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2019年2月

2019年2月23日 (土)

平成31年度当初予算案を発表しました

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 2月19日(火)、平成31年度の当初予算を発表しました。一般会計の予算規模は1,300億2,000万円、前年度対比5.3%増で、5年連続で過去最高額を更新しております。なお、国の平成30年度補正予算を積極的に活用するため、平成31年度当初予算の一部を平成30年度3月補正予算に前倒しして予算計上しています。

会計名 予算額 前年対比
一般会計 1,300億2,000万円 5.3%増
特別会計 689億7,521万2千円 6.3%増
企業会計 607億9,695万3千円 14.7%増
合 計 2,597億9,216万5千円 7.6%増

 私は市長就任以来一貫して、岡崎の市民、ことに子ども達が自らのふるさとに対し、これまで以上により大きな愛情と誇りを持てる、そんな「夢ある新しい岡崎」を築き上げるための政策を打ち出してまいりました。
 平成31年度は、「徳川家康公像」「東岡崎駅・岡崎駅のペデストリアンデッキを含めた駅前整備」「乙川の清流を活かした遊歩道」「(仮称)乙川人道橋」など、本市の新たな顔となるものが目に見える形となる年であることから、当初予算案は「夢ある新しい岡崎を実現する予算」と位置付けたところであります。
 もちろん、ハード事業だけではなく、市民対話集会をはじめとする350回以上の講演会や政策説明会で直接お聴きした市民ニーズを踏まえるとともに、「顔の見える民主主義」の実践をはかり、幼児教育・保育の無償化への対応や、愛知病院との経営統合、藤田医科大学岡崎医療センターへの支援など、福祉や医療、さらには防災や教育など、市民生活に直結する基本施策の充実には、引き続きしっかりと取り組んでいく予算となっております。
 それでは主な事業の概要を申し上げます。

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 「生活安心推進業務・地域防犯カメラ設置事業補助業務」は、犯罪発生の未然防止を図るため、引き続き、学区総代会を対象とした地域防犯カメラ・設置事業費への補助を実施します。
 また、新たに簡易設置型防犯カメラ50台を購入し、犯罪多発地域に一定期間、集中的に設置を行うとともに、防犯カメラの効果を体験することで地域での防犯カメラ設置を推進していきます。

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 「救急医療拠点施設整備支援業務」は、西三河南部東(なんぶひがし)医療圏における第2次救急医療体制の整備として、2020年4月の開院を目指す藤田医科大学岡崎医療センターへの支援として、用地取得と建設費補助を行ってまいります。

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 「地域医療体制の充実」は、4月から愛知県ガンセンター愛知病院と経営統合することにより、市民病院は高度急性期、急性期、がん医療を集約し、市立愛知病院は軽度急性期患者の医療を担うこととします。これまで愛知病院が担ってきた結核・感染症及びへき地医療については、岡崎市の病院事業として運営してまいります。
 建設改良事業としては、将来ビジョンで定めた機能移行を進めるため、外来診察エリア・拡張工事のほか、結核患者用病床を整備するための基本設計及び実施設計を進め、また、がん診察機能の充実のため、PET-CT検査装置導入のための施設改修と機器購入を行います。
 このほか、更新時期を迎えた電子カルテシステムを始めとする統合情報システムの更新も行ってまいります。
 今後も医療の質向上、人材の確保と育成に努めるとともに、患者満足度の向上と紹介患者を増やす取り組み、良質ながん医療・高度急性期医療を主軸に、医療全般を継続的に提供してまいります。

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 「幼児教育・保育の無償化」は、子育て世代の幼児教育の負担軽減を図るため、消費税率引上げ時の本年10月から、保育園、幼稚園、認定こども園等を利用する、3歳から5歳までの全ての子ども及び非課税世帯の0歳から2歳の子どもの利用料が無償化されます。
 短い期間での作業になりますが、利用者、事業者、双方に混乱が生じることのないよう、対象者の認定を始めとする各種の事務について適切な準備を進めてまいります。

 「病児保育施設整備補助業務、病児保育施設運営補助業務」は、かねてより検討を進めておりました病児保育について、市内クリニックからの申出により医療機関併設型での開設を見込むことができましたので、国の基準に基づいた補助を行うことでさらなる子育て支援の充実を図ってまいります。

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 「阿知和地区工業団地造成事業特別会計、阿知和地区工業団地関連道路整備業務」は、阿知和地区工業団地造成のための特別会計を設置し、平成31年度は用地買収などを進めてまいります。
 造成工事などにつきましては、民間活力の導入に向けた調査を行い、2024年度末の分譲を目指して事業の推進を図ってまいります。また、阿知和地区工業団地へのアクセス道路を整備することで、地域で課題となっている通勤時間帯の渋滞緩和を図ります。

