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2019年2月 5日 (火)

スウェーデン訪問記 6.ノーベル賞の舞台

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 ストックホルム旧市街・ガムラスタン地区は、スターズホルメン島という島に作られた中世の面影を残す町である。第二次世界大戦後、開発のため一部の区画が崩されているが、歴史的にも貴重な存在と言える。ガムラスタンとはそのまま〝古い街〟という意味であり、別に〝橋の間にある都市〟とも呼ばれているという。
 この島の東側には、王宮や教会、大聖堂が建ち並び、中央部にはストールトルゲット広場という100メートル四方ほどの空間がある。広場の右手にある旧証券取引所は、現在ノーベル博物館として再利用されている。

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(ストールトルゲット広場)

 この広場は、1520年11月にデンマーク王によって81人のスウェーデン貴族が処刑された舞台となり、今も向かいの5階建ての建物の壁面には81個の白い石で犠牲者の数が表示されている。

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ガムラスタン地区

(ガムラスタン地区の路地)

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 一般に私達は、ノーベル賞というと、スウェーデン王家の主催する会場で授賞式も晩餐会も一緒に行われているようなイメージを漠然と持っている。
 ところが実際は、授賞式が行われるのはコンサートホールであり、晩餐会は市議会議事堂の大ホールで、それぞれ別の場所で行われている。
 議事堂では、紹介された順番に、二階のフロアから晩餐会の行われる一階の青の広場まで、50段ほどの石段をL字型に降りてこなくてはならない。正装姿の受賞者夫妻は、スマートにこの長い階段を下りていくために、正面にある壁面のマークを見つつ、会場に笑顔をふりまきながら登場しなくてはならず、これが一番難しいとのことであった。

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(市庁舎、青の間とL字の階段)

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 さらに、この晩餐会で使用したイスは、裏側に各受賞者が自らサインをして、その後はノーベル博物館にあるカフェで使用されることとなる。展示されるのではなく、普通のイスのようにノーベル賞受賞者サイン入りのイスが使われているのである。我々が博物館を訪れた時には、授賞式前であるのに、すでに本年度の受賞者、本庶佑(ほんじょ たすく)さん達を紹介するコーナーが作られていた。館内はノーベル本人の紹介や各受賞者の研究成果が数々の写真と資料で展示されている。

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 毎年当たり前のように、世界の知の権威の最高峰の如く報道されるノーベル賞であるが、いつから、どのように始まったのであろうか?
 アルフレッド・ノーベルと言えば、ダイナマイトの発明者として有名である。そもそも彼をダイナマイトの発明へといざなったのは、スウェーデンという国が氷河の通過した跡の岩盤の上に成立した国家であったことに由来する。
 固い岩盤の上にある国では、あらゆる公共事業は難工事となる。道路、トンネル工事、地下鉄やダムを造るにも岩盤との戦いとなる。ストックホルムの地下鉄駅に行ってみると、まるで洞窟か鍾乳洞の中に入ったような気がするものである。駅ごとに壁面の色を塗り分けて、照明されている所があり、現在ではそれが各駅のセールスポイントになっている。
 いずれにせよ、こうした工事の遂行のためには強力な火薬が使用され、事故も多く発生した。そこで安全に使用できるニトログリセリンを固形化したダイナマイトが発明されることになったのである。ノーベルの弟も、開発実験の過程で亡くなっている。本来はこうした実用目的で開発されたダイナマイトであったが、予想以上の破壊力と使い易さから軍事転用されることになり、後の様々な大量殺戮兵器への開発につながることとなる。
 彼は50ヶ国以上で特許を取り、100近い工場を持ち、一躍世界の大富豪の仲間入りをすることとなった。ちょうどコンピューターやIT開発により億万長者となった現代のビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズらと同様である。時代の変わり目となるような発明をするとこうしたことがおきるのだろう。

 そもそもアルフレッド・ノーベルは、建築家であり発明家でもあったイマヌエル・ノーベルの四男として生まれている。そうした環境下、幼少期より工学に興味を持ち、父親から基本的な知識や技術を学んでいる。のちに各国で短期に専門技術を学んではいるが、正式な高等教育は受けていない。それでも語学には堪能であったらしく、スウェーデン語に加え、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語も使いこなしていた。
 1888年に彼の兄が亡くなった時、新聞に自分と取り違えた死亡記事が載り、その見出しに「死の商人死す」と書かれたことが生涯こたえたようであり、それがノーベル賞創設の動機ではないかと言われている。
 1895年、自らの心臓病の悪化にともない、ノーベル賞設立に向けて遺言状を作成。遺言状には、人類の進歩と幸福に寄与する研究・発明を行った物理学、化学、生理学ならびに医学、文学などに貢献した個人や団体に賞を授与する内容が記されていたという(平和賞は後に追加)。
 ノーベルはダイナマイトの発明後、様々な権利問題の裁判に巻きこまれ、弁護士不信が強かったらしく、遺言状の内容について生前誰にも相談せずに作成したという。そのため、彼の死後、相続をめぐって様々なトラブルが発生した。現在、彼の遺産はノーベル財団によって管理運営されている。
 生前、ヨーロッパと北米の各地、ロシアにおいても会社を経営しており、世界中を飛び回っていた。1873年から20年近くパリで生活しており、それが一番長い。個人的には孤独な性格で、うつ病になったこともある。生涯独身で子供もいない。3度恋愛したものの女性運も悪く、女性不信感も強かったという。巨万の富があっても幸せな人生とは言えなかったようである。

 これまで世界中で約900人がノーベル賞を授賞しているが、このところの平成のノーベル賞ラッシュのおかげで、日本人ノーベル賞の受賞者は昨年の本庶さんを加えて、外国在住の方も含め、27名となった。以前アメリカ人の友人から、「ウチの大学(UCLA)は日本よりたくさんノーベル賞を取っている」(注)とシャクなことを言われたことがあったが、ようやくそんなことも言われずに済むと、個人的にもよろこんでいる。

(注) UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)出身のノーベル賞受賞者は現在13人。

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