随想録

2017年5月18日 (木)

政治と政争

――以下の文章は、5年前の最初の市長選後に書きながら、周囲のアドバイスを受けて棚上げになっていたものである。久しぶりに読み直してみて、今日にも通じると思い発表することにした次第である。――

 先日(注・5年前)某新聞に載っていた「政争の町、岡崎」という記事を読んで、まったく「わかっちゃないな」と感じた。その記事は、『過去を反省し「政争の町」から脱却すること』が『新トップの手腕にかかっている』と訴えていた。
 そもそも政治の原点というものは、戦いである。食べ物をめぐるもの、水をめぐるもの、領土をめぐるもの、また様々な利権をめぐるもの、そうしたものを血を見ずにして解決しようとするところから政治というものが生まれてきた。
 しかし、政治というものの本質がそうである以上、政治が争いというものから無縁ではあり得ない。古今東西の国家間の利益をめぐる交渉ごとの例を見ても、軍事力の行使があろうとなかろうと、そこに力の存在というものが無縁であったケースなど聞いたことがない。この世で政治のあるところに政争のないところなどは無いのだ。それが現実というものである。
 個別の名前は控えるが、愛知県の市町の中でもかつて政争の激しかったところはいくつもある。現在、一見平和的にものごとが進んでいるからと言って、決して政争がなくなっているわけではない。そのことはそこで政治に関わっている人々と話せばすぐにわかることである。現状の表面的平穏は単に双方が折り合いをつけているだけのことである。政争というものは、政治現象が争いごとの過程において温度が上がり沸点に達したときに発する現象であるとも言える。表面上、見えないからと言って無くなっているわけではない。それこそが人間の持つ性(さが)であり、業(ごう)であるからである。

 前述のごとく日本のマスコミの中には何かというと平和的話し合いですべて解決するような論を説く人がいる。しかし実際の世の中には、話し合いとは時間かせぎのための方便に過ぎず、その機に自分達の主張を相手にのませ、逆に相手の言うことなどハナから聞く気のないという人達もいるのである。そうした人間の業のような性質を理解していないから、きれいごとのおためごかしの正論が言えるのである。パワー・オブ・ポリティクスで物事が決まる現実において、話し合いも力の裏付けがあってこそ成立するものである。(北朝鮮が核とミサイルに固執する理由もそこにある。)

 以前私は、カリフォルニア大学バークレー校で政治学を専攻していたアメリカ人の友人フィリップ・キース君に、岡崎の政治について次のように説明したことがある。

Phillip E. Keys and Yasuhiro Uchida

「岡崎という町は、他の地域のように保守と革新が競うという政治土壌はなく、戦前から保守が二派に別れて権力闘争をするという伝統がある。革新勢力はそのときどきでそのどちらかに乗ったり、乗らなかったりという存在である」
「現実に戦前は政友会と民政党の系列で争った時代があり、戦後は愛市連盟VS光会(ひかるかい)の時代、そしてその流れを受け継ぐ者たちの戦いの時代、近年は保守の旧勢力と新興勢力の争いという形になっている。いずれにしても理念性は薄いが、形としてアメリカの政治の共和党と民主党の争いの形態に似ている。それが岡崎の政治風土である」

 彼がこの内容をどこまで理解したかはわからない。その後数年岡崎市に在住し、私の最初の選挙も手伝ってくれたが、将来、彼が大学に戻るとき、日本の政治についての論文を書くための日本の地方政治のあり方の一形態としての研究の材料になればと思って話したことを覚えている。(現在、彼はカリフォルニア州の某カレッジの学長をしている。)

愛知県議会議員選挙(1987年)

