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2017年10月

2017年10月28日 (土)

友好都市・フフホト訪問記 5.日露戦争の地をゆく

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 今回、大連を訪問するにあたり、私がどうしても足を運びたいと希望したのが郊外にある203高地旅順港であった。ちょうど「友好の翼」で参加された皆さんの訪問コースとなっていたため同行することとした。ただし時間の都合で旅順港は山上からの見学となった。
 明治維新後の我が国の歩みの方向性を決めるターニング・ポイントとなったのは、この日露戦争における勝利である。白人の巨大国を破った有色人種の東洋の小国の存在は世界に大きな影響を与え、同時に日本の国際的地位を高めることになった。軍事的に自信を持った我が国の歩みは、この時に決したとも言える。

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 しかし、戦いに勝利したとは言え、その実態はアメリカの仲介による〝水入り〟の勝利であり、日本の払った犠牲はロシアを上回っており、講和時においてそれ以上の戦いを続けることは不可能であった。対してロシアは欧州に陸軍の精鋭部隊を残していた。日本海海戦における奇跡的な大勝利のイメージが強く、ギリギリの勝利であったことが忘れがちとなっている。しかもその日本海海戦の勝利も、203高地の奪還と、そこからの28センチ榴弾砲による旅順艦隊のせん滅により、バルチック艦隊と五分の勝負ができたことによるものである。
 もし203高地の陥落が遅れたり、奪還できなかった場合、生まれて間もない日本海軍はバルチック艦隊と旅順艦隊の合流した倍する敵と海上で相まみえることとなり、制海権を失った日本軍は増援も無く、大陸で孤立し、逆に欧州から送られたロシア軍に叩かれ、日本はロシアに隷属する運命となったはずである。そう考えると203高地の戦いは日本の運命を賭けた戦いであったと言えるのである。

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(二十八糎榴弾砲)

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 富士ファインの大連工場を訪れた私たちは昼食後、水師営(すいしえい)に向かった。ここは日露戦争における両軍の巨頭、乃木大将、ステッセル中将の会見の場であるが、現地はひなびたあばらやが建つのみだった。

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 玄関の小部屋の左右に、それぞれ10畳ほどの部屋が一つずつあるだけで、ボロボロの土壁の様子を見てもとても歴史的会見の行われた場所とは見えない。中に牛でも飼って農具が置かれていたとしても一向に不思議ではないたたずまいであった。現在は博物館として使われており、右側の部屋には写真と解説のパネルがあり、左側の部屋には戦いの遺品や書などが並べられてあった。そこにあるモノはすべて当時の本物であるということであったが、どうにもウソっぽい様子だった。懐中時計などは現在も動いており、しかもどれでも1個1万円で販売するというのである。それを聞いていかにもこの国らしい商売であると思った次第である。むろん本物ではあるまい。
 わざわざこの地を訪れるのは日本人ばかりであり、中国政府に日本帝国の勝利を記念する施設を整備する意志はなく、荒れゆくままである。しかも本物の建物は一度崩され、現存しているモノは似た建物を使って観光用に再建されたモノなのだそうである。「このままでは施設を維持できないので、寄付すると思ってオミヤゲを買ってくれ」と言うが、値段が結構高く、信憑性もあやしいモノが多かったので私は何も買わなかった。たとえ寄付したとしても本当に施設のために使われる保証すらないのである。

 次に山上の203公園に出かけた。かつての激戦地203高地は今は緑地公園として使われており、緑の山となっていた。現在山頂に残っているモニュメント、石碑、当時の大砲などは日本統治時代に整備されたモノがほとんどである。バスから降りて山頂まで20分ほど徒歩であるが、かなりの急斜面であり、年輩の方には厳しい行程であった。

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 映画でおなじみの戦場としての203高地は、度重なる戦いにより砲弾で耕された赤土山のイメージが強いのであるが、現在は緑の木々に覆われた行楽地となっている。砲弾と機関銃の弾を浴びながらこの急な斜面に塹壕を掘り、鉄条網を破りながら屍(しかばね)を越え突撃を繰り返したのである。
 ただ登るだけで息の切れる急斜面の上で、今から120年ほど前に血で血を洗う大激戦が行われたことを想像することは難しい。時の経過というのはそうしたものであり、すべてを過去のものとして記憶の彼方へ押しやってしまう。山頂からの眺めはただのどかな緑の広がりを見せるだけである。

 日本陸軍の司令官、乃木希典(まれすけ)大将は金州城の攻防戦で長男・勝典を亡くし、203高地の戦いで次男・保典も失っている。登頂の途中、次男の戦死場所に碑があると知り足を運んだが、道が崩れておりたどりつくことができず、その方向に黙とうをして戻ってきた。
 乃木大将は明治天皇の崩御に際し、妻と共に殉死しており、明治という一つの時代のために一家を捧げることになった。近代になっても武士の価値観を捨てられなかった、文字通りラスト・サムライの一人であったと言えよう。

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(乃木大将の妻と二人の息子)

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 元来、乃木大将は軍人というより学究的性格の強い人であり、後に学習院の校長となり、幼時の昭和天皇の教育係となっている。漢詩における素養は中国人の学者もうならせるものがあり、その作品は今日もなお詩吟としてうたわれ、書の題材となっている。
 またこの戦争は日本が初めて戦った近代戦であり、第一次世界大戦に先立って機関銃の洗礼を受けている。当時の日本軍の軍服は黒地であり、赤土山ではさぞ目立ったことだろうと思う。おまけに白ダスキ隊という決死隊を募って切り込み作戦を行ったのであるが、黒い軍服に白ダスキではまるで「ここを撃って下さい」と言わんばかりである。そんなことも想像できないほど当時の日本人は純朴であったのだろう。
 「国のために命を捧げる」精神を双手を挙げて讃える気はないが、現在の日本という国がそうした先人の献身の上に成り立ったものであることを私達はしっかりと記憶しておかなくてはならないと思っている。