 「UIJターン就業・起業者・移住補助業務」は、東京一極集中の是正や、地方の担い手不足対策として、地方へのUIJターンを促進することで、本市の新たな就業者や起業者の創出を図ります。
 UIJターン希望者が、「生まれ育った岡崎で働きたい」「岡崎にはチャンスがありそうなので起業したい」「住みやすそうな岡崎で働きたい」といった魅力を感じてもらえるようなまちづくりを今後も推進してまいります。

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 「産地活性化プロジェクト補助業務」は、ブランド化・推進品目でもあり、本市で生産の盛んな「いちご」が今後も県内有数の産地として維持できるよう、いちごに関する新技術・新品種の実証普及、新規就農者の実践研修ほ場の設置に対する支援や、栽培ハウスの導入に対する支援を行うことで産地の活性化を図ってまいります。

 「森林経営管理制度・運用業務」は、4月から新たな森林経営管理制度が施行されるとともに、森林環境譲与税の譲与が行われるため、適切な経営や管理が行われていない森林の所有者と林業経営者を繋ぐシステムを構築するなど、林業経営の効率化及び森林管理の適正化を図ってまいります。
 森林整備を推進するとともに、木材の利用促進を図ることも重要となってまいります。
 また、「林業活性化・6次産業化・推進業務」では、新たな木材商品の開発や高付加価値化、販路の拡大等を一貫して行う「地域商社」設立に向けて調査を行ってまいります。

 「観光啓発業務」は、観光産業をモノづくりと並ぶもう一つの経済の柱とする観光産業都市の実現に向けて、地域が一丸となって「稼ぐ力」の向上を図る取り組みを推進するため、本市の観光コンテンツをメディア、パンフレット等により情報発信を行い、知名度向上や来訪への動機づけを図ってまいります。
 具体的には引き続き観光伝道師である「東海オンエア」や、本市出身のマルチ・クリエイター「内藤ルネ」を活用した事業実施を予定しており、今までとは違う新たな魅力を発信しすることにより、若い世代や女性にも足を運んでもらえるよう取り組んでまいります。

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 「東岡崎駅周辺地区整備推進業務」は、ペデストリアンデッキの完成や、台座を含めると高さ9メートルを超える、日本一の騎馬像となる、若き日の徳川家康公像のお披露目、北東街区の民間施設のオープンなど、明大寺交通広場、周辺アクセス道路も含め、本市の玄関口にふさわしい、にぎわいのある快適で魅力的な駅前空間を創出する整備を平成31年度中に完成させる予定であります。

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 「シビックコア地区・整備業務」は、岡崎駅周辺にある市有地を活用し、民間事業者の提案を受け、新たに交流拠点などの整備を進めてきており、これまでに民間駐輪場やララシャンスOKAZAKI迎賓館の開業、出会いの杜公園が開園しました。平成31年度はペデストリアンデッキの完成を予定しております。

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 「乙川河川緑地整備業務」は、乙川リバーフロント地区に隣接する名鉄線路・下流右岸を整備することで乙川河川緑地のさらなる利用促進が図られることから、2020年春の供用開始を目指し、テニスコート、ローラースケート場、多目的広場、駐車場などの整備を進めてまいります。

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 「乙川リバーフロント地区整備等推進業務」は、引き続きハード・ソフト両面の事業を展開してまいります。
 ハード面では、(仮称)乙川人道橋においては、現在工事中の上部工事を継続し、2020年3月の完成を目指し準備を進めてまいります。乙川河川緑地及び乙川プロムナード整備においては、明代橋から殿橋までの両岸で、堆積土の撤去、遊歩道、階段など整備及び道路整備を進めてまいります。
 中央緑道、市道籠田町線においては、無電柱化の工事に引き続き、園路整備や電気施設、給排水施設、道路整備を進めてまいります。
 ソフト面では、民間が主体となったまちづくりを目指し、これまでの実績を踏まえながら、おとがワ!ンダーランドや泰平の祈りプロジェクトなどのかわまちづくり事業に対し、引き続き支援を行うと共に、道路空間を活用した社会実験を行ってまいります。
 中央緑道と乙川河川緑地では、民間資金、経営能力等を活用した公園便益施設整備を行うPark-PFI制度による公募選定を行うなど、公民連携プロジェクトを実施することより暮らしの質の向上、エリアの価値向上を図ってまいります。

