内田家の犬と猫

2019年2月20日 (水)

『リバ!』2019年3月号

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こんばんは。内田康宏事務所からお知らせです。『リバ!』2019年3月号が発行されました。
市長の家で生まれた4匹の子猫はすくすくと育っているとのことです。(^^)/

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2019年2月10日 (日)

オス猫出産!

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 オス猫と思っていたチャット(以下チャッピー)がメス猫であることが判り、しかもあと2週間で出産を迎えると言われ、出産・育児部屋の用意を考えていた(→前回のブログ)。
 ところが、動物病院に行った3日後、仕事を終えて自宅に帰ったところ、自室のベッドの上からネズミの鳴き声のようなへんな声が聞こえてきた。
 いったい、どの猫が鳴いているのかと思ったら、私の枕の横に作った、夏の掛け布団をサークル状にした猫用の寝床の中に赤ちゃん猫が2~3匹とチャッピーが横たわっていた。
 これから出産の準備をしようと思っていた矢先であり、二度目のビックリである。しかも、よくよく見たところ子猫は4匹であった。まだ自身が母猫にくっついていてもおかしくない程の小さいチャッピーがよくぞ4匹も産んだものである。2匹は薄い茶トラであり、あとの2匹は三毛であった。性別はまだ分からない。

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ゼル

 玉をとられる前に種付けをした犯人と思われるゼルが、心配そうに近くをウロウロしていた。赤ちゃんネコの鳴き声を聞きつけた他のネコ達も集まってきたが、産まれたばかりの子ネコにちょっかいを出すといけないので遠くに追い払った。

 嫁さんに知らせると飛び上がって驚いていたが、4匹の赤ん坊を見るなり、「あんた一人で4匹も産んだの、小さいのによくガンバったネ、えらかったネ」と涙ぐんでいた。
 まだ出産したばかりの様子の母ネコを落ち着かせるため、しばらくこのままにして、明朝、私がでかける前に個室に隔離することにした。次の準備をするため、一階の一室を片づけ、古新聞とじゅうたんを敷いて、ネコ用の小コタツとエサ箱、水オケ、トイレ、爪とぎ場を用意した。
 出産後のチャッピーはかなり疲れ気味であったので、特別食を用意して行ったところ、おかわりも食べてしまった。その後、私が隣で見ていることを確認すると、寝床から飛び出してトイレと水飲みに出かけた(育児疲れかもしれない)。その間、子ネコの上には毛布をかけて体温の低下を防いでおいた。
 5分ほどで戻ってきたチャッピーは再び子ネコの世話を始めた。一度も育児の仕方を見たことも教えられたこともないのに、本能とはいえ大したものである。
 最近の数々の児童虐待事件を見ると、動物の親の自然な健全さに教えられるような気がしたものである。

 なお、あにもの名誉のため付け加えておくと、あにもの書類上は間違いなくチャットはメスであり、「メスの茶トラ」と記してあるそうであった。
 それにしても嫁さんが度々「チャットはなんでおジィの所にばかり来るの?」とヒガミっぽく言っていたが、動物は一番安心できるところで出産するものであり、それが私の枕元であったことは何ともユカイである。嫁さんに一言。「ザマーミロ!」

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2019年2月 7日 (木)

オス猫が妊娠した?

チャット

 あにも(岡崎市動物総合センター)からオス猫としてもらってきた茶トラの猫が妊娠した。
 「白っぽい茶トラの猫はメス猫であることが多い」という話を聞いたことがあるが、動物病院の医師も含めて3人の獣医師が「オスです」と断言した猫がメスであることが判明した。「弘法も筆の誤り、猿も木から落ちる」(猫も?)。世の中にはこうしたこともあるのである。
 いずれにしても、昨年我が家に加わった3匹の子猫のうち、私が「オスの茶トラを」と希望してもらってきた猫がお嬢さんだったわけである。オスにしては小柄で、第二次性徴が遅く、他の2匹がそれぞれ大人っぽくなる中で、一匹だけいつまでもヒヨコのぬいぐるみで遊んでいる茶トラのチャット君であった。しかしこれからはチャッピーとでも呼ぶことになるのだろう。