 この訪問記の終わりに、日露戦争後、東郷平八郎司令長官によって読まれた連合艦隊解散の辞(秋山真之参謀起草)の抜粋でしめくくりたい。

 百発百中の一砲、
 能く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚らば、
 我等軍人は主として武力を
 形而上に求めざるべからず。

 惟(おも)ふに武人の一生は連綿不断の戦争にして、
 時の平戦に由り其の責務に軽重あるの理(ことわり)なし。
 事有れば武力を発揮し、事無ければ之を修養し、
 終始一貫その本分を尽(つく)さんのみ。

 神明はただ平素の鍛錬に力(つと)め、
 戦はづして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、
 一勝に満足し治平に安んずる者より直(ただち)に之をうばふ。
 古人曰く勝つて兜の緒を締めよと。

 近年になり発見され公表された資料を読むにつけ、日露の戦いに日本が勝てたことがまことに不思議に思われる。国力の差に加え、当時の人種間における偏見、今と変わらぬ大国間のパワーゲーム、そうしたものを再検証すればするほど改めて〝天佑神助〟という言葉を想起することになる。

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*連合艦隊について
 今の自衛隊もそうであるが、通常はそれぞれの決められた管区(ブロック)に分散して任務を担っている艦隊が、非常時(開戦時)に一隊となって行動する時〝連合艦隊〟と呼ばれる。(連合艦隊旗艦「三笠」の絵はウィキメディア・コモンズから拝借しました。)

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2017年10月24日 (火)

友好都市・フフホト訪問記 4.書道交流と富士ファインの挑戦

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書道家交流会
 大草原のパオ型ホテルから帰ってきた我々はフフホト市青少年センターで行われた書道家の交流会に出席した。この10年ほど、岡崎とフフホトの交流は、このところの日中間の国際関係の悪化と鳥インフルエンザ、狂牛病などの影響により滞っていたが、両市の書家の先生方の民間交流はしっかりと継続されていたのである。
 ニューヨークにあるグッゲンハイム美術館のように螺旋(らせん)状の坂道の壁面にしつらえた展示コーナーに、岡崎の子供達の絵や書と共に先生方の書も展示されていた。

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 旧知の間柄である書家の先生方の交流ぶりを端で拝見していて心暖まるものを感じたのは私ばかりではなかったと思う。簡単な式典と記念撮影の後、フロアに用意された墨(すみ)と筆により相互に記念の書を書くことになった。「お前さんも書け」と言われないかと冷や冷やしていたが幸いそれはなく、ホッとしたものである。

 現在この地の書道界の重鎮の一人となっている高延青(コウエンセイ)氏は元フフホト市の副市長で、友好都市提携を締結後、最初の訪問団として岡崎市に来られた方であり、私に対し「一衣帯水」と大書した書を揮毫(きごう)して頂いた。一衣帯水という言葉は、山岡荘八氏の小説『徳川家康』の冒頭に出てくる言葉であるが、現実の東アジア情勢はお世辞にも穏やかな海と言えないことは残念である。
 国家間における関係は時の政治事情によって左右されることもあるが、民間の友情や信頼関係がそうしたものを超えて継続できるということを、今回の書道家の皆さんの交流から教えて頂いた気がしている。

大連へ向けて出発
 フフホト市での公式日程を終えた私達は、予想外の雨とカミナリの中を空港へと向かった。日程を終えたあとの天候の変化は一向に構わないが、今回も概して天候には恵まれた旅となった。
 天候には恵まれたものの、この国の交通機関の正確性は相変わらずアテにならない。フフホトから北京空港へのフライトはまたもや1時間あまり遅れた。おまけに到着した北京空港では、パイロットがゲートを間違えたのか管制塔の誘導ミスなのか、旅客機に乗ったまま空港内を20分あまりドライブすることとなった。
 こんなことは初めての体験であるが飛行機で空港内をぐるっと一周したのである。そのため大連(だいれん)行きの便への乗り継ぎがギリギリとなってしまった。

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 さらに、これまで一度も時間どおりに飛んだことがなかったのに、今回の大連行きは時刻表どおりに飛ぶという皮肉な形となった。時間どおりと言っても、大連到着は午後11時過ぎであり、この国で余裕のある旅をすることはなかなか容易なことではないようである。

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富士ファインの挑戦
 訪中5日目となる翌朝、岡崎から中国に進出している富士ファイン株式会社の工場見学に出かけた。
 かつて岡崎から繊維関係の会社が何社も中国に進出したものの、相次ぐ法律の改正と中国政府の方針変更により、事業の継続を断念して撤退したという話を何度も聞かされたことがある。そのような経済環境の中、天安門事件で大揺れしている中国に進出を決定し、今日まで堅実な事業発展を続けてみえる富士ファイン株式会社の存在には、以前から強い関心を持っていた。