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 「小・中学校施設維持管理業務」では、昨今の猛暑に対して子どもたちの健康を守ることを第一に考え、早期に安全安心な教育環境を確保していく必要があることから、PFI手法により、小学校47校、中学校20校の全学校の普通教室等へ設置するエアコンの維持管理を行ってまいります。エアコンの整備につきましては、すでに契約を締結しており、早いところで3月上旬から工事を進め、6月末までには必ず全ての小中学校へ設置を完了いたします。

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 「コンベンション施設整備業務」は、観光産業都市実現のため、市有地である「太陽の城跡地」を有効活用し、交流拠点施設及び乙川の水辺空間などを活用した「健幸づくりの拠点施設」として、公民連携によるコンベンション施設の整備や、民間ホテルの誘致を進めるにあたり事業者の募集を行ってまいります。

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 本市はちょうど50年前の今日、2月19日に石垣市と親善都市提携をいたしました。これを記念して昨日から8月30日までの間、市役所東庁舎1階ロビーで記念展を開催しておりますが、この記念すべき年に「親善都市ゆかりのまち関連業務」において、両市の親善関係をさらに継続、発展すべく、市民交流事業を実施してまいります。
 さらに本市から石垣市には、提携50周年を記念し伝統的工芸品の岡崎石工品を贈呈してまいりたいと考えております。

 次に「市民生活に関わる予算」として既に説明いたしましたものを除いて概要を申し上げます。
 「テレワークを用いた女性の就労支援」につきましては、女性を対象に、女性、事業者の双方が時間や場所にとらわれないテレワークを用いた新たな働き方を支援することで、本市ならではの女性就労モデルの構築に取り組んでまいります。

 「ウォーキングアプリ・マイレージ連携システムの導入」につきましては、スマートウエルネスシティを推進するために、健康無関心層が遊び感覚で楽しみながら歩いてしまう「ウォーキングアプリ・マイレージ連携システム」を開発し、「歩いて健康」「食べて健康」を中心とした健康づくりに取り組むことで、誰もが健康に暮らせるまちを目指してまいります。

 「産婦健康診査及び産後ケアの実施」につきましては、妊娠期から子育て期にわたる、切れ目のない支援体制のさらなる推進を図るため、産後の初期段階における母子支援として、出産後4週間前後の産婦に、産婦健康診査を実施するととともに、心身の不調などにより支援が必要な産婦には「宿泊型」「デイサービス型」の産後ケア事業を実施してまいります。
 また、不妊に悩む方が気軽に不妊や不育症の相談ができるよう、「不妊専門相談センター」を保健所内に設置することで妊娠前からの支援を充実してまいります。

 「骨髄移植ドナーの支援」につきましては、ドナーとそのドナーが勤務する事業所に対して補助金を交付することで、ドナー登録者の経済的な負担軽減を図るとともにドナー登録を促進してまいります。

 「成人風しん予防対策」につきましては、先天性・風しん症候群の発生防止のため、風しん抗体が低いとされる39歳~59歳の男性を対象に、風しん抗体検査と風しんワクチンの接種を無料で実施します。

 「予防接種の再接種費用の扶助」につきましては、骨髄移植等の治療により定期予防接種で獲得した免疫を失った方のワクチンの再接種について、接種費用の扶助を行ってまいります。

 「ごみ分別アプリの導入」につきましては、スマートフォンを通じてごみの分別や排出方法等の情報を手軽に取得することができる「ごみ分別アプリ」を導入いたします。このアプリは多言語対応となっておりますので、外国人市民を含めた多くの市民に周知することでごみ分別の促進を図ってまいります。

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2019年2月20日 (水)

『リバ!』2019年3月号

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こんばんは。内田康宏事務所からお知らせです。『リバ!』2019年3月号が発行されました。
市長の家で生まれた4匹の子猫はすくすくと育っているとのことです。(^^)/

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2019年2月10日 (日)

オス猫出産!

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 オス猫と思っていたチャット(以下チャッピー)がメス猫であることが判り、しかもあと2週間で出産を迎えると言われ、出産・育児部屋の用意を考えていた(→前回のブログ)。
 ところが、動物病院に行った3日後、仕事を終えて自宅に帰ったところ、自室のベッドの上からネズミの鳴き声のようなへんな声が聞こえてきた。
 いったい、どの猫が鳴いているのかと思ったら、私の枕の横に作った、夏の掛け布団をサークル状にした猫用の寝床の中に赤ちゃん猫が2~3匹とチャッピーが横たわっていた。
 これから出産の準備をしようと思っていた矢先であり、二度目のビックリである。しかも、よくよく見たところ子猫は4匹であった。まだ自身が母猫にくっついていてもおかしくない程の小さいチャッピーがよくぞ4匹も産んだものである。2匹は薄い茶トラであり、あとの2匹は三毛であった。性別はまだ分からない。

