岡崎ゆかりの英傑たち

2019年4月17日 (水)

2019・平成最後の桜まつり

内田康宏、太田俊昭議長

 本市の春のメインイベント、「岡崎の桜まつり」と第60回の節目となる「家康行列」を晴天のもと立派に開催することができ、ただ今ホッとしているところです。今年は久しぶりに桜の満開の時期と家康行列がドンピシャに重なり、しかも2週間にわたり週末に桜の開花風景を楽しんで頂くことができ、喜んでおります。

 4月7日(日)は総勢700人が家康行列に参加されました。名君、徳川家康公の遺徳を心に刻みながら一致団結し、伊賀八幡宮から市内の目抜き通りを練り歩き、武者列の方は勇壮に、そして姫列の方は華やかに沿道の皆様に凛々しい隊列を披露して頂きました。
 ことに今年は、家康公第一の家臣と称えられている酒井忠次公役に、本市出身の俳優の平泉成さんをお迎えし、平成を締めくくる、記念すべき家康行列にふさわしい、誠に格調高い家康行列を開催することができました。

平泉成さん

武将

石垣市役所旗頭列

スマイル茅ヶ崎

 また、親善都市の石垣市と福山市の皆様、ゆかりのまちからは茅ヶ崎市、佐久市、関ケ原町の皆様、友好都市である中国の呼和浩特(フフホト)市の皆様、そして観光交流都市の金沢市の皆様にお越し頂きました。加えて観光親善大使として、各市まちのミスの方々が行列に華を添えて頂き、併せて御礼申し上げます。さらにお忙しいなか出陣式から参加して頂いた大村秀章知事にも、改めて感謝申し上げる次第であります。

 今年度はいよいよ、乙川人道橋、「桜城橋(さくらのしろばし)」の全容が見えてまいります。桜城橋が完成した暁にはぜひ橋の上から満開の桜とともに、岡崎城や乙川周辺を眺め、御家族や御友人とくつろいで頂きたいと思います。
 また、この秋には東岡崎駅周辺でも中央デッキが完成し、北東街区では9階建ての新しいホテルや商業施設がオープンを迎える予定です。さらに市民の皆様の御協力を得て、高さ9.5メートルという、全国一の高さと偉容を誇る徳川家康公像がついにお披露目となります。
 これから数年のうちに岡崎の景観や人の流れも大きく変わり、間もなく迎える「令和」という新たな時代とともに、新しい岡崎が始まります。ぜひ御期待下さい。

岡崎城下舟あそび、桜城橋

(2020年完成予定の桜城橋)

明代橋と「オト リバーサイドテラス」

(東岡崎駅前北東街区で建設中の「オト リバーサイドテラス」)

能見町~能見通

2019観光大使おかざき(古林かなみさん、鶴田百代さん)

竹千代

於大の方

平泉成さん

桜並木


東宝スタジオ、平泉成氏訪問 (2019.01.06)

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2019年1月14日 (月)

おかざき クルまつり

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 このところ好評であった「岡崎モータースポーツフェスティバル」が昨年から「おかざきクルまつり」として再出発することとなった(12月9日開催)。
 これまでF1を始め、レーシングカーの走行披露がメインであったが、手間がかかり高額な予算を必要とするため、今回からメーカーや販売店の出店をメインとし、今後主流となってゆく電気自動車の展示にも力を入れるイベントとなった。言うまでもなく西三河一帯の主力産業は自動車関連のものが多いため、これからもこうした形で続けてゆきたいと考えている。
 もちろん節目の時にはレーシングカーの走行を再開したいものと思う。
 以下は当日の私の挨拶です。


 皆さん、こんにちは。岡崎市長の内田康宏であります。
 本日は「おかざき クルまつり」を開催いたしましたところ、市内外から多くの皆さんにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 また、本日の開催にあたり、ご尽力いただきました実行委員会の皆様はじめ、ご協力いただきました皆様に心より感謝申し上げます。
 さて、この「クルまつり」は一昨年の市制100周年を記念して開催した「岡崎モータースポーツフェスティバル」を継承したイベントであり、今年度は内容を一新して開催しております。殊に、今回は市内の自動車メーカーや販売店様に数多くご出典いただいており、各社が誇る最新技術や自動車の展示、試乗を通して自動車への関心を深めていただける内容となっております。
 岡崎市は自動車産業を中心としたものづくりのまちとして、発展してまいりました。今回の開催を契機に、この地域を支える自動車産業がこれまで以上に発展いたしますことを大いに期待しております。
 また、現在、交通安全・年末・緊急アピールが発令されております。多発する交通事故を抑制するため交通安全の啓発コーナーを設けましたので、ぜひ足を運んでいただき交通事故の防止につなげていただきたいと思います。

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 そして、ご案内のとおり、本日は今年のル・マン24時間レースで優勝され、「市民栄誉賞」を受賞された中島一貴さんにお越しいただいております。この後のトークショーでは貴重なお話が聞けるものと思います。岡崎市民の誇りとして一貴さんのこれからのご活躍を心から期待しております。

 最後になりますが、このクルまつりの成功と、本日が皆さんにとって思い出に残る一日となりますことを心より祈念いたしまして、私からの挨拶とさせていただきます。皆さん、楽しんで行ってください。

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2019年1月 6日 (日)