富士ファイン株式会社・大連工場

 富士ファインは旧名「富士電線電器」といい、工業用の銅線を製造してきた会社である。単に銅線を作るだけならば、どこの国でもできそうなことである。国家の都合でルールが変わる不安定な環境の中でこの会社が存続し発展してきているというのは、他の追随を許さない12ミクロンの銅線を作ることができたからである。12ミクロンというのは人の髪の毛の5分の1の細さであり、手に持っても、しかと分からない重さである。
 現在このレベルの銅線を安定した品質で作り出せる技術を持っているのは富士ファインを含めて世界中で2社だけであるという。この銅線を作るための銅も純度の高いモノが要求され、1キロ70万円するそうである。IT時代において小型で高性能のモーターが求められる中、この銅線は不可欠な存在であるという。この製品を作るための専用の工作機械をオリジナルな仕様で作り上げているそうである。

富士ファイン株式会社・大連工場

富士ファイン株式会社・大連工場

 そしてもう一つ、富士ファインが力を入れているのは人材の育成である。
 近年は本国日本においても若年労働者が長続きせず、「3年もたずに離職する者が多い」と言われる中、この会社では創業以来の熟練労働者が多いという。真剣なまなざしで作業に集中している大勢の若い女性労働者の様子を見て、中国人の伝統的生活様式(大家族主義)を理解しながら、働く人ひとりひとりを大切にし、個々の能力を的確に判断し、適材適所の仕事を与えてその能力を伸ばしていることに成功の秘訣があるように感じたものである。 (つづく

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2017年10月20日 (金)

友好都市・フフホト訪問記 3.ランブル草原にみるモンゴルの生活

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歓迎夕食会
 フフホト到着2日目の夜、ホテルの大ホールで歓迎夕食会が開かれた。
 4月に先方が岡崎にみえた時は、相互に提携30周年のお祝いの挨拶を述べ飲食を行うという簡単なものであったが、その夜のフフホト市側の歓待ぶりには恐れ入ってしまった。馬頭琴の名手の演奏に始まり、民族衣装を着たお嬢さん達の集団演舞やプロ歌手の独唱等々盛りだくさんのものであった。答礼として訪問団で日本の歌を合唱したが、こんなことなら誰か〝宴会男(女)〟を連れて来るべきであったと後悔したものであった。

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 中国の宴会での困りもの(?)が「乾杯」である。全員で行うものばかりでなく、個別に何回も杯を上げるのである。左手に杯を持ち、右手の薬指の先を酒に浸して「天の神様」「地の神様」「御先祖様」へと、それぞれ上、中、下へ指先の酒をはじいてから杯の酒を飲み干すのである。これにまともに付き合っていたら、たちまちダウンである。40度を超える中国の地酒の乾杯作法には私のような下戸はとてもついて行けない。幸いこの点は我が訪問団の原田議長はじめ、酒豪の皆さんに助けて頂くことができた。

大草原ツアー
 3日目は早朝にホテルをチェックアウトし「大草原ツアー」に出かけることとなった。フフホトから車で3時間程の地にランブル草原はあった。
 地平線まで緑のじゅうたんが敷きつめられたような景観の一角に、パオを模した観光客用のバンガローが立ち並んでいた。

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 遠目にはパオのように見えるが、近づいてみると1棟ごとに個別に建てられたコンクリート製の小ホテルとなっている。見た目はきれいで窓も大きく近代的な整備も備えているが、電化製品の故障やドアのロックの不具合が特別なことではないというのがいかにも大陸国家中国的であると言える。
 バンガロー型ホテル群には牧場が併設されており、牛、馬、羊に加えてヤギやアルパカなども飼育されていた。

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 10メートル四方に囲われたヤギのゲージに私が近づいたところ、他の動物達とは異なりヤギが逃げ出した。なぜかと思ったが逃げ出す訳である。観光客が来る度に自分達の仲間が1~2匹ずつ消えてゆくのである。正に〝イケニエのヤギ〟である。我々が隣のパオの中でミルクティーを振る舞われ、民族衣装を着てハシャイでいる裏手では逆さ吊りにされたヤギが解体されているのである。
 どうも肉を常食とする民族と、焼き肉やステーキを食すようになったとはいえ、その根(ルーツ)が草食系である我々とは感性において違いがあるようである。

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 その後、草競馬を観戦し乗馬を楽しむことができた。
 そして再び、モンゴルの伝統的な大宴会である。こちらも隣接したホールの中でモンゴルの王族・高官の衣装を着て宴席に臨む、というショーアップされた近年始まったばかりのサービスであるという。
 屋外・屋内ともにモンゴル系の若者達による民族舞踊が続けられた。それにしてもモンゴルの踊りは中国や東アジアの踊りと比べてもハイテンポで軽快な、現代的なものであった。かつてユーラシア大陸を席捲したモンゴルの騎馬軍団のあり様と相通ずるもがあるような気がする。

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 とかく王族の軍装は、その権威を示す意味もあって装飾的で頑強であり、しかも重く、騎馬による戦いに合った軽く動きやすいモンゴルの軍装とは対照的であったと言われている。そのため騎乗して弓を使った速攻を行い、高速移動しながら戦うモンゴルの戦法に太刀打ちできなかったのである。しかも彼らは引くと見せかけて、追う敵に対し馬上、弓の背面撃ちをするといったテクニックを持ち、相手側の被害はより大きくなった。高速性を維持するために戦士達はそれぞれ複数の馬を用意し、戦いに臨んでいたという。
 暇な学者がいるらしく、チンギス・ハンの正式な妻、愛人、征服地においてできた子供やその子孫について調べたところ、彼のDNAを引き継ぐ人間が全世界におよそ1600万人ほどいるという。全モンゴル兵についてまで研究が進めば、人類の何割かはモンゴルの血が入っているであろうことが予想される。