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ゼル

 玉をとられる前に種付けをした犯人と思われるゼルが、心配そうに近くをウロウロしていた。赤ちゃんネコの鳴き声を聞きつけた他のネコ達も集まってきたが、産まれたばかりの子ネコにちょっかいを出すといけないので遠くに追い払った。

 嫁さんに知らせると飛び上がって驚いていたが、4匹の赤ん坊を見るなり、「あんた一人で4匹も産んだの、小さいのによくガンバったネ、えらかったネ」と涙ぐんでいた。
 まだ出産したばかりの様子の母ネコを落ち着かせるため、しばらくこのままにして、明朝、私がでかける前に個室に隔離することにした。次の準備をするため、一階の一室を片づけ、古新聞とじゅうたんを敷いて、ネコ用の小コタツとエサ箱、水オケ、トイレ、爪とぎ場を用意した。
 出産後のチャッピーはかなり疲れ気味であったので、特別食を用意して行ったところ、おかわりも食べてしまった。その後、私が隣で見ていることを確認すると、寝床から飛び出してトイレと水飲みに出かけた(育児疲れかもしれない)。その間、子ネコの上には毛布をかけて体温の低下を防いでおいた。
 5分ほどで戻ってきたチャッピーは再び子ネコの世話を始めた。一度も育児の仕方を見たことも教えられたこともないのに、本能とはいえ大したものである。
 最近の数々の児童虐待事件を見ると、動物の親の自然な健全さに教えられるような気がしたものである。

 なお、あにもの名誉のため付け加えておくと、あにもの書類上は間違いなくチャットはメスであり、「メスの茶トラ」と記してあるそうであった。
 それにしても嫁さんが度々「チャットはなんでおジィの所にばかり来るの?」とヒガミっぽく言っていたが、動物は一番安心できるところで出産するものであり、それが私の枕元であったことは何ともユカイである。嫁さんに一言。「ザマーミロ!」

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2019年2月 7日 (木)

オス猫が妊娠した?

チャット

 あにも(岡崎市動物総合センター)からオス猫としてもらってきた茶トラの猫が妊娠した。
 「白っぽい茶トラの猫はメス猫であることが多い」という話を聞いたことがあるが、動物病院の医師も含めて3人の獣医師が「オスです」と断言した猫がメスであることが判明した。「弘法も筆の誤り、猿も木から落ちる」(猫も?)。世の中にはこうしたこともあるのである。
 いずれにしても、昨年我が家に加わった3匹の子猫のうち、私が「オスの茶トラを」と希望してもらってきた猫がお嬢さんだったわけである。オスにしては小柄で、第二次性徴が遅く、他の2匹がそれぞれ大人っぽくなる中で、一匹だけいつまでもヒヨコのぬいぐるみで遊んでいる茶トラのチャット君であった。しかしこれからはチャッピーとでも呼ぶことになるのだろう。

 娘が病院に再検査に連れて行く際に、いつになくナーバスな様子でやたら甘えてきたという。冬の寒空の下、子持ちの状態で捨てられることを恐れていたのかもしれないが、もちろん私はそんな無慈悲なことはしない。これも私の運命の一つと受け止めている。
 病院での診断は「妊娠2ヶ月」であり、あと2週間ほどで出産を迎え、2~3匹は産み落としそうだということであった。

テル子、ゼル、チャット

(テル子、ゼル、チャット)

 すでに他の猫の去勢は済んでいたが、年末年始が多忙であった上に、まだ赤ちゃんぽく小柄であったチャットはオス猫であると思い込んでいたことから、一匹だけ去勢措置が遅れてしまったための出来事であった。しかし良心的な動物病院であったおかげで、見立て違いであったこともあり、受診料はタダとなり、オミヤゲに高級カンヅメ等を付けてくれたそうである。
 「父猫もイケ面だから、かわいい子猫が産まれますよ」と言われたものの、我が家にはすでに6匹の猫と1匹の犬がいるのである。これからなんとか良い里親を探してやりたいと思っている。(実際、多頭飼育は大変なのである。)

 それにしてもチャットにとっては災難なことである。人間で言えば、自身もまだ中学生くらいの子供で遊びたい盛りなのに母親になってしまうのである。きっと自分でも自分の体に何が起きているのかは分かっていないことであろう。
 今私にできることは彼女(?)が安全に出産できる場所を確保してやり、安産を迎えることである。こうした若猫の出産のケースでは帝王切開を行わなくてはならないこともあるため、今しばらく注意が必要となる。
 人生とはいつ何が起こるか分からないことの連続ではあるが、それにしても新年早々、思いもかけぬ出来事で驚かされることになったものである。