東宝スタジオ、平泉成氏訪問

平泉成さん

 昨年12月14日(金)、写真家・竹内敏信氏に続いて今一人の額田出身の著名人、俳優であり、第1回岡崎市民栄誉賞受賞者の平泉成(ひらいずみ せい)氏を訪ねることとなった。今年の家康行列において、徳川四天王の長老、束ね役であった酒井忠次公として出演して頂くため、平泉氏に正式に御挨拶に伺った次第である。
 私は安倍晋太郎代議士(晋三総理の父)の秘書時代、世田谷区の豪徳寺というところに住んでいたが、同じ世田谷区の成城にある東宝スタジオには一度も行ったことはなかった。そのため今回訪れてみて「こんなに近くにあったのか」と驚いたものである。

 東宝スタジオは小田急線成城学園前駅からほど近い所にあった。現在は市街地の一角となっているが、かつては東宝砧(きぬた)撮影所と呼ばれ、当時は田畑の真ん中にあったそうである。
 タクシーを降りた我々を迎えてくれたのは、入口正面にある高さ2メートルほどのゴジラのモニュメントであった。左手にある建物の壁面には、黒澤明監督の名作、『七人の侍』の有名なポスターが大写しに描かれていた。

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東宝スタジオ、七人の侍

 正面玄関を抜け、建物の2階にある来賓応接室に通された。途中、壁に掛けてある写真のパネルに東映の看板スター、高倉健さんを発見した。かつて東宝、東映、日活、松竹、大映という大手五社は昭和30年代の映画全盛の時代にはしのぎを削る競争をしており、自社所属の俳優を他社の映画に出演させることはほとんどなかった。
 しかし有名俳優(三船、石原)が独立プロとして映画の自主製作を始めるようになり、昭和40年代のTVの時代を迎え、そうした規制も有名無実なものとなっていったと記憶している。
 東宝の重役であった、現在岡崎市の総代会連絡協議会会長の神尾明幸氏のお話では、かつて3000人を超えた東宝の社員も、今や正社員は500人を切っており、実際の映画製作の多くは下請けのプロダクションが行っており、本社の仕事は編集作業と広報が中心だそうである。

 忙しい撮影の合間をぬって、平泉氏はかけつけて下さった。
 岡崎市が家康公だけでなく、共に戦って新しい時代を築いた四天王や三河武士団にも光を当ててゆく方針であること、その一環として今日、四天王筆頭の酒井忠次公を三河人である平泉氏にお願いしたいことを説明したところ、快く了承して下さった。
 話題は『シン・ゴジラ』はじめ、昨今、平泉氏の出演された映画やTV番組にも及び、改めて平泉氏の多彩な芸歴を知ることとなった。

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 その後、私達はスタジオの中を見学させて頂いた。デジタル化の流れの中、建物のあり様も昔のスタジオのイメージとは随分違ったものとなってきている印象を受けた。それでもある映画のセットでは、古風な洋館がドラキュラの館のようにマニアックに作られていた。もちろん裏に回るとセットであることは一目瞭然であった。
 かつて、大学を出たばかりの新人・加山雄三氏がこの撮影所で父上の上原謙氏(戦前・戦中の大スター)と一緒にベンチに掛けている写真を見たことを思い出し、見回ってみたが、それがどこかは分からなかった。
 多くのスターや撮影スタッフ達が足繁く通った一ノ橋を渡り、場内を一周し、モスラに見送られて帰途についた我々であった。

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 それにしても平成の最後を飾る家康行列で、三河武士の筆頭であった酒井忠次公役を地元出身の氏に務めて頂くことになったというのも不思議な縁である。


2019・平成最後の桜まつり (2019.04.17)

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2018年12月20日 (木)

竹内敏信写真展(12月5日~23日開催)

竹内敏信さん

 12月の中旬を迎えて、相次いで額田出身の著名人の方とお会いすることとなった。
 まず12月12日(水)には、風景写真家として高名な竹内敏信氏(75歳)の写真展に出席し、感謝状を贈呈させて頂いた。
 竹内敏信氏は額田郡宮崎村の出身で、中学時代に新聞配達をして買ったカメラで写真を撮り始め、大学を卒業後、県庁に入られた。その後フリーの写真家となり、日本の風景写真を中心に活躍された方である。現在は東京にお住まいであるが、この度1,760点もの作品を本市に寄贈頂くことになり、併せて竹内氏の写真展を岡崎市美術館にて行うこととなったものである。
 当日は多くの写真愛好家をはじめ各方面で御活躍の友人知己の方も多く来訪され、竹内氏の交友の広さを知るものとなった次第である。

「竹内敏信写真展~日本の原風景を求めて~」
期間: 2018年12月5日(水)~23日(日)
時間: 午前10時~午後6時
休館日: 月曜日
観覧料: 無料
場所: 岡崎市美術館(岡崎市明大寺町茶園11-3)


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竹内敏信写真展

挨拶
 この度は竹内様におかれましては、本市の文化芸術の振興のため、1,760点もの写真パネルをご寄附いただき誠にありがとうございます。
 本市の出身である竹内様は、日本の写真界に風景写真のブームをもたらしたパイオニアであるとともに、日本を代表する風景写真家であり、本市にとりまして大変な誇りであります。
 また竹内様は長年にわたり「日本の原風景」「日本人の心の風景」を主要なテーマとして、作品づくりに取り組んで来られたと伺っております。今回はその作品がここ岡崎市美術館に集結し、このように企画展を開催できますことを大変うれしく思います。ぜひ多くの皆様に鑑賞していただきますことを大いに期待しております。
 最後になりますが、竹内様におかれましてはお体を大切にしていただき、今後ますますご活躍されますことと、本日ご来場の皆様のご健勝を祈念申し上げ、私からのお礼の挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。


*もう一人の額田出身の方の話は後日掲載予定です。

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2018年9月12日 (水)

ルーツ・オブ・カワイイ、内藤ルネ

内藤ルネ展(岡崎市)