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 ホール内で主席に案内された私と妻はモンゴル王と妃の衣装を着させられることとなったが、これがまた重く暑苦しいシロモノであり、座っているだけでも難行苦行であった。おまけにその格好で場内を一周して、ホールの中央に皿に乗せられて出てきたヤギの首を切るように言われたことには閉口してしまった。
 代表として貴重な体験ができ、大変思い出に残るものであったが、次回は副市長に来てもらうことにしようと思っている。 (つづく

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2017年10月19日 (木)

『リバ!』2017年11月号

内田やすひろの徒然市長日記

内田康宏事務所から『リバ!』2017年11月号発行のご案内です。
三猫と一犬との共同生活始まる」が掲載されました。

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2017年10月17日 (火)

東海愛知新聞『友好都市 呼和浩特訪問記』のお知らせ

『東海愛知新聞』2017年10月17日

 ブログと平行して、今日から東海愛知新聞にフフホト市、大連市、旅順の訪問記の連載を始めます。全5回の予定です(10月17日~21日)。お読み頂けたら幸いです。

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2017年10月16日 (月)

友好都市・フフホト訪問記 2.フフホトの歴史と新たな歩みへ

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 前日の日程の変転に疲れ果てていた私はシャワーもそこそこにホテルの自室で朝まで熟睡してしまった。翌朝カーテンを開けると心地良い大陸の青空が広がっていた。
 フフホト市の近代的な外観の市街地をバスで移動しながら、古都の風情の残る大召寺(だいしょうじ)へと向かった。近代的な外観と書いたが、建設中の建物を観察するとコンクリート柱の中の鉄筋の本数の少なさに驚かされる。壁面の施工は、レンガ積みの壁に金網を張り、その上にコンクリートを吹きつけた程度の工法であった。地震の心配のない所ではこんな建築方法が許可されるものであることを知った次第である。

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フフホトの歴史
 よく間違えられるが、内モンゴル自治区は中華人民共和国の5つある自治区の一つであり、モンゴル国とは別物である。内モンゴル自治区の省都であるフフホト(呼和浩特)市は北京の北西にある大都市であり、空路1時間半を要する。
 フフホトとはモンゴル語で「青い城」という意味である。16世紀にモンゴルの部族長アルタン・ハーンによって、流入してきた漢人達をまとめて移住させるために建設された中国式の城郭都市・バイシン(大板升)が町としての始まりと言われている。バイシンは中国語で〝百姓〟の意であり、生来、遊牧生活をするモンゴル人が定住生活をする漢人達をバイシンと呼んだことに由来する。その後、明代となり、フフホトは中国のモンゴル高原に流れる物資の集積地となって栄えてきたのである。
 アルタン・ハーンは晩年、ダライ・ラマに帰依してチベット仏教に改宗したため、フフホトには数多くチベット仏教の寺院が建立されることになった。大召寺はその中心的寺院の一つである。チベット仏教は自己の解脱を目指す小乗仏教の流れをくむものであるが、同行された神戸峰男先生(家康公騎馬像の制作者)によると、「大召寺は真言密教の北の終着地であり、東の終着地が空海によって建立された高野山金剛峯寺である」とのことである。

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(神戸峰男先生ご夫妻とともに)

 神戸先生は草原をかける馬の姿を確認するために、今回のツアーに参加されたのであるが、いわゆる〝汗血馬(かんけつば)〟はこの地の馬のことでもある。皮膚が薄いため鞍とこすれて血がにじむことがありその名の由来となったという。

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 私は仏教に詳しい訳ではないが、チベット仏教が中国の北端の地に息づいていることに不思議な感慨にとらわれていた。
 大召寺の前面には、いわゆる寺前商店街が広がっており、昔日の中国の街並みを伝えていた。古物商を兼ねたお土産もの店が建ち並ぶ中、面白いモノを発見した。どう見ても猫のものとしか見えない毛皮が売られており、聞けば「山猫」であるという。

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 どうやらこの辺りでは家の中にいれば〝飼い猫〟であり、外を歩いていれば〝山猫〟として毛皮に化けるようである。あとで家に帰ってから三匹の猫たちに「お前達、日本生まれでよかったな」と言いながら背中をなでてやったが、中国の山猫の毛皮と同じ感触であった。

伊利グループ
 大召寺訪問の前の経路で、地元の代表的企業である「伊利」グループの本社工場を訪れた。日本での知名度はないが、中国では主要な乳製品メーカーの一つである。その前身はフフホト回民食品工場(回民とは中国にあるムスリム・イスラム教団のこと)であり、現在は牛乳、アイスクリーム、ヨーグルト、粉ミルク等の乳製品を全種生産する大企業となっている。「伊利」グループの食品はアテネ五輪(2004年)以来、中国代表団の指定乳製品となっており、2016年の中国最強企業500社に選ばれた内モンゴル企業7社のうちのトップ企業である。

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 乳製品と言えば、来日中国人の爆買いの目玉商品の一つであったが、当時から「伊利」は環境問題、衛生問題を重視した経営を行っており、食品の安全性を第一とした経営姿勢は国際的にも評価を受けている。「中国ブランド」として国際競争力を備えた企業であると言える。
 ちなみに私達が視察した工場の管理システムは日本の最新鋭の機器を導入して運営されていた。常温で3ヶ月持つという長寿命ヨーグルトが意外においしく、私はオミヤゲとして持ち帰り、つい先日も飲んだところである。