 現在の岡崎の政治状況もそうした政治風土の一環と考えるか、都市型の政治形態に向かう成長過程ととらえるかは、その人の見方あるいは趣味の問題だと思う。
 私は、そうした岡崎の政治風土の中で生まれた保守の政治家の一人であるが、岡崎の持つ独自の歴史、伝統、文化、それに基づく地域的思考というものはそれなりにその地域の個性であって、決して恥じるべきものではないと思っている。そうした観点からも、政治の場における権力闘争というものは今後も無くなることはないと考えている。また、これはある意味、世界中のどこでも同じである。人類の存する限り、政争もなくならないのである。レベルの低い無益な争いは極力避けるべきであり、ものごとの折り合いはつけて行くべきであるが、自らの主張を曲げる必要はないと考えている。なぜならばそうした各種異なった考え方の集団の代表が、政治家であるからだ。
 一部マスコミの言う一見第三者的常識論は、決して神の御宣託ではない。鉄砲玉の飛んでこないところで、彼らの商売のネタとしての一面的なきれいごとの論理を展開しているに過ぎない。しかも、一部のマスコミ報道は、一見中立的に見えて実際は逆に政争を煽(あお)っているように見えるときがある。また、自らは他を自由に批判しながらも、逆に自分たちに対する批判は許そうとしない独善的体質があるように感じることもある。
 いずれにしても、私たちは自由主義社会にいながら、いつもどこかで彼らにマインドコントロールされている可能性があることも忘れてはならないと思う。

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2017年1月20日 (金)

人生は戦いなり

Life is a Struggle

 現在、私の自室の正面にはクリムト作の「黄金の騎士」の複製画が飾ってある。本物の絵は愛知県美術館の所蔵するものであり、〝人生は戦いなり〟という副題がついている。気の弱い私は自らを鼓舞する目的で、この絵を目前に飾り、毎日見ているのである。

 人がこの世に生き続けるということは、それぞれ何かしかの戦いをしているということである。精子と卵子の邂逅を得て人間としてこの世に生まれる権利を手に入れるためには、まず数億の仲間(兄弟?)との競争に勝ち抜かなくてはならない。すなわち一つの生命の誕生のためには、数億の同様の可能性の犠牲があるのである。どのような平和主義者も人生の第一段階でこの戦いを制して生まれてきているわけであり、その事実を否定することはできないだろう。キリスト教の言う「人間の原罪」というのは、案外こんなところから発しているのかもしれないとも思う。
 さらに生まれ落ちた後もまだ戦いは続く。五体満足に生まれることができたか否か。知能や美貌に恵まれた否か。裕福な家に生まれたかどうか。そして愛情あふれる両親のもとに育つことができるかどうか。そうした、本人の意志ではどうしようもない、生まれつき備わった生物的基礎能力と環境的条件が個々の人間に与えられた人生ゲームにおけるアイテムであり、基本設定要件となる。
 その点で我々は初動の段階において、風に飛ばされる種子や鳥によって運ばれる果実の種と同じである。そう、人生とは生まれた瞬間から偶然と不公平から始まるのである。おまけに生まれる前や生後に親に殺されたり、捨てられる不運なケースさえある。
 誰しも偶然の所産として与えられたそれぞれの条件のもとに〝人生の戦い〟を進めて行かなくてはならない。第一段階の幸運不運の違いはあっても、例外は無いのである。

 戦いの種類は多岐にわたり、次々と降り注いでくる。進学、就職、資格の獲得、昇進競争や自ら挑む選挙もそうである。さらに配偶者獲得のための競争もある。こちらは個々の感情的要素がからみ、さらに難物である。そして幸か不幸か結婚に至っても、その配偶者と子供達との葛藤といった問題が加わってくる。
 先日新聞に、世の中には二通りの人間があり、それは「結婚を後悔している人間」と「未だ結婚していない人間」であると記してあった。
 先のことは分からないものであるが、うまくいったと思ったことが後にとんだ貧乏クジの元となることもあるし、その逆のケースもまれなことではない。そのように人知を超えた、思うにまかせないものが人生であり、人生航路の至る所にドンデン返しの落とし穴が散りばめられているからこそ人生は最後まで油断できないのである。

 幼少時から能力と才能を発揮する子供、上級に進学してから頭角を現す者、あるいは実社会に出て本来の実力が開花する人など様々である。一つの道を堅実に歩む者、運命のいたずらか本人の意志かはともかく、二転三転しながら成功する者しない者、幸せな人生を送れたかどうかは、本人の人生観、価値観にもよってくるため一概には言えない。いずれにしてもそれぞれの人生ステージにおいて次々と新たな戦いの場が用意され、それに勝ち残ることが要求される。
 時に神仏を呪いたくなるような過酷な運命を与えられ、しかもその中で戦い続けることを要求されることがある。戦いに倒れることがなくとも、その運命の重荷に耐えきれず、自ら人生ゲームを途中退場してゆく者もいる。
 それも選択の一つではあるが、人生の敗北者の烙印を消すことはできないであろう。チャンスは戦い続ける者にのみ与えられるのであるから。