 娘が病院に再検査に連れて行く際に、いつになくナーバスな様子でやたら甘えてきたという。冬の寒空の下、子持ちの状態で捨てられることを恐れていたのかもしれないが、もちろん私はそんな無慈悲なことはしない。これも私の運命の一つと受け止めている。
 病院での診断は「妊娠2ヶ月」であり、あと2週間ほどで出産を迎え、2~3匹は産み落としそうだということであった。

テル子、ゼル、チャット

(テル子、ゼル、チャット)

 すでに他の猫の去勢は済んでいたが、年末年始が多忙であった上に、まだ赤ちゃんぽく小柄であったチャットはオス猫であると思い込んでいたことから、一匹だけ去勢措置が遅れてしまったための出来事であった。しかし良心的な動物病院であったおかげで、見立て違いであったこともあり、受診料はタダとなり、オミヤゲに高級カンヅメ等を付けてくれたそうである。
 「父猫もイケ面だから、かわいい子猫が産まれますよ」と言われたものの、我が家にはすでに6匹の猫と1匹の犬がいるのである。これからなんとか良い里親を探してやりたいと思っている。(実際、多頭飼育は大変なのである。)

 それにしてもチャットにとっては災難なことである。人間で言えば、自身もまだ中学生くらいの子供で遊びたい盛りなのに母親になってしまうのである。きっと自分でも自分の体に何が起きているのかは分かっていないことであろう。
 今私にできることは彼女(?)が安全に出産できる場所を確保してやり、安産を迎えることである。こうした若猫の出産のケースでは帝王切開を行わなくてはならないこともあるため、今しばらく注意が必要となる。
 人生とはいつ何が起こるか分からないことの連続ではあるが、それにしても新年早々、思いもかけぬ出来事で驚かされることになったものである。


オス猫出産! (2019.02.10)

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2018年9月24日 (月)

新居と新入家族

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 新しくなった我が家に戻って4ヶ月が経過した。よく人から「新居の住み心地は?」と聞かれるが、とりあえず荷物を運び込み、今も適当に振り分けて収納したままなので、必要なものでどこにしまい込んだか分からなくなっているものもある。応接間は物置と化している。
 とはいえ、これまでの目で見て家の傾きが分かり、雨もり、スキマ風に悩まされ、耐震診断など行うまでもない築65年の木造モルタル建てのあばら屋と比べれば、快適な生活環境になったと言える。
 しかし、個人的趣味で室内の改造を行っているため、私の部屋にはいまだ木材や大工道具が散乱しており、とてもお客さんを招き入れることのできる状況にはない。心理的には、借家住まいのような気分が続いている。
 なんとか年内には片付けを終えたいと思っているが、なかなかまとまった休みがとれないため集中して作業を行えないことが悩みのタネである。それでもヒマを見つけて、10段の本棚を8台ほど自前で造っている。

 ところで半年間私と共に借家住まいをしていた三匹のネコと一匹の犬であるが、それぞれ新居で自分の居場所を見つけてよろしくやっている。

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 ネコ達は相変わらずマイペースで以前より自由に動き回れるスペースが広がり、エサに加えてオヤツをやる人間が増えたため太り気味であるが、至って元気である。私のベッドは写真のようにすっかりネコ達の寝床と化している。
 反して、この半年ほど私が散歩を含めて世話をしてきた犬のアミは、これまで誘拐されていたと勘違いしているのか、新居に移ってからは私を避けるようになり、ピタリと嫁さんに張り付き、キッチンの冷蔵庫の横を自分の居場所と決めている。(もう犬小屋は要らないかもしれない。)

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 今回、手製の2メートル40センチほどの高さのキャットタワーに合わせて、2階のリビングルームの天井近くにキャットウォークを造ったのであるが、そのせいで、さらに子ネコを3匹飼うことになってしまった。
 当初、「あにも」から新しく迎え入れる子ネコは2匹の予定であり、すでにいる3匹と間違えないように私からは「茶トラの猫がいい」という注文をつけていた。しかしもう一匹を選ぶと仲良し兄弟(オスとメス)のうち一匹が残されてしまうことになるため、3匹とも引き取ることとなったのである。

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 茶トラはチャット君(オス)、
 二匹は「ヘンゼルとグレーテル」にちなんで、ゼル君(オス)とテル子ちゃん(メス)
 と名付けることにした。