友好提携30周年の調印式
 午後からはフフホト市役所を訪れた。
 社会主義国の常として、官公庁の建物の立派さには驚かされる。大理石で囲まれたホールに立つと、まるでどこかの王宮か博物館かと思えるほどの豪華さであった。市役所の会議室で再び友好提携30周年の覚書調印式が行われた。地方都市の友好調印式であるのにTVカメラやマスコミ関係者(?)が多く、またビックリであった。

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 その後場所を移し、友好20周年の時に前市長が送った雪見灯籠を見たが、上部が壊されていることが分かり早々に修理させて頂くことにした。今回は岡崎の新進気鋭の女性石工、上野梓さんの手による「平和の鳩」を寄贈させて頂いたが、今後は壊されることのない両国関係が続くことを祈るばかりである。 (つづく

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2017年10月13日 (金)

友好都市・フフホト訪問記 1.到着まで

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フフホト市友好都市提携30周年
 7月2日(日)早朝、岡崎市と友好都市提携30周年を迎えた中国・内モンゴル自治区の呼和浩特(フフホト)市訪問に出発した。6日間でフフホトのほか、大連と旅順も訪れることとなっている。
 このところ鳥インフルエンザの流行と日中関係悪化の影響もあり、両市の相互訪問交流は途絶えていた。今回の訪問は、友好提携30周年を記念して〝春の家康行列〟にフフホト市副市長はじめ20名ほどの訪問団の参加を受け、その答礼の意味を含めて行われたものである。

家康行列・フフホト市提携30周年記念使節団

(フフホト市提携30周年記念使節団、家康行列、2017年4月9日)

 通常の姉妹都市提携のあり方というのは、同規模で、何らかの共通的産業基盤、地理的あるいは歴史的共通性のある都市間で交わされるものであるが、フフホト市は人口307万を有する、名古屋市よりも大きな都市である。しかも経済的にも安定した美しい街であり、毎年行われる全中国の「住みたい都市」アンケートの上位の常連だそうである。そうした都市と友好都市関係にあることは、岡崎市としては大変名誉なことであると思う。
 今年は内モンゴル自治区成立70周年という年にもあたり、「できれば式典を行う8月にも来てほしい」ということであった。名称は自治区であり、成立時はモンゴル人や満州人が多かったそうであるが、都市の発展とともに国策として漢人の流入が進められ、現在では全人口の90%が漢人で占められている
 なお、これは中国における他の自治区も同じ傾向であり、政策的にいずれチベットやウイグルの自治区も同様の道を歩むものと思われる。多民族国家における統治と国家運営のあり方については歴史的経緯、文化的・宗教的問題もからみ、一つ間違えると内乱の可能性を含むものであり、そうした問題のない我が国をありがたく思うものである。

出発
 出発前日、7月1日は岡崎市制101周年の市制記念日であり、式典行事に忙しく、加えて母の四十九日の法要も重なり、中国行きの荷造りを始めたのは夜になってからのことであった。そうしたあわただしい出発となったこともあり、通常のような訪問前の下調べ、資料整理を行うこともできず、報告記事の掲載が遅くなったことをおわび申し上げるものである。
 今回のフフホト訪問団は、公式訪問団に加え、長年フフホト市との交流のある書道家代表の皆様を含む国際交流協会の「友好の翼」のメンバー総勢39名という規模となった。

 中部国際空港(セントレア)からフフホトへの直行便が無いために北京空港で国際線に乗り換えた。中国では入国・出国審査ともに厳格であり、時間もかかる。ことにこのところの中国の対外拡張路線に起因する各国の対中国政策への不満に加え、習近平主席の強硬政策への反発によるテロを警戒した対策のためか、必要以上に警備が厳しくなっているようであった。ただでさえこの国の飛行機の発着時間は正確さを欠く。先行きに不安を感じさせられる我々であった。
 その心配どおり、北京では乗り換え時間が3時間もあったにもかかわらず、出発はさらに1時間半遅れることになった。しかも都合5時間近く待ち、ようやく国内線に搭乗してから飛び立つまでにさらに1時間近く待たされたのである。その間何の説明もなく、おまけに燃料節減のために空調もストップされ、機内は蒸し風呂状態となっていた。しかも乗客が要求するまで飲み物(水)さえ出されなかった。
 概して中国に限らず、社会主義国のシステムとはこうした傾向が強いものであるが、この国ではそもそも「お客へのサービス」という観念が欠落していると感じたのは私ばかりではないだろう。

 かくして、中国のカオスの世界(?)に入った我々がフフホトに到着したのは夜の10時近くとなり、ホテルのレストランでの予約時間を3時間も過ぎていた。それでも我々がちゃんと夕食にありつくことができたのはフフホト市当局の特別な配慮のおかげと感謝している。 (つづく

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2017年10月11日 (水)

連合愛知三河中地協・要望書提出懇談会(2017年10月)

連合愛知三河中地協・要望書提出懇談会

 選挙前のたいへん慌ただしい中でありましたが、10月6日(金)、連合愛知三河中地域(なかちいき)協議会の役員の皆様や各議員の皆様とともに「政策要望書提出懇談会」を行いました。
 当日の挨拶と、要望に対する私の答弁をご報告いたします。