 この仕事をしていると様々な人生を垣間見る機会があるが、これまで、生涯、幸運に恵まれた人生というのは聞いたことがない。
 また、人からうらやまれる富や社会的地位や名誉を持っている人が必ずしも幸せな人生を送っている訳ではない。家庭内や一族との間に不和を抱えていたり、子供の不出来や健康上の問題などに悩まされていたりもする。
 自らの失策や不運はもとより、他人の巻き添え、あるいは経済や社会の変化、法律の改革により窮地に追い込まれる人生もある。
 それでも生きてゆかなくてはならないのが人生なのである。

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2017年1月19日 (木)

『リバ!』2017年2月号

Reversible20172

内田康宏事務所から『リバ!』2017年2月号発行のお知らせです。
市長のコラムは「デマゴーグについて」です。

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2017年1月14日 (土)

銅像と偶像の違い

 今回家康公像に対して本市が試みている寄附金を主体とした新しいシンボル造りの事業は、キリスト教文化に根ざした欧米社会ではしばしば行われていることである。
 現在もそうしたものが、欧米を旅した時、各地で大切にされていることを目にするものであり、地域の人々の郷土愛のシンボルとして役立っている様子がよく分かるものである。

 かつて20代の頃、アメリカ留学からの帰国途上、単身で東欧からソヴィエト連邦を旅したことがあった。日露戦争の折、旅順港閉塞作戦で戦死した軍神・広瀬武夫少佐はロシア留学後にシベリアを単身犬ぞりで踏破して帰国しているが、そのことを記録した『ロシヤにおける広瀬武夫』という上下2巻の本を学生時代に読み、以来私もいつかユーラシア大陸を横断したいと夢見ていたからである。
 当時これらの国々のどこに行っても目についたのが、あのお決まりの気むずかしい顔をしたマルクスとレーニンの像であった。スターリン批判の後であったせいか、あのアドルフ・ヒトラーと並ぶ、カイゼルひげの虐殺者の像は目にすることは無かった。偶像がプロパガンダ(政治的宣伝)の一環を成すというのが当時のこれらの国々の常態であった。

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 シベリア鉄道を使って移動中、沿線の名も無き小さな町においても、日本の田舎のお地蔵さんのように、このハゲとヒゲのおじさん達の像はあった。お地蔵さんはたいがい町や村の片隅にひそやかにたたずんでみえるものであるが、これら権威主義の象徴のようなハゲとヒゲのおじさんの像は、どこの町でも一等地の真ん中に「これでもか」とばかりにふんぞり返っていたものである。
 中には金色や銀色に塗り上げられたモノもあった。当時それを目にした私は「金、銀とは太閤秀吉でもあるまいに、まさに成り上がり者根性の極みだな」と思ったものであった。
 昨今も同様の趣味の方が近隣の国にいるようであるが、「ムダな建造物」と言う言葉を使うならば、これらの像ほど無駄なシロモノもないだろう。しかもこれらの国々の場合、思想の押しつけがあるだけに余計に悪質で始末に悪いものであると思う。このような像こそ、人民の生活を後回しにして造られたモノなのである。きっと自分達の思想のもとに行われることは何でも正当化できると思っているのであろう。

 その後1990年代を迎え、ソ連邦の崩壊と東欧共産政権の瓦解に伴って、各国においてこうした偽りの偶像が民衆の手によって次々と引き倒され破壊されていったことは今も我々の脳裏にしっかりと残っているし、映像の記録が世界中に保存されている。まさに「圧政者の末路、あわれなり」であった。
 私は、負の遺産というものもそれなりに教訓的価値があり、できのいいモノは残しておいてもよかったのではないかと思っているのであるが、どうやらあらかた破壊されてしまったようである。プーチン大統領の時代になり、復古的風潮が出ているとのことであり(プーチンはKGB(ソ連秘密警察)の元工作員)、機会があれば再びロシアを訪れ、この目で確認したいものである。

 シベリア鉄道の車内食も今は改善されたそうであるが、当時は実にひどかった。そんな旅のさなか、各駅に停車する度に近くのロシア人の太ったおばさん達がバケツに塩ゆでしたジャガイモを山盛りにして売りに来ていた。1ルーブルでビニール袋いっぱいのジャガイモをくれたが、あれはおいしかった。

