随想録

2018年6月26日 (火)

半年ぶりの運転

 市長職に就いてから、めっきり自分で車の運転をする機会が減ってしまった。最初の1年間で愛車プリウスのバッテリーが3回も上がってしまい、現在、車の管理権は妻のものとなってしまった。
 そのため、たまに時間ができて車を使いたいと思った時に車が無いということが起こる。自分の車が無いことがいかに自由を制限されるものであるか、我が身にしみて思い知らされている。おまけに役所からも「自分で車を運転しないように」と言われている。まさかの時に役所が困るからである。何とも堅苦しいことである。

 5月の連休中になんとしても引っ越し作業を終えたくて、半年ぶりに車のハンドルを握った。すでに何年間も公用車の運転手さんの模範運転を見ているせいか、すっかり自分も安全運転となっていることに気がついた。
 若いつもりでいても60歳を超えると、反射神経や周囲への認知力も若い頃に比べ落ちているはずである。若いのは自分の気分だけである。最近、高齢運転者の事故が多発していることを見るにつけ、そのことを痛感している。免許証を返還して公共交通機関を利用して頂くことが一番良いのであるが、そうもいかないケースも当然あることだろう。
 運転をする場合、一番気をつけることはやはり「スピードを出さない」ことであると思う。高スピードになると、コンマ秒単位で視認し判断することが増えてくる。そうなると、分かっているつもりでも見落としや判断ミスが出てくる。残念ながらそれが老いというものである。高齢者の方はくれぐれも御注意願いたい。

 高齢者の運転と言えば、かつてこんなことがあった。
 アメリカの大学にいた頃の話であるが、アメリカの友人の車で郊外に出かけた時、道路の前方に車が8台ほども数珠(じゅず)つなぎとなり走っている列の後尾に着く流れとなった。

Yasuhiro Uchida

 アメリカ中西部(インディアナ州)の信号も少ないイナカ道で、どうしてこんなに低速走行(20キロくらい)しているのだろうかと思ったところ、カーブにさしかかった所でどうやら先頭の車の運転手が高齢のおじいさんであることが分かった。後続の車もそのことが分かっているらしく、クラクションも鳴らさずにおとなしくユックリ運転をしている。
 おばあさんと二人連れの古ぼけたピックアップ・トラックであったが、信号に差しかかった時、ウィンカーを左に出しながら右折して行ってしまった。私は車の中で友人と大爆笑してしまったが、その時の後続車のイナカのアメリカ人達のやさしさ、辛抱強さに感心したものだった。(40年前のことであり、単に急ぎでなかっただけかも?)

 日本では近年、高速道路における〝あおり運転〟が問題となっている。こういう犯罪者はしっかり取り締まるべきであると思っているが、忙しい現代社会の中で私達も心の余裕を無くしていることに気がつかされることがある。
 一呼吸おいて考えてみれば、なんということのないことに心を奪われて短絡的な考えや行動に走って、要らぬトラブルに巻き込まれたり失敗を招いたりすることがあるものだ。
 久しぶりに車のハンドルを握ってみてそんなことをフト思ったものである。

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2018年6月13日 (水)

最近はやりの「声なき声」について

 「声なき声を聞く」という言葉が再び、各地の議場や街頭演説の決めゼリフの一つとして流行(はや)っているような気がする。
 しかし私のように政治の世界に長く首を突っ込んでいる人間にとって、最近の「声なき声」の言葉の使い方に大きなとまどいと違和感を覚えるものである。
 そもそも「声なき声」の語源は英語のサイレント・マジョリティ(Silent Majority)である。元々の意味は「静かなる多数派」「物言わぬ大衆」であり、現状に満足しているか、あるいは大きな不満がないため、あえて声にして意見をしない人々のことである。

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 ところが現在この言葉を好んで使う人達の用法は、「自分達の意見が政治に反映されない人達の声」という意味での使われ方であり、明らかに誤用である。しかもその実態は「声の大きな少数者」であり、「自分達の特異な意見に固執するがゆえに多数となりえない異端者の声」を「声なき声」として表現しているケースが多いのである。

 かつてアメリカのニクソン大統領が1969年11月3日の演説で「グレート・サイレント・マジョリティ」としてこの言葉を使ったことがある。当時私は高校生であったが、ベトナム戦争に反対して過激な活動を行う一部の学生に対し、ニクソン氏が「そうした運動や声高な発言をしない多くのアメリカ国民は決してベトナム戦争に反対していない」という意味でこの言葉を使っていたことを覚えている。実際、その後1972年の大統領選挙において、ニクソンは50州中49州で勝利し、圧勝している。
 また、日本においても1960年(昭和35年)の第1回目の「安保闘争」(日米安全保障条約反対闘争)の折に、当時の岸信介首相(安倍総理のおじいさん)が「国会周辺のデモ隊は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつもどおり人であふれている。私には、そうした〝声なき声〟が聞こえる」と発言して、安保反対運動に参加していない一般の国民のことを「声なき声」として表現している。
 「声なき声」の用法としては、本来はこうしたものが正しい使い方である。

 とかく政治の現場は声の大きな人々の意見の影響を受ける傾向があるが、必ずしも大きな声が正当な意見、多くの人々の意志を体現しているとは限らない。声だけ大きく遠慮知らずのワガママな意見に辟易しながらも、自らの意見はあえて述べない多くの人々がいるということをもっと冷静に考えるべきではないかと思っている。
 そしてさらに気になるのは、これは以前指摘したことでもあるが、TVや新聞で「この件に関して市民は・・・」といった書き出しで登場する人物及びその意見が、とても一般市民の代表的な考えとは思えないものが目につく点である。
 その地域では有名な特殊政治集団の活動家や、何事にも文句を言うことが生きがいのような「地元の困ったちゃん」、はたまたモノゴトの本質を全く理解していないと思われる第三者の声が〝市民の声〟として紹介されることがあるのである。まるで誰かによって意図的に選別され編集された発言を、〝市民の声〟というオブラートに包んで一般的に広めようとする隠された意志の存在が感じられるのである。