 しかしいつものことながら、他の家族はそれぞれに勝手なニックネームをつけて呼んでいるようである。子ネコ達はそれなりに反応しているからエライものである。
 ただ今、3匹の子ネコ達は専用の小部屋に入れてある。これから秋口にかけて生後半年を迎える頃、先輩のネコ達と合流させることなるが、タイミングが問題である。ネコは自分の住環境が気に入らないことになると家出をすることがあるため飼い主の気配りが大切である。
 我が家では、すでにフロアごとに計8ヶ所のネコ用トイレと4ヶ所のエサ場、5~6ヶ所の爪とぎ場を設けてある。(それでもオス猫は勝手な所でマーキングをする。)
 毎日、出勤前にトイレの掃除と水桶の注水、エサやりなどを欠かさずに行っている。
 毎朝、髪にクシを入れると手でつかめるほど毛が抜ける。これではすぐにハゲ頭になってしまうほどの量であるが、よく見るとそれはほとんどネコの毛である。こうしたことが気になる人は動物と一緒に暮らすことはできないだろう。
 こんな毎日を送っていると、朝寝床で目覚めた時に自分の手足がネコの手足になってないかと確認してしまうことがある。学生時代に読んだフランツ・カフカの『変身』という小説では、ある朝突然、巨大な毒虫に変身してしまった主人公が最終的に家族からも虐待されることとなる。(こんな話は小説の中だけにしてほしいものだ。)

 「ネコを6匹も飼うなんて、よほどネコ好きなんですネ」と言われることがあるが、決してそうではない。基本的に動物はなんでも好きな方であるが、どちらかと言えば私は犬派であると思っている。たまたま娘が子供の頃からよくネコを拾ってくるため、いつしかネコの多頭飼いをするようになってしまっただけである。
 それでも毎日帰宅する度に、子ネコ達が私の体によじ登って大歓迎(?)してくれるのはうれしいものだ。動物の感情表現は人よりも率直であり心安らぐものである。
 しかし大人のネコはもう少し複雑である。気が向かなければ飼い主が呼んでも知らん顔をしている。そのくせ、朝起きてみると同じベッドの上で寝ていたりする。またなぜか、こちらが元気のない時など、いつしか寄り添っていてくれたりすることがある。そんなミステリアスな所がネコの魅力なのかもしれない。

動物愛護週間

 私がネコの多頭飼いをしているもう一つの理由は誰かが飼ってやらないと彼らは命を奪われてしまうからである。せっかく生を受けてこの世に出てきたのに、ゴミのように処分されてしまうのではあまりにあわれである。

 現在、多くの自治体において「殺処分ゼロ」の運動が行われている。すべての飼い主がペットを終生飼育すれば殺処分ということは無くなるのであるが、現実はそうはなっていない。今も全国で毎年5~6万匹の犬猫が処分されている。中でもネコは犬の数倍であり、その多くが子ネコである。(外国では「日本に犬猫のアウシュヴィッツがある」と言われている。)
 「殺処分ゼロ」のスローガンは耳に聞こえは良いが、そうした施策を実施するための予算や手間はばかにならないものがある。しかも自治体が犬猫の受け取り基準を厳しくすれば、無責任な飼い主が自分で処分したり捨てたり、動物虐待につながることもある。「無責任な飼い主ゼロ」こそ本当は重要なのである。(こういうことを言っているせいで、我が家のネコが増えるのである。)
 人生の終末期を迎える年頃になれば、仏教徒でなくとも少しは善根(ぜんこん)を積んでおきたいものと思うものである。
 そうした心を知るや知らずや、今日もウチのネコどもは腹を上にして眠っている。

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三猫と一犬との共同生活始まる (2017.09.30)

一人暮らしと犬猫について (2018.01.15)

ビフォア・アフター (2018.04.01)

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2018年9月21日 (金)

『リバ!』2018年10月号

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内田康宏事務所からのお知らせです。
『リバ!』2018年10月号が発行されました。
今回の市長のコラム「新居と新入家族」は書き下ろしです。

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2018年1月19日 (金)

『リバ!』2018年2月号

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内田康宏事務所からいつものご案内です。
『リバ!』2018年2月号の市長コラムは「一人暮らしと犬猫について」です。

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2018年1月15日 (月)