 それにしても冷戦下に共産圏の一人旅というのは、興味深くはあっても決して快適なものではなかった。各手続きにやたら時間がかかるし、団体旅行ならスンナリ通す所も、私だけやたらと多くの質問を受けた。さらに、いつも誰かに見られているような気がしていたものである。(単に当時のソ連人と風体が変わっていたせいかもしれないが・・・。)
 中央アジアのブハラでは、夜に民俗音楽の音(ね)に惹かれて道を歩いていたところ、民警に不審者と思われ勾留されたこともあった。アメリカを発つときに知人から、「先年、経済企画庁のOBがソ連を一人で旅していてスパイ容疑で逮捕され、1年間帰国できなかった」という話を聞かされていたため、自分もそうなるかと冷や冷やしたものであった。幸い、手ぶらでカメラも持っていなかったため、ホテルに連絡がとれて無事釈放となったのである。
 極東のナホトカ港には、日本人旅行者向けに無料サービスの共産主義に関する本が何種類も置かれていた。私はオミヤゲ代わりにと一通り、20冊ほどもらって帰国の船に乗り込んだ。そのためか、ナホトカから横浜港に到着した時に左翼過激派の一味とでも思われたのか、「どうして一人でソヴィエトに行ったのかネ?」と今度は日本の入国管理局で、私だけ40分近く念入りに取り調べを受けたことを今もなつかしく思い出すものである。

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2016年12月25日 (日)

デマゴーグについて(その2)

Völkischer Beobachter

 繰り返すが、デマゴーグとは、全くのウソ、デタラメを喧伝することとは限らない。一つの社会現象、ある事件の一側面を拡大解釈したり、曲解したり、書き手の考えに都合の良い数字や情報だけをつまみ出してきて誇張して表現することもデマゴーグの技と言える。(それを専門にしている政党もある。)
 自分勝手で反地域的な言動をもっぱらにする、その界隈では有名なクレーマー(文句ばかり言う人)や、特殊な思想集団の活動家として知られている人物の意見を、あたかも無垢な一市民の声のように報道することもよくある手法の一つである。
 また、先のアメリカ大統領選挙において、反トランプ的社会気運を反映して極端に一方に肩入れした報道がなされた。外国の報道機関の場合、時にこうしたことがあるが、彼らの場合は前もって自らの政治的立場、報道姿勢を明らかにした上で行っていることであるのでそれなりに筋が通っている。

 我が国の報道の場合、建前上、中立・公正・公平を謳(うた)いながら偏向報道を行うことがある点が問題なのである。
 そうした議論を始めると、必ず「全文を読めば中立的なバランスを取っていることが分かる」という言葉が返ってくる。しかし一般の人で記事の全文を隅々まで綿密に読むような方はマレである(教科書ですらそんな読み方はしない)。見出しの太文字と前段の数字、刺激的な言葉や作為的な写真を見て、正しく理解した気になっているというのが実態であり、良くも悪くも〝大衆社会〟とはそうしたものである。
 第一、人間は誰しも、自分に直接関わりのある問題以外には細かな点にまで注意を払うことはしない。そうした現実を百も承知の上で、意図的に誤解を招くような記事を書き、最後の数行の中にバランスをとるような文言を散りばめて裁判にならない配慮をしているから悪質なのである。

 もう一度言う。一流のマスコミ人は決してこういう姑息なことをやらない。時に人格的に問題があったり、思想的な偏向性があると思われる人物が公の仮面をかぶって紙面に記事を書くことがあり、そうしたことが問題なのである。
 前回のブログで「思想統制された国家ばかりでなく、自由主義社会においても我々は知らないうちに洗脳されていることがある」という点に言及した。
 一部のマスコミの中には「無知な大衆を我々が教育してやる」といった姿勢が見られることがあるが、それは危険な兆候だと思われる。大衆扇動が冷静な思考の後退を生じることは、我々が歴史上の幾多の経験と現在も世界で進行中の様々な出来事から学んだことである。

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 うっかり洗脳されないようにするためには、普段から自分で注意する必要がある。ニュース・ソースを多元化し、一つの事柄について常に多くの情報に接する習慣を持ち、新聞や雑誌なども複数のものを比較して読み、自分の考えを練らなくてはならないだろう。
 「いちいちそんな面倒なことは御免こうむる」という方は、たまには購読する新聞を変更してみることも一手であろう。新聞は中立・公平・公正と言いつつも紙面にはそれぞれ個性や差違というものがあり、ひょっとするとそんなことで新たな視座を開くことができるかもしれないと思うものである。