 事実を平穏に伝えるのではなく、あえて平地に乱を喚起するかのような報道姿勢がうかがえることがある。世の中には未だに社会主義を最良と考える人々がいるものであるが、あたかも反権力的な発言や意見を取り上げることが報道の使命であるかの如く勘違いしているマスコミ関係者もいるようである。
 より中立性が求められる選挙時における報道においてすら、一方的に偏った報道がなされることがある。時に事実を誤認させるようなキャンペーン記事を意図的に流すマスコミもあるのである。例えば犯罪者と特定地域の関係性を必要以上に強調しようとしたりすることもある。(これを〝イメージ操作〟と称する。)
 最近政府の放送制度改革を一部マスコミが反対している。これまでの規制を緩和して自由な情報発信ができるようになるのであるから結構なことであると思われる。逆にこれまで自分達の首カセとなっていた建前の中立性がとれるのであるから、この際もっと自由にして欧米のように自社の思想的立場、報道姿勢、支持政党まで公表して堂々と論陣を張った方がよほどスッキリして分かりやすい。
 〝言論の自由の守護者〟を任じる人々が自分達の考えと異なる意見が出ることに反対するということもおかしなことである。よほど新たな競争相手の参入を歓迎してないかのようにみえる。
 「報道の中立」を建前上の表看板としながら、実際は御都合主義的に偏向報道を行う現在のあり方の方がよほど不健全な姿である。情報提供を多様化して判断は市民の良識に任せる方がより正しいあり方ではないだろうか?

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2018年4月 1日 (日)

ビフォア・アフター

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(2017年8月撮影)

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(2018年3月撮影)

 犬と三匹の猫との生活もこれで7ヶ月となった。どういう訳か私にだけなつかなかった犬も、毎朝毎晩「散歩に行くよ」と言うだけで犬小屋から飛び出して来るようになり、三匹の猫とは毎夜一緒に寝る生活がすっかり定着している。犬猫共に借家生活にすっかり馴染んでおり、それぞれ借家生活中に一回り大きくなったような気がする。
 建設中の新居も3月にようやく完成した。これで引っ越しが終われば〝ハッピーシングルライフ〟も終わりを告げることになり、少々残念ではある。もっとも、まとまった時間をとれそうにないため引っ越しが完了するのはまだ1ヶ月先のことになりそうである。
 これで防災の専門家である名古屋大学の福和教授から「災害対策本部長が余震で崩れそうな家に住んでいては困りますネ」と言われずに済むことになる。いずれにせよ今後、「町の景観を説いている本人の家が景観を損なっている」と言われないことを願っている。

 新たに土地を手に入れる必要が無いため現住所にて家を建て替えることにしたが、今回、中心市街地の防災地域に家を建てることの特殊性を思い知ることとなった。
 家の前の道路が十分な広さが無いことから、新築する場合は道路から2メートル後退(セットバック)しなくてはならない。しかも火事になった場合の類焼の危険性を避けるため、片側75センチ、あわせて1メートル半のスペースを空けなくてはならない。そのためこれまでより一回り小さい家しか建たないことになる。かと言って、3階建て以上にすれば防火壁を設けなくてはならなくなるし、窓や駐車場も防火シャッターを付けなくてはならなくなるという。
 当初私も鉄筋3階建てを考えていたが、小型エレベーター付きの建物の見積もりが1億近くになりギブアップすることとなった。そこで知恵者から「耐火構造、耐震構造となっていれば木造であっても建築許可が下りる」とのアドバイスを受け、ツーバイフォーで建築することにした次第である。

 これまでちまちま貯めた貯金と半分税金にとられた退職金を使い、10年で残金をローンで支払う契約をした。仮に私が明日死んでも生命保険で残金を完済できることが分かったため、この歳で思い切って新築の決心をしたのである。
 家を建てるのは30~40代の人が多いと思い込んでいたが、意外と60代で退職を機に建て替えをする人が多いことを知った。定年後、退職金を使って老人向きの住宅を建てることにすれば退職離婚の危険を避けられるからかもしれないと思うものである。本格的な高齢化の時代を迎え、この傾向はしばらく続くことになるかもしれない。
 いずれにせよ、私の場合これで再び女房殿の声を毎日耳にすることとなり、ストレスの多い生活が再開することになる。とりあえず嫁さんの部屋を1階にして、2階の私の部屋から離したことは正解であったと思っている。
 そして今回猫のためにキャットウォークを造ったことで猫のイタズラを少しは減らせるものと期待している。人の生活領域と猫の占有領域を区別することで、共に快適に生活できることを意図したものである。犬は2階のテラスで飼うことになるが、これまでより広いスペースがあるため犬にも良好な環境になるものと思っている。
 その話を人にしたところ、早速「あにも」から「もう2匹ほど猫を引き取ってもらえないか」と声がかかってしまった。私は別に恵まれない猫のための施設を作ったわけではないのでその点勘違いしないでほしい。

 引っ越しの効用の利点の一つは、とかく無駄なものを抱えがちな現代の生活において、そうしたものを見直し整理する一つの切っ掛けとなる点である。昨年の8月と今回の2回の引っ越しで無駄なものを整理してスッキリした生活にしたいものである。
 先日ある人から「5年見なくて済んだモノ、3年使わなかったモノは捨ててもいい」と言われたが、それならウチの嫁さんを捨てる訳にはいかないだろうかとフト思った。(きっと向こうも同じことを言うだろうが!) 世界的に有名な片づけコンサルタントの近藤麻理恵さんも整理整頓の本の中で「ときめきを感じないものは思い切って捨てる」と書いているではないか。
 そこで試しに「家が新しくなったので、あとは車と女房を取り替えるのが人生の次の目標になる」と言ったところ、早速「やれるものならやってゴラン」という冷めた声が返ってきた。当分悩み多き人生から逃げることはできそうもないようである。


引っ越し大作戦完了す (その1) (2017.09.04)

引っ越し大作戦完了す (その2) (2017.09.08)

三猫と一犬との共同生活始まる (2017.09.30)

一人暮らしと犬猫について (2018.01.15)

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2018年2月12日 (月)

岡崎には文化が無い?