一人暮らしと犬猫について

アミ

 昨年8月下旬に始まった犬猫との共同生活もこれで4ヶ月を経過することとなる。(→以前のブログ「三猫と一犬との共同生活始まる」)
 「60代になってからの男の一人暮らしはつらい」とよく言われるものであるが、借家の御近所さんは皆親切な人ばかりで、いたって快適な「ハッピー・シングルライフ」が継続中である。

 家内は、私が仕事が終われば、出産のため帰っている娘と一緒にいるマンションに食事に来て、それから犬猫のいる所へ戻るものと思っていたらしいが、未だ一度もそんなことをしたことはない。(第一めんどうくさい!)
 「誰か他に食事を作る人でもできたか?」と思ったのか、家内はときおり偵察に立ち寄っていたが、全くその気配が無いと分かるとピタリと来なくなった。
 もっとも、来なくなった一番の理由は、飼ってから3年間息子か嫁さんとしか散歩に行かなかった犬のアミが「このオッさんと出かけないと散歩に行けない」と悟ったせいか、今では毎晩私と散歩するようになったからである。コンビニで肉まんを購入し、手で受け取った時に感じるあの温かさとやわらかさに似た犬の落とし物も毎日キチンと回収している。アミの前に飼っていた歴代の犬の散歩は元々私が行っていたことであり、「ようやく元のライフスタイルに戻れた」とも言える。

ピーコ

 先日、某新聞を読んでいたら「ペットの数、猫が逆転」という記事を見かけた。その理由として「犬はしつけ・散歩が負担となり、猫の方が楽」ということが書いてあったが、私は「とんでもない心得違いである」と思っている。
 犬でも猫でも、一度飼うことを決めたらならば家族の一員として人と同じように愛情と気配りが必要になる。もっとも彼らは文句を言わないし、口答えもしない点、人間より楽であると言えるかもしれない。
 それでも猫は一日何回もトイレの掃除が必要であるし、魚の缶詰めのエサはくさりやすいので、一日3回に小分けして与えなくてはならない。猫はことのほかキレイ好きであり、トイレが汚いと外で用を足すことがあるためトイレの掃除は欠かすことができない。水の飲み方も様々である。水道の蛇口から流れる水を飲みたがる猫(トラオ)、自分の前足ですくって飲む猫(プースケ)、自分専用の水オケからしか飲もうとしない猫(ピーコ)と実に個性的だ。

トラオ

プースケ

 二匹のオス猫は先を争ってエサを食べるのであるが、お姫様ネコのピーコはいたってめんどうくさいヤツである。一匹だけ離れた所にいて、ジーっとこちらの様子を眺めており、彼女だけの特別食(オスのモノより高級)を運んで来るのを待っているのだ。しかも一度で食べずに途中で毛づくろいをしながらゆっくり食べるため、先に自分の分を食べ終えたオス猫達に横取りされてしまうことになる。そのためピーコの食事中はボディガード役もつとめなくてはならない。こういう癖をつけた娘が悪いのであるが、今となっては致し方ない。

 犬というのは、呼べば飛んで来る、忠実で身近な友達と言えるが、猫は自分が気が向かなければ呼んでも来ないワガママ者である。しかし不思議なことに、こちらが仕事がはかどらず沈んだ顔をしてたり、疲れて横になっていたりすると、いつの間にか横に来て体をくっつけたりする。まるで人の心のスキ間に入りこんでくる妖精のようなところがあるのが猫の魅力なのかもしれない。

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 先に猫は文句を言わないと書いたが、エサが足りなかったり、トイレが汚れたままだと夜中に起こしに来ることがある。また、まれに耳元に顔を寄せてきてワケのわからないことをゴニョゴニョと猫語(?)でうなることがある。呼んでも無視していたくせに、朝起きてみると枕元や足元で丸くなって眠っているのも猫のカワイイところである。
 そんな猫のイメージのせいか、昨今空前の猫ブームであるという。私は逆にそのことを心配している。ブームには必ず反動があり、カワイイはずの猫がワガママ者であり、意外に手のかかる動物であることが分かった時に、また捨て猫や虐待が増えるのではないかと危惧している。一番身勝手なのはそうした人間であるからだ。