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2016年12月21日 (水)

デマゴーグについて(その1)

 デマゴーグとは、全くのウソ、デタラメを喧伝することとは限らない。ある社会現象、事件の一側面を拡大解釈したり、自分の論理に都合の良い数字だけをつまみ出してきてオーバーに表現することもデマゴーグの技と言える。
 通常こうしたものは裏情報として世の中に広まるものであり、表(社会の公器としてのマスコミ)に出てくることはないシロモノである。時にそうしたものが表面に出てくることがない訳ではないが、それは芸能週刊誌であるとか、三流のゴシップ新聞の類(たぐい)の紙面を飾るものであり、ふつう一流紙と呼ばれるものでお目にかかることは滅多にないことである。
 なぜかと言えば、一流と呼ばれる書き手(記者)には、それぞれジャーナリストとしてのプライドというものがあり、デマゴーグ的仕業に対してプロとしての矜持が許さないからである。一つの記事を書くにしても、まず客観的事実というものを報道し、そして次に記者としての考え、あるいは社としての社説を記述するという手順を踏むというのが健全なる報道人、マスコミ人というものである。事実、これまではそのようであったと思う。

 ところが近年、記者個人の自主性を重んじるとして、一部の社ではかつての常識的な報道の自己制御を失ったかに見えることがある。客観的であるべき社会的事象の記述において、記者の個人的思いや情念が先行してしまい、公正性、公平性、客観性というものを感じられない記事が散見されることとなった。
 政治の世界も時代と共にかつての独自のしきたり、道義のようなものが失われつつあるが、マスコミの世界でも客観性と共に記者の誇りが薄れつつあるのかもしれないと思うものである。

 今年の春、こんなことがあった。本市の3月議会の最終日、自民清風会、民政クラブ、公明党、黎明という多数の会派の賛同を得て、30対3(欠席1)という圧倒的多数により予算が成立した。その他多くの議案が可決された(全員賛成もアリ)。

岡崎市議会(平成28年3月定例会)

 ところが、某・地元有力紙は多数派の賛成討論を封殺して、逆に反対討論を行った少数議員だけ太字で実名報道するというあからさまな逆差別報道を行った。そして、あたかも予算案が否決されたかのような印象を与える記事を意図的に掲載している。
 この記事を書いている記者が思想的偏向性のある人物であることはかねがね分かっていたことであるので、特段驚くべきことではないが、このような記事を有力紙が臆面もなく出してしまうことに大変危惧の念を抱いている。これではまるで思想統制された国家の報道と同じであり、とても自由主義社会における公正な報道とは思われない。

 また、先日の岡崎市の選挙においても、総額99億7000万円の乙川リバーフロント地区整備計画について「橋を造るのに100億円!」という誤解を招くような報道、アピールを行う人達がいた。

乙川、殿橋、岡崎城

 実際は乙川の河川空間の整備と中心市街地の再整備、岡崎城周辺の歴史資産の活性と機能整備などで総額64億円がかかり、そのうち人道橋の整備費用は岩盤工事を含めて21億円である。国のコンパクトシティー構想に併せてプランを提出すれば、さらに国の補助が得られることが分かったため、乙川リバーフロント計画は、別個の計画であった東岡崎駅前再開発事業(35億円)を上乗せした事業計画となった。こうしたことから100億近い数字となったのであり、橋を造る費用は21億円である(もちろん決して少ない金額ではなく、必ず「やってよかった」という仕事をするつもりでいる)。しかも橋は道路と同じで、いわゆるハコモノでなく、維持管理費用は手入れ代しかかからない。
 しかるに橋をハコモノと偽り、さも高額の管理費がかかるような、ニセの情報を流した新聞もあった。さらには、半分近く国庫補助で行われるこの事業を取り止めれば、その予算を他の事業に回すことができるかのようなデタラメ宣伝もしている。目的別の国庫補助はその目的にしか使えないことは法律で決まっているのである。
 選挙直前と選挙中はさらにひどく、個別の市の政策を検証する形をとりながら、もうすでに議会で承認されたことに対して、一部の人の言い分を基軸に反対キャンペーンを投票日前まで行う執拗さであった。この記者に対しては選挙後「選挙妨害で告訴したらどうか」という市民の声も頂いたほどである。