 先日、ある方から「岡崎は文化不毛の地であり、〝ジャズの街〟と言いながらライブハウスはほとんど無い」、「政策は役所主導で、ビッグネームや権威に頼ったものばかり」というお便りを頂きました。
 たまにはこういう辛口の御意見も刺激的で面白いと思いますが、できれば現実を正しく認識した上での意見であってほしいものです。
 ところで長年〝文化都市〟を標榜している岡崎に「文化が無い」というのは私は初めて耳にする意見であり、放置しておく訳にはまいりません。たぶん〝文化〟という言葉の定義に対する認識の違いの問題ではないかとも思います。

乙川

 岡崎は、大化の改新(645年)、飛鳥時代(白鳳時代)にはすでに壮麗な伽藍の並ぶ寺院があり、古くから交通の要衝として発展してきた長い歴史と文化のある地であります。14世紀に朝廷が南北に分かれて争った南北朝の動乱の口火が切られたのは、矢作川の両岸に対陣した軍兵達によってです。また、源頼朝の三回忌にまつわる仏像のある滝山寺があります。足利氏は尊氏の先祖、足利義氏の時代から岡崎に館をもち、鎌倉幕府四代将軍の藤原頼経も滞在したことがあります。
 江戸開幕以降、岡崎からは30家以上の大名が誕生しております。そして現在、日本の伝統文化と呼ばれているものの多くは、徳川家康とその家臣団によって開発された江戸において始まり発展したものであります。その徳川家と家臣団(他の地においては殿様)にまつわる数多くの文物があるのがこの岡崎ですし、全国でも有数の神社仏閣の数を誇ります(京都よりも多い)。そうした事実を数え上げただけでも「文化が無い」とは言えないはずです。

 また岡崎は古くから芸所としても有名であり、今も踊りや小唄等のお師匠さんもたくさんみえます。洋楽においてもクラシックのみならず、ポピュラー・ミュージック界で活躍してみえる方を多く輩出していますし、地元で後進の指導に尽力して下さる方も少なくありません。そのおかげで小中学生の合唱・吹奏楽・オーケストラのレベルも高く毎年全国大会へ出場し、上位入賞を果たしています。(Beanzz、ビーンズという子供ジャズバンドもあります。)

りぶらジャズオーケストラJr.岡崎 Beanzz

(りぶらジャズオーケストラJr.岡崎 Beanzz)

 岡崎高校のコーラス部はヨーロッパで行われる世界合唱大会で何度も金メダルを獲得しております。ちなみに5大会連続で金メダル、そのうち3回は世界チャンピオンであります。
 光ヶ丘女子高校のダンス、合唱も全国レベルの活躍をしておりますし、愛産大三河高校のアーチェリー部や城西高校のサッカー部も有名です。その他にも素晴らしい成果を出している学校や団体所属のオリンピック候補級の選手もたくさんいます。
 ついでに言わせて頂くと、学力の方も大したもので、毎年の全国学力・学習状況調査で、愛知県は全国ランクの上位ではありませんが、岡崎の小中学生の学力は全国平均よりも高い水準にあります。(この統計は人口の多い所が不利。)
 岡崎市芸術祭に出展される絵画、彫刻、その他の分野についてもレベルの高さに毎回驚かされます。秋には各学区において文化祭が行われていますが、こちらも一般の方々の作品の洗練度にびっくりさせられてばかりです。

 岡崎市はトヨタ系の会社の重役の方が多く在住してみえます。また、銀行や証券会社、生保などの支店長として全国を回ってみえた方で、土地を岡崎に確保しておいて、退職と同時に新築して岡崎に住まわれた方を何人も知っております。歴史的文化遺産に加えて、自然も豊かで、生活基盤や各種施設も整っているということもあると思いますが、それらの皆さんの多くが岡崎を居住地として選ばれた理由に「伝統文化の魅力と居住環境の良さ」を挙げています。「岡崎には文化が無い」という言葉がどこから出てくるものか全く分かりません。国立の研究所(自然科学研究機構)が岡崎に来たのも同様の理由であります。

自然科学研究機構

(自然科学研究機構・山手キャンパス)

 ジャズについて言うならば、「岡崎をジャズの街に」というのは決して役所からの発想ではありません。日本のジャズの育ての親の一人として有名なドクター・ジャズこと故・内田修先生(御近所でしたが親戚ではありません)の存在は言うまでもなく、ポピュラー・ミュージックとしてジャズを楽しもうとするグループ等、様々な形でジャズに取り組んでみえる方達がおられます。
 「岡崎ジャズストリート」については、市内で会社経営をしてみえた故・同前慎治さん(兵庫県出身)という方が市内のジャズ愛好家の方達と共に10数年前に民間の立場で自主的に始められたものです。岡崎市は街の活性化の観点から補助をしてきたというのが今日までの実態であります。

岡崎ジャズストリート座談会

(岡崎ジャズストリート座談会。『リバ!』2006年10月号より)

 ジャズに限らず、こうした趣味的要素の強い文化イベントに、公共が主体的に取り組むべきものではありませんし(同様のモノが他にもあるので)、また、役人が仕事として行っても良い結果は期待できません。(第一、面白いものになりそうな気がしません。)
 私も毎年、秋のジャズストリートには積極的に参加し、協力しておりますが、普段は引きこもり型のジャズ・ファンであり、一人でCDを聴いている方が好みでありますし、それで構わないと思っております。
 ライブハウスに行く、行かないは個人的趣味の問題でありますし、ライブハウスが流行らないとしても、それは行政施策の結果ではありません。そうしたことをもって、一方的に「岡崎に文化が無い」と言うのは、あまりに短絡的ではないでしょうか?