 岡崎生まれであり、今日の「カワイイ文化」の生みの親と言われるのが、内藤ルネ氏(1932 - 2007)である。彼のイラスト作品を見たことがあっても本人のことをよく知らない人の中には、内藤氏を女性だと思っている人も多い。
 内藤氏は本名を内藤功(いさお)といい、羽根町の八百屋さんの息子として誕生し、小中学校時代にはクラスの人気者であったという。
 アーチスト名のルネは、フランスの代表的な映画監督ルネ・クレマン(アラン・ドロン主演の1960年の映画『太陽がいっぱい』の作者)の名に由来している。
 私は、同時代のイタリアのルキノ・ヴィスコンティやフェデリコ・フェリーニ、フランスのフランソワ・トリュフォーなどの映画が好きで、ルネ・クレマンのものも含め、20本ほどこの時代のDVDのコレクションを持っている。当時、新時代の青春像として登場して来たのがアラン・ドロンやジャン=ポール・ベルモンド達であったが、今や彼らも80歳代となっていることに時の移ろいの無情さを感じるものである。

ルネガール

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 内藤氏が岡崎生まれの有名人でありながら、今日まで地元で重用されなかったのは彼が同性愛者であったかららしい。ジェンダーフリー化してきた現代社会においてはもはや珍しいことではなく、逆にそれを売りにしている芸能人もいるくらいであり、昨今では同性婚の合法化が多くの国で実現している。時代の変化とはこうしたものである。
 私もルネ氏が岡崎出身であることを知ったのは市長になってからのことである。しかし子供時代に妹のオモチャ箱や洋服ダンスにルネ氏のイチゴや花のシールが貼ってあったことをはっきり覚えている。また彼の描く、目が大きくお洒落な服を着た女の子の絵は今も子供のぬり絵などにも影響を与えているようだ。

 私の生まれた1950年代において、すでに内藤氏はイラストレーターとして世に出ており、一時代を画す活躍を始めている。

Illustrated by Rune Naito

 大学生の頃、本屋で何気なく『薔薇族』(ばらぞく)という雑誌を手にとったことがある。購入はしなかったものの、見慣れぬ感じと不思議な情感を漂わせたバラの花を持つ青年の絵に目が止まったのである。
 半世紀近く経った今日も時代に変わらぬ新鮮さを保ち、「ルネガール」や「ルネパンダ」が愛好され、様々な分野において内藤ルネ氏の生み出した世界の影響を受けて活躍してみえる人が多いことに驚かされるものである。

 8月1日~12日の期間、イオンモール岡崎店の3階で「内藤ルネ展」が開催された。初日のオープニング・セレモニーに招かれた折に改めて内藤氏の作品をじっくり見させて頂くことができた。

ルネパンダ

 当日会場には、私と同年輩と思われる、かつて少女であった多くの女性が家族やお孫さん達と訪れてみえた。今回の展示作品は若者や子供さんの来場が考慮されたのか、明るい基調の作品が多く展示されていた。
 個人的趣味として私はヨーロッパで疑似品も出回っているという、イギリスの衛兵やパリの警察官、キュートな海賊などを陶器の人形で表現した〝シャルマン・トリオ・シリーズ〟が好きである。また、少しダークで大人の哀愁を秘めた〝ゴシック&ロリータ〟などの作品も好みである。

内藤ルネ展

(シャルマン・トリオ・シリーズ)

 これらの作品を岡崎市のオミヤゲの一つとしてぜひアピールしていきたいものと考えている。そのために康生でルネ・ショップが出店できないものかと思っている。
 また、余談になるがパンダの尾は白色なのであるが、1970年代に「ルネパンダ」の尾が黒く描かれたため、多くの人が今も黒い尾っぽを描くようになっていることも面白い現象である。
 私も帰りがけに孫娘のためにルネパンダのキーホルダーとマグカップを買った。このように思わず買いたくなるカワイらしさも、岡崎の新たなオミヤゲとして有効であると思うものである。

カワイイに出会える街オカザキ。道の駅「藤川宿」にて

(カワイイに出会える街オカザキ。道の駅「藤川宿」にて)


*一部の画像は『Roots of Kawaii 内藤ルネ ライセンスガイド』から拝借しました。

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2017年1月31日 (火)

藤岡弘、さん、今春本多忠勝役に!

藤岡弘、さん

 昨年、NHKの大河ドラマ『真田丸』で本多平八郎忠勝役を演じ存在感を示していた藤岡弘、さんが、今春の岡崎桜まつりの「家康行列」において本多忠勝役で再び登場することとなった。
 出演交渉は、昨年の夏頃から東宝の事務所を通して行ってきた。そして昨秋行った仮契約により正式に出演して頂けることと相成った。
 昨春の〝里見浩太朗・家康公〟による盛況ぶりを見ても明らかな通り、大物スターの登場は家康行列の魅力と集客力アップにもつながり、沿道の商店街からも「朝から来客が増えた」と好評だったことから、この度の藤岡さんへの出演交渉を行うことになったのである。ただ、今回は10月に選挙があったため、私が直接御挨拶にうかがうのが12月となってしまった。

家康行列(2014年4月6日)