 もとより少数意見を尊重することは必要であるが、それはあくまで多数決という民主主義のルールにのっとった上でのことである。こうした基本的なことも守れない人が公器である報道を操るようになっている社会に大きな不安を感じるものである。我々は自由主義社会にいながら、ある種の思想統制、マスコミの世論コントロール下に置かれていることを実感するのである。
 一部マスコミは、口を開けば「先の大戦の時の過ちを繰り返してはならない」と言う。しかし先の大戦を招来する世論の形成のため一番大きな原動力となったのは、ほかでもない、軍部の力以上にマスコミの偏向報道であったということを私達は忘れてはならない。そしてもう一つ、海軍次官を経て連合艦隊司令長官となった山本五十六大将は御前会議で最終決定が下されるまで、右翼に命を狙われながらも体を張って日米開戦に反対していたことも記憶しておこう。

Admiral Isoroku Yamamoto

 日本のマスコミは戦後うって変わっていつの間にか宗旨変えし、軍部批判を行うものの、自らに対する反省・検証を行った形跡はほとんど見られないのである。
 我々政治家や行政にたずさわる者は、他者から批判の対象とされ、マスコミ報道の監視にさらされるというのは自由主義社会における必然的宿命であり、仕事の一部とも言える。そのことを否定するつもりは毛頭無い。
 しかし、それは同時にマスコミが「第4の権力」としての自己の力と役割をわきまえ、客観性と公平さ、公正という視点を踏みはずさない時にのみ正しく機能するものと考える。
 さて賢明なる岡崎市民、読者の皆さんは昨今のこうした出来事をどう思われるであろうか? (つづく

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2016年12月17日 (土)

雨でも子供が走り回れる場所は必要か?

 市長職に就いてから「なぜ太陽の城を壊したのか?」という苦情を何度も言われている。しかし太陽の城は、最初の市長選の年の3月にはすでに閉館していたのである。最初の市長選の折に私が「太陽の城は改修して残したい」と言っていたせいではなかろうが、市長となった時には、前市長の下、太陽の城の解体はほぼ完了していた。
 太陽の城は音楽教育を行う方々にとって貴重な発表の場であり、しかも楽器の保管もできる、願ったりの場であったそうだ。しかも小さな子供を遊ばせることのできる場もあり親御さん達にとっても便利な施設であったという。

太陽の城

 耐震性も完備しており、まだ十分使える建物でもあり、地域のランドマークとなっていた建物でもあり、実に惜しいことをしたと思っている。ただ一つ面白いことは、建設時に大反対をしていた政党が今度は取り壊しの反対をしていたことである。
 いずれにせよ、前市政の決定事項であるため御容赦願いたい。

 ところで、これまで幼稚園の会などでお母さん方とお話する中、幾度か「雨の日に子供達を走らせることのできる施設を造ってほしい」という要望を頂いたため、「どこか使える場所はないか?」とか「どこにどんな施設を造ればいいだろうか?」ということを考えていた。
 旧東部給食センターも検討してみたが、耐震性の不足でダメとなった。老人クラブからも屋根付きのグラウンドの要望があり、商工会議所からは屋根付きの土木機械の展示のできる施設の要望を頂いており、そうしたことの兼務できる複合施設の可能性を検討中である。

Rainydays1

 しかし、今改めてこの問題を考えてみた時、屋根付きグラウンド、屋内展示場はともかく、「雨の日にわざわざ子供を走り回らせる必要が本当にあるのだろうか?」ということに気がついた。
 時代の違いはあるが、私達が子供の頃は天気の良い日は誰に言われることもなく、公園や広場、田畑の空き地を使って勝手に遊び回っていた。今は晴天の日であっても、部屋にこもってゲームばかりしている子供が増えている。それはそれで本人の自由であり、今風なのである。
 私達も雨の日には家の中でやれる遊びをしたし、晴れても室内で本を読んだりプラモデルを作ったりして遊んでいた。
 そのように考えると「雨の日にも天気の良い日と同じことをする施設がどうしても必要なのだろうか?」という気がしてくるのである。確かにそんなものがあれば便利かもしれない。しかし案外、あまり使わない〝テレビの特別機能〟と同じかもしれないとも思う。