―挨拶―
 皆さんこんにちは。市長の内田康宏です。何かと気ぜわしくなってきた世相の中、本日はご苦労様です。
 連合愛知三河中地域協議会の皆様には、日頃から岡崎市政に対しまして、格別のご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。
 また、皆様が、雇用の確保や労働環境の改善に尽力されておられるほかにも、市民生活や地域社会の向上に貢献しておられますことに、深く敬意を表するとともに感謝を申し上げます。私もこれまでの5年間に市民対話集会44回、各種講演会・政策説明会を300回以上行い、市政と市民の声を反映する努力を重ねて参りました。

 さて、岡崎市は昨年市制100周年という節目のときを迎えまして、次の100年に向けて、ただ今新たな歩みを始めたところであります。この歩みを持続するには、将来にわたって安定した財源というものが必要となってくるわけであります。
 そこで、これからの財政におきましては、現在本市の経済の柱となっております自動車産業を中心としたものづくりに加えて、もう一つの柱として、本市の特徴であります独自の自然と歴史文化資産を活かした観光産業の育成が重要であると考えております。観光産業というのは、決して観光に関わる人たちだけが潤うものではなくて、たいへん大きな波及効果があります。印刷業にもありますし、それから飲食業、さらに他の業種にもお土産を作っていただくようなことで、製造業にも影響が大きく出るというふうに期待しておるわけです。
 そして、その第一歩となりますのが、現在着々と進めております、乙川リバーフロント地区の整備であります。
 今回のリバーフロント計画は、行政によるハード整備を目的としたものだけではなく、公共が整備したこうした空間というものを、民間の皆様方に上手に活用していただきまして、ここで儲けていただく、そういったことであります。その結果、行政には税金が入ってくるわけでありますし、こうした「稼げるシステムというのをつくりたい」と考えているところであります。

 こうした趣旨の下、乙川リバーフロント地区では10月28日にこれまでにない規模の社会実験「めぐる、QURUWA」を実施します。これは新たな公共空間の使い方を市民の皆さんに体感していただくため、地区の約半分を占める河川や道路、公園を活用するもので、まちの活性化、暮らしやすさ向上に向けて、ワークショップやフォーラムなど、これまでの参加者からいただいた提案に基づき実施するものです。

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 例えば、りぶら前の道路や駐車場、連尺通りの一部に人工芝を敷きつめ、テーブル、ベンチ、タープなどを設置し、市民の方がくつろげる空間を演出し、飲食等の民間事業を展開します。大人好みの企画も実施されますので、ぜひ一度足をお運びいただきたいと思います。
 この「QURUWA(くるわ)」でありますけれども、乙川リバーフロント地区の5つのエリア、殿橋下流付近の乙川河川敷、中央緑道、籠田公園、連尺通り、りぶら前・シビコ西広場を結ぶ形状が、岡崎城の総構え、すなわち総曲輪(そうぐるわ)と重なりまして、その形状がちょうどアルファベットの「Q」の字に似ていることから「Q・U・R・U・W・A」、くるわと名付けておりますので、皆さまにもどうぞこの名前をかわいがっていただきたいと思います。

 次にハード整備の状況であります。
 殿橋下流の河川敷の整備がほぼ終わりまして、きれいに明るくなった河川敷におきましては、多くの方が散歩やジョギング等を楽しんでいらっしゃいます。当初から若いカップルの利用は予想しておりましたけれども、高齢のご夫婦も散歩や犬を連れて歩くことを大変楽しんでおみえになります。

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 また、殿橋と明代橋の間におきましては、平成31年の完成を目指す「(仮称)乙川人道橋」の工事が進んでいるところでありますが、現在、橋脚が2基、橋台が1基完成いたしまして、目で見て整備の状況が分かっていただけるところとなっております。
 しかしいつも申しておりますが、こうしたハード整備をすることが最終の目標ではなくて、これにより出現した空間を使って、いかにかつてのような町のにぎわいを取り戻すのかが一番重要なポイントであると考えております。今後は、QURUWAに沿って楽しく歩いていただき、人をまちへ呼び込むための工夫や、人々の好奇心をそそるソフト事業の取り組みも進めたいと考えております。
 また、その考えをもとに健康づくりを支援するために新たな取り組みといたしまして、9月1日に「スマートウエルネスシティ首長研究会」に加入いたしました。これは、歩いて健康、食べて健康、そういったことをまちの中で実感できるように、にぎわいの他にも健康づくりの視点からもまちづくりを考えていくということであります。是非この具体事業を民間事業者と共にQURUWA上で展開したいと考えております。

 このように、私の公約の柱である乙川河川空間の整備や利活用、そして、これにつながる中心市街地の活性化についてはこの4年間で特に進捗を図ってきたところであります。ただ今はリバーフロント計画を中心にお話致しましたが、その他に全市各地域にて様々な施策を行っており、これから数年のうちにそうしたものが次々と実現して参りますので、ぜひご期待下さい。こうしたことは「天の時、地の利、人の和」という三つの要素の後押しによるものと感謝しているところであります。
 これからも引き続き、私の究極の目的であります、岡崎の子ども達が自らのふるさとに対し、これまで以上に大きな愛情と誇りを持てる、そんな「夢ある新しい岡崎」を築き、誰もが訪れたい、住んでみたいと思うまちづくりを目指してまいりますので、一層のご理解とご強力を賜りますようお願い申し上げ、私からの挨拶とさせていただきます。

連合愛知三河中地協・要望書提出懇談会

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―要望に対するコメント―
 本日は来年度に向け、各分野にわたるご要望を頂戴しましたが、私の方から本年度の取り組みについていくつか報告させていただきます。

