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2019年1月27日 (日)

スウェーデン訪問記 3.キャッシュレス社会と市民交流

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 このところ、我が国の社会においても、カード経済の流れが進んでいるが、スウェーデンにおいては、すでに現金をほとんど使わない社会へとシステムが移行しつつあるようである。
 今回の訪問にあたって私は大きなミスをしていた。引っ越し作業のゴタゴタの中で、切り替え時期を迎えて送られてきた新カードを紛失し、期限の切れている旧カードのまま出発してしまったのである。さらに、頼みとすべきもう一つのクレジットカードはヨーロッパでは歓迎されていないものであり、使えるのは空港だけであった。また少額のお金をユーロに替えてはいたが、スウェーデンはEUに加盟しているものの、ユーロを導入しておらず、町中の店でユーロは使えないのである。
 銀行で両替をしようとしたところ、週末でそれもかなわず、ホテルにおいては両替え業務を行っていないばかりか、全てカード決済システムとなっていた。
 おかげで、旅行中に買いたい時に買い物ができず、何とも情けない有様となった。そのため、同行の方にクローネ(スウェーデン通貨)をお借りしたり、他の方のカードで買って頂き、後日、円でお返しするというご迷惑をおかけすることになったのである。
 いくら忙しくても、出発前に一度しっかりとチェックすべきであったと反省している。現地ではコーラやサンドウィッチを買うにもカードを使う人が目についたほどである。いずれ日本の社会もこのような仕組みに移行してゆくのであろうか?
 今後、人が現金を持ち歩くことがなくなり、自宅に現金を置かないようになれば、窃盗や強盗などのドロボー犯罪は減少することになるのだろう。そのかわりに、キャッシュ社会には無かったようなITがらみのさらなる知能犯罪が増加してくるものと思われる。IT社会の変化になじめない者にとっては、また生きづらい世の中になるのだろう。

 記念品の除幕式を終えた我々は、郊外にある改築中の大型ショッピングモール「トープ」に出かけた。「外国で良いオミヤゲを買ったと思ったら、日本製や中国製であった」ということがよくあるので、各店を注意深く見て回った。
 時節柄、ハロウィーンからクリスマスに向けての商品が多く店頭を占めていた。チョコレートの棚の前で品定めをしていたところ、驚くべきことが起きた。私の背後から、「あれ、市長さんじゃないですか、どうしてこんな所にみえるんですか?」と日本語で声を掛けられたのである。私に話し掛けてきたのは、現在岡崎市内にお住いの女性であった。友好40周年の折に、市民訪問団に参加してウッデバラの一般家庭にホームステイしたことが切っ掛けとなり、以来個人的に親戚づきあい(?)をしており、度々訪れているのだそうである。今回、50周年で私達が訪問していることはご存じないようだった。
 私も驚いたが、こうした事実が岡崎の国際交流が形だけのものではなく、実のあるものとなっていることの証しである。

 また中学生の相互交流からも大きな成果が出ている。
 初期にウッデバラ訪問の代表となった中学生の中から、交流が切っ掛けとなって外語大学に進み、スウェーデン語を専攻し、現在外務省に入って外交官となっている方がいるのである。私はたまたまその人のお母さんにお会いし、そのことを知ったのであるが、ストックホルムの日本大使館勤務を経て、今は同じ北欧のノルウェーで大使館勤務を行ってみえるそうである。

 その夜、私達は旧造船所の関連施設を再利用したアレクス・ガストロノミ・ホテルの大ホールにおいて、歓迎夕食会に招待された。このホールは造船業が順調な時期に建てられた施設らしく、石材の町の技術をつくした立派な建物であった。

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 今回ウッデバラ市は、岡崎との長年にわたるすぐれた国際交流の功績によって、日本の外務大臣表彰を受けることになった。そのため、わざわざストックホルムから廣木(ひろき)特命全権大使が河野太郎外務大臣の名代として夕食会に参加し、表彰の典礼を行って頂くこととなった。
 まだスウェーデンに着任して2週間足らずであるのに、廣木大使は見事なスウェーデン語でユーモアを交えてあいさつをされた。「スウェーデン語は専門ではない」と言ってみえたが、プロの外交官のスゴさを垣間見た思いがした。
 これまで、ロンドンやニューヨークなどに加え、アフガニスタンや南アフリカも任地として担当されたそうである。治安の悪い国では、大使が外出する際には武装した護衛が4~5人付くそうである。確かに外交官が誘拐されたら大変である。
 私も県議時代に南米のペルーやキューバ、中東のクウェート、ドバイの日本大使館などを訪れたことがあるが、いずれも大使館の警備は厳重であり、建物前の道路は直線でなくクランク状に曲げられており、大使館前には小さなトーチカが設けてある所もあった。ペルーの大使館は、私が訪れた一年後にゲリラに占拠されたので、ニュースのテレビ放映中には家族に内部の解説ができたものである。

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 「大使は、任地によっては命懸けの仕事ですネ」という私に、「その覚悟で職務に当たっております」と答えられた。
 また大使というものは、毎年一回本国で行われる大使会議に情報交換のため帰国する以外、簡単に日本に戻れないそうである。廣木大使も、日本にいる娘さんやお孫さんの顔はもっぱら写真で見るだけとのことであった。

 ふだんこうした話を一般国民は知るすべも無いが、日本が国際社会で無事に存続していくためには、この様に国家を背負って活躍している方達のいるおかげであることを、私達は認識しておくべきである。
 なお廣木大使の奥様は、12月の本庶教授のノーベル賞授賞式に、大使夫人として民族衣装を着て出席するため、只今、日本で新しい着物の着付けの特訓中とのことであった。

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