 古来、我が国には〝晴耕雨読〟という言葉があり、人は季節の変化や自然の流れの中でふつうに対応して生きてゆく知恵を持っていた。何もわざわざ雨の日に、天気の良い日と同じ行動をとる必要はないのではないだろうか?
 右肩上がりに経済が発展し、税収が伸びている時ならいざ知らず、これからさらに少子高齢化が進み、生産世代が減少してゆく中で、ただただ便利・快適を追い求める発想というものには双手(もろて)を挙げて賛成はできないような気がしている。

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2016年11月28日 (月)

トイレの洋式化について

 かつて私が高校生だった頃(1970年)、大阪万博が開催された。当時はまだ洋式便器は一般的ではなく、ホテルにでも行かないとお目にかかれないシロモノであった。そのため東北地方から大阪万博に来たお婆さんが洋式便器の使い方が分からず、ゾウリをはいたまま便座の上に乗ろうとしてすべって転んでケガをしたという新聞記事を見た覚えがある。
 あれから50年近く経ち、今や逆に和式便器の使い方が分からないという子供達が育ってきている時代となっている。

Toilet

 先日、全国の公立・小中学校のトイレに関して文科省が行った実態調査の結果によると、洋式便器の割合が43.3%で、和式が56.7%ということがわかった。そして現代の家庭では洋式便器が主流となり、子供達は和式便器の使い方を知らなかったり、和式の座り方のできない子もいたりするということである。

 このような統計結果を待つまでもなく、このところ本市においても毎年トイレの洋式化の要望を各学校、公共施設から頂いている。確かに災害時の避難場所になることも考えて、身障者や小さな子供達のためのトイレは優先的に洋式化すべきものと考えている。
 しかし「すべてを洋式化すべき」という意見には賛成しかねるものである。PTAのお母さん達との会合の席で時折お話してきたことであるが、世の中にはまだ和式のトイレしかない家で暮らしている方達もいるし、トイレの様式の違いというのも子供達にとって〝学びの場〟となると思うからである。
 第一、これから大人となり世界に出て行く人間も増える中で、きれない洋式便器でなくては用が足せないということでは本人も困ることだろう。世界各国には私達の想像を絶するスタイルの便器もあるのである。
 使い方が分からなければどう使えばよいか考えることも必要なことであろう。世の中は条件の整った環境が用意されている所ばかりではない。条件の悪い所ならば、いかに自分で創意工夫をして良くするかという能力を育てることも必要だと思う。そんなことだから「ママがすぐにパンツを下ろさないから僕がおもらししたんだ」などと言い出す子供も出て来ることになるのであろう。
 私は自分の息子達に「男はジャングルにひとりで置き去りにされても、ナイフ一本あればそれを使って工夫して生還できるようでなくてはダメだ」などと言ってきたため「ムチャクチャを言うオヤジだ」と言われてきたが、人間の真価とは学歴やシャレた肩書きなどではなくそんなものだと思っている。

 まだ十分使える施設であるならそれを大切に使う。和式トイレの上に改造したイスを載せれば洋式として使えるし(そういう器具も販売されている)、災害時には段ボールをくり抜いてカブせるだけでも洋式として使える。要は考え方次第である。
 いずれにしても何でもかんでも便利にしたり、子供が自ら考えること無しに親が先に〝転ばぬ先のツエ〟を用意するというのはいかがなものであろうか。たくましさを育てることも大切な教育の一つであると思う。

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2016年11月 7日 (月)

ちょっとウレシイことがありました

The International Visitor Program of the United States Information Agency

 県会議員2期目の折、現・大統領候補ヒラリー・クリントン氏の夫であるビル・クリントン氏の最初の大統領就任式(1993年1月20日)に地方議員の代表として米政府から正式招待を受け、渡米したことがありました。その年に記念のテレフォンカードを後援会で作成しました。私は今は1枚しか持っておりません。

 2度目の市長選が終わって、通りがかりに中学の先輩のお宅に立ち寄ったところうれしいことがありました。
 その時価500円のカードがヤフー・オークションにて3倍の1500円の価格で売りに出ていたのを先輩が購入しておいてくれ、当選祝いにとプレゼントしてくれたのです。

 かわいい娘タレントのものならばともかく、私のテレフォンカードが値上がりするなんて、なんともテレくさくもあり少しうれしい気分でした。
 小さな幸せをありがとうございました。

お手紙とテレフォンカード

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2016年7月18日 (月)

怪文書の季節来たる!

