りを披露しながら行列を行った。そのため文化使節団としての役割も果たすこととなった。今も経路の各地に、当時の書画や詩文がそのまま残されており、一行の踊りをマネたと思われる演舞が伝承されている所もある(岡山県の唐子踊り)。

交差点「伝馬通1丁目」付近で撮影。

 岡崎の籠田公園の南にかつて中村屋という料亭があり、そのあたりに「ごちそう屋敷」と呼ばれる施設があったと伝えられている。私もその名は昔から聞いていたが、岡崎城の食堂のようなものと勝手に思い込んでいた。
 ところが最近になって、この「ごちそう屋敷」が朝鮮通信使に対する幕府の正式な招待所であるということが分かったのである。対馬に上陸して、北九州、中国地方、大阪と行進する通信使達は各地で地元の大名による接待を受けながら江戸を目指した。幕府は岡崎の旧水野邸を改装して、これを公式のおもてなしをする場所(ごちそう屋敷)としたのだという。

御馳走屋敷の図面

 岡崎城の設計図は残っていないのに、どういう訳かこの「ごちそう屋敷」の見取り図は現存しており、そのために市民の一部からは復元を望む声を頂いている。しかし、すでに時代は移り、縦横に道路がはりめぐらされ市街地も形成されており、その要望に応えるには無理があると思う。しかしながら、籠田公園南にセントラル・アベニュー(現・中央緑道)が完成したあかつきには、何とか「ごちそう屋敷」のよすがを伝える表示をしたいと考えている。

 そんなことを考えていた昨年暮れ、日韓親善協会の有志の方から、「朝鮮通信使を再現して春の家康行列に参加したい」とのお申し出を頂いた。すでに家康行列の実施計画について警察と綿密な打ち合わせを済ませていた担当者は難色を示したが、交渉の末、フル参加は難しいものの今年はとりあえず30名ほどの参加をして頂けることとなった(本来の朝鮮通信使は300~500人ほどで構成されていた)。
 近年、少々マンネリ気味であった家康行列に何か新しいテイストを加えたいと思っていただけに、この申し入れはありがたいものであった。しかも先に述べた通り、徳川家康と朝鮮通信使は歴史的に深い縁があるのである。平成28年度は、ぜひ往時の華やかさで市制100周年に花を添えて頂きたいものである。

駐名古屋大韓民国総領事の朴煥善(パク・ファンソン)さん

 さらに2月19日(木)、駐名古屋大韓民国総領事の朴煥善(パク・ファンソン)氏が岡崎市役所を訪問して下さった。「4月25日に岡崎で行う予定の朝鮮通信使のシンポジウムに岡崎市長としてぜひ参加してほしい」という申し出を頂いたのである。
 ところが残念なことに、この日は「家康公四百年祭」の共同事業のため、先約の浜松市に私は出かけなくてはならないのである。私の出席こそかなわないが、シンポジウムの成功のためにできる限りの御協力はしたいと思っている。

 両国の関係が厳しくなっている時であるだけに、こうした民間や地方の交流によって、パートナーシップを深め、友好関係を継続することは大切なことであると思う。それこそが大君家康公の御心(みこころ)にかなっているものと信じている。

朝鮮通信使シンポジウム IN 岡崎

Joseonmissionstojapan21thcentury_2

|

2013年4月18日 (木)

家康行列 2013

家康行列 2013年4月7日

 私は今回、実に47~48年ぶりの「家康行列」に参加することになった。以前は連尺小学校の鼓笛隊やボーイスカウトの行進などに参加したことがあるが、自身が参加するのはその時以来である。
 現在、各小学校とも少子化の影響のせいか、鼓笛隊もバトン・トワリングのチームも編成できないあり様となっている。何か別の名目で子供たちがたくさん参加できるお祭りにできないものかと思う。そうすれば、もっと地元に密着した催しとなるはずである。

 現在岡崎市は、石垣市(沖縄県)、福山市(広島県)、茅ヶ崎市(神奈川県)、佐久市(長野県)、関ヶ原町(岐阜県)、金沢市(石川県)の五市一町と親善都市、ゆかりのまち、観光交流都市として友好関係を結んでいる。
 今回、それぞれの市町から代表者の方々とそれぞれのミスのお嬢様方、そして各地のゆるキャラ(ご当地キャラ)なども参加して、「家康行列」を盛り上げて頂くことになった。改めてそれぞれの皆様に感謝申し上げると共に、このような交流をこれからも更に広げ、深めてゆかなくてはならないと考えている。

佐久の鯉太郎くん・ほか

 こちらを向いているのは佐久市の「佐久の鯉太郎」くん。

服部信明・茅ヶ崎市長と私

 ことに今年はゆかりのまち提携記念30周年を迎え、「ゆかりのまち30周年・記念列」を特別編成し、茅ヶ崎の服部信明市長には、両市をつなぐ大岡越前公に扮して騎乗の上、行列して頂いた。にもかかわらず、私はいつもの癖で「大岡越前というより、悪代官の雰囲気ですネ。なんだか私も『オイ、越後屋』と呼ばれそうな気がしてきましたよ」などと失礼なことを言ってしまった。
 慣れてない人が馬に乗ると、おシリだけでなく、体のあちこちが痛くなるものだが、現代の大岡様はその後大丈夫であったろうか?

西大平藩陣屋跡

 また当日早朝より、バスで岡崎まで訪れてみえた茅ヶ崎市の市民訪問団の皆様をお迎えして、大平町にある西大平藩陣屋跡の看板設置式もおこなった。江戸町奉行を経て、旗本として西大平藩の大名となった大岡公が、代々の領地の茅ヶ崎において今日もなお敬愛されているというのは我々にとっても喜びである。なお、ヒノキの看板には、初代・陣屋跡保存会会長の内田和夫先生に揮毫(きごう)して頂いた。

家康行列 2013年4月7日

家康行列 2013年4月7日

家康行列 2013年4月7日

 前日からの天候悪化のため、河川敷での模擬合戦は中止となり、一時は家康行列そのものの実施も危ぶまれましたが、風速20~30メートルの暴風雨予想もはずれ、少々肌寒くはありましたが、時折太陽も顔をのぞかせる中、伊賀八幡宮での出陣式をはじめ、パレード、武者行列なども無事挙行できたことを本心から喜んでいます。
 もう一つの心配は、各ミスのお嬢様方が軽装であり、カゼをひかなかったかということです。ことに当日は沖縄と比べて10度以上寒かったのです。

 この度御協力賜りました各・市町の皆様、各種団体、企業、一般市民の皆様、そして警備に当たって下さった警察、消防等の方々、さらに寒風の中にもかかわらず沿道から暖かい声援を送って下さった観客の皆様、すべての方々に重ねて感謝申し上げます。ありがとうございました。

家康行列 2013年4月7日

|