オス猫出産! (2019.02.10)

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2019年2月 6日 (水)

スウェーデン訪問記 7.ストックホルム日本商工会と日本大使公邸

ストックホルム日本商工会、樗木健一会長

(ストックホルム日本商工会にて。樗木健一会長を訪問)

 私達の最終日程は、ストックホルム日本商工会におけるスウェーデンの国内事情の調査と市内の再開発プロジェクトの視察、そして日本大使公邸の訪問であった。

 スウェーデンは北ヨーロッパのスカンジナビア半島に位置し、北東にフィンランド、西にノルウェーの二国に挟まれ、南西のカテガット海峡の向こうにあるデンマークとは歴史的に長く対峙してきた。バルト海の向こうには大国ロシアとドイツが控えるという地政学的条件にある。そのため、スウェーデン王国は昔から近隣の国家との軋轢が絶えず、領土や国境も度々変わることになった。
 近代に入り、立憲民主国家の体制に移行し、ことに1974年の憲法改正以降は国王に官吏任命権が無くなり、日本と同じように象徴君主制の形となってきている。
 政治的には、1932年のスウェーデン社会民主労働党(社民党)政権成立の折に武装中立政策をとり、第一次、第二次の両世界大戦を回避することができた。大きな戦禍に巻き込まれずに社会インフラを維持できたことが、その後の安定した経済発展につながったものと考えられる。(しかし、いったん廃止された徴兵制度が2018年に復活している。)
 言うまでもなく、スウェーデンは世界に冠たる福祉国家であるが、前述した如く男女共働きを前提とした社会づくりを行ってきたことによって、出生率の維持と人口増を達成できている。
 人口1千万人規模のコンパクトな国家であったことにより、国民の意志の統一が図りやすく、国のトップダウンの政策を短期間のうちに実現でき、社会システムの変革がスムーズに行われてきたことが、これまでの経済的成功と社会の安定の基となっているように思われる。女性の労働環境、子育てシステム、教育、税金のあり方については学ぶべき点も多いが、それを日本の社会で実現するためにはそれなりのアレンジが必要であろう。

 また、ストックホルムは、現在大規模な再開発事業にとりかかっており、かつての港湾地区、隣接していた旧工業地帯の跡、そして外国からの流入者によりスラム化した下町地帯などで集中的に都市再開発を行っている。(難民の大量流入は犯罪の増加、治安の悪化をはじめ社会システムにも影響を及ぼしている。)
 跡地に新築された集合住宅地域は、美しい市街地を形成すると共に新しく機能的なシステムが設置されている。これまでゴミ収集車によって一括回収されていた各種生活ゴミを5~6種に分別し、曜日、時間帯によって車を使わない回収を始めている。そのユニークなシステムは、地下埋設されたゴミ専用収集管を使って行われる。ゴミの種類で収集、日時を分けて同じ管を使い、空気圧の差を利用しゴミ袋のまま時速40~50キロのスピードで各終末処理場(再生場)へ風送されるという。

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 燃えるゴミは岡崎市と同様に、そこで生まれる熱が電力源として再利用され、周辺国のゴミも有料で処理し、電気を売電しているという。
 夏季はバルト海の深層水をくみ上げ、そこから得られた冷気をビル等の冷房に活用している。原子力発電所の廃棄物はきちんと鉛で密封処理し、地下1万メートルの岩盤の中に収容している。将来、合理的な処理方法か再利用の方法が発見された時にちゃんと使えるように考えられているのである。
 このようにあらゆることに合理的な資源利用・再活用の試みがなされている。

 ストックホルム中心街にある世界貿易センタービルの5階にある「ストックホルム日本商工会」において、樗木(おうてき)健一会長さん達の説明を受けた我々は、その後現地視察を行った。そして50周年にわたるウッデバラとの友好関係に対する御褒美のような形で、日本大使公邸での昼食会に招かれることとなった。その理由は前述してあるので省かせて頂く。

廣木重之・特命全権大使

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 日本大使公邸はストックホルム郊外の高級住宅街の一角にあり、バルト海につながる入江沿いの道路に面していた。瀟洒(しょうしゃ)な3階建ての洋館は旧貴族の邸宅を改装したものだと言う。防犯カメラのついた鉄格子の門があり、テニスコート付きの奥行き50メートル、幅100メートルほどの芝生の庭が続いていた。
 護衛官の許可を得て、写真を撮りながら邸内へと歩を進めることとなった。廣木重之・特命全権大使のような立場の方は、スウェーデン国内はもちろん、全ヨーロッパ地域における様々なVIPと会談をすることが多く、こうした公邸が必要とされるのである。決してぜいたくをしている訳ではなく、施設のあり様そのものが日本という国家の存在を代弁しているのである。