 世の中というものは、様々に多様な価値観で形造られたモザイクのようなものだろうと考えております。私はそうした多様性と伝統文化の共存する岡崎という街をこれからも大切に育ててゆきたいと思います。
 まずは「モノづくり」で豊かさを獲得した岡崎市に、もう一つの経済の柱として、歴史的資産、伝統文化と豊かな自然を活かした「観光産業」を付け加えたいと考えております。さらに言うならば、観光客ばかりでなく、市民にとってもきれいになった自らのふるさとの街を四季の景観を愛でながら歩くだけでも気分が良くなります。そして市民の多くが歩くことを習慣にして頂くようになれば、健康な人が増え、医療費の削減にもつながります。(認知症対策にもなる。)
 元気であってこその長寿であり、幸せな人生だと考えます。岡崎がそうした所になるようにガンバりたいと思っております。

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2017年9月 8日 (金)

引っ越し大作戦完了す (その2)

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 古い家の引っ越しにおいて気を付ける必要があるのがホコリである。いわゆるハウスダスト、長年たまったホコリが粉塵となって空気中を漂い、長時間そうした環境で作業をしていると突然呼吸困難となったり、アレルギー反応が出てセキが止まらなくなったりすることがある。
 そして熱中症である。夏の引っ越しはお勧めしない。ことに家の取り壊し作業前には家をスッポリと袋で囲うように防音、防塵対策をとるため、中にいると酸欠状態になることがある。さらに取り壊し直近には電気も止まるため、エアコンも扇風機も無い最悪の作業環境となってしまうため注意が必要である。

 以前近所で雑談中、「将来、山の中の広い所に住みたい」ということを言ったことがある。その時に隣のオヤジさんから「一度康生に住んだ人間はヨソでは暮らせないよ」と言われたことがある。

東康生通り

 確かにこの辺りには生活に必要なものはほとんど歩いて買いに行ける範囲にそろっており、この便利さは捨て難い。おまけに地下は頑丈な岩盤であり、防災上の安全性も高い。かつての岡崎城の城郭の中に位置し、少し高台となっているため矢作川が溢水(いっすい)しても大丈夫である。
 そのためか、高齢化の時代を迎えた今、郊外から中心部のマンションに移り住んでみえる年配の御夫婦が増えているというのが近年の傾向である。市外に出た子供も帰って来ず、老人世帯には郊外の大きな家の管理の負担は大きく、不用心でもある。さらに、老人夫婦の緊急時対応には不安も多い。中心街のマンションなら近くに病院もあり、大病院までの時間も短い。おまけに1階がショッピングセンターになっているところもあり、高齢者には最適な生活環境と言える。

 そして何よりも私のように、この地に長く住んでいる者にとっては隣人の多くの皆さんと親戚同様のお付き合いがあり、こうした住み心地の良さというのも大きな財産であると言える。
 現に今回の引っ越しに際し、工事用車両の駐車場を提供して頂いた方や、わざわざ倉庫のスペースを空けて下さり荷物を置かせて頂いている方まであるのである。
 こうした多くの皆様の善意と御協力によって、この度の困難な引っ越し作業が完了した次第であり、すべての皆様に改めて感謝御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

追伸
 そしてもう一つ、今回の建て替えの件において、私は市内の建築業者の皆様にお詫びをしなくてはならない。
 日頃、「地元の業者の担う仕事を増やしたい」と言ってきた私がその約束を果たせず、大手ハウスメーカーに仕事を発注することになった点である。
 しかし、私のような立場の者が地元の入札業者に自宅建設の工事を依頼すれば、必ず何らかの癒着が疑われることになり、最近流行りの忖度(そんたく)の存在も様々に指摘され兼ねないことになる。そうした誤解や悪口を避けるべく、賢明なる諸先輩方の所作を見習い、今回第三者的・外部の事業者に依頼することとなった。その点、何とぞ御理解頂きお許し願いたいと思っている。

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引っ越し大作戦完了す (その1) (2017.09.04)

三猫と一犬との共同生活始まる (2017.09.30)

一人暮らしと犬猫について (2018.01.15)

ビフォア・アフター (2018.04.01)

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2017年9月 4日 (月)

引っ越し大作戦完了す (その1)

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(自宅前にて。平成29年1月1日撮影)

 決して引っ越しというものをナメていた訳ではないが、今回引っ越しがいかに大変なことであるかということを骨身にしみて思い知らされたものである。
 そもそも家の建て替えなどしなければ、引っ越しなど必要ないのであるが、築66年、木造モルタル造りの我が家が10年程前からひどく傾くようになり、安全性に問題が出てきたのである。雨漏りもひどく、因果関係もはっきりしないまま漏電のため私の家から火事を起こすことが一番怖いことであった。
 10年前にもリフォームを考え、知り合いの建築業者や大工さんに相談したところ、異口同音に「これはもう手遅れだよ。建て直した方が良い。リフォームは金の無駄づかいになる」という答えであった。

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 それでも、「失敗したら建て直そう」と思い、自分で屋根や外壁のペンキ塗りをし始め、併せてリフォームに挑戦してみた。柱を補強し、壁、天井も張り替え、断熱材まで使ってていねいに作り直してみた。〝DO IT YOURSELF〟の本を見ながら取り組んだのであるが、思いの他きれいに仕上がり、自分としては気に入っていた。

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 ところがとうとう昨年の夏からTVが映らなくなり、年末には温水機が作動しなくなり、今年に入ってガス台も使えなくなってしまった。何より原因がはっきりしない点が一番の不安であった。

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 そして2月の突風時に、地震と間違えるほど家が揺れたことが決定打となった。石川達三の『風にそよぐ葦』なら風情もあるが、〝風に揺れる家〟ではシャレにならない。
 本市の防災対策の顧問になって頂いている名古屋大学の福和伸夫教授からも、「災害対策本部長の家が余震でつぶれていては困るので、家を建て直すように!」とお会いする度に言われているところでもあった。
 公職者が家を建てたり新車を買ったりすると、とかく悪口の種となるものであるが、友人から「町の景観を説いている本人の家が、町の景観を損なっている」とまで言われており、周囲の家が建て替えられ、近所で一番古い家となったことで今回思い切って建て替えに踏み切った次第である。