1.「産業・雇用・労働政策」
 地域の産業振興や雇用の安定化は、地域経済の成長や地域の活性化に寄与し、賑わいのあるまちづくりの原動力として、市も大いに力を入れているところであります。近年、労働人口の減少や、効率的な高品質サービス、高度な情報化社会の適応等、企業の生産性向上のためロボットに対する期待が高まっています。
 これらの状況を踏まえ、人とロボットの協業によって経営力を強化するため、ロボットの利活用や新たな事業展開、強化すべき技術などをテーマに8月に「ものづくり岡崎フォーラム」を開催したところであります。
 地域経済を担う市内のものづくり事業所への支援制度としては、昨年に引き続き「岡崎市ものづくり支援補助金」を展開していますので、有効にご活用頂きたいと思います。
 また、昨年12月に100周年記念事業として開催した「岡崎モータースポーツフェスティバル」は、ものづくりの地域として各企業の最新技術の紹介や、本市の産業の発展を図るため今年も12月に開催予定であります。

岡崎モータースポーツフェスティバル

2.「男女平等政策」
 ワーク・ライフ・バランスの実現については、昨年度より男女共同参画課を新設して取り組んでいるところでありまして、女性活躍の支援やワーク・ライフ・バランスの推進等に取り組もうとする事業所に対し、アドバイザーの無料派遣を行っております。
 10月14日、17日には、中小企業経営者や個人事業主、総務担当者などを対象として「働き方改革セミナー」を開催いたします。

3.「福祉・社会保障政策」
 今年度から、地域の特性に応じた健康づくりを推進するため、保健師の地区担当制を導入しております。家庭訪問など、地域に根ざした活動をモデル地区において実施し、きめ細やかな体制づくりに努めてまいります。
 子育て支援としましては、総合子育て支援センターにおいて、妊娠期から出産・育児への切れ目のない支援のため保育コンシェルジュを中心とした、子育て支援に関する情報を集約し、保護者に必要なサービスや子育て情報を提供するとともに、その家庭の置かれている状況や希望に応じた助言を行っているところです。
 保育人材の確保につきましては、無料の職業紹介所の役割を担う「保育士支援センター」を開設し、潜在保育士などの再就職に関する相談や就職斡旋を行っています。また、再就職支援研修の実施等により、新たな保育人材の確保と離職防止の取り組みを行っているところです。
 加えて、今年オープンしました「こども発達センター・すくも」では、受けた相談を医療や療育につなげるだけでなく、保育所や幼稚園などの関係機関とも連携した支援を行っております。
 続いて、高齢者福祉の関係ですが、医療・介護を一体的に提供する「地域包括ケアシステム」の構築に取り組んでおります。その中核的な役割を果たしていく地域包括支援センターは、21か所すべてにおいて、医療機関などと連携を図りながら増加する高齢者に対応するとともに、高齢者の皆さんの暮らしを支えています。
 また、介護保険制度の改正を受け、4月から要支援者対象の「介護予防訪問介護」と「介護予防通所介護」を地域支援事業へ移行して実施しております。

4.「教育政策」
 すべての子どもたちが、家庭の経済事情にかかわらず未来に希望を持ち学校生活を送ることができるよう、これまで入学後に給付しておりました学用品などの購入費を平成30年度新入学の児童生徒分から、入学前に受給できるよう就学援助制度の変更をしてまいります。
 教育環境の整備につきましては、本市は平成17年度より市独自予算で教育補助者を配置しました。平成28年度には当初より115名増の215名になっております。限られた予算を有効に使い、現場の状況に寄り添った実質的な施策によって成果を上げてきたと考えております。

5.「まちづくり政策」
 7月に発生した九州北部豪雨では、本市から全地形対応舎「レッドサラマンダー」が愛知県の派遣部隊として、本市の救急消防救助隊とともに出動しました。被災地の皆さまのお役に立てたのではないかと思っておりますが、近年頻発する局地的な集中豪雨や自然災害は、いつ、どこで発生するか分かりませんし、南海トラフ地震の発生が心配されるところであります。南海トラフ地震による甚大な被害想定に対応するため、「地震対策アクションプラン」を今年度中に策定し、個々の対策を具体的に定め、迅速に対応できるようにしたいと考えています。
 4月には、浸水地区の住宅や事業所に対して被害を未然に防ぐための「止水板設置補助」を開始し、7月には、市街化区域の新築住宅などに対して河川や下水道への雨水の流出抑制を図る「雨水浸透ます支給制度」を開始したところです。

岡崎市地域総合防災訓練

 また、9月3日には地域防災訓練を、住民参加の地域訓練会場22箇所、避難所開設・通信訓練会場85箇所のほか、支所会場や道の駅会場でも実施しました。住民の皆さんはもちろん、消防団を始め関連団体や関連企業の皆さまにご参加をいただき、様々な主体が協働して対処していく訓練を通して、地域全体の防災意識の高揚と災害対応力が向上されたと思っております。

6.「行財政改革」
 選挙権年齢が18歳以上に引き下げられ、若年層の政治や選挙への関心を高めることは行政にとっても大きな課題として取り組んでいるところです。
 昨年7月に執行された参議院議員通常選挙におきましては、本市の18歳及び19歳の投票率は、岡崎市57%、全国46.78%と、全国数値と比べて高い方であったと分析されているようですが、今後も引き続き啓蒙活動に取り組んでまいりたいと思います。
 その一つとしまして、10月22日の衆議院議員総選挙においては、イオンモール岡崎において期日前投票所を開設し、若い世代が選挙を身近に感じ、関心をもっていただく場となればと考えております。