 玄関から入ってすぐ右手にある応接室でウェルカム・ドリンクのサービスを受けた我々は、ほどなく階下にあるホールに設営された会場に通された。由緒ある建物を改修したとのことであり、まるで映画に出てくる晩餐会のような雰囲気であった。
 一人一人の席には日本政府を表す桐の葉のマークと共に個人名入りのネーム・プレートが配置され、同じく桐の葉のマーク入りの食器と同じマーク付きの箸、袋に入った割り箸が配膳されていた。

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 次々と運ばれてくる料理は我々が日本の料亭で頂くようなまぎれもない正統な日本料理であり、よく見るとお品書きには夕食会との文字が記してあった。昼過ぎの御招待であったため、ランチ・メニューを予想していたのであるが、正式なディナーであった。聞けばコックさんは日本人ではなく、長年日本食を作り続けているタイ人の方であった。
 正式な日本料理の専門学校を卒業し修業をされてきた方で、長年外務省の海外公館のコック長をされてみえたそうであった。日本料理の神髄を極めるために、香辛料を多く使うタイ料理は食べないばかりか料理もしないそうである。外国人であってもこういう料理人もあるのである。さすがにこの日は、前日に日本食モドキに腹を立てていた某氏も笑顔で箸が進んでいた。
 大使館の方にこっそりお聞きしたところ、「地方議会の関係者や一般人をこうして招待する例は珍しく、こちらの大使館では初めてのことである」とのことであった。改めて歴代の市長ならびに関係者の友好親善の努力に対し、頭の下がる思いであった。なお、これまでの50年間で岡崎市からは332人、ウッデバラ市からは271人の市民が相互訪問をしている。

 今回私達が体験することのできた貴重な経験と学んだ知識は、今後しっかりとさらなる両市の親善関係と両国の友好のために反映できるよう努めていきたいと思う公式訪問であった。(完)


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 なお「スウェーデン訪問記」は、『東海愛知新聞』に2019年1月22日から29日までの間、「姉妹都市ウッデバラ訪問記」のタイトルで連載されました。

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2019年2月 5日 (火)

スウェーデン訪問記 6.ノーベル賞の舞台

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 ストックホルム旧市街・ガムラスタン地区は、スターズホルメン島という島に作られた中世の面影を残す町である。第二次世界大戦後、開発のため一部の区画が崩されているが、歴史的にも貴重な存在と言える。ガムラスタンとはそのまま〝古い街〟という意味であり、別に〝橋の間にある都市〟とも呼ばれているという。
 この島の東側には、王宮や教会、大聖堂が建ち並び、中央部にはストールトルゲット広場という100メートル四方ほどの空間がある。広場の右手にある旧証券取引所は、現在ノーベル博物館として再利用されている。

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(ストールトルゲット広場)

 この広場は、1520年11月にデンマーク王によって81人のスウェーデン貴族が処刑された舞台となり、今も向かいの5階建ての建物の壁面には81個の白い石で犠牲者の数が表示されている。

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ガムラスタン地区

(ガムラスタン地区の路地)

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 一般に私達は、ノーベル賞というと、スウェーデン王家の主催する会場で授賞式も晩餐会も一緒に行われているようなイメージを漠然と持っている。
 ところが実際は、授賞式が行われるのはコンサートホールであり、晩餐会は市議会議事堂の大ホールで、それぞれ別の場所で行われている。
 議事堂では、紹介された順番に、二階のフロアから晩餐会の行われる一階の青の広場まで、50段ほどの石段をL字型に降りてこなくてはならない。正装姿の受賞者夫妻は、スマートにこの長い階段を下りていくために、正面にある壁面のマークを見つつ、会場に笑顔をふりまきながら登場しなくてはならず、これが一番難しいとのことであった。

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(市庁舎、青の間とL字の階段)

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 さらに、この晩餐会で使用したイスは、裏側に各受賞者が自らサインをして、その後はノーベル博物館にあるカフェで使用されることとなる。展示されるのではなく、普通のイスのようにノーベル賞受賞者サイン入りのイスが使われているのである。我々が博物館を訪れた時には、授賞式前であるのに、すでに本年度の受賞者、本庶佑(ほんじょ たすく)さん達を紹介するコーナーが作られていた。館内はノーベル本人の紹介や各受賞者の研究成果が数々の写真と資料で展示されている。