 国交省への来年度予算要望に出かけた12月12日(月)の午後、電車を乗り継いで世田谷区に到着。駅から東宝の担当者の車で藤岡さんの事務所へと向かった。
 さすがにスターの個人事務所らしく、鉄筋コンクリートのがっしりとした建物であった。事務所の前には撮影機材を満載したと思われる大型車両が停められていた。なんとこの細い道路を通ってここに駐車させるのは、藤岡さん御本人だそうである。ちなみに藤岡さんは大型、大型特殊はじめ、ほとんどの車両の免許を持ってみえるそうだ。
 2階にあるガラス張りの応接室に向かった。階段をのぼる途中、テラスに本物かと見まがうような陶器製のトラの置物が我々の方を向いて座っており、ドキリとさせられた。
 応接間のテーブル上には、本多忠勝に関する資料や藤岡さんの雑誌インタヴューに答えたコピーなどがていねいに並べて置かれており、藤岡さんのこの役に対する思い入れと、来客に対する細やかな心配りが感じられるようであった。窓際には初代仮面ライダーの当時のポスターや貴重なフィギュアなどが並べられており、きっとマニアにはたまらないお宝であろう。
 そう言えば今回の話を本多家の御当主・本多大將(ひろゆき)さんに伝えたところ、初代仮面ライダー世代でもある大將さんは「ともかく理屈を超えてうれしい」とコメントされていた。

 ほどなくして入室してみえた藤岡弘、さんは肩書きに武道家とある通り、1メートル80センチを超える体軀(たいく)に筋肉のヨロイをまとっているような方であった。そうした見かけに反して、声はソフトでラジオの朗読番組に合いそうな、やさしい語り口であった。
 今回の本多忠勝役については一番敬愛する戦国武将であり、NHKの大河ドラマに忠勝役の出演依頼があった時は運命的なものを感じたそうである。私達にはこれまでも主役を歴任されてきたイメージが強いのであるが、御本人は「役者人生で初めて本当にやりたい役が回ってきた」と熱く語られた。
 藤岡さんの武士道と日本文化・伝統に対する思い入れは深く、俳優業の傍ら、武士道と日本文化の伝道師として世界中を回って活躍されていることはつとに有名である。私もこれまで70数ヶ国を訪れているが、藤岡さんの100ヶ国近くにはとても及ばない。

 職業軍人であると同時に武道家でもあり、戦後は警察官として指導的立場にあった父君喜一氏から「文武両道に通じる規律ある生活と古武術に始まり、柔道、剣術など各種武道を厳しく指導を受けたこと」が今日のベースになっているということであった。
 父君は戦時中に受けた弾の跡やキズ跡があり、そのせいか長生きはされなかったとのことである。そのため戦友でもあった小野田寛郎少尉が戦後29年経って(昭和49年)フィリピンのルパング島で発見され、帰国した折には、息子である藤岡弘、さんと出会う機会があり、小野田さんとはその後も親交が続き、父君の語られなかった戦時秘話を聞くことができたという。その後小野田さんがブラジルへ移住し、牧場を始められ、ブラジル軍に関わりを持たれていた頃にも藤岡さんは南米まで出かけられたそうである。小野田さんが亡くなられる前にもう一度会うという約束が果たせなかったことが心残りであると語られた。

藤岡弘、さん

 藤岡さんは東宝映画『大空のサムライ』(昭和51年)にも主演されている。原作者であり物語の主人公でもある零戦の撃墜王・坂井三郎氏とも面識があり、多くのお話を直接聞かれているそうである。藤岡さんはこの映画の後に小型飛行機操縦の免許もとっている。小型船舶の免許もあるそうであるから、陸・海・空すべての映画に対応できる。無線の資格もあるそうで、これで爆発物取扱の資格があればアメリカ海軍のネイビー・シールズの隊員も務まりそうである。

 それから時代劇の話でも盛り上がった。友人から「映画オタク」と呼ばれる私であるが、『椿三十郎』における三船敏郎と仲代達矢の終盤の決闘シーンについてつい熱く語ってしまった。
 瞬時に決まる三船さんの居合い抜きの場面をスローモーションで観てもよく分からず、後に何かの本で読んで「右手で抜いた刀の背を左手のヒジで押し切りするように高速回転させる」ということを知ったとお話したところ、さすが刀道教士七段、抜刀四段に加え、居合道も極めてみえる藤岡さんは、すでに御自身も試みておられ、「あれって本当に出来るんですよ。私もやってみました」と軽く答えられ、またもや驚かされた。
 よく手入れされている日本刀の刀身は台所の包丁とは違い、うっかり刀の部分を握りでもすれば手の平が切れるほど鋭利である。私達がマネでもしようとすれば、自分の手足を切るのが関の山である。武芸百般に通じた現代のサムライ・藤岡弘、さんにおいてこそ成し得る技であることを明記しておく。

藤岡弘、さん

 話がはずみ、1階の奥にあるお茶室にも案内して頂いた。室内には藤岡さん自らデザインされた鎧兜をはじめとし、何領もの甲冑(かっちゅう)が並んでいた。囲炉裏の周りに腰を下ろした我々は、藤岡さん手ずから入れられたお茶を頂き、足元に置いてあった仕込みヅエ(レプリカ)も見せてもらうことができた。
 これらの凝り具合に私は同じ傾向の趣味の臭いを感じ、個人的にも藤岡弘、さんを好きになりそうである。
 別れ際に「また、ぜひ遊びに来て下さい」と言われたことを女房に話すと、「バカじゃない、社交辞令に決まってるじゃない!」と一笑に付されてしまった。
 しかし帰りに外まで出て、私達の車が角を曲がるまで見送って下さった藤岡さんの誠実な姿からは真実しか感じられないと、私は勝手に思っている。

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2017年1月10日 (火)