 当初は、2~3ヶ月前から準備をして、1~2週間ほどで引っ越しはできると思っていたが、私の見通しが甘かった。
 5月中旬に母の急死という思わぬ出来事に加え、6月議会、フフホト市(中国)訪問、市制70周年の石垣市訪問、東京陳情活動、数度の市民対話集会、都市対抗野球の始球式、夏まつり、花火大会等々、代わりのきかない仕事が連続し、引っ越しの準備が大幅に遅れてしまったのである。毎年5月の連休や年末にキチンと掃除をしていればこんなこともなかったのであろうが、忙しさにかまけて、この10年ほど大掃除をしたことがなかった。そのツケが回ってきたのである。
 なんと今回家から出たゴミ、不要物、廃棄物の総量が4トンになり、自分でもアキレてしまった。

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 不要品の総量がこれほど膨大になったのは、父の仕事上(新聞社)、古い資料や本、関連の品物が大した値打ちもないのに後生大事にしまわれてあったのと、私も、子供達の思い出の品に加え余分なものを多く溜め込みすぎていたせいである。
 どうしてこんなものがまだ家に置いてあったのかと思われるような古い電化製品や日用品があり、ことに困ったのが宗教関連の品である。母が知り合いから勧められて関わった神仏やお札、経文、仏像、写経などはゴミとして捨てる訳にもいかず、とりあえず箱詰めにして保管してあるが処分に困っている。(御年配の皆さん、この点御注意下さい。)

 荷物の整理と運搬のため、お盆休みをはさんだ8月の2週間、平均睡眠時間2~3時間、うち完全徹夜2日間を費やすこととなった。なんとか乗り切ったものの、心身ともにクタクタであった。災害などは無い方が良いのであるが、今回のことで災害発生時の本部長としての予行演習ができたと思っている。
 古い家の引っ越しには予想外の出来事がおこるものである。給湯器をはずしたところ水道管がひび割れて水漏れしたり、左側の柱の付属物をはずしたところ右側の柱が傾き出したり、古い建物の引っ越しは命懸けでもある。ところどころ床が腐りかけているような建物での連日の肉体労働はさすがにキツく、自らの筋肉の衰えを実感させられた。

 ランニングシャツと半ズボンの「裸の大将・山下清」スタイルで荷物を運んだり作業をしていると、私と気付かない人も多い。気付かれるとイチイチ説明しなくてはならず、私としては好都合であった。
 いずれにしても今回御手伝い頂いた友人、青年部の皆さんには心から感謝申し上げます。

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引っ越し大作戦完了す (その2) (2017.09.08)

三猫と一犬との共同生活始まる (2017.09.30)

一人暮らしと犬猫について (2018.01.15)

ビフォア・アフター (2018.04.01)

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2017年6月12日 (月)

ボーイスカウト気質とDO IT YOURSELF

日本ボーイスカウト愛知連盟 三河葵地区協議会

 今年も恒例のボーイスカウト三河葵地区協議会の年次総会に出席した(5月14日)。昨今、少年期、青年期の問題が社会の関心事として注目を集めることが多い中、ボーイスカウト活動に再び光が当てられている。
 ボーイスカウトは社会奉仕や自然体験など様々な活動を通じて、生命を尊重する心、仲間と話し合い協力する心、モラルや正義感、自然や美しいものに感動する心などを育むことを目的とする。様々な知識と経験を重ね、自立心を養い、子供達をより良い方向に導いてゆく教育活動としてその果たす役割には大きいものがあると認識している。

 実は私も今は無きボーイスカウト岡崎第9団の一員であり、小中学校の内、5年間お世話になったものである。当時ボーイスカウトは習い事の一つのようになっており、私の町内(東康生)では子供会がそっくりボーイスカウトに入団していた。横着なクソ坊主であった私が少しはまともになれたとすれば、まさにボーイスカウトのおかげであると思っている。

ボーイスカウト 岡崎第9団(旧)

 当時の先輩や仲間が今日も指導者として元気にガンバっている様子を見ることは、OBの一人としてうれしい限りである。かつて岡崎市には10ほどの地域に団があり、毎週末の各団ごとの活動に加え、様々な地域行事への参加、清掃奉仕活動、交通整理の手伝いまでしていたものである。
 あれから数十年の月日が経っているが、ボーイスカウトで身に着けた知恵と技は今も生活の各場面で役立っている。ロープワークの技術は作業時に助けとなり、私の場合ヨットを始めた時に新たに覚えることはなかった。手旗信号は今もできるし、飯ごう炊さんも今でもやれる自信はある。
 今も私の手提げカバンの中には多用途ナイフ、裁縫道具、救急セット、薬、歯ブラシに加え、底には2メートルあまりのロープがクッション代わりに入れてある。口の悪い友人からは「貧乏性だ」と言われるものの、こうした備えのおかげでいつ命が助かることがあるかもしれない。明らかに〝備えよ常に!〟が合言葉であるボーイスカウト生活の後遺症(?)であると思っている。

 前にも触れたことがあるが、面白いことにボーイスカウト経験者は大人になっても同様のクセが抜けない人が多い。
 私は今もシャツのボタン付けやズボンのスソ上げくらいは自分で行うし、料理もできるので一人暮らしも苦にならない。全てボーイスカウト生活のおかげである。何より「自分のことは自分でやる」という生活習慣を叩き込まれたことは生涯の財産となっている。
 だからという訳ではないが、県会議員の最後の2年間の頃には家のリフォームにまで手を出すことになった。
 今住んでいる家は築66年目を迎える木造モルタル建てである。本来二棟であったものを後から接続して一棟にしたため、20年来雨漏りが絶えない。そのためにこれまで何度も自分で屋根に登りペンキを塗ったり、壁のひび割れをコーキング剤を使って埋めたり、レンガとセメントで補強を行ったりしてきたものである。
 10年ほど前に知り合いの建築業者や大工さんに相談したところ、「もう寿命が来ており、リフォームは金の無駄づかいであり、建て替えた方がいい」と同様の答えをもらった。そのため「失敗したらその時に建て替えを考えよう」と自分で家のリフォームに挑戦したのであるが、以来8年間は使用に耐えたものの、ここに来て温水器が壊れ、原因不明の雨漏りが増え、TVが映らなくなり、とうとうガス台も壊れギブアップすることになった。