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 猫を飼うためにはエサを与えるだけでなく、避妊対策をし、トイレの世話をし、室内飼いの場合はいたる所に爪とぎ用のセットを配置しておかなくてはならない。玄関、お勝手、部屋と部屋の境目の柱がムキ出しになっている所など、猫が爪とぎをやりそうな場所に先回りして防御のボードやマットを付けておいた方が良い。それでも猫は人間の思うように行動しない。それが猫である。
 犬は悪いことをした時に大きい声で叱れば学習してやらなくなるが、猫は逆に人のいない時に隠れて行ったりする。それが彼らの習性であることを理解しなくてはならない。キチンとエサをやっているのにわざわざ保管場所からエサ袋を引っ張り出してきて散らかしてしまうのも猫であり、叱ってもムダである。こちらが箱の中に仕舞いこんだ方が利口というものである。
 多頭飼いをする場合さらにめんどうが増える。相性が悪いと猫同士でケンカをすることがあるので、エサ場やトイレも複数用意する必要があり、それらの管理にけっこう手間がかかる。そうしたことをしっかりと認識した上で飼うべきであることを強調しておきたい。今や単なるペットと言うより、コンパニオン・アニマル(同伴者)とも呼ばれるようになった犬猫は家族以上の意味を持つ存在であるかもしれない。

 話を一人暮らしに戻すと、気楽な一人暮らしが良いと言えるのは、健康で、自分一人で何でも処理できた上でのことである。病気で寝たきりになってしまえば、ぜいたくは言えず施設で人様のお世話になるしかないのである。
 そのため私も食事や運動を含め健康管理に十二分に気をつけている。決して政府の医療費削減政策の片棒をかついで言う訳ではないが、「健康であってこその長寿であり、幸せである」と考えるからである。
 欧米でも一人暮らしの老人は多いが、そのことを日本のようにマイナスにばかりとらえてはいない。「自分らしい生き方」を希求すれば、それは結局一人暮らしに行き着くからである。子供には子供の家庭があり、その家にはそこのルールがある。夫婦と言ってもいずれどちらかが先立つのである。私は今まさに未来の予行演習をしていると言える。

 ところで昨年こんなことがあった。妹の家で突然子猫を飼うことになったのであるが、何とその猫はゴミの収集箱の中に捨てられていたという。そのままでは焼却場で生きたまま焼かれるところであった。運良く妹の亭主が泣き声に気がついて救い出したのである。

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(ゴミの収集箱の中に捨てられていた子猫)

柚(ゆず)

(順調に育ち、柚(ゆず)と名付けられた)

 私は自分を信心深い人間だと言える自信はないが、生き物に対してこうした無慈悲な扱いをする人間は決して良い死に方をしないであろうことを確信している。そうした行いをする人間はそういう運命(因縁)を自ら引き寄せていると感じるからである。
 いずれにせよどんな動物であっても、生あるモノは大切にしたいものである。


引っ越し大作戦完了す (その1) (2017.09.04)

引っ越し大作戦完了す (その2) (2017.09.08)

三猫と一犬との共同生活始まる (2017.09.30)

ビフォア・アフター (2018.04.01)

新居と新入家族 (2018.09.24)

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2017年10月19日 (木)

『リバ!』2017年11月号

内田やすひろの徒然市長日記

内田康宏事務所から『リバ!』2017年11月号発行のご案内です。
三猫と一犬との共同生活始まる」が掲載されました。

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2017年9月30日 (土)

三猫と一犬との共同生活始まる

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 「過労のため死ぬかもしれない」と思った引っ越しを終え、8月下旬から三匹の猫と一匹の犬との共同生活が始まった。生活スペースの関係で、私としては久しぶりの〝ハッピー・シングルライフ〟を満喫できることとなった。毎日、犬と猫にエサをやって、「ネコさんお達者で、今日はおグシの具合もよろしいようで」などと言っていればいいのである。
 もともとボーイスカウト上がりで、自炊・洗濯や掃除も裁縫も抵抗感のない私にとって、女房・子供から解放された一人暮らしはストレスの無い快適な暮らしとなっている。これまで単身赴任の方に対して「大変な仕事」と思い込んでいたが、案外そうではないのかもしれない。(だいいち1年の半分が遠征生活のプロ野球選手は離婚が少ないではないか。)