若き家康公像の制作に思う

 12月末、岐阜にある神戸峰男(かんべ みねお)先生のアトリエを訪れた。若き家康公像の制作が着々と進んでいることが確かめられ満足であった。
 今回の家康公像制作のために神戸先生は新しくアトリエを増築されている。「日本一の騎馬像を造る」という決意が感じられて、感謝の念でいっぱいである。
 完成時には高さ3メートルの台座の上に、等身の1.5倍の騎馬像が屹立することとなり、高さ・大きさ共に日本一の騎馬像が誕生することとなる。試作の10分の1サイズと比べ、今回拝見した3分の1サイズのモデルは格段に写実的な出来栄えであり、春頃には実物の制作に入られるそうである。

神戸峰男先生、内田康宏

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 使用する粘土はイタリアのフィレンツェ産の土をオリーブオイルで練ったもので、3トンほどの粘土を使うという。支柱として使う木は地元、南木曽のヒノキだそうである。造り始めると作業台の高さも5メートル以上になるそうだ。時には夜中まで仕事に集中することがあり、作家の中には作業に没頭しすぎて落下死した方もあるという。神戸先生には、とにかく安全に制作して頂きたいと思っている。

 この事業は、市民の皆さんからの浄財(寄附金)を使って、東岡崎駅の北東街区に徳川家康公の騎馬像を設置するというものである。桶狭間の敗戦により岡崎への帰還を果たした松平元康が徳川家康と改名した25歳当時の若き日の姿を再現し、ピンチをチャンスに転換し、天下統一と平和な世の中を作り上げた郷土の英雄の姿から「困難に立ち向かい、人生を切り開いてゆく」精神を子供達に学んでほしいと願うものである。

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 正式な募金活動はまだ昨年4月に始めたばかりであるが、商工会議所の前会頭はじめ、岡崎信用金庫、その他多くの企業や篤志家の方々の熱い思いを込めた御寄附が続いている。目標額は設置費の半分ということであったが、このペースでゆくと全額寄附金でまかなえるかもしれない。本当に岡崎市民の皆さんは愛郷心の強い方々が多く、今更ながらに感謝申し上げるものである。

古澤武雄さん、徳川恒孝さん、安部龍太郎さん、内田康宏

 おととしの11月、家康公四百年祭のシンポジウム〝徳川創業期を支えた家康公と家臣団〟の折に、徳川18代の德川恒孝(つねなり)様も「このような企画の催しを行えるのは、全国でも岡崎くらいですよ」とおっしゃってみえた。
 岡崎独自の歴史、文化、伝統という切り口で真心をこめて訴えかけてゆくと必ずそれに応えて頂ける岡崎市民の皆さんには、どんなに感謝しても余りある。私達もこうした市民の御厚情に甘えるばかりでなく、善意の心にしっかりと応える仕事をしなくてはならないと思っている。

 しかし世の中には明があれば暗がある如く、物事を素直に受け止め協力して下さる方もあれば、何につけても足を引っ張ろうとする人もいるものである。
 岡崎の歴史を考え、多くの岡崎市民の期待感を見るにつけても、とっくの昔に設置されて然るべき、史実に基づいた〝若き日の家康公像〟の建設を「ムダ使い」であるとか「形を変えた政治献金か」などと揶揄する人もいる。こうした何事もゆがんだ目でしかモノを見られないかわいそうな人達も世の中にはいるのである。
 また、私は先頃小さな子供さんがお母さんの助けを借りて十円玉を募金箱に入れている姿を見たことがあるが、「そうした金額が少ない」とバカにする貧しい心の持ち主もいるのである。
 今回私達が試みている寄附金による事業というのは、決して個々の寄附金の多寡を競うものではなく、一人でも多くの市民の参加を願って行うものなのである。仮に一人でも5千万円寄附すれば5千万円になり、300人でも一人10円なら3000円にしかならない。そんな計算もできないのだろうか? また私は一部の集団のように半強制的な募金のやり方は好まない。
 たとえ一人一人の寄附が少額であっても〝自らも建設に関わったという参加意識〟や〝歴史を振り返る切っ掛けが愛郷心の醸成を促す〟ことに真の意味と価値があるのである。もっとも唯物的思想に凝り固まっている人々にそうしたデリケートな心の動きを期待することは無理なのかもしれない。

東岡崎駅周辺地区整備全体のイメージ図

 いずれにせよ、実際に若き家康公の騎馬像が完成すれば、そんな声も雲散霧消するものと思っている。単に観光のシンボルというだけでなく、入学試験やスポーツの試合に出かける子供達が東岡崎駅に向かう前に必勝の願いを込めてから出かけるような像となることも期待している。そしてこの像が明治維新以来、形成されてきたタヌキオヤジ的イメージを払拭して、新たな家康公の姿を現すものとなることを願っている。
 ギリシア、ローマの例を持ち出すまでもなく、ブロンズ像は戦争さえなければ2000年以上残る。今後末永く、太平の世を現出した郷土の英傑の志を伝えてくれることであろう。


若き徳川家康公の騎馬像、建築へ (2016.02.27)

新たなシンボル「徳川家康公像」 (2015.11.05)

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2016年4月12日 (火)

大相撲岡崎場所

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 昨年の11月24日、日本相撲協会副理事で元横綱の大乃国関(現・芝田山親方)が岡崎市を訪れ、私の所に御挨拶にみえた。用向きは平成28年4月に岡崎にて地方巡業を行いたいということであった。
 応接イスに座られた大乃国関は、イスの席幅一杯の大きな体軀(たいく)の方であり、立ち上がったらオシリがイスにはさまったままとなりそうな気がしたものである。通常、現役を引退するとやせられる方が多いようであるが、その気配はこの人にはなく、テレビ番組でシュークリームを作ったりスイーツの本を出されるくらいであるので、「ひょっとしたら甘党が原因か?」と勝手に思っていた。実際にお会いした大乃国関は大変能弁であり、話題も豊富であった。とつ弁の方が多い相撲界ではうってつけの広報担当であろうと思われたものである。軽妙な語り口からニュースキャスターでもできそうな方であった。