 話が家のリフォームに脱線してしまったが、ボーイスカウトをやってなければ自分で家を直そうなどとは考えもしなかったことだろう。
 今の子供達はヘタに小利口になってしまい、何事もやる前からできることできないことを自分で決めてしまい、難しいことに挑戦しようという気概、〝チャレンジ精神〟に欠けているように思われる。私がそうした気概に満ちた人間であると胸を張る自信はないが、現在の家庭教育や学校教育に不足している要素をボーイスカウトの活動が補ってくれる可能性があると考えるものである。

岡崎こどもまつり(2017年5月4日)

 昨今、ボーイスカウトの募集活動に対して否定的な方もいるという話を聞いている。確かにボーイスカウトは陸軍の伝令役の少年兵から発展して、イギリスのベーデン=パウエル男爵によって少年教育の手段として始まったものであるが、軍国主義的な組織ではない。世界的な組織として各国で様々に有意義な活動を続けている。
 自立した生活習慣、チャレンジ精神の涵養、生活の知恵の獲得など、人生に大きなメリットのあるボーイスカウト活動に対し、市民の皆様の御理解と御協力をお願いします。

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ボーイスカウト、備えよ、常に! (2013.03.06)

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2017年5月28日 (日)

母の死

内田美惠子

 5月19日(金)、朝6時に目覚め、その日一日の日程と挨拶文のチェックをしていたところ珍しく携帯電話のベルが鳴った。「緊急事態以外に早朝の電話はしないよう」事務局や身内には伝えてあるため、「何事か!」と手に取ってみると妹からの緊急電話であった。
 先日、入院中トイレに行こうとして転倒し、大腿部骨折の手術をしていた母が「手術後半日経過した本日(19日)未明になって容態が急変した」との知らせであった。
 とりあえず朝一番目の仕事には代理を立て、病院へ急行した。病室にはすでに妹達が到着しており、医師と看護師による心臓マッサージの緊急措置の真っ最中であった。もう本人の意識は無く、体温も低下しており、普段から低体温である母の体はさらに冷たくなっていた。
 時の経過と共に、脈拍と心拍数の機械表示の数値が下がってゆく。ゼロ表示になっては、心臓マッサージの圧力で再び数字が戻ってくる。他人の力で血流が保たれているだけの母の姿が哀れでもあった。肺が破れ、血が口から逆流するようになり、何度目かのゼロ表示のあと臨終の時を迎えた。午前10時6分であった。
 高齢者の骨折がそのまま死につながることは少なくない。そのため〝転倒骨折〟の報を受けた段階で手術ができるのかどうか危(あや)ぶんでいた。
 今回、転倒から8日間の時を経て、体調の安定を確認した上で手術に臨んだと聞いている。生来、過敏体質であり、常に多種の投薬を行っている母であるので、さらなる投薬に加え出血、輸血を伴う手術は過重な負担となったのだろう。手術そのものには成功したものの結果的に死期を早めてしまったのかもしれない。

 いずれにせよあまりに突然の母の死であり、なかなか現実を受け入れることができなかった。後に火葬場での遺骨拾いの際に、もろくなってほとんど原形をとどめない母の遺骨とは対照的に、黒く焼けながらもしっかりと形状の残っていた人工関節の金属に対し、妙な無常感を覚えたものであった。

 葬儀は身内だけでしめやかに行うことも考えたが、友人知人の多い母であったことを思い、親族、子供としてできる限りの葬式を行うことにした。

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 盛大なことが価値があると思っている訳ではありませんが、5月22日(月)の通夜式、23日(火)の告別式には1500人程の皆様の御会葬と300通近くの御弔電を頂き、これまで見たこともない多くの生花と共に母を送り出すことができたことに対し、心から感謝申し上げます。
 また、葬儀の時間短縮のため個別焼香のお名前呼び出しの省略と、以下5名の方々のみの御弔電披露となったことをお詫び申し上げます。

 安倍晋三内閣総理大臣
 大村秀章愛知県知事
 豊田章男トヨタ自動車株式会社代表取締役社長
 益子修三菱自動車工業株式会社代表取締役社長
 大林市郎岡崎商工会議所会頭、岡崎信用金庫会長

*個別でお手紙、ブログへのお便りを頂いた皆様へも心から感謝申し上げます。
 以下は私の当日の遺族代表の挨拶です。


 遺族を代表し御挨拶を申し上げます。
 本日は皆様御多用の中、亡き母、内田美惠子(みえこ)の通夜式並びに葬儀に際しまして、4名の愛知県副知事はじめ公職者の方々、多くの皆様の御会葬を賜りましたことを心より感謝申し上げます。
 母は昭和6年(1931年)8月29日の未年(ひつじどし)生まれの満85歳であり、この夏を迎えていれば86歳となるところでありました。
 このところ年中行事のようになっている、定期的な病気治療の入院中の出来事でありました。去る5月10日、自身でトイレに行こうとして転倒、大腿部骨折という大ケガをしてしまいました。高齢者の骨折が死期を早める事例も多い訳でありますが、比較的事後の経過も安定しており、1週間ほどして人工関節にする手術を行いました。
 手術後の結果も良く、リハビリを行う手はずも整い、本人も意気軒昂であったのですが、手術後半日程経過した頃、突然容態が悪化し、急性循環不全のため還らぬ人となりました。
 身内の誰もが亡くなることを想定しておらず、いつもの治療入院であり、週末には見舞いの面会ができると考えていた矢先の出来事でした。私達も驚いておりますが、ひょっとすると今一番驚いているのは狭い棺(ひつぎ)の中にいる母・本人ではないかと思っております。

 母の旧姓は杉浦美惠子であり、岡崎市立高等学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)を卒業後、父・内田喜久と結婚し、愛知新聞社社長の妻となり、その後政界に転じ、県会議員、岡崎市長となった父と共に多難な人生を生きて参りました。