 それにしても今回、犬猫付きの条件でも家を貸して下さったKさんには本当に感謝している。この家無しにこの度の引っ越しは成し得なかった。
 犬猫の引っ越し先と同時に一番心配していたことは、動物達、ことに「家につく」動物と言われている猫達が違う家に馴染むかどうかであった。猫は人の10万倍もの嗅覚を持っていると言われており、今回の借家が以前5匹の猫を飼っていたということだったので、その残り香を嫌って脱走してしまわないかと心配したのである。
 引っ越す前に猫用の部屋を念入りに掃除して、ゴザを敷き、その上に猫達のニオイのついた小じゅうたんを置き、各所に彼らの愛用品を散りばめておいた。さらに彼らの使っていたトイレの箱やエサ皿もそのままの形で持ってきて、できる限り不安を感じないように配慮をしておいた。

 初日にトラオを連れて行った。(あとの2匹は隠れていて見つからなかった。)見慣れない空間と違う家のニオイに警戒心いっぱいの様子であったトラオはいつの間にか二階の猫部屋を抜け出して、一階の荷物置き場となっている部屋の段ボールのスキマに隠れて出てこなくなってしまった。呼んでも反応せず、ショックの大きさが分かるようである。「自分は捨てられた」とでも思ったのかもしれない。

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 二日目には、ようやくつかまえたプースケピーコの2匹を連れて行った。前日のトラオ同様、警戒心丸出しで耳をピンと立てシッポを下げて動こうとしなかった。
 ただ面白かったのは、前日はおびえて隠れていたトラオが、一日の長があるせいか、「君達、何ビビってるの?」とでもいう感じで余裕をかまして2匹の前で毛づくろいをしていたことである。幸い他の猫達も翌日には慣れ、同様にくつろいでいた。

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 新居(?)は家の中で日なたぼっこができ、窓から外の風景を見下ろすこともできて彼らにとっても居心地が良いらしい。引っ越し作業中のように突然知らない人が入ってくることもない。毎日よく食べ、よく寝ている。そのせいか、わずかの間に太ってきたようである。そのため猫のトイレ掃除を一日2~3回することが私の新たな仕事となっている。
 ただ、2匹のオスネコは慣れてきたら、さっそく外への脱出の機会をうかがっており、その点油断がならない。家の前は幹線道路で、車の通行が激しい。それに他の猫の縄張りにヨソ者がブラついていればヒドイ目に遭うことは明らかである。(ウチのネコにその戦いに勝つ力はない。)

 しかし、犬のアミだけは相変わらずままならない。未だに誘拐された子供のような目で私を見ている。陽の当たる玄関口に犬小屋を置き、ガードできちんと囲ってやっているのであるが、急激な環境の変化のせいか食事の進みも悪い。エサをやって頭をなでてやっても迷惑そうな顔をしている。

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 シャクなことに、ヨメさんや息子が散歩に連れて行くために立ち寄ると「助けてくれ」とでも言わんばかりに飛びついて甘えている。何が気に入らないのか分からないが、私が呼んでも寄ってこない。ひょっとすると私とヨメさんが言い合いをしている所を見て、私を敵だと思っているのかもしれない。飼い犬においてこんなケースは初めてである。

 時に「一人暮らしでさみしくないか?」と聞かれることがあるが、TVが映らなくてニュースをラジオに頼っていること以外、概ね快適な生活であると言える。
 近年、〝孤独死〟が社会問題となり、議会においても時々とり上げられることがあるが、私は個人的には孤独死はむしろ歓迎である。死ぬ間際はぜひ一人で静かに過ごしたいと思っている。しょせん人間は一人で生まれ、一人で死んで行くのである。「お父さん、最後にここにサインしてハンコ押して下さい」などと言われながら臨終の時を迎えるのはマッピラである。
 犬猫に見取られて亡くなり、数日後家族に発見され、葬式を迎えるというのが私の理想的な終末の姿である。


引っ越し大作戦完了す (その1) (2017.09.04)

引っ越し大作戦完了す (その2) (2017.09.08)

一人暮らしと犬猫について (2018.01.15)

ビフォア・アフター (2018.04.01)

新居と新入家族 (2018.09.24)

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2017年1月 4日 (水)

三匹のウチのネコ

 かつて我が家には七匹の猫達が生息していた。
 別にネコ好きの趣味があった訳ではなく、「もう拾ってくるな!」と言っても子供達が次々と子ネコを連れて帰ってきた結果、七匹となってしまったのである。また、ようやく安住の地を見つけ、エサにありついてホッとしている子ネコ達を再び路頭に迷わせる気にもなれず、そのままにしてきた私の優柔不断のせいでもある。
 そのネコ達も、老衰や病死、ネコ同士の折り合いの悪さでケンカして出て行ってしまったりで、現在の三匹(プースケ、ピー子、トラオ)に落ち着いた次第である。