芝田山親方、内田康宏

大相撲岡崎場所(2016年4月6日)

 それから早(はや)半年近く経ち、大相撲岡崎場所の当日(4月6日)を迎えた。所々にポスターが貼られてあるくらいでそれほど活発な宣伝を行った形跡もなかったのであるが、日本の国技だけあって相撲ファンというのは全国津々浦々にみえるようであり、中央総合公園の体育館が満員であった。後ほどの話では4700~4800人の入場者だそうであり、改めて大相撲の人気のほどを再認識した。ことにスモウ追っかけの若い女性(スモ女?)の多いことに驚かされた。太っているが強くて、礼儀正しく、お金持ち?の男はモテるのだろう。

 この事業の主催は、名古屋テレビ放送と岡崎パブリックサービスであり、岡崎市並びに教育委員会、体育協会、商工会議所が後援をして開催にこぎつけたものである。岡崎市での巡業開催は実に18年ぶりのことであり、地元の相撲ファンにとっては身近で本物の関取が見られる貴重な機会となった。こうしたことをきっかけとして本市からも、出羽疾風(でわはやて)関に続く未来の関取の出現を期待するものである。

出羽疾風・プロフィール

 相撲はその歴史を遡ると鎌倉時代にはすでに武士の戦闘の訓練や寺社の奉納相撲として行われており、戦国期を経て江戸時代に様式が定型化し、日本の伝統文化として定着したものの一つである。1年6場所15日制になったのは昭和30年代のことである。
 かつて3年のアメリカ生活を終え日本に帰国した私が、日本に帰ってきたということを何よりも強く感じたのは、NHKテレビで大相撲をやっているのを見た時であった。そのことは今も鮮明に記憶にある。

 当日は朝からのちびっこ相撲大会に始まり、幕下力士の取組や相撲甚句(じんく)、初切(しょっきり)など地方巡業ならではの催しが行われた。

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 幕内力士の取組前に巡業部長の貴乃花親方と面会した。大乃国関とは違い貴乃花親方は奥様のダイエット食のせいか陸上競技かバスケットの選手のようなスマートな体形となっていた。
 続いて錬成道場にしつらえた仮の控え室に入った。そこは横綱、大関の専用となっており、段ボール製のヤナギゴウリで仕切られたそれぞれのエリアの中央に横綱が腰掛けて髪を結い直したり、付き人達が縄をなっていた。横綱が腰に締めているあの綱(白いしめ縄)を私はチャンピオンベルトのように巻いて身に着けるものと思っていただけに、毎回このように縄をなって作り上げることを知り大変驚いた。
 それにしても、まわしを付ける前の大関の某氏が黄色の星のマーク付きの真っ赤なデカパンをはいていたのは面白い光景であった。片方に大人が一人入るほどの大きさであり特注品であろう。おまけに体に巻いたピンクのタオルがキティちゃんの図柄であり、きっとファンからのプレゼントであろうと思うが、まさにマンガ的であった。
 付き人が肩にかけて重そうに運んでいたが、まわしの重さは個人差があり平均10~12、3キロだそうである。ひときわ大きな体形であった曙(あけぼの)関は20キロのものをつけていたそうである。さらに化粧まわしが同じくらいの重さがあるそうであるから、幕内の関取は本当に大変である。
 横綱のところには、幕内力士が対戦の前に次々と挨拶にきていたが、その対応を見ているといかにもこの世界は力による階級社会であるということが分かるものであった。

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 その後主催者の方々と共に三横綱(日馬富士、白鵬、鶴竜)と横並びの記念写真を撮らせて頂くことができた。遠巻きに見ていても大きさはよく分かるものであるが、横綱の間に挟まれてみると改めてその迫力と肉感のすごさを体感した。三横綱それぞれの個性的な土俵入りを土俵際で初めて見せて頂いた後、名古屋テレビの横井社長と共に土俵上で御挨拶をさせて頂いた。

大相撲岡崎場所(2016年4月6日)

大相撲岡崎場所(2016年4月6日)

大相撲岡崎場所(2016年4月6日)

 それにしても市長という仕事は本業以外にもやらなくてはならないことが実に多い。市長になっていなければ東京ドームでの都市対抗戦での始球式や大相撲の土俵上での挨拶などの機会もなかったわけである。
 貴重な機会を与えて下さった関係者に改めて感謝致すと共に御来場頂いた多くのお客様に心から御礼申し上げます。

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2016年2月27日 (土)

若き徳川家康公の騎馬像、建築へ

徳川家康公像

 乙川リバーフロント計画の看板事業の一つである、東岡崎駅前に設置予定の若きの日の徳川家康公の像のイメージ・デザインがようやく決定をみた。
「岡崎は徳川家康の生誕の地と言うくせに、駅前に像の一つも無いではないか」
 これまでこうしたセリフをよく言われたものである。私も個人的に何度も悔しい思いをしたことがある。市民の中にも同じ経験をされた方も少なくないことと思っている。
 それゆえ私は、先の市長選以来、ことあるごとに「東岡崎駅前に、仙台の伊達政宗公やロシアのピョートル大帝の騎馬像に負けない、若き日の家康公の像を建てたい」と述べてきた。
 そんな私や、多くの市民の思いを踏まえて、リバーフロント整備計画に市民と岡崎の新時代のシンボルとして、若き家康公の像の建築計画が盛り込まれることとなった。そして200回を超える講演会、説明会、対話集会を通じて議論を重ねる中で、昨年6月に設置したのが「徳川家康公像デザイン検討会議」である。大学教授や歴史研究家、各文化団体の代表といった専門家や市民代表ら10人のメンバーで構成された検討会議によって、具体的なプランの検討が始まった。
 その後、子供達も対象とした市民参加によるデザインコンクールが行われ、改めて家康公像に対する市民個々の思いを確かめ、建設への気運を高めると共に、検討会議においてさらなる歴史的考証を加えて、デザインの基本となる方向性が岡崎市に提言された。