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大平正芳首相

 母は平成7年(1995年)の私の3回目の県会議員選挙の折、しばらく地元を離れていた父の替わりに選挙区内を歩き回り、無理を重ね足を痛めてしまいました。その後、モルトン病、膠原病、シェーグレン症候群を併発して歩行困難となりました。
 この20年ほどは外出は病院と美容院に出かけるくらいの生活となっており、長らく多くの皆さんに御無沙汰をしておりました。それでもおかげ様で年老いてからも本人の意識はしっかりしており、私と会う時など、その都度TVなどで仕入れた情報を元によどみなく様々なアドバイスをくれたものです。私も多忙のゆえ3ヶ月に1回くらいしか会えなくなっておりましたが、母の存在は一つの心の支えであったような気がしております。近年は歩行が困難なゆえに自身の行動は思うに任せない状況となっていましたが、多くの方々の励ましと友情のおかげで元気に過ごしておりました。

 最近の母の一番の喜びは七人の孫達がそれぞれに自分の道を見つけ、人生の歩みを始めていたことであると思っています。
 中でも先頃結婚致しました私の長女がこの秋に出産を控えており、初のひ孫の顔を見ることを楽しみにしておりましたので、ただそのことが心残りであります。
 私としましても現在進めております本市の様々な施策の内、市街地活性化事業の一つ、乙川リバーフロント計画の(仮称)乙川人道橋の完成を間近に控え、〝三世代夫婦の渡り初め〟が行われる場合には車イスを使い、その仲間入りが出来るものと思っていたことが残念であります。

 母はお嬢さん育ちであったため、モノをはっきりと言い過ぎ時に誤解されたり、少々我がままな所もありましたが、人にはやさしく世話好きで動物達にもやさしい心配りをする人でした。私達兄弟が皆動物好きであるのも母の影響であり、私達が捨て犬やノラ猫を拾ってきた時もいつもやさしく見守ってくれる人でした。

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内田美惠子

 若き日の母はとても活発でおシャレでモダンな人でした。映画や文化芸術にも詳しく、手先が器用で多趣味であり、ものの考え方も柔軟性に富み先進的であり、私のアメリカ留学を後押ししてくれたのも母でありました。
 また私達子供に対しては教育熱心のあまり、時に厳しい一面もありましたが、あらゆる意味で話の分かる人であり、人生の良き相談相手でありました。まだまだ報告しなくてはならないこと、見てほしかったモノなどたくさんありますが、今はただこれまでの無限の慈愛と私達に施してくれた教育に対して感謝し、冥福を祈るのみであります。今後は天から孫やひ孫達の成長を見守ってくれることを願うばかりであります。

 本日は長きにわたり母と親交のあった皆様をはじめ、父と御縁の深い方々、また公職、官公庁、諸団体関係の多数の皆様方の御会葬を賜り、本当にありがとうございました。すべての御会葬者の皆様方に遺族を代表致しまして重ねて御礼を申し上げます。本日は最後までありがとうございました。

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追伸
 母は茶目っ気のある人で、私達が子供の頃、よく死んだ振りをして驚かされたものですが、今でもひょっとすると「今度は完全にだまされたね」とか言ってひょっこり現れそうな気がしています。
 それほど急な母の逝去でした。

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2017年5月18日 (木)

政治と政争

――以下の文章は、5年前の最初の市長選後に書きながら、周囲のアドバイスを受けて棚上げになっていたものである。久しぶりに読み直してみて、今日にも通じると思い発表することにした次第である。――

 先日(注・5年前)某新聞に載っていた「政争の町、岡崎」という記事を読んで、まったく「わかっちゃないな」と感じた。その記事は、『過去を反省し「政争の町」から脱却すること』が『新トップの手腕にかかっている』と訴えていた。
 そもそも政治の原点というものは、戦いである。食べ物をめぐるもの、水をめぐるもの、領土をめぐるもの、また様々な利権をめぐるもの、そうしたものを血を見ずにして解決しようとするところから政治というものが生まれてきた。
 しかし、政治というものの本質がそうである以上、政治が争いというものから無縁ではあり得ない。古今東西の国家間の利益をめぐる交渉ごとの例を見ても、軍事力の行使があろうとなかろうと、そこに力の存在というものが無縁であったケースなど聞いたことがない。この世で政治のあるところに政争のないところなどは無いのだ。それが現実というものである。
 個別の名前は控えるが、愛知県の市町の中でもかつて政争の激しかったところはいくつもある。現在、一見平和的にものごとが進んでいるからと言って、決して政争がなくなっているわけではない。そのことはそこで政治に関わっている人々と話せばすぐにわかることである。現状の表面的平穏は単に双方が折り合いをつけているだけのことである。政争というものは、政治現象が争いごとの過程において温度が上がり沸点に達したときに発する現象であるとも言える。表面上、見えないからと言って無くなっているわけではない。それこそが人間の持つ性(さが)であり、業(ごう)であるからである。

 前述のごとく日本のマスコミの中には何かというと平和的話し合いですべて解決するような論を説く人がいる。しかし実際の世の中には、話し合いとは時間かせぎのための方便に過ぎず、その機に自分達の主張を相手にのませ、逆に相手の言うことなどハナから聞く気のないという人達もいるのである。そうした人間の業のような性質を理解していないから、きれいごとのおためごかしの正論が言えるのである。パワー・オブ・ポリティクスで物事が決まる現実において、話し合いも力の裏付けがあってこそ成立するものである。(北朝鮮が核とミサイルに固執する理由もそこにある。)

 以前私は、カリフォルニア大学バークレー校で政治学を専攻していたアメリカ人の友人フィリップ・キース君に、岡崎の政治について次のように説明したことがある。

Phillip E. Keys and Yasuhiro Uchida

「岡崎という町は、他の地域のように保守と革新が競うという政治土壌はなく、戦前から保守が二派に別れて権力闘争をするという伝統がある。革新勢力はそのときどきでそのどちらかに乗ったり、乗らなかったりという存在である」
「現実に戦前は政友会と民政党の系列で争った時代があり、戦後は愛市連盟VS光会の時代、そしてその流れを受け継ぐ者たちの戦いの時代、近年は保守の旧勢力と新興勢力の争いという形になっている。いずれにしても理念性は薄いが、形としてアメリカの政治の共和党と民主党の争いの形態に似ている。それが岡崎の政治風土である」