プースケ、ピー子

トラオ

 同じ時期に拾われて家に来たネコ達ではあるが、そのネコ達にも相性の良し悪しがあり、ピー子とプースケは兄弟でもあり、一緒にいることが多いが、長じてからは親の違うトラオをのけ者にしてイジメるため、家の中でも騒動が絶えない。
 私が家にいる時は「マア、マア」と間に入って取りなしをするが、誰もいない時はネコ同士で随分ハデなケンカをするらしくて、鼻ヅラに引っかきキズがあったり、背中にネコの折れヅメがささっていたこともある。ネコ共を前にして「お前達は小さい時から一緒に育ってきたのにどうして仲良くできないんだ」などと説教しても全く効果はないようだ。
 どうしても仲間はずれにされているトラオをかわいがることが多くなるため、それも他の二匹には気に入らないところかもしれない。
 長らくネコの多頭飼いが続いたせいか、我が家の天井裏からはネズミが一掃されてしまったようである。かつては時折ネズミの鳴き声や天井裏運動会の音がしたこともあったが、別にネズミを獲ってくる訳でもないのに自然と静やかな天井となったことはネコ達の効用であろう。

 これまで我が家のネコ事情をたびたび文章にしてきたため、私のことをネコ派だと思っている人が多く、「〝ネコ部〟に入りませんか?」と声が掛かることもある。しかし本籍はバリバリのイヌ派である。何度も書いたことであるが、まだオムツのとれない頃から犬小屋で犬に添い寝をしてもらっていた口である。
 幼少の頃は、母親が結婚した時に連れて来たティムという大きな秋田犬の雑種犬(メス)が友人であり、母親替わりであった。ちょうどピーターパンの話に出てくる「ナナ」というセントバーナード犬のようであった。

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ティム、内田康宏(昭和28年撮影)

ティム、内田康宏(昭和28年撮影)

 帰宅時に私を犬小屋から引っ張り出して、犬の唾液でベトベトの私の体をフロ場の残り湯で洗うのが母親の日課の一つであったという。そのせいか、今も犬と一緒に寝ることが好きであるし、犬の臭いは全く気にならないばかりか、却って安心感さえ覚えるほどである。

 しかし今飼っている犬のアミは、どういう訳か毎日エサをやってかわいがっているにもかかわらず、私にだけヨソヨソしい。家族の一員として迎えて3年も経つのに隣のオジさんに対するような態度である。これまで何匹も犬を飼ってきたがこんなことは初めてである。

アミ

 ウチのネコについて、もう一つ付け加えるとすると、総じてオスネコは人間の女の人の方を好むし、メスネコは人間の男にかまわれる方を好むようである。
 二匹の気まぐれなオスネコ達(プースケとトラオ)は、私がなでてやっても「なんだお前か?」という顔をしているが、女房や娘が抱っこするとウットリした顔をしておとなしくしている。ただ私がフロ上がりなどにパジャマで横になってテレビを観ていると、突然、腹の上に上がってくることがある。人のことを暖房器具とでも思っているようだ。
 逆にメスネコのピー子は、ふだんから人に抱かれることを嫌う。自由志向の強いネコなのに、たまに私が抱っこしてやると、腕が大きくて体が安定し暖かいせいかしばらくおとなしく抱かれていることがある。そんな時、近くを通りかかった娘が「この男好きめ!」と言って、いまいましそうにピー子のお尻をピシャッと叩いていったりするのも面白い光景である。

 先輩のネコ達がいなくなって「ワシらが大将」とばかりに態度のデカくなった三匹のネコ達であるが、彼らももう6歳(人の40歳くらい)である。
 彼らとも長くてあと10年くらいの付き合いであろうが、できる限り家族として大切にしてやるつもりである。犬猫も、10年近く一緒に生活していると「ひょっとすると、こいつら人の言葉を分かっているのではないか?」と思えるほどの親密さを表現してくることがある。
 私はよく女房に「お前がいなくても生きていけるが、犬猫のいない生活は耐えられないな」とニクまれ口を叩いている。もっとも先方とて同様のようである。

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