 以上、今年度の取り組みを報告させていただきましたが、この要望書に対しては次年度の予算編成を終えたのちに書面で回答させていただきます。要望の趣旨を十分検討させていただき、対応してまいりたいと思いますのでよろしくお願いいたします。


連合愛知三河中地協・要望書提出懇談会(2014年) (2014.10.22)

連合愛知三河中地協・要望書提出懇談会(2016年) (2016.10.06)

連合愛知三河中地協・岡崎市長懇談会(2017年3月) (2017.04.01)

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2017年10月 4日 (水)

平成30年度当初予算編成、部課長への説明会

平成30年度当初予算編成説明会

 9月28日(木)、来年度の予算編成に向けて、管理職(部長、課長)を対象とした説明会を開きました。市長として訓示を行いましたので御報告致します。


 平成30年度の当初予算編成にあたりまして、本日、私から皆さんに改めてお話をさせていただきます。
 日頃の市政運営におきまして、職員の皆さんには日々、各所管業務に積極的に取り組んでいただき、まずもってお礼を申し上げたいと思います。

 さて、現在の我が国の経済状況でありますが、企業収益は過去最高の水準となり、雇用も大きく改善し、過去3年、賃上げの流れが続いていることから、緩やかな景気回復が続くものと期待されております。
 今年6月に発表された政府の「経済財政運営と改革の基本方針2017」では、次なる経済政策の鍵を「人材への投資を通じた生産性向上」とし、働き方改革を推進し、生涯現役社会の実現を目指すとしています。また、地方創生におきましては、新たな展開を図るために、地域資源・地域特性を活用した仕事づくりなどを後押しし、意欲と熱意をもって取り組む地方公共団体に対して情報面・人材面・財政面から支援するとしています。

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 平成30年度は、本市の第6次総合計画後期基本計画も4年目を迎えます。
 重点プロジェクトを実施していくとともに、「岡崎まち・ひと・しごと創生総合戦略」にも取り組み、本市の魅力を向上させ、賑わいの創出や将来にわたり成長する持続可能なまちづくりにつなげていかなければなりません。
 しかし本市の税収は、景気の回復基調による市税の増加は見込めるものの、地方交付税の減少などにより、歳入は厳しい状況と言わざるをえません。「かわまちづくり」がそうであるように、国庫補助の積極的な活用も視野に入れ、限りある財源の中で、現在抱えている課題や市民ニーズへの対応を検討して下さい。

 これから数ヶ月にわたり、平成30年度の当初予算編成にあたるわけですが、ここに集まっていただいております部長、課長の皆さんは各所管の施策の責任者です。
 この度の予算編成を通して本市の強みを活かし、重点的に行っていく施策を大胆に取捨選択し、より効果的で具体的な実施方法を検討していただきたいと思います。

 私は〝顔の見える民主主義〟を政治姿勢のモットーとしております。〝大衆扇動の政治〟は目指しません。
 市長就任以来、これまでの5年間で行った市民対話集会は43回を数えました。その他にも、望まれればどこへでも行き、政策説明会や講演会などを300回以上行ってきています。議会審議に加え、ここまでやっている首長は他にはいないと自負しております。

市民対話集会

市民対話集会

 みなさんも自治体経営者の一人として、議会からの要望を始め、市民ニーズの把握に十分努めていただきたいと思います。

 次に生産性向上についてであります。政府は今後、人口減少・少子高齢化が本格化することから一億総活躍社会の実現に向けた取り組みを行っています。また、地方創生においては、地域が持つ魅力を最大限引き出し、自助の精神を持って取り組む地方を強力に支援していくと言われています。本市の魅力や強みが何であるのかをしっかりと理解し、将来を見据えた取り組みをすることで、持続的な成長につなげていかなければなりません。
 住みよいまちづくりが定住人口を増加させ、生活の質を高くし、その結果、健康寿命が延び、生涯現役社会が実現できるものと考えています。
 今の本市にとって、真に必要なものを見極め、生産性を向上する視点も意識してください。

 もう一つ、私が長年思ってきたことを申し上げたいと思います。
 みなさんの取り組みを見ていると、「税金で行うことで、予算があるから毎年先例に則って漫然と同じことを繰り返しているだけなのではないか?」と感じることがあります。
 9月10日の日曜日早朝に開催された菅生川の清掃活動におけるポロシャツを一つの例として先日ブログに取り上げました。今後はより高い問題意識を持って日常の仕事に取り組んでいただきたいと思います。
 公務員であっても、良い意味での商売っ気を持つとともに、税金の無駄遣いのないよう仕事をするという感覚を持ち、進取の心で積極的に改革を行ってください。私のブログをまだ見ていない方は、所管の査定を行う前に是非ご一読いただき、所属職員にもしっかりと周知していただいた上で業務に臨んでいただきたいと思います。なお、ブログを読まれた市民の中から、同様の事例についての御指摘をすでに頂いております。

 最後になりますが、私がいつも申しておりますとおり、究極の目標である、岡崎の子ども達が自らのふるさとに対し、これまで以上に大きな愛情と誇りを持てる「夢ある新しい岡崎」を皆様と共に築いてまいりたいと考えておりますのでよろしくお願い致します。
 私が公約に掲げ、市民の皆さまから信託を受けた政策の推進と、災害対策、福祉、医療、教育などの基本施策にしっかりと取り組むバランスが大切だと考えております。
 皆さんの英知を結集し、平成30年度の予算編成に取り組んでいただきたいと思います。

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