 彼がこの内容をどこまで理解したかはわからない。その後数年岡崎市に在住し、私の最初の選挙も手伝ってくれたが、将来、彼が大学に戻るとき、日本の政治についての論文を書くための日本の地方政治のあり方の一形態としての研究の材料になればと思って話したことを覚えている。(現在、彼はカリフォルニア州の某カレッジの学長をしている。)

愛知県議会議員選挙(1987年)

 現在の岡崎の政治状況もそうした政治風土の一環と考えるか、都市型の政治形態に向かう成長過程ととらえるかは、その人の見方あるいは趣味の問題だと思う。
 私は、そうした岡崎の政治風土の中で生まれた保守の政治家の一人であるが、岡崎の持つ独自の歴史、伝統、文化、それに基づく地域的思考というものはそれなりにその地域の個性であって、決して恥じるべきものではないと思っている。そうした観点からも、政治の場における権力闘争というものは今後も無くなることはないと考えている。また、これはある意味、世界中のどこでも同じである。人類の存する限り、政争もなくならないのである。レベルの低い無益な争いは極力避けるべきであり、ものごとの折り合いはつけて行くべきであるが、自らの主張を曲げる必要はないと考えている。なぜならばそうした各種異なった考え方の集団の代表が、政治家であるからだ。
 一部マスコミの言う一見第三者的常識論は、決して神の御宣託ではない。鉄砲玉の飛んでこないところで、彼らの商売のネタとしての一面的なきれいごとの論理を展開しているに過ぎない。しかも、一部のマスコミ報道は、一見中立的に見えて実際は逆に政争を煽(あお)っているように見えるときがある。また、自らは他を自由に批判しながらも、逆に自分たちに対する批判は許そうとしない独善的体質があるように感じることもある。
 いずれにしても、私たちは自由主義社会にいながら、いつもどこかで彼らにマインドコントロールされている可能性があることも忘れてはならないと思う。

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2017年1月20日 (金)

人生は戦いなり

Life is a Struggle

 現在、私の自室の正面にはクリムト作の「黄金の騎士」の複製画が飾ってある。本物の絵は愛知県美術館の所蔵するものであり、〝人生は戦いなり〟という副題がついている。気の弱い私は自らを鼓舞する目的で、この絵を目前に飾り、毎日見ているのである。

 人がこの世に生き続けるということは、それぞれ何かしかの戦いをしているということである。精子と卵子の邂逅を得て人間としてこの世に生まれる権利を手に入れるためには、まず数億の仲間(兄弟?)との競争に勝ち抜かなくてはならない。すなわち一つの生命の誕生のためには、数億の同様の可能性の犠牲があるのである。どのような平和主義者も人生の第一段階でこの戦いを制して生まれてきているわけであり、その事実を否定することはできないだろう。キリスト教の言う「人間の原罪」というのは、案外こんなところから発しているのかもしれないとも思う。
 さらに生まれ落ちた後もまだ戦いは続く。五体満足に生まれることができたか否か。知能や美貌に恵まれた否か。裕福な家に生まれたかどうか。そして愛情あふれる両親のもとに育つことができるかどうか。そうした、本人の意志ではどうしようもない、生まれつき備わった生物的基礎能力と環境的条件が個々の人間に与えられた人生ゲームにおけるアイテムであり、基本設定要件となる。
 その点で我々は初動の段階において、風に飛ばされる種子や鳥によって運ばれる果実の種と同じである。そう、人生とは生まれた瞬間から偶然と不公平から始まるのである。おまけに生まれる前や生後に親に殺されたり、捨てられる不運なケースさえある。
 誰しも偶然の所産として与えられたそれぞれの条件のもとに〝人生の戦い〟を進めて行かなくてはならない。第一段階の幸運不運の違いはあっても、例外は無いのである。

 戦いの種類は多岐にわたり、次々と降り注いでくる。進学、就職、資格の獲得、昇進競争や自ら挑む選挙もそうである。さらに配偶者獲得のための競争もある。こちらは個々の感情的要素がからみ、さらに難物である。そして幸か不幸か結婚に至っても、その配偶者と子供達との葛藤といった問題が加わってくる。
 先日新聞に、世の中には二通りの人間があり、それは「結婚を後悔している人間」と「未だ結婚していない人間」であると記してあった。
 先のことは分からないものであるが、うまくいったと思ったことが後にとんだ貧乏クジの元となることもあるし、その逆のケースもまれなことではない。そのように人知を超えた、思うにまかせないものが人生であり、人生航路の至る所にドンデン返しの落とし穴が散りばめられているからこそ人生は最後まで油断できないのである。

 幼少時から能力と才能を発揮する子供、上級に進学してから頭角を現す者、あるいは実社会に出て本来の実力が開花する人など様々である。一つの道を堅実に歩む者、運命のいたずらか本人の意志かはともかく、二転三転しながら成功する者しない者、幸せな人生を送れたかどうかは、本人の人生観、価値観にもよってくるため一概には言えない。いずれにしてもそれぞれの人生ステージにおいて次々と新たな戦いの場が用意され、それに勝ち残ることが要求される。
 時に神仏を呪いたくなるような過酷な運命を与えられ、しかもその中で戦い続けることを要求されることがある。戦いに倒れることがなくとも、その運命の重荷に耐えきれず、自ら人生ゲームを途中退場してゆく者もいる。
 それも選択の一つではあるが、人生の敗北者の烙印を消すことはできないであろう。チャンスは戦い続ける者にのみ与えられるのであるから。

 この仕事をしていると様々な人生を垣間見る機会があるが、これまで、生涯、幸運に恵まれた人生というのは聞いたことがない。
 また、人からうらやまれる富や社会的地位や名誉を持っている人が必ずしも幸せな人生を送っている訳ではない。家庭内や一族との間に不和を抱えていたり、子供の不出来や健康上の問題などに悩まされていたりもする。
 自らの失策や不運はもとより、他人の巻き添え、あるいは経済や社会の変化、法律の改正により窮地に追い込まれる人生もある。
 それでも生きてゆかなくてはならないのが人生なのである。

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