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 毎年当たり前のように、世界の知の権威の最高峰の如く報道されるノーベル賞であるが、いつから、どのように始まったのであろうか?
 アルフレッド・ノーベルと言えば、ダイナマイトの発明者として有名である。そもそも彼をダイナマイトの発明へといざなったのは、スウェーデンという国が氷河の通過した跡の岩盤の上に成立した国家であったことに由来する。
 固い岩盤の上にある国では、あらゆる公共事業は難工事となる。道路、トンネル工事、地下鉄やダムを造るにも岩盤との戦いとなる。ストックホルムの地下鉄駅に行ってみると、まるで洞窟か鍾乳洞の中に入ったような気がするものである。駅ごとに壁面の色を塗り分けて、照明されている所があり、現在ではそれが各駅のセールスポイントになっている。
 いずれにせよ、こうした工事の遂行のためには強力な火薬が使用され、事故も多く発生した。そこで安全に使用できるニトログリセリンを固形化したダイナマイトが発明されることになったのである。ノーベルの弟も、開発実験の過程で亡くなっている。本来はこうした実用目的で開発されたダイナマイトであったが、予想以上の破壊力と使い易さから軍事転用されることになり、後の様々な大量殺戮兵器への開発につながることとなる。
 彼は50ヶ国以上で特許を取り、100近い工場を持ち、一躍世界の大富豪の仲間入りをすることとなった。ちょうどコンピューターやIT開発により億万長者となった現代のビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズらと同様である。時代の変わり目となるような発明をするとこうしたことがおきるのだろう。

 そもそもアルフレッド・ノーベルは、建築家であり発明家でもあったイマヌエル・ノーベルの四男として生まれている。そうした環境下、幼少期より工学に興味を持ち、父親から基本的な知識や技術を学んでいる。のちに各国で短期に専門技術を学んではいるが、正式な高等教育は受けていない。それでも語学には堪能であったらしく、スウェーデン語に加え、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語も使いこなしていた。
 1888年に彼の兄が亡くなった時、新聞に自分と取り違えた死亡記事が載り、その見出しに「死の商人死す」と書かれたことが生涯こたえたようであり、それがノーベル賞創設の動機ではないかと言われている。
 1895年、自らの心臓病の悪化にともない、ノーベル賞設立に向けて遺言状を作成。遺言状には、人類の進歩と幸福に寄与する研究・発明を行った物理学、化学、生理学ならびに医学、文学などに貢献した個人や団体に賞を授与する内容が記されていたという(平和賞は後に追加)。
 ノーベルはダイナマイトの発明後、様々な権利問題の裁判に巻きこまれ、弁護士不信が強かったらしく、遺言状の内容について生前誰にも相談せずに作成したという。そのため、彼の死後、相続をめぐって様々なトラブルが発生した。現在、彼の遺産はノーベル財団によって管理運営されている。
 生前、ヨーロッパと北米の各地、ロシアにおいても会社を経営しており、世界中を飛び回っていた。1873年から20年近くパリで生活しており、それが一番長い。個人的には孤独な性格で、うつ病になったこともある。生涯独身で子供もいない。3度恋愛したものの女性運も悪く、女性不信感も強かったという。巨万の富があっても幸せな人生とは言えなかったようである。

 これまで世界中で約900人がノーベル賞を授賞しているが、このところの平成のノーベル賞ラッシュのおかげで、日本人ノーベル賞の受賞者は昨年の本庶さんを加えて、外国在住の方も含め、27名となった。以前アメリカ人の友人から、「ウチの大学(UCLA)は日本よりたくさんノーベル賞を取っている」(注)とシャクなことを言われたことがあったが、ようやくそんなことも言われずに済むと、個人的にもよろこんでいる。

(注) UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)出身のノーベル賞受賞者は現在13人。

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2019年2月 2日 (土)

スウェーデン訪問記 5.スウェーデンの街並と日本食に見る国際化

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 ウッデバラでの3日間の公式日程を終え、翌日、スウェーデンで2番目に大きな都市であるヨーテボリ(イェーテボリ)までバスにて移動した。
 ウッデバラは、その地理的位置の関係上、これまで歴史的に支配者と領有権がノルウェー、デンマーク、スウェーデンと、度々移り変わってきた。隣接するヨーテボリ(ゴッテンブルグとも呼ばれる)も、同じく北海に面した重要な港湾都市であることから、17世紀にグスタフ二世アドルフの治世にスウェーデン領として確立されるまで、同様の変遷があった。

 深い緑に囲まれ、石畳の上を市内電車が走る古風な風情を漂わせたヨーデボリの街並みを抜け、ハーガ地区と呼ばれる旧商業区の一角にある歴史的趣(おもむき)のあるレストランで昼食をとる。