徳川家康公像デザインコンクール神戸峰男先生

 ブログでもすでにお伝えしたとおり、検討会議の協議の結果、日本芸術院の会員であり、我が国の銅像制作の第一人者であり、馬の像の制作において実績のある神戸峰男(かんべ みねお)先生が推薦された。市としてもさらに調査、検討の上でお願いすることを決定した。

 先日(2月22日)発表された家康像のデザインは、顔については生前の家康公に一番似ていると言われる京都・知恩院(ちおんいん)にある木彫の「徳川家康坐像」をモデルにしている。

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 松平元康は松平家康と名を変えたのち、25歳の折に、人生の再出発を期して松平から徳川に姓を改め、朝廷から正式に認められた。その当時はまだ先祖伝来の古めかしい鎧・甲冑に身を固めており、今回の騎馬像はそうしたイメージが十分再現され、時代考証の方もしっかりなされている。
 また若き日の家康公は乗馬が得意で弓の名手(免許皆伝)でもあり、「馬上の将」とも「海道一の弓取り」とも呼ばれていたという。今回、騎乗姿で弓を持つデザインとなったのは、そうした伝承を元に岡崎市内の名跡を歩いた神戸先生の着想によるものである。冒頭の写真はイメージ形成のために神戸先生が10分の1サイズで造られた粘土像であり、神戸先生の友人で仏像写真家として有名な山崎兼慈(やまざきけんじ)氏に撮影をして頂いた。
 応仁の乱以来100数十年続いた戦国時代という暗黒の世を終わらせるべく、一人の若者が立ち上がった姿をイメージしており、まさに家康公の旗印であった「厭離穢土・欣求浄土」(おんりえど・ごんぐじょうど)の言葉を体現したようなできばえである。この粘土像もポスターとして活用することにしている。

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東岡崎駅・ペデストリアンデッキ

 具体的な騎馬像の設置場所としては、東岡崎駅北東に建設予定のペデストリアンデッキの北端が考えられている。背景に乙川の流れと緑を配するロケーションとなる。
 また像の大きさは、設置場所の広さと高さ約2メートルの台座の上に置くことを考え、等身の1.5倍とし、デッキの完成する平成30年度中の完成を目指している。
 制作費については総額約7,000万円となる見込みであるが、このサイズの作品を一流の作家に業者を通して依頼すれば、通常1億円以上が通り相場であるという話も聞いている。今回、神戸先生のような大家の方が我々の想いを形にし、作家人生の集大成としての作品とするべく心血を注いで制作に取り組んで頂いていることを喜びとするものである。

 この像は市民の愛郷心の象徴とするべく、市民からの浄財による募金を主な財源として考えているので、御理解、御協力のほどお願い申し上げる次第である。まだ正式な募金活動は行っていないが、もうすでに私の話を耳にされた企業や個人の方々から200万円ほどの寄附金が集まっており、この事業に対する市民の特別な思いと関心の高さというものを改めて感じている。ぜひとも少額であっても、子供達が「あの像を造るのに僕のお小遣いも使ったんだよ」と自慢できるようなモノにしたいと思っている。
 そしてこの家康像は、単なる観光のスポットとしてだけではなく、これから青雲の志を抱いてふるさと岡崎を旅立って行く若者のつかの間の立志の誓いの場として、あるいは人生の壁にあたった方々が、桶狭間の戦いで敗れた松平元康が再起の心を持って徳川家康に改名し、天下統一と平和国家建設に向けて歩みを始めた故事にならい、再出発への思いを奮い立たせる場となればとも考えている。
 いずれにせよ、この度決定したデザインは、青年期の若々しい家康公の姿と躍動感あふれる騎馬がマッチした素晴らしいものであり、明治維新以降に広められたタヌキオヤジ的イメージを払拭し、市民の愛郷心の証として、岡崎の新たなシンボルとして末永く愛されることを望むものである。


寄附金の概要
 皆様から寄附金を募集すると共に、募金箱も設置します。寄附金全体の概要について御説明いたします。

1.寄附金(個人)
受付時期 平成28年4月下旬から開始予定のふるさと納税制度を活用した「おかざき応援寄附金」に、1万円以上の寄附をされた個人の方には、本市をPRするお礼の品の贈呈を予定しています。
申込方法 所定の寄附申込書により受付をします。
2.寄附金(法人)
受付時期 随時受付をしています。
申込方法 所定の寄附申込書により受付をしています。
50万円以上寄附された方には、「徳川家康公像記念品」の贈呈を予定しています。ご寄附いただいた金額は、確定申告によって全額が損金算入されます。
寄附申込書は下記ページよりダウンロードできます。
徳川家康公像デザイン決定
3.募金箱
設置時期 平成28年4月下旬から募金箱を設置する予定です。
設置場所 市内関係箇所(岡崎支所、大平支所、東部支所、岩津支所、矢作支所、六ツ美支所、額田支所、こども美術博物館、図書館交流プラザ、岡崎城、家康館、観光案内所(東岡崎駅)、観光案内所(岡崎駅)、市役所正面玄関(東庁舎1階)、観光課(西庁舎1階))15箇所に設置を予定しております。
※募金箱への募金は、全て徳川家康公像の制作に活用させていただきます。