 選挙が近づいてくると、とかく様々な怪文書が出回るものである。そのほとんどは出所不明で、客観的視点に欠けた一方的情報に基づくモノであり、人の情感に訴えるデマ文書であることが多い。
 通常は選挙の一年くらい前から数回にわたり出されるものだが、今回は4ヶ月前の6月に出て来た。季節外れのユーレイの感がある。
 その内容はと言えば、「岡崎市がこれから推進する事業において、入札を前に、市長と某・特定業者との間ですでに入札決定の話がついている」というものである。
 しかしどうせ怪文書を出すならば、もう少し勉強してストーリー性と信憑性のあるお話を作って、なるほどと思うレベルのものを書いてほしいものである。設定があまりに古めかしく幼稚な手法であり、懐かしくて涙が出そうであった。

 まず私が裏約束をしているという業者であるが、人脈的関係、地理的条件から言っても、私の対抗勢力と目されるグループに近い会社である(だからと言ってその会社が差別待遇されている訳ではない)。
 現在、岡崎市における入札制度は、外部の有識者で組織する「入札監視委員会」という独立した組織のほか、「入札参加者審査委員会」、そして担当部局の三者により、ルールに則って公明正大に執行されている。私も前市長に倣(なら)って、個別入札に口をはさむようなことはしないし、各業者からの入札に関する陳情は一切受け付けないようにしている。業界からの要望については、各業界の総会でまとめた案件を代表の方々が提出にみえた時に、副市長、部長、担当課長らと一緒にお話を伺うというシステムをとっている。
 また、私はあいにく下戸であり、全く酒をたしなまないし、無用の外食も好まないため(家族での外食も好きではない)、業界の総会におけるパーティーに出席するとき以外、個別の業者の酒宴の接待を受けることはない。自宅で晩酌もやらないような人間であるから、個人で夜の巷を歩き回ることも皆無である。どちらかと言えば、おいしいコーヒーとケーキを好む方である。この際、酒造業界並びに飲食店の皆様にはその点をお詫び申し上げたい。

 それから怪文書と言えば、かつて私の県会議員時代、選挙の半年くらい前に一枚の写真が送られて来たことがある。写真に写っていたのは、〝ある候補者が、ユカタのはだけた芸者さんをヒザの上に乗せ、その胸元に手を差し入れている〟ものであった。
 その時も差出人は不明であった。写真一枚あるだけで何の手紙も付してはなかった。意味するところは「これを選挙の裏対策(怪文書)に使え」ということであろうと思う。しかし、こうした類のモノは危険がいっぱいである。
 仮に怪文書を作ったとしても、配布に人を使えばそこから出所は発覚するものである(たとえ写真が本物であっても名誉毀損で訴えられる)。郵送配布にすれば費用がかさむし、いっときに大量発送できないため手間もかかる。第一普通は選挙の準備に忙しくて、そんな人手を使う余裕など無いものである。
 また、そうした手段を使うことは精神衛生上よくないし、何より選挙活動母体の士気そのものが低くなり、そちらのマイナス効果の方が怖いと言える。
 しかし世の中には、裏選対あるいは別働隊として特殊任務(選挙妨害、怪文書、買収、脅迫 etc)を行うチームを用いる候補者もいる。さらにそうしたことを仕事として請け負う人物さえいる。人間の中には、生来こうした手法が好きな人種というのがいるのである。マニアというか病気というか、様々に裏側で暗躍することが選挙という戦いであり、高度な戦術であると勘違いしている人達である。

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 選挙においてこういうレベルの戦いを始めると見苦しい上に、その地域全体の品格が問われることにもなり、私は嫌いである。しかも、もし先の写真を使った怪文書が出回ったとすれば疑われるのは当然対立する側であるし、また、うっかりすれば選挙後に〝怖いお兄さん〟の来訪を受けるようなことになるかもしれない。「あの写真、上手に使ったね」「あの写真はあなたの所にだけ送ったものであり、口止め料は200万円にしておくよ」というような話にもなりかねないのである。しかも一度つながりを持つと、それで終わらないから恐ろしいのである。

 いずれにしても、かつて石川五右衛門が言ったという「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」の言葉の如く、選挙が始まると、こうしたあまり人間として上等ではない人々の活動も活発となってくるようである。


ラブレターの季節 (2013.12.24)

またも来ましたラブレター (2014.10.04)

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