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 石畳の舗道というのは、絵画の題材や写真の被写体としては見映えがするものの、実際にそこを歩行する者にとっては、デコボコとしていたって歩きにくいものである。維持管理にも手間がかかるものと思われる。人は10センチほどの段差はしっかり視認するものであるが、車道と歩道の段差が2~3センチの当地では、同じ様な石造りで判別しにくく、歩行者は注意が必要である。(同行の一人も、足を引っ掛けて転倒したようだ。)
 また、日中に街中でベビーカートを一人で引いている男性の姿を見ることも珍しくなく、この国に置ける男女共生社会の実相が垣間見えるような気がした。

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 昼食に前後して、今では中国資本の傘下にあるボルボの博物館と、水際都市の面影を残す魚市場の見学を行った。こうした場所は、国は違えど、どこも観光客向けの施設として整備されている。
 古風な商業地域を一周した後、映画『ハリー・ポッター』の冒頭に出てくるようなクラッシックな造りのヨーデボリ中央駅から一等列車(座席指定)に乗り、3時間ほどの電車の旅を経て、夜のストックホルムに到着した。
 ストックホルムに来るのはこれが2回目である。40年前に来た時には、父の知人である岡崎出身の渡辺さんという建築家の方の自宅にお世話になった。

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 その時この街の案内役をしてくれたのは、当時小学校4年生の渡辺さんのハーフの長女であった。私と一緒に古い建物めぐりではかわいそうと思い、途中地下鉄の近くにあったチボリという遊園地に行き先を変更したため、中心街を正式に見学するのは今回が初めてのこととなる。

 翌朝は朝9時から、ノーベル賞の祝賀晩餐会場となっているストックホルム市庁舎をはじめ、中世の趣(おもむき)を残したガムラスタン地区に並ぶ王宮、大聖堂、国会議事堂、オペラハウス等の視察と共にノーベル博物館を訪れることとなった。

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 前述した如く、この国は200年以上に渡り外国との戦争をしていないため、中世から近代にかけてのヨーロッパの伝統的建築や街路の風情が、今も色濃く残っている。パリやロンドンにもそうした場所がないわけではないが、大きな内戦や第二次世界大戦の戦後復興都市として再生した所と、オリジナルなものがそのままの形で残っている場所とでは、実際に自分の足でその空間を歩いて見た時の空気感が違うことを強く実感したものである。
 レストランの地下室部屋に通されると、中世の石造りの壁から独特の匂いまで感じられる。古めいた木製のイスとデーブルに腰を下ろして一つ一つの調度品に目をこらしていると、いつしか意識が時代を遡ってゆくような気がしてくる。私は下戸で、酒の味は全く分からないのであるが、酒豪の方々ならば、こうした雰囲気の中で地酒のワインをじっくり堪能できるのではないかと思う。

 近年のテレビ番組は、国際化社会を反映した様々な興味深い取り組みがなされている。
 私も度々家で目にすることがあり、知ったのであるが、日本食の料理の達人が身分を偽って外国人が営業している日本料理モドキの店で働き始め、その不思議なあり様を伝え、最後に自らの身分を明かして日本料理の真髄を伝える、というパターンの番組がある。
 実際にあんなことを内緒で行ったら、トラブルや裁判沙汰にもなりかねないため、一部は了解の上でのヤラセ番組であろうと思って観ているが、時に海外で日本食の名のもとに提供されている食事の中には、目を疑いたくなるようなものがあることも事実である。
 今回、私達がストックホルムで連れて行かれたSという日本料理店は、まさにそうした所であった。調理人の顔を見たところアジア風でもなく、どうやら中東の人のようであった。必ずしも日本人の調理師でなくとも立派な日本料理を作る人はいるが、ここはそうではなかった。
 インスタントミソの方がおいしいミソ汁、小麦粉のダマの残っているテンプラ(天フライの感じ)、市販のみたらしダンゴのタレを使った焼き鳥など、居酒屋の定食にしてもおかしな組み合わせの料理が出てきた。

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 店内の異国趣味の装飾も、日本では見かけないシロモノが多い。スモウ取りの陶器の置物、富士山と五重の塔に満開の桜の絵、黒澤明監督が描いた映画の絵コンテを引き伸ばしたような図柄の壁紙等々。おまけにトイレ前の敷き物には、徳川家の葵の紋の入ったモノが使われていた。
 同行の人の中には、怒ってしまいハシもつけない人もいたが、これも外国の勉強の一つである。国際化の時代と言っても、所によってはまだこの程度の理解であり、ひょっとすると私達自身も、相手のことを同程度にしか理解していないことがあるのかもしれないと思った次第である。

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