新たなシンボル「徳川家康公像」 (2015.11.05)

若き家康公像の制作に思う (2017.01.10)

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2015年12月 5日 (土)

秋の「岡崎城まつり」終わる

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 徳川家康公顕彰四百年祭として、隣県の静岡市(大御所の地)、浜松市(出世の地)、そして我が岡崎市(生誕の地)の三市連携によってこの一年間、様々な記念行事を行ってきましたが、岡崎においては「岡崎城まつり」を終えると後は12月26日の生誕祭と共に行うエンディング・セレモニー(岡崎公園内イルミネーションと、LEDボール3万個を流す光の祭典)だけとなります。
 10月30日(金)から11月3日(火)まで岡崎公園多目的広場において行われた「家康公四百年祭 岡崎城まつり」では、直径13メートル、高さ7メートルのドーム型テント内に家康公の一生を10分程度にまとめた映像が映し出され、大変に好評を博しました。
 今際(いまわ)の時を迎えた家康公が枕元に控える本多正純に向かい、おのれの人生を振り返って語りかけるところから物語は始まります。360度にわたる桜吹雪の情景、満点に広がる宇宙の星々の景観の美しさと共に、歴史を踏まえたストーリー性も優れており、このまま終わらせてしまうのではなく、DVD化して小中学校の子供達にぜひ一度見てもらいたいと考えています。

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家康公夢シアター

家康公夢シアター

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 ドーム・テントの周囲では、江戸時代の町並みが再現された「大江戸にぎわい横丁」が造られ、江戸の食文化や三河の食の伝統に加え、イノシシやシカの肉を使ったジビエ料理(「天下泰平鍋」と名付けられた日替わりの鍋)など様々に工夫を凝らした食べ物が販売されていました。
 観光産業育成のための重要なステップの一つが、この「おいしい名物料理」であると私は考えていますが、今回の多様な試みは大きな意義があったと思っています。
 また特設ステージでは、講談、落語、漫談に加え、多くの市民参加のパフォーマンスが行われ、周囲の出店でも様々な物品販売がなされていました。
 その他に子供向けに木版画体験、紙甲冑(かっちゅう)を身にまとったスポーツ・チャンバラなども行われ、御協力頂いた皆様には改めて感謝申し上げます。

 初日の10月30日(金)には、りぶらホールにおいて「愛知県観光交流サミットinおかざき」が開かれ、〝観光あいち〟を目指す愛知県より、副知事、県内各地自治体代表、観光協会、旅行エージェントの方々達が参集して盛会に行われました。
 「モノづくり」と並んでもう一つの経済の柱となる観光産業の育成を目指す岡崎市としては、現在、その第一歩となる『乙川の豊かな自然景観と岡崎城をはじめとする多くの歴史的資産を活かしたまちづくり』を推進していることを私はお話し申し上げました。

 続く11月1日(日)には、三部構成による記念シンポジウム「徳川創業期を支えた家康公と家臣団」が、徳川宗家第18代・德川恒孝(つねなり)様をはじめ、徳川四天王(酒井、本多、榊原、井伊)、さらにかつて徳川家臣団を形成していた武士達の子孫の方々に御参加を頂くことができました。

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 当日は直木賞作家・安部龍太郎先生の基調講演を皮切りに、徳川創業期において家康公と家臣団がどのようにして260年に及ぶ泰平の世を築き上げたかを、生誕の地・岡崎ならではの逸話をまじえてお話を頂きました。その後の分科会では宗家はじめ家臣団の方々から、さらに興味深いお話が続き、歴史に対する見識をより深めるための一日となったことを喜んでおります。また、夕方からは「平成三河武士たちの宴」と題した懇親会が開かれました。
 会場のスペースに対し応募者が多かったため、参加できなかった皆様には心よりお詫び申し上げます。私は講演やトークショーを直接お聞きすることができませんでしたが、後ほど録画を拝見し、歴史に対する新たな視点、各家臣団の家系ならではの秘話を知り、歴史の深さと面白さを感じたものです。

 さて、シンポジウムの開会冒頭、私は現在制作中の徳川四天王の石像と、東岡崎駅前に計画中である若き日の家康公の騎馬像についてお話しました。
 ことに家康公像は市民の浄財、御寄付を元とした計画であり、文字通り市民の力による新たな岡崎市のシンボルとなるものであります。今後「観光産業都市・岡崎」の表看板として向こう百年以上存在するものとするべく、一人でも多くの皆様の御理解、御協力を重ねてお願い致します。
 さらに言うならば、こうした事業の目的は単なる観光による経済振興にとどまりません。明治以降、新政府の誕生以後、家康公はタヌキオヤジ的イメージばかりが増幅されている傾向があり、正しい功績が実体から離れているように思われます。士農工商など封建的な身分制度のマイナスの印象のみが先行している江戸時代に対する認識を改め、その歴史的価値というものを新たにこの岡崎から発信してゆきたいと考えております。
 明治維新の大改革はなぜあのような短期間で成し遂げられたのか。その原点は、江戸時代の教育(藩校、寺子屋)を基盤とした、当時欧米諸国でも無かった90%を超える識字率と参勤交代などを通じて全国に広まっていた国民全体の文化レベルの高さにあると私は考えております。
 そうした基盤があったからこそ、あのような短期間による近代化と国民国家の形成が成し遂げられたのだと思います。


(シンポジウム「徳川創業期を支えた家康公と家臣団」の写真は、岡崎信用金庫様のPR誌『おかしん』2015年12月号から拝